このごろの活動
この会でも、東日本大地震への義捐金を送りました。《参照:文芸同志会ひろば》
会員には事後報告しています。
私は座禅の修行経験をしたことがあり、そのときに「金剛経」を学びました。
経文に次のようなものがあります。
「菩薩は、法に於いて応(まさ)に住するところなくして布施を行すべし、所謂、色に住せずして布施し声香味触法に住せずして布施せよ、須菩提、菩薩は応(まさ)に是(かく)の如く布施して相に住せざるべし、何を以っての故となれば、若し菩薩相に住せずして布施するは其の福徳思量すべからず」
これは要するに、布施をした時に、施しをしたと意識をしたらば菩薩心ではなく布施をしたことにならない、ということを反語的に説いています。
それは無理だろうと思いました。しかし、自分がいつ誰に対してやったかが、判らなければ、やったやったと思えないのではないか。それなら菩薩行になると思ったものです。そのときに、当時、明大教授だった上村氏の「市民外交センター」を知り、毎月送金しています。文芸同志会を設立した11年前からは、会費から引き落とすようにしたものです。会員はそのこと知らずに入会していますから、何かをしてやったとは思いようがないでしょう。まさに菩薩になったのです。
ここで余談をしますと、神は死んだとしたニーチェは仏教を知っていたはずです。
インド仏教の特性に、自らが仏(覚者)になるという思想があります。自分が神になるわけで、ほかに神はいません。ドイツ哲学者のなかには、仏教の教理を無神論であるという人がいるほどです。
仏教では死者も自分のなかににいます。風になったり、星になったりしていません。だいいち、風や星は自分とは関係を持ちようがない、他者です。でも私の父母は自分のなかにいます。私は一応、お墓参りはしますが、これは社会的な付き合いで、地域社会の調和のためにしてるだけです。
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