詩の紹介 「帰省」 タカハシ義和
「帰省」 タカハシ義和
いつもの見慣れた地方の/プラットホームの上空には/小さなアキアカネが/夕暮れの薄明の蒼い空に/リズミカルに群れ飛んでいる/飛行機雲も滑ってゆく
南紀8号車自由席出入り口前には/十人ほどの列ができ/私も最後尾に並びながら/たまの東京の往来でも/この時間に乗るのは久しぶりだ/乳幼児をそれぞれ胸に抱いた若い夫婦や/写真機の三脚らしい長い包みを背負った若者や/子連れの一家や/みな席に座ったようだ/私も二人がけの空席に腰を下ろし/過ぎ行く家並みや/遠く黒ずむ山並みをぼうっと追い/たった四日間の田舎暮らしで/草払い機で犬小屋の前の雑草を払い/鎌で小さな畑のまわりの草を刈り/今日一日の腰の張りを心地よく感じなから/田舎暮らしの楽しさって何だろうと/今頃になっても思案したりしている
(同人誌・「砂」第115号より 2011年1月 東京・砂の会)
紹介者・(詩人回廊) 江素瑛
昔、幾年か住んでいた田舎だろうか、作者は帰省電車のなか、昔なら風景の一部を今は、傍観者のように眺めている。
とけ込もうとする気にはないようだが、たった四日間の田舎暮らしで、雑草刈りなど、田舎の人間らしき自然と向き合っている。田舎の人間は、日常生活の、楽しさや苦しみをわざと考えることもない。なぜか作者は田舎暮らしの楽しさって何だろうと思案する。それは長い都会生活で、つねに人工的なものと向き合わされるからであろう。田舎は凧を飛ばした手である、時々都会の風に乗って遠くへ飛んでいく凧の糸に、呼び戻されようとしているのではないか。
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