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2011年3月21日 (月)

東南海地震被災の記録から

 藤沢市鵠沼の浅場ケイ子さんは、平成16年に「疎開児童が調べた『東南海地震被災の記録』-昭和19年12月7日―」を自費出版している。参照《暮らしのノートPJ・ITO
 浅場さんは、昭和19年の学童集団疎開中、静岡県袋井にある天理教山名大教会にて、東京都糀谷国民学校児童として、この大地震に遭遇した。平成16年にこう述べている。「当時、6年生でしたが、あの日の恐怖感は終生忘れることがありません。最近もたびたび、日本の各地を激震が襲っておりますが、当時は戦時下であり、不自由この上もない環境のもとの災害で、袋井町民は救済の手も思うように受けられず、沢山の苦難を強いられました」
 記録には「田圃の中に臨時の火葬場を作り6年男子が担当」という手記もある。―――いよいよ出棺です。リヤーカーには3つの柩を、大八車には燃料の薪の山を積みました。何しろ火葬場は教会の裏を西国民学校の方へ行き、田んぼに作られた臨時の火葬場です。6年生男子が役割りを担いました。佐藤泰正さんは当日の火葬の様子をスケッチにして送ってくださいましたが、大きな畝を2つ作り、山と谷にし、その上に棺をのせ、周囲にわらや薪を置き火をつけます。火の勢いが強くなると、水路に浸ししておいたむしろをかぶせ炎の舞い上がるのを防ぎます。このように火勢を調節しながら一昼夜かけて焼くのです。―――
 これらは熟練のいる作業で、6年生の生徒が長老の指導を受けながら行ったとある。子供が遺体の火葬をしなければならない状況がわかる。
――現在の東北関東大地震の被害もその実態が、報道されているのはごく1部の表面的なもので、悲惨な状況は想像の及ばないものであると思われる。

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