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2011年4月30日 (土)

詩の紹介 「鉄の扉」 作者・吉川千穂(「詩と真実」3月号)

詩の紹介 「鉄の扉」  吉川千穂

精神科閉鎖病棟 午前六時/蛍光灯が一斉にともる
東の空の太陽に目を細め/遠い手稲山の稜線を辿る/窓の隙間から入り込む清らかな風/自由の匂いだ
憧れは日に日に増して私を苦しめる
日が昇り 沈んでゆく/慟哭は一滴たりとも外に漏れず
廊下を徘徊 五往復/彷徨う足にあてはない
すべての私物につけられた名前/千の眼を置くナースステーション/私と外を繋ぐ一台きりの公衆電話
みな苦しくて 生きていることが苦しくて/肉体の牢獄に囚われていた歳月のすべてを/私は未だ語ることができない

月刊文芸誌「詩と真実」3月号No741 より(H23年2月25日)熊本市出仲間

紹介者・江素瑛(詩人回廊
 精神病棟の内と外です。重く冷たい鉄の扉に囚われた身体。囚われることで、新たに生まれる精神の挫折。
「千の眼を置くナースステーション/私と外を繋ぐ一台きりの公衆電話」監視されて、外界とは連絡し合う自由を求める気持ちは失われない。
拘禁と精神障害の二重苦は、「みな苦しく 生きていることが苦しくて」それを語ることは、さらなる三重苦になる。封印された日々はなんであったのか。いつになったら、生きる楽しさを知り、過去を楽しく語れる日がくるのか。ここに表現することで、作者はやっと過去の「鉄の扉」の前にたどりついているのかも知れない。
野の花はひたすら咲いて黙って散る。鳥はねぐらに悩まずひたすら空を飛ぶ。悩む素因をもつ人間に、果たして健康な精神というものが与えられているのか、を考えさせる。

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2011年4月28日 (木)

同人誌「風の森」15号(東京)

【「横光利一『悲しみの代価』徹底解析」越田秀男】
 横光利一の遺稿に「悲しみの代価」というものがあって、川端康成が入手していたが、私的な作品だか、作者が生前発表しなかったのは未完成で、その気がなかったとかで、発表をためらったというような話は耳にしたことがある。ここではその詳細が丁寧に解説されている。
 自分は横光利一について、そのようなことは全く素人で、知識がないので大変興味深く読んだ。横光利一には、「純粋小説論」という評論があって、文学理論として面白いので「詩人回廊」に「横光利一「純粋小説論」のモダンと現代」を連載中である。これはあくまで創作の手法として、現代人の参考にしようというもので、横光利一への鑑賞としては粗雑なものである。文学的ではなく、政治経済分野の視点でみるとこうなるということである。
 本論を読んで分かったのは、どうも横光利一は、人間の細部の心理から、社会関係までを総合的文学のなかに組み込もうとした全体小説志向であったらしいということだ。
【「国家という不信―内村剛介が思念した場所」皆川勤】
 内村という人を知らないが、トロツキーの「文学と革命」も、レーニンの「帝国主義論」も持っている。地震で本箱から飛び出した。まだ入れ直していないが、あるはずだ。それぞれの本の訳者が誰であるか覚えていない。だいたい、これらの本について、社会人になって他人と話題にしたことがない。
 若い頃、シベリアや満州にいた人の話はきいたことがある。ひどいものだったらしい。アナーキーになるのもうなづける。昭和天皇の時代には、アナーキーに必然性があるが、現在は歴史とどうつながるのか。現代の殺人事件の様子などからすると、種類の違うアナーキーを感じる。
 トロツキーの「永続革命論」には、プロレタリアート独裁でも、政策実行者を毎年選挙で選ばないといけないようなことが書いてある。今でいえは、議会民主主義でも官僚を選挙で選ばないとまずいことになるという意味に取れる。
「文学と革命」では、「労働者の間では親と子の違いは年齢的なものであるが、インテリでは社会的な違いが加わる」というようなものが書いてある。自分は子ども時代は、小学校を卒業しないで働いていた父を手伝って働いたが、その後、大学を出て、父との会話の多くを失ったーー。(紹介者「詩人回廊」伊藤昭一)
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2011年4月26日 (火)

文芸同人誌評「週刊読書人」2011年4月1日)白川正芳氏

『SEITO百人一首 二〇一〇』(同志社女子大学)
須田茂「カズオ・イシグロにおける『越境』の内景」(「ペガーダ」10号)、「群獣」12号より長谷川寛「文学と政治の狭間で……検証・通信部時代」、「朝」30号より中村俊輔「新説 真杉静枝 第二十話」、「胞山」23号より久野治「やみものと加藤氏」
「鐘」23号より第28回大阪女性文芸賞受賞作は片岡真「ゆらぎ」、佳作は片島麦子「透明になった犬の話」
森啓夫「電話が繋いだ恩愛の絆」(「文学街」281号)、和泉志のぶ「お百度参り」(「まくた」271号)、よしのあざ丸「各駅停車に乗り換えて」(季刊「午前」44号)、伊東貴之「虚構のカルテ」(「八月の群れ」53号)、渡部美恵子「手紙」(「山形文学」100号)、菊田均「歴史徒然」(「時空」34号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年4月25日 (月)

同人誌時評(3月)「図書新聞」(2011年4月23)たかとう匡子氏

題「文学者は逃げられない」
「ESコア」第20号「現代短歌との闘争」特集号より加藤英彦「幻の筆者への覚え書き-実在の筆者から非在の筆者へ」、「VIKING」第721号より中尾務「VIKING 2-(十二)」(VIKING CLUB)、「櫻尺」第38号より結城文「鏡像のゆらめき-多田智満子試論」、「文芸中部」第86号(文芸中部の会)より北川朱美「縮尺のない地図」、「照葉樹」第10号より水木怜「みつさんお手をどうぞ」、「エウメデス Ⅱ」第39号より松尾真由美「もしくは騒がしい喜劇から」、「ひょうたん」第43号(ひょうたん倶楽部)より絹川早苗「ささら さらさら ささめゆき」

冒頭の『SEITO百人一首 二〇一〇』(同志社女子大学)は高校生を対象にした短歌コンクールの作品集。1首を紹介します。
 りんごジャム煮詰めるように君のことコトコト思う今日秋深し
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年4月24日 (日)

詩の紹介「伝えるってこと」作者・関 中子

「伝えるってこと」関 中子

波を伝える 物から物へ 出来事から出来事へ 
*中略*
街から街へ 道から道へいつも行けるわけじゃない だけと結局はわたしたちは 文明人は 道がないと歩けないみたいだ 
 *中略*
波が荒い 風が強い 波がめちゃくちゃ話すから話したいことがわからない
怒りと悲しみだけが聞こえる 伝えるってこんなことでいい かつて言葉をわれ知らず習い覚えたその喜びは伝わるような話しかたができるという可能性への 人生に明日を明日と置けることだった 伝えるってこんなことでいい あなたがどこからどこへ どんな名前から名前へ歩いているか 風を気にしては隠す 隠しては尋ねる 尋ねても返事は返ってこない 空に吸い込まれたのか 海に落ちたのか だれかと夢中で遊んでいるからか 伝えるってこんなことでいい わたしは今詩を書いているよ
詩歌文芸誌「ガニメデ」No.51より 2011年 4月 東京都練馬区

紹介者・江素瑛 (詩人回廊)
昔、人やけものが草原や山野歩くことで道が出来ていた。今の「文明人は道がないと歩けないみたい」前人が開拓した道でないと、歩けない。ちょっと哀しい話しです。文明人は科学道具に頼りすぎで、生まれ付き素晴らしい道具の手と足のことを忘れてしまうのですが、全編は波や風の音に満ち、隠れん坊のような、「わたし」が問いかけられて「あなた」に問いかける。「人生に明日を明日と置けること」で、将来に繰り返し自分を投げかけ、詩によって生きることを伝えている。
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2011年4月23日 (土)

「ぴあ」首都圏版、7月で休刊

エンターテインメント情報誌「ぴあ」首都圏版が、7月21日発売号で休刊する。中部版は昨年6月、関西版も同10月に休刊している。発行元のぴあ(株)は映画、コンサートのスケジュール情報は、インターネットで提供する。
 「ぴあ」はエンターテインメント情報がインターネット上で無料で調べられるようになり、最近では6万部まで落ち込んでいた。
情報誌「ぴあ」39年の歴史に幕 首都圏版、7月で休刊

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2011年4月21日 (木)

第30新田次郎文学賞は、竹田真砂子さん「あとより恋の責めくれば-御家人南畝先生」

 第30回新田次郎文学賞(新田次郎記念会主催)は18日、竹田真砂子さんの「あとより恋の責めくれば-御家人南畝先生」(集英社)に決まった。副賞100万円。これまでの新田次郎文学賞には、第1回(昭57年) 沢木耕太郎 一瞬の夏 新潮社 /第2回(昭58年) 若城希伊子 小さな島の明治維新―ドミンゴ松次郎の旅 新潮社 /第3回(昭59年) 辺見じゅん 男たちの大和 上・下 角川書店―――などがある。

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2011年4月20日 (水)

第14回日本ミステリー文学大賞は大沢在昌氏

 第14回日本ミステリー文学大賞(光文文化財団主催)は『新宿鮫』などのハードボイルド小説で知られる直木賞作家の大沢在昌氏に。同新人賞は石川渓月さんの『ハッピーエンドは嵐の予感』と望月諒子さんの『大絵画展』の2作品が初の同時受賞となった。鶴屋南北戯曲賞は、前川知大氏の『プランクトンの踊り場』が受賞。

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2011年4月19日 (火)

第7回 短編恋愛小説「深大寺恋物語」 募集

第7回 短編恋愛小説「深大寺恋物語」 募集要綱【募集内容】
関東有数の古刹である天台宗別格本山「深大寺」の発祥は、その名前の由来でもある「深沙大王」という神様にまつわる「縁結び」の物語に由来する、と伝えられています。「深大寺」という歴史あるお寺、その門前に位置する数多くの「そば屋」や「お土産屋」、そして「東京都立神代植物公園」をはじめとする、その界隈の「豊かな自然や花と緑」を盛り込んだ、現代のラブストーリーを募集します!

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2011年4月18日 (月)

詩の紹介「わたしの竹取物語」情熱のゆくえ 山崎夏代

日の最後の輝きが野末を金色に染める/枯れた木に絡み付いた枯れ蔦/烏瓜 ひとつ/めくるめく赤く/その輝きが わたしには つらいのだ/失われた 情熱の 化石
かつて、たしかに美のはてしない憧れをもっていたはずだ。/それはどこへ消え去ったのだろう、/きらめいて冷たいわたしのかぐや姫
✰中略✰
かぐや姫の求婚者、番外編は時の帝だ。五人の求婚者には嘘ばっかりの要求をした姫も、帝には素直だ。この章でかぐや姫は形而上的な美ではなく、人間の姿をした女に変わってしまう。帝に恋をしたのか、この世の最高権威の妻の座と/天上の己が身分とをちらりと比較したか。天の命令には逆らえない、帝に未練を残しながら、泣く、泣くかぐや姫、満月の空に帰っていく。形見に残した不老不死の薬。帝の病気を心配したなら病気を治す薬だけでよいものを。姫は月世界では不老不死、この世をそっとのぞきこみながら、帝が永遠に自分を思い出してくれるのを、満月の夜は天を仰いでため息をつくのを願っていたに違いない。富士山の噴火口に薬を捨てさせたとは、帝は賢明だった。望んでも望んでも得られぬものを、不死身になって永遠に望み続けねばならないとは、あまりにも残酷だ。あるいは、美というものの本質、その残酷さにあるのだろうか。
夢と憧れは 残忍さを懐に/青春をよぎっていったか/情熱の行方を/わたしは冬の野末の果てに求めている
詩誌・「流」34号により 宮前詩の会 2011年 3 月15日 川崎市

紹介者・江素瑛(詩人回廊)
月からやってきて月に帰った美の宇宙人、かぐや姫。この世のものでない美貌に翻弄される天下の男たち、ひとりの例外、時の帝がいる。しかし、彼はかぐや姫の別れの形見としての不老不死の贈り物「富士山の噴火口に薬を捨てさせた」とは、「満月の夜は天を仰いでため息」を続けることを拒否した。
真善美の価値観で美の永遠性を信じたい人の心。美が美であるのは、時間を超えると思う錯誤があるから。しかし、現実は時間を超えない。得られないものを求め続ける、「人間」は愚かなのか、人間は忘れっぽく、情熱とはウオーミングしないとやがて凍ってしまうのでしょうか。《参照:事典「かぐや姫」 》
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2011年4月16日 (土)

第54回「群像新人文学賞」小説部門・中納直子さん「美しい私の顔」

第54回「群像新人文学賞」(講談社)は、小説部門で中納直子著「美しい私の顔」、評論部門は彌榮浩樹著「1%の俳句 一挙性・露呈性・写生」に決まった。また、受賞作品と選評は5月7日発売の「群像」6月号に掲載される。

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3.11震災にまつわるメッセージ (アンケート書き込みより)

(講談社『BOOK倶楽部メール』 2011年4月15日号)
★宮城県石巻市在住です。私の祖父母は雄勝町に住んでいました。公民館にバスが鎮座していました。小学校の上にどなたかの家が乗っていま した。祖父母の家は丸ごと無くなっていました。泣きそうになりました。先日この地域の歴史書を眺めていたところ、明治時代にも、今回の地震と同規模の震災が起こっていました。歴史は繰り返してしまうのだなあ、とやっぱりすこしだけ泣きそうになりました。祖父母は今、幸い何の被害もなかった私の家にいます。割と元気です。これから先、とても大変でしょうけれども、みんなで力を合わせて生きていきたいと思います。(宮城県 E様 10代)
★高台の家にいた伯母とはとこは津波が襲ってきた際、必死で2階に逃げ、部屋にあった机に2人で上がり間一髪で飲まれずに済んだそうです。屋根もなく雪が降る中、たまたま濡れずにあった毛布に2人で包まり、机に掴まり励ましあって一夜を過ごしたと聞きました。それを母から聞いたとき本当に今回の津波の恐ろしさを知りました。早く復興するよう祈るばかりです。(? I様 30代)
★あんなに怖いと思った地震は初めて体験しました。家具が動いて、全ての引き出しが飛び出し、扉つきの収納はしっかり閉めてあったのに全て開き、中のものが飛び出しました。私は自宅で一番大きな棚をおさえました。ペンダントライトがブンブン振り回され、顔や頭にぶつかりました。ソファやベッドが動いたせいで、マットを敷いていても床が削れました。カーペットがうねるように動いて、不気味だった。大好きな花瓶を2個守りきれなかった。でも、私の恐怖なんてなんでもないレベルだったと知ったとき、どうしようもないくらい落ち込んだ。悲しいというよりも、絶望に近かった。その後も酷いニュースが続いて、耐えられなかった。そんな中で、盛り上げようと頑張っている人がいる。立ち直ろうとしている人がいる。応援している人がいて、それもたくさんいて、私も遅まきがなら
 立ち上がり、応援する人になった。問題は消えないけど、まだまだ怖いけど、頑張ってる人がいるから私も頑張れる。(栃木県 I様 30代)
★被災地です。職場は半壊状態ですが、家は住める状態で、津波を受けた沿岸地域の方々に比べたらライフラインが復旧しないことくらい全然マシで、そして沿岸地域の方々が立ち直ろうとしている姿や、色々な形で助けてくれようとしてくれる方々がメディアに取り上げられるたび、涙が出てきます。(宮城県 K様 40代)
★地震から3週間経つが、書店・図書館は一つも開いていない。建物が破損したところも多いが本が散乱して手がつけられないところも多いらしい。コンビニもあいていない所が多いが、開いていても雑誌はない。売り切れで、入荷もないから。(福島県 O様 40代)
★本はなくても生きていけるけれど、あると心が満たされて元気が出てきます。きっと生きる力になると祈っています。(東京都 U様 10代)
★震災時、岩手県内陸部におりました。沿岸の親戚を見舞った際に目にした、変わり果てた街の様子は言葉では言い表せません。今は絶望の中、本どころではないという方も多いでしょう。しかし本には、いずれ踏み出す未来への一歩を支えてくれる力があると信じています。(岩手県 S様 20代)
★本は絶対心のゆとりに繋がると思います。災害の時は文化的な支援は後回しになるので物納がベストだと思います。(大阪府 K様 30代)
★新刊プレゼントの本を被災地に、という試みに心から拍手いたします。言葉の力を信じる者の一人として、書物がかの地でなにがしかの助けになることを祈りたい思いでいっぱいです。こんな時こそ、人の心を保つ為に書物はなにがしかの役にたつのでは、と考えます。どうぞ、すばらしい書物を送り出してくださいますよう、講談社の皆様のご活躍をお祈りします。(千葉県 E様 40代)
★震災の直接的なショックが癒えて、緊張がゆるむこれから、精神的な支えが必要になるのだと思います。本を読むことで、すこしでも心に平安が戻りますように、お祈りしたいと思います。(埼玉県 Y様 50代)

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2011年4月15日 (金)

「新 同人雑誌評」「三田文學」105号・春季号(2011.05.01発行)

対談「新 同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏
《今号で取り上げられた作品》
中田重顕「去年今年」(「文宴」113号、松阪市)/米沢朝子「密-misoka-」(「蒼空」15号、高知市)/神盛敬一「稲荷山」(「港の灯」、神戸市)/神盛敬一「花見るあい間」(「飢餓祭」34号、奈良市)/佐藤睦子「坂の向こう」(「小説家」133号、国分寺市)/島田勢津子「しちゃかちゃ」(「黄色い潜水艦」53号、奈良市)/銚布坂大「切り捨てられた端数」(「とぽす」49号、茨木市)/長瀬葉子「恋の方程式」(「とぽす」49号、茨木市)/青木民男「ひと冬の奈良ものがたり」(「別冊・蒼海」、宝塚市)/加地慶子「プライベート・ノベル」(「まくた」270号、横浜市)/木下径子「二十歳の石段」(「街道」16号、武蔵野市)/飛田一歩「泉」(「湧水」47号、東京都)/奥野忠昭「海への日」(「せる」85号、東大阪市)/和泉あかね「秋の並木道」(「サロン・ド・マロリーナ」2号、東京都)/伊村恭子「ノーマルカーブの中央値切り」(「カム」7号、奈良県桜井市)/浅田厚美「蛇香草」(「別冊關學文藝」41号、大阪市)/和田浩明「昭和二十年、夏から冬へ」(「別冊關學文藝」41号、大阪市)/宮本史郎「ひとりぼっちのあいつ」(「銀座線」16号、東京都)/菊池尋子「廊下」(「天気図」9号、花巻市)/北緒りお「たまご」(「カプリチオ」34号、東京都)/木戸岳彦「覆面の下の突堤」(「季刊作家」72号、豊田市)/市川一雄「かがやく酸素のかたまり」(「黒馬」38号、岡谷市)/菊野啓「黒猫のティガティンガ」(「飛行船」8号、徳島市)/高木純「群鳥の水田」(「飛行船」8号、徳島市)/紺野夏子「石の家」(「南風」28号、福岡市)
●ベスト3
勝又氏:1番は米沢朝子「密-misoka-」(「蒼空」)・2番は中田重顕「去年今年」(「文宴」)・3番は神盛敬一「稲荷山」(「港の灯」)・奥野忠昭「海への日」(「せる」)も捨てがたい
伊藤氏:1番は米沢朝子「密-misoka-」(「蒼空」)・2番は神盛敬一「稲荷山」(「港の灯」)・3番は銚布坂大「切り捨てられた端数」(「とぽす」)
●前回も含めた1位
米沢朝子「密-misoka-」(「蒼空」)
奨励作
勝又氏:高橋陽子「さちあれ」(「せる」)・塚越淑行「豆腐屋の女」(「まくた」)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年4月14日 (木)

東川篤哉「謎解きはディナーのあとで」(小学館)が、100万2000部

 「2011年本屋大賞」を受賞した東川篤哉「謎解きはディナーのあとで」(小学館)は、4月12日、16刷18万部を増刷し累計発行部数は100万2000部となった。同書は昨年9月、初版7000部で発売されたもの。著者・東川篤哉氏が文芸誌「きらら」(小学館)で執筆中の同タイトルの続編連載も年内に単行本化する予定。

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詩の紹介「のんばめる」作者・たかつか与詩

「のんばめる」 たかつか与詩
おじいちゃんはカレー作りの名人/嫁に煽られて 得意になって/カレーづくりに専念する/おやじのカレーはいつも甘い/今日はおもいっきり辛口に/タバスコ一本ぶちこんだ/女房がきてちょっと味見/からっー/おれは夕刊読んでいた

夕方/帰宅した子供たち/今日のカレーは辛いぞ/子供は試食/むっ・・・・うっ・・・・/だまっておれの顔をみる/変な雰囲気/(勝手がちがうなっ)おれも一口/あまっ?/からっ?/奇妙な味/どろんとして/まるで 黄色い汁粉/のんばめて カレーは口のなか/おれは女房の顔を見た

あれっ/お砂糖一キロ入れといたのに/少ししか残っていない だれか使った/嫁の声

ああ/カレーに砂糖をぶちこむとは/いずこの国のならいぞやー

<詩誌「田園」146号(岩礁改題)により 平成23年3月三島市・岩礁の会>

紹介者・江素瑛(詩人回廊)
「おれ」が居て、「女房」が居て、「嫁」が居て、「子供」が居て、同じ屋根の下で営んでいる日常。昔風の「大家族」という暖かさと賑やかさ、微笑ましい。
甘いものはすぐエネルキ―に化ける、長く持たないが、パニックになったときにすぐにも対応できる、身体に好都合なエネルギ源です。
甘えものが好きな日本、大地震などで厳しい状況になっているのに、甘えた言いわけをする、黄色い汁粉を作る政府の奇妙な官吏。
「ああ/カレーに砂糖をぶちこむとは/いずこの国のならいぞやー」と作者が大発見したようです。
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2011年4月13日 (水)

本屋大賞は東川篤哉氏『謎解きはディナーのあとで』

本屋大賞は全国917書店・1263人がエントリー(前年は858書店・1157人)。1次投票に362書店・458人(同323書店・385人)、2次投票には351書店・439人(同304書店・350人)の書店員が投票、過去最多を記録。4月12日、東京・明治記念館でノミネート作品の順位が発表され、大賞に『謎解きはディナーのあとで』(小学館)が選ばれた。2位は窪美澄氏『ふがいない僕は空を見た』(新潮社)、3位は森見登美彦氏『ペンギン・ハイウェイ』(角川書店)が選ばれた。


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2011年4月12日 (火)

作家・平野啓一郎氏が中部ペンクラブ6月総会で講演へ

 第26回中部ペンクラブ総会は、6月12日(日)ホテル名古屋ガーデンパレスで開催することが決まった。当日は、講演を愛知県出身の芥川賞作家・平野啓一郎氏が行う。平野氏は1975年、愛知県蒲郡市生まれ。1999年第120回芥川賞受賞。2009年「決壊」で芸術選奨文部科学大臣新人賞、「ド-ン」でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。
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2011年4月10日 (日)

詩の紹介 「命令」 作者・内田麟太郎

   「命令」 内田麟太郎
寒かったのか/それとも/もう気にするなと眠ったけど/あいつのことが気になっていたのか

昼寝のあとは夕方寝/それでも夜になればたちまち熟睡/朝まで眠っているおれが/今夜も目を覚ましている/あいつはいまごろ眠っているのか/それとも腹水の溜まっていく体で/天井を見ているのか/(弟が先に逝くなど理不尽ではないか)/(それも親父と同じ病で)

おれの体は6階の布団の中にある/一階はセブンイレブンで/その上に13階まで住居のマンション/寒いといっても/彼らにくらべれば天国だ/河原に青いビニールテントを張っている

(やっぱり小便だ)/起きて襖を開ければぞくりと寒さがくる/寒ければ小便が溜まる あたりまえのこと/そのあたりまえにおれは起こされたのだ/あいつのことでもない/かれらのことでもない

おどろくほどの小便をして布団にもぐれば/たちまちぐっすり寝入った朝だ/哀憐など欠片もなかった/こらえきれなくなった膀胱が/おれにいったのだ/「決起せよ!」
      詩誌「騒」第85号より 2011年3月 町田市・騒の会

紹介者・江素瑛「詩人回廊」熟睡しているのに、満タンの膀胱で目を覚ます。およそ誰にでもある経験。
心理的、病気中の弟や青いテントのホームレスのことを気にかける作者は、夜中に目が覚める。生きて行くのに身体の生理的な本能に従うのです。人間の一生は生理の本能――食べることと排出することの「命令」にまず従わなくてはならないのです。生理が精神に身体の「しもべ」であることを主張するのです。しかし、身体条件の同じであることで、他者の寒さの体験を思いやることが出来るのです。

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2011年4月 9日 (土)

このごろの活動

 この会でも、東日本大地震への義捐金を送りました。《参照:文芸同志会ひろば
 会員には事後報告しています。
 私は座禅の修行経験をしたことがあり、そのときに「金剛経」を学びました。
 経文に次のようなものがあります。
 「菩薩は、法に於いて応(まさ)に住するところなくして布施を行すべし、所謂、色に住せずして布施し声香味触法に住せずして布施せよ、須菩提、菩薩は応(まさ)に是(かく)の如く布施して相に住せざるべし、何を以っての故となれば、若し菩薩相に住せずして布施するは其の福徳思量すべからず」
 これは要するに、布施をした時に、施しをしたと意識をしたらば菩薩心ではなく布施をしたことにならない、ということを反語的に説いています。
 それは無理だろうと思いました。しかし、自分がいつ誰に対してやったかが、判らなければ、やったやったと思えないのではないか。それなら菩薩行になると思ったものです。そのときに、当時、明大教授だった上村氏の「市民外交センター」を知り、毎月送金しています。文芸同志会を設立した11年前からは、会費から引き落とすようにしたものです。会員はそのこと知らずに入会していますから、何かをしてやったとは思いようがないでしょう。まさに菩薩になったのです。
 ここで余談をしますと、神は死んだとしたニーチェは仏教を知っていたはずです。
 インド仏教の特性に、自らが仏(覚者)になるという思想があります。自分が神になるわけで、ほかに神はいません。ドイツ哲学者のなかには、仏教の教理を無神論であるという人がいるほどです。
 仏教では死者も自分のなかににいます。風になったり、星になったりしていません。だいいち、風や星は自分とは関係を持ちようがない、他者です。でも私の父母は自分のなかにいます。私は一応、お墓参りはしますが、これは社会的な付き合いで、地域社会の調和のためにしてるだけです。
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テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例

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第5回大江健三郎賞(講談社)は星野智幸氏の『俺俺』(新潮社)に

第5回大江健三郎賞(講談社)は、 大江健三郎氏の選考により、星野智幸氏の『俺俺』(新潮社)に決まった。受賞を記念し、5月19日午後7時から東京・音羽の講談社講堂で、大江氏と星野氏の公開対談が行われる。


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2011年4月 8日 (金)

詩の紹介 「それはぼく?」 作者・大塚欽一

     「それはぼく?」 大塚欽一
もしぼくのクローンが冷凍されて/100年後に生き返ったとして/それはぼく?/その時想像もできない程発達した会社のなかで/ぼくの心は不適合症侯群を起こし/ドン・キホーテになるか 狂気のなかで死ぬ/そうでなければ伝説の雪男のように/孤独と絶望の足跡だけを残して/深い雪山の奥に逃げ込むばかりだ

もしぼくのクローンが冷凍されて/100年後に複製されたとして/それはぼく?/だがもうそこにはぼくはいない/そこに居るのはぼくと同じ姿をした別のぼくだ/夢は途切れている/そこではただ不幸なもうひとつの命が/惨たらし曙の予兆のなかで/肺病病みのように震えてあるばかりだ/複製されたぼくは恨むにちがいない/おのれの出生の秘密を/干しからびた愛の残骸を手にして

偏執狂の独裁者がひそかに命ずる/「俺自身の細胞からクローン人間を作り出せ/この世界をクローン人間でいっぱいにせよ/そこで俺は絶対的王として君臨する」/つぎつぎと作り出された/複製人間(レプリカット)たち/だが彼らはやはり彼ではない/彼らはおのれと同じ個体の存在を許さない/それゆえ彼らはたがいに憎悪しあい殺しあう/ひび割れた不信の鉄鎖を十字架のように掲げながら/生き残った者はおのれの存在をも許すまい/彼は抹殺する おのれを作り出した父でもある彼をも/蛆虫の不毛のなかで

大塚欽一詩集「球形の卵」(土曜美術出版社販売)より。<2011年2月東京都>
紹介者・江素瑛「詩人回廊」 科学の進歩は人間社会に不幸を招くとする警世詩である。クローン人間の繁殖というたとえ話に、人間の求める不死の願望や神への願望が見えるような気にさせられる。自分の染色体の複製、合成で自己拡大を満足させようとする。たとえおのれそのものが末永く存在したとしても、地球の存在時間も永遠ではない。「おのれを作り出した父でもある彼をも/蛆虫の不毛のなかで」終行の嘆き。もともと生き物は先祖からDNA遺伝子で、その個性と存在を継承してきた。われわれはDNAを運ぶ乗り物にすぎない。その継承者における葛藤の意識が読める作品でもある。

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2011年4月 7日 (木)

世界から孤立する日本列島で暮らすことで新しい文化が生まれる

日本の大手メディアと欧米メディア、プルトニウム報道の“温度差”(上杉隆公式サイト)
 たしかに、これからの日本は世界的に厳しい状況になる。「情けない。恥ずかしい」と上原春男氏も放射性物資の海への垂れ流しは、地球的な問題だと語っていた。政府官僚とディア・放送のありかたも国柄の文化なので、いろいろな形をとる。日本は、世界的な孤立のなかで暮らして新しい文化を生み出すのであろう。

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2011年4月 6日 (水)

西日本文学展望「西日本新聞」(4月1日、朝刊)長野秀樹氏

題「回復」
西田宣子さん「宝物さがし」(「季刊午前」44号、福岡市)は「言葉へ・跳写真」特集の1編、川村道行さん「ママってテレビの人みたい」(「周炎」45号、北九州市)
「季刊午前」の特集よりよしのあざ丸さん「各駅停車に乗り換えて」、中川由記子さん「帰れない」
「ガランス」18号(福岡市)より周防凛太郎さん「霧が谷異聞」
戸川如風さん「蝉しぐれ」(「詩と真実」741号、熊本市)
『あなたと読んだ絵本のきろく』(柴田幸子著、石風社)、『地域に図書館はありますか?』(身近に図書館がほしい福岡市民の会編、同)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)


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2011年4月 5日 (火)

「私の望む日本」をテーマとした、論文・エッセー

「私の望む日本」をテーマとした、論文・エッセーの募集少子高齢化、就職氷河期、ニートの増加、無縁社会の拡大等々さまざまな問題を抱える日本において、将来に明るい展望が期待できるようにするには、どうしたらよいのでしょうか。未来の子どもたちから「日本に生まれてよかった」と思ってもらえるようにするには、今、私たちは何をしなければならないのでしょうか。問題になっていることの原因を探るとともに、何をどう変えたらよいか、他人事ではありません。自分のできることは何かをこの機会に真剣に考えてみてほしいと思っています。過去の美しい心を持った日本人と比較して、今の日本人に欠けているものについて考えたり、また、望ましい未来の姿から現在やるべき自分の役割について考えたり、あるいは、「礼儀作法」を見直そうと考えたり、コミュニケーションについて考える等いろいろな視点で捉えることができると思います。いずれにしろ、日常の暮らしの中から問題を取り上げ、明るい未来へ向けての提言をいただきますよう、応募をお待ちしています。

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2011年4月 4日 (月)

赤川次郎さん、作家生活35周年記念作品「三人姉妹殺人事件」

 「三人姉妹殺人事件」に寄せて(「講談社ミステリーの館」2011年4月号)
 今ほど、ユーモアが必要とされている時はあるまい。ユーモアとは、ふざけることでなく、現実をちょっと離れて眺めることで、その辛さや苦しさを柔らげることだからである。
 この書下ろしには、「三姉妹探偵団」シリーズでの佐々本家の三姉妹、綾子、夕里子、珠美と、「四文字熟語殺人事件」シリーズの大貫警部、井上刑事、向井直子がみんな登場する。書下ろしというめったにない機会だけに、普段顔を合せることのないメンバーたちに「一期一会」の出会いを用意した。しかしそれはあくまで「つけ合せ」で、メインの料理はある運命のいたずらで犯罪者になってしまう女たちの物語だ。
 「運の良し悪し」はあっても、人にはそれを克服する力がある。そう感じられる爽やかな結末に微笑んでいただけますように……。<赤川次郎>

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利権もないけど、官僚統率力もない菅総理大臣

 菅総理は日本の官僚をコントロールできていないのは明らかだ。中国首脳との会談でメモを読んだと非難されたが、あんなの官僚が仕組んだイジメに決まってる。利権を持たないと官僚にも馬鹿にされるってわけだ。彼らにとって、利権をくれない総理なんて、通りすがりのただの人だ。どこに忠実に協力する理由があるのだ。
 地震の前に、小沢民主党元代表の記者会見があった時に、外人記者が「菅さんは、日本の総理大臣でカネに縁がない総理になった。小沢さんとくらべたら、菅さんの方が、きれいなのは明らかですよ。菅総理に協力をしない、小沢さんは、それをどう思うのですか」と訊いていた。外国人記者はそうみているのかと、思った。
 この原発事故でも新聞・テレビは電事連などから利権のおこぼれをもらっている関係者だ。菅総理さえいなければ利権にありつけると、懸命に理屈をつけて批判する評論家さん。はたして、そう思いどうりにいくのかどうか。
 世の中、なんでも思惑通りにいけば、地震も原発事故もないのだが・・・。
 そこで菅総理が津波災害地域に住居をおかない方針を打ち出したのは評価できる。地元の首長は、住民が納得しないといっているが、この緊急時に民主的な手法をとっているから、対応がおくれたのだ。緊急時は独裁者になれ、ゆとりがあれば民主主義者になれ、という行動セオリーもある。
 もう、そこに地震と津波がこないと誰が決めたのか。テレビでみたが、母親を失った子どもが、父親が用事で災害の家に行くと言ったら「行っちゃだめ。津波がくる」と必死で止めていた。この上に父親を失うことは出来ないのだ。観ていて涙がこぼれ出た。組織人が官僚になると人間性が変わる。組織上は便利ではあるが、人間個人には冷酷でもある。《参照:官僚の行動様式ついての話題を書いていてしみじみ思う。「暮らしのノートPJ・ITO」 》
 

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2011年4月 3日 (日)

詩の紹介 「罠」 作者・斎藤光江

「罠」    斎藤光江
つい最近/男は大きな葛籠(つづら)をもらった/そう新しくも無い/といって 古色蒼然としている風情も無い/品のないただの箱でも無い/身を屈めれば人間一人入れるような大きさである

男は/今でもその箱を貰ったときの会話を憶えている/「大きな箱ですね」/「ええ 大きいわ」/「何の箱ですか」/何の箱 これは葛籠といってその昔は鎧兜を入れておいた・・」/「ヨロイ カブト」/「そう<鎧><兜>今は何にも入っていないただの箱なの」/「ただの箱ですか」/貰ってはみたものの どうして持って帰ろうかと思案の末/捨ててしまうこともできずに梱包して家に送った/邪魔で仕方がないのに 納戸の片隅に中味の無いまま/ずうっと ずうっと そこに置いたままになっていた/時折 荷物台になったりしながら箱は在った

男は 葛籠をくれた女が/どうしてこれをくれたのか気になって仕事が手につかなくなった/同じ座標軸でしていた仕事が空中分解をはじめ/何だか解らない不安だけが残渣のように残った/男は不器用な手で/ピアノをたたいたり 庭木をいじって気をまぎらわせた

ある日/男は葛籠をくれた女のことを考えながら葛籠の蓋を開けた/何の変哲も無い只の箱/ふっと 男は葛籠の中に入って屈みこんでみた

葛籠の蓋は大きな音をたてて閉まった
          詩誌・幻竜第13号より 2011.3 幻竜舎 川口市
<紹介者・「詩人回廊」江素瑛>
男は年など正体の知らない、まぼろし女からわけの判らない葛籠をただで貰いました。女としてはやっと厄介ものか、長く背負っていたものから解放されたものです。男は「どうしてこれをくれたのか気になって」はいるが、どうして自分がこれを貰ったのが考えていなかったようです。
詩のなかに近代もののピアノを入れるのは、古代の雰囲気から変わって、異様な感覚をさせるところもあります。
男は葛籠を開けずにいれば、また誰かがに渡せば、未来へ続く呪文から解放されることができるかもしれません。多くの男がそうであるように結局、罠にはまったようです。女から駕籠をもらったときに、それは決まっていたのです。全編の話の運びが巧みで先行きの関心を高めます。私も「罠」にはめられたようで面白く読みました。

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2011年4月 2日 (土)

文芸時評(東京新聞3月31日)沼野充義氏

宮沢章夫(54)「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」きな臭い雰囲気描く/「群像」「新鋭11人短編競作特集」現実を破るビジョン。
《対象作品》宮沢章夫(54)「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」(新潮)/田中朔美「神様」(文学界)/新鋭11人短編短編競作・前川知大「鬼の頭」(群像9/同・淺川継太「水を預かる」/同・今橋愛「ぼくは発音がしたい」/同・松田青子「おにいさんがこわい」/同。中島さなえ「オフ・オフ・オフ」。

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2011年4月 1日 (金)

文芸時評(毎日新聞3月31日)田中和生氏

「東日本大震災」「消失した原発のファンタジー」「文学に求められる現実の言葉」
《対象作品》時評・樋口健二「闇に消される原爆被曝者」、小出裕章・足立明「原子力と共存できるか」、高木仁三郎「プルトニュームの未来」、鎌田慧「原発列車を行く」/藤波心オフィシャルブログ3月23日記事「ここっぴーの☆へそっぴー」/Chori「ビールの話」(すばる)/青山七恵「わたしの彼氏」(講談社)/よしもとばなな「ジュージュー」(文学界)/朝比奈あすか「アマリリスの家」(すばる)。

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原発について、想定外は知らない方が良いらしい

 これまで新聞やテレビを熱心に見て来たけど、原発のリスクについて、ぜんぜん報道がなかった。これで、なんでも想定外というものは、報道しないで知らさないとわかった。ほかにも想定外だから報道しないことが沢山あるのだろう、という実感がわく。知らさないためにニュースを流すことがあるとは言ってたけど。

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