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2011年1月31日 (月)

文芸時評(東京新聞1月27日)沼野光義氏

青木淳悟「私のいない高校」『私』脱出の過激な試み/赤染晶子「WANTD!! かい人21面相」『他者』探す物語からめる
《対象作品》青木淳悟「私のいない高校」(群像)・体験記(大原敏行「アンネの日記 海外留学生受入れ日誌」東京新聞出版局)/赤染晶子「WANTD!! かい人21面相」(文学界)/藤谷治「我が異邦」(新潮)/木村友裕「おかもんめら」(すばる)/「世界文学全集」(河出書房新社)個人編集・池澤夏樹特集(「文藝」春号)。

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2011年1月29日 (土)

文芸時評(毎日新聞1月27日)田中和生氏

〈ポストモダン文学〉物語そのものの力を回復/一般読者のための小説に
《対象作品》ジョン・バース「補給の文学」/鴻上尚史「ロミオとロザライン」(すばる)/赤染晶子「WANTD!! かい人21面相」(文学界)/藤谷治「我が異邦」(新潮)/三浦哲郎「完本 短編集モザイク」。

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第13回大藪春彦賞に平山夢明さん「ダイナー」(ポプラ社)

 第13回大藪春彦賞(大藪春彦賞選考委員会主催)は平山夢明さん(49)の『ダイナー』(ポプラ社)に決まった。賞金500万円。

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2011年1月28日 (金)

詩の紹介 蚊とリズム 菊田 守

「蚊とリズム」   菊田 守

十一月の暖かな夜に/寝室のスタンドの明かりを暗くすると/きまってぶーん
とやってくる蚊/どこに隠れているのだろう/箪笥の裏か 額の後ろか/スタンドの蔭なのか/鏡台の下からか/現れては/わたしの顔の上を旋回する/うるさいので横を向くと/耳元にやってくる蚊

パチンと狙いを定めて手を叩く/逃げられる/しばらくすると/また ぶーんとくる/パチン また逃げられる/ぶーん パチン ぶーん パチン/何時まで続くのか/蚊との小さな戦いはー。

わたしが寝付いた頃/蚊はわたしの身体に吸いついて目的を達成する/朝起きたとき/わたしの首筋にある/蚊に刺された赤い跡/血ぶくれした蚊は 昼間/きっとゆっくり休んでいるのだろう

今夜もやってくるのだろうか/昨夜の蚊は。/考えてみると/蚊とヒトは血が体内に流れている/同じ地球の生きもので/大宇宙の仲間でもある訳だ/ぶーん ぶーん パチン/ぶーん パチン/また始まる今夜のリズムだ/なんとなく快いリズムだが/蚊には哀しい音なのだ/ぶーん パチン/ぶーん パチン/いつまでも/聞こえている間は大丈夫だ/お互いにーー。
菊田守詩集「白鷺」より 1999年7月 東京都 土曜美術社出版販売

紹介者 (詩人回廊) 江素瑛
宇宙的な視点では、人は小さい存在だが、蚊はもっと小さい。体内に同じ血が流れる兄弟という結社は、有志者達に傷口の血を混ぜる儀式をする。人間と蚊の間にいとも簡単に出来るものだ。生きものたちは皆仲間という発想で、小さな吸血生物に癒される作者の宇宙観である。
ぶーん パチン/ぶーん パチン/菌を持つ蚊なら、「蚊インフルエンザ」が流行るかもしれない、なんとなく飛行機の自爆テロを連想させ、蚊には哀しい音だ/しかし人間には怖い音だ、快いリズムのところではなかった・・・・。
聞こえている間は大丈夫/血の兄弟を全滅させることなく、少し生かせれば・・・・・・。

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2011年1月26日 (水)

【文芸月評】読売新聞「本当の幸い」探す旅路

希望や触れ合いを求めて《対象作品》高橋源一郎氏(60)の連載「銀河鉄道の彼方に」(「すばる」)/同『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(集英社)/石田千氏(42)「あめりかむら」(新潮)/青木淳悟氏(31)「私のいない高校」(群像)/NHK『無縁社会』(文芸春秋)/白岩玄氏(27)「傍観者」(文芸)/同『野ブタ。をプロデュース』(河出書房新社)。(文化部 待田晋哉)(2011年1月25日 読売新聞)
【文芸月評】読売新聞「本当の幸い」探す旅路

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2011年1月24日 (月)

著者メッセージ: 江波戸哲夫さん 『起業の砦』

 “聞くも涙”の「就職・困難・時代」が、長いこと続いています。
 新卒学生は就活に訪ね回ったいくつもの企業から「残念ながら」といわれ続けていますし、一旦はなんとか滑り込んだサラリーマンも、前途の見えなくなった企業から次々と切り捨てられています。(講談社『BOOK倶楽部メール』2011年1月15日号より)
 本書は、「ならば自分で自分の仕事場を創ってしまおう」と動き始めた二人の男のドラマを描きます。二人はたまたま父息子でした。父の田中辰夫(49歳)は、古巣の不動産業界で画期的なビジネスモデルを編み出し、かつて自分が首を切った部下たちと共同戦線を張ることを目指します。
  息子の田中雅人(24歳)はブラックIT企業の腐った上司に辞表を叩きつけて旧友とタッグを組み、ネット商売を一変させるアプリケーションソフトの開発に、全身全霊を打ち込みます。
 二人は微妙にすれ違い、かつ助け合いながら、同じ時期に伸るか反るかの大きな勝負のときを迎えます。本書を手に取り、二人の思い切ったチャレンジに伴走していけば、読者の胸の中に、(おれにも会社が創れるかもしれない)という思いがふつふつと沸いてくること請け合いです。(江波戸哲夫)

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2011年1月23日 (日)

同人誌「グループ桂」63号(鎌倉市)を限定頒布

 同人誌「グループ桂」63号ができました。内容解説を休日に順次掲載します。《参照:「グループ桂」のひろば》。
「グループ桂」は非売品で定価がありませんが、10部を文芸同志会で頒布します。
目次から
☆特別寄稿☆
 伊藤桂一「古刹―安徽省蕪湖県北廣済寺―」
☆創作☆
宇田本次郎「斑尾―まだらをー」
花島真樹子「七夕の季節に」
長嶋公栄「鎌倉の闇」
北 一郎「ある夏の武士道精神家の死」
佐田尚子「不在」
☆追悼☆
宇田本次郎「川口さんへ」

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2011年1月22日 (土)

詩の紹介 「二つに裂かれた夜    石黒 忠

     同じ夜のぼく いまと近未来」    

「二つに裂かれた夜         石黒 忠
     同じ夜のぼく いまと近未来」

真夜中/シルビー・バルタン/音量を絞り/照明を落とし/耳だけをそば立て/ノゾキカラクリを覗く/隠微な身振り/潜入者のように隣室に気づかれまいと/息を殺す/ぼくの不在の虚を衝いて/深夜放送に占領され/窓にはハーケン・クロイッツの小旗

熱中する行為を/取り上げられた年寄りの/「冷や水」も/いまでは/明け方に火傷するほどに加熱する/睡眠中に体温が上昇し続けついに/脱水症状に到る/みとる人もなく/何日も発見されず/僅か数行の死亡記事/太陽にいちばん遠い時間帯に/ふとんを抱くように日射病   
「騒」第84号より    2010年12月 町田市・騒の会

(紹介者「詩人回廊」江素瑛)
年寄りは、退屈な昼間の現実から夢幻の夜中が来ると、懐かしいシルビー・バルタンや、ナチスの時代が戻ってくる。前向きの姿勢が壁にあたり、思い出に耽る時間がだんだんと長くなる年寄り。誰にも構われない一人占めのできる夜中は、年寄りにとってわがままが効く楽しい時間であるが、熱中し過ぎないように、火傷にご用心。不眠症にもならないように、深夜放送でなく昼間にもネットのYOU TUBE を検索するといい。わが青春が戻ってきますよ。熱中する行為こそ年寄りの残った原動力であり、「第二の春」と言わないで、第三、第四の春でも頑張っていけると思います。

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2011年1月20日 (木)

【エンターテインメント小説月評】(読売新聞1月18日)「胡蝶の夢」に酔いしれる

《対象作品》「『このミステリーがすごい!』大賞」最新受賞作・乾緑郎(いぬいろくろう)『完全なる首長竜の日』(宝島社)/米澤穂信(よねざわほのぶ)『折れた竜骨』(東京創元社)/西崎憲『蕃東国(ばんどんこく)年代記』(新潮社)/樋口明雄『ミッドナイト・ラン!』(講談社)。(文化部 佐藤憲一)
【エンターテインメント小説月評】(読売新聞1月18日)「胡蝶の夢」に酔いしれる

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2011年1月19日 (水)

第144回芥川賞・直木賞、朝吹、西村、道尾、木内の各氏

 第144回芥川・直木賞選考委員会が17日、東京・築地の新喜楽にて開かれた。芥川賞を受賞したのは、朝吹真理子氏の『きことわ』(新潮9月号)、西村賢太氏の『苦役列車』(新潮12月号)の2作。直木賞は、道尾秀介氏の『月と蟹』(文藝春秋)と木内昇氏の『漂砂のうたう』(集英社)が受賞した。両賞ともに受賞作が2作品となったのは、第130回以来7年ぶりとなる。
第144回芥川賞・直木賞、共に2作品が受賞 ‐ 両賞共にダブル

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2011年1月18日 (火)

(時評-小説)「讀賣新聞」西日本地域版2011年1月11日夕刊・松本常彦氏

題「初心語る手作り雑誌」
古岡孝信「風が哭く」(「二十一世紀」16号)、第七期「九州文学」12号の新鋭創作特集より森田高志「臭う檸檬」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年1月16日 (日)

著者メッセージ: 『「ワタクシハ」』 羽田圭介さん 

 かつて、一発逆転を経験した。2003年当時、初めて投稿した小説で新人文学賞を受賞。単なる一高校生だった僕は、「一発逆転」で小説家へとポ ジションチェンジした。(講談社『BOOK倶楽部メール』2011年1月15日号)
 しかし出版業界は冷え込むばかり。大学生になっていた僕は、専業作家として稼いでゆくことは難しいのではないかと思い始めていた。そんな折、周囲の友人たちが「シューカツ」なるものを始めた。
  シューカツ――就職活動。なんでも、どんなに堕落した学生生活を送っていた者であっても、それさえうまくやりきれば、一発逆転で「何者か」に変われるという。
  一発逆転。新人賞受賞当時の興奮を忘れられないでいた僕は、その大きなイベントを小説のテーマにしようと決めた。そして取材のため…否、それは建前であり、また別の何者かに変わるため、僕は本気で就職活動を始めた。
  しかしそこで遭遇したのは、それまでの学校教育で叩き込まれた「平等」「努力」といった観念の通用しない、過酷な現実であった。「ワタクシハ」という言い慣れぬ単語から始まる自己紹介。どう攻め方を変えても、身内空間の外側では冷淡に自己を否定され続ける。やがて陥る、「自分は一体何者であるのか?」という果て無き問い。
  あれから数年。
  2011年現在、ワタクシは短い会社員生活を経て、専業作家を営んでおります――。初の書き下ろし小説『「ワタクシハ」』を、ぜひご一読ください!(羽田圭介)

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2011年1月15日 (土)

同人誌時評「図書新聞」(2011年1月1日)(12月)たかとう匡子氏

題「現代詩と定型をめぐって」
「未來」第706号(未來短歌会)より大田美和「短歌は詩であり芸術であるという当たり前の事実について」、「第2次未定」第91号(未定俳句会)より村田由美子「多行形式私感」、「青磁」第27号(青磁の会)より定道明「リフレイン雑感-『浪』考」
「別冊關學文藝」第41号より今西富幸「思考する読書 vol.1」、「海」第82号より小久保修「半夏生の頃」、「小説家」第133号(小説家社)より関谷雄孝「狐の首」、「飢餓祭」第34号(「飢餓祭」の会)より辻純子「ふりこ」

(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年1月14日 (金)

文芸同人誌評「週刊読書人」第2871号(2011年1月7日)白川正芳氏

粟島哲夫「同人雑誌全国大会の旅」(「まくた」270号)、「紫苑」(仙台白百合学園高校)44号、「VIKING」719号より南広子「ボレロとカーディガン」、「婦人文芸」89号より菅原治子「太宰治とその死」、「文芸静岡」80号より前山隆「クロード・レヴィ=ストロース」
虎鮫龍「覆水盆に返る」(「サロン・ド・マロリーナ」2号)、浅田厚美「蛇香草」(「別冊関学文芸」41号)、渡辺利喜子「戦後の高村光太郎」(「作文」201号)、藤蔭道子『夜顔日記』(龍書房)、藤田寛「作家の宿命」(大河書房)。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年1月13日 (木)

「三田文學」第104号・冬季号・2011.02.01発行

対談「新 同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏
今号で取り上げられた作品
三神弘「葡萄売りの娘」(「猫町文庫」第1集、甲府市)、水木亮「浪花節」(「猫町文庫」第1集、甲府市)、五十嵐勉「夏の光像」(「猫町文庫」第1集、甲府市)、西田宣子「おんじい坂」(「季刊午前」43号、福岡市)、井本元義「その日のアルチュール」(「季刊午前」43号、福岡市)、丸山修身「どぶろく天井」(「文芸復興」122号、東京都)、中絵馬「マジワル」(「まくた」269号、横浜市)、塚越淑行「豆腐屋の女」(「まくた」269号、横浜市)、山之内朗子「遠ざかりゆく」(「まくた」269号、横浜市)、高橋陽子「さちあれ」(「せる」84号、東大阪市)、沢崎元美「市場の先の橋を渡って」(「月水金」34号、横浜市)、沢井淳「祭囃子」(「私人」70号、東京都)、西尾知子「豆電球」(「午前」88号、福岡市)、関野みち子「サンマを産む」(「ぱさーじゅ」23号、大阪市)、野坂喜美「土蔵の記憶」(「米子文学」58号、鳥取県米子市)、塩見佐恵子「十年日記」(「米子文学」58号、鳥取県米子市)、佐々木国広「午前零時のゴリ」(「たまゆら」80号、滋賀県東近江市)、千田よう子「小さな窓」(「じゅん文学」65号、名古屋市)、三東崇昇「水晶川」(「九州文学」11号、福岡県中間市)、岡本隆「ゼニゴケの庭」(「あとらす」22号、東京都)、難波田節子「遠ざかる日々」(「季刊遠近」40号、東京都)、曾根登美子「もし、……。」(「法螺」63号、大阪府交野市)、飛田一歩「千川の椅子」(「湧水」46号、東京都)、山口馨「風景」(「渤海」60号、富山市)、川本和佳「流れる」(「河」156号、東京都)、竹内英海「蟻の走る家」(「AMAZON」443号、尼崎市)、森桜子「私と彼女の作り方」(「法政文芸」6号、東京都)
ベスト3
伊藤氏:1番は塚越淑行「豆腐屋の女」(「まくた」)・2番は高橋陽子「さちあれ」(「せる」)・3番は丸山修身「どぶろく天井」(「文芸復興」)、森桜子「私と彼女の作り方」(「法政文芸」)も迷う
勝又氏:1番は三神弘「葡萄売りの娘」(「猫町文庫」)・2番は塚越淑行「豆腐屋の女」(「まくた」)・3番は飛田一歩「千川の椅子」(「湧水」)、丸山修身「どぶろく天井」(「文芸復興」)も良かった
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2011年1月10日 (月)

同人誌「R&W」第9号(愛知県)

 本誌は朝日カルチャーセンター「短編小説を読む・書」(藤田充伯講師)の受講者が中心となって編集されている。
【「さだめ」改田龍男】
 公社に勤めていた主人公、公一は60歳定年の4年前に主夫業に転業すると周囲に伝えて退職する。15歳下の妻は教員をしているため、それで生活できるのである。そこから公一のそれまでの人生、過去の女性関係が描かれ、主夫業のなかで若い妻と愛情を深める。やがて公一は心臓を悪くし、常時ニトログリセリンを持つようになる。ある寒い日、外出して妻の車をまっている間に心臓発作を起こし意識を失う。死への旅路らしい。短いが人生の一部を描いてその全体の意義を感じさせる。きっちり要所が締められているので、短編ながらもののあわれを誘う長編的な味がある。
 作者自身が書きながら人生の意味を噛みしめているような筆の運びで、そのために書いているという、書く表現に対する意義を感じさせる。
【「人形細工師小吉」霧関忍】
 人形師の作る人形が人間のように命をもって生きるという設定が、自然に受け入れられるよう書いてある。変な味のライトノベル的SF的小説。小説のあり方の多彩になったと感じる。
発行所=〒480-113愛知郡長久手町長湫上井堀82-1、渡辺方。

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テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例

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2011年1月 9日 (日)

同人誌「視点」74号(東京・多摩市)

 本号には、筑紫亮「奪われる」50枚、石川テイ子「古印最中」7枚、小松三枝子「風のまぎれに」62枚、矢田山聖子「盧舎那大仏の不思議」(第二章)27枚、萩照子「萩・或る町にて」がある。
【筑紫亮「奪われる」筑紫亮】
 韓国に行った老いた日本人が、そこで心臓発作を起して入院する話。内容は日本の歴史的な支配をした時代が、今にまだ影を落とし屈折した心情を描く。民衆の交流のなかでのその過去にこだわる話は、書き残すことに意義がある。
【「風のまぎれに」小松三枝子】
 母親の面倒を見ること、昼の仕事、夜の飲み屋、ブンガクに関わって生きる女性の話。女性の生活感覚で、ブンガク活動する女性関係やライフスタイルが描かれている。親の状態から、ブンガクに入るきっかけにった女性像、そこで知り合う男性との関係。話の流れがところにより大きく変わり、書き込みにもムラがあるが、その分、細部に面白さがある。

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2011年1月 8日 (土)

ムック、書籍形式で小説「新雑誌」相次ぎ誕生

小説「新雑誌」相次ぎ誕生(読売新聞)

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同人誌「風の森」14号(東京)

【「叙情の根源―保田與重郎を問うことの意味」皆川勤】
 保田與重郎(1910~81)という批評家、思想家、詩人を知らなかったので、学ばせてもらった。
 彼の「絶対平和論」は、「一般に行われている政治的平和論や、情勢論的中立論などといいた時務的平和論とは、全然別個なものとして、平和の可能を人間とその生活の本質より考える、平和の本質論です」「現在文明の生活様式には争闘を基礎とする生活と、平和しかない生活という二つしかありません。これが東西二つの意見です。争闘を本性とする生活様式を持続しつつ、合理的判断で「平和」持続するということは不可能です。そういうことが可能になるのは「平和」しかない生活へ合理的判断によって入ったときのみ可能です」とあるという。
 現代のメディアにこんな発想は思いもよらない。弱腰だの強腰だのと、猿のように騒ぎ立てる。中学生でも、もう少しましであろう。慰みがあるとすれば、メディアは猿が騒ぐほどのもので、幼稚であると、民衆が理解してきたことであろう。猿の言葉は猿にしか伝わらないし、猿しか影響されない。
 それはとにかく、まさに日本が憲法9条をもって国際社会に存続するとういうひとつの矛盾を直撃していると思わせる。
 前に、石原慎太郎都知事の「日本堕落論」を支持すると述べたが、それはまさにこの保田氏の指摘する政治的、情勢的な意見である。これは争闘もあるという前提である。
 保田理論のように、その反対の道もあることを自分も意識している。
 もし日本の戦争放棄の第九条を、合理的に実行するならば、自衛隊をもたず、他国の人間性を失った指導者の軍隊の侵略に対して、無抵抗で対応し、祖国の消滅を前にして、全世界に、人類の理性にしたがって人間の平和に従属した民族として示して生きる論理とモラルの正当性もあるのだ。これもひとつの道である。
 仏陀が「恨みは、恨むことをやめることでしかやむことはない」と説いたが、それができないから平和がない。
 人間の心と制度が変化をするには、歴史的に時間のかかるものと、早くできるものとがある。
 労働者の週休二日制は、奴隷制の社会からすれば早く変わった見本であろう。
 政治的、情勢的な争闘を前提としている世界の人類は、保田與重郎の理論に耳を貸さないであろう。いちばん時間のかかるものである。ただ理念として存在する。
 この絶対平和論的な思想を現実に実行すると、「故郷を失う民族として、生きる基盤を失い虚無的になり不幸感をもって人生を送る人が増える」と、自分は考える。偽善的であっても虚無的でなく生きたほうが良いのではないか、と思うのである。そこで石原慎太郎の「日本堕落論」を支持するのである。短い人生を虚無的に生きるより、気力をもって生きる方がましだと思うから。
 こういうことを、市販の猿相手の雑誌ではやらない。とにかくこの評論には引き込まれた。
 編集室=〒169-0051新宿区西早稲田3-1-3、西尾ビル4F.

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2011年1月 7日 (金)

山田洋次監督が小説化、寅さん少年時代「けっこう毛だらけ」

寅さん少年時代、明らかに…山田監督が小説化
 映画「男はつらいよ」シリーズの主人公、車寅次郎の知られざる少年時代を山田洋次監督が小説化することになった。

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2011年1月 6日 (木)

文芸同人誌「サロン・ド・マロリーナ」2号(東京都)

 本号はコミックあり、ライトノベルあり、時流エンターあり、純文学、詩的散文ありで、作品カラーの似てしまう同人雑誌にはめずらしく多彩である。
【「覆水盆に帰る」虎鮫龍】
 大相撲部屋の力士の生活が詳しく描かれている。嵐灘部屋の鞍馬山という力士が主人公で、最近話題の大麻、賭博事件を背景に、面白い物語が展開する。リアルさと荒唐無稽さを同居させて読者を楽しませる。芸能興業のイロモノのアイディアが風刺的に取り入れられ(キワドイところもあるが)、まさに現代の風俗的な今だけの話の趣向が小気味良い。エンターティナー精神にあふれた作風で即興的な才気を感じる。題材を生かして、アイディアをどんどん出して書くという精神が印象に残った。
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テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化して選択の自由が失われつつあります。情報の多様化のため「暮らしのノートPJ・ITO」起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例

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2011年1月 5日 (水)

第144芥川・直木賞候補作決まる

  第144回芥川賞、直木賞(日本文学振興会主催)の候補作が4日発表された。初候補は芥川賞が朝吹真理子、小谷野敦の2氏、直木賞が犬飼六岐、木内昇、貴志祐介の3氏。選考会は17日午後5時から東京・築地の新喜楽で開かれる。候補作は次の通り。(敬称略)

 【芥川賞】朝吹真理子「きことわ」(新潮9月号)▽小谷野敦「母子寮前」(文学界9月号)▽田中慎弥「第三紀層の魚」(すばる12月号)▽西村賢太「苦役列車」(新潮12月号)▽穂田川洋山「あぶらびれ」(文学界11月号)

 【直木賞】犬飼六岐「蛻(もぬけ)」(講談社)▽荻原浩「砂の王国」(講談社)▽木内昇「漂砂のうたう」(集英社)▽貴志祐介「悪の教典」(文芸春秋)▽道尾秀介「月と蟹(かに)」(文芸春秋)。(1月5日、時事通信) 

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【文芸月評】2010・12月(読売新聞)文学の毒

広がる死の闇におののく
《対象作品》平野啓一郎氏(35)「フィクションの倫理」(「新潮」)<純文学は確かに、社会に盛られた0・01%の毒である>単行本を1万部出版したとして、日本の人口1億2000万人に対する割合が、数字の根拠という。文芸誌の新年号に並ぶ熟達の短編や、生きのいい中編は、微量であってもそれが、人間の心の奥底にあるものを浮かび上がらせ、根底から生を揺さぶる猛毒であることを示していた。/河野多恵子氏(84)逆事(さかごと)」(文学界)/円城塔氏(38)「これはペンです」(新潮)/磯崎憲一郎氏(45)「赤の他人の瓜(うり)二つ」(群像)/佐川光晴氏(45)「あたしのいい人」(すばる)/宮内勝典(かつすけ)氏(66)の長編『魔王の愛』(新潮社)。(文化部 待田晋哉)(2010年12月28日 読売新聞)

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2011年1月 4日 (火)

第11回文学フリマ」における60歳代~70歳参加体験レポート(4)

 公正取引委員会の解釈では、電子図書は再販制度の対象外にしている。その理由はそれが商品ではなく情報であるからだそうだ。
 こうしたことからすると、ブランドのない無名作家は情報提供者となる道もある。情報を小説化すれば良い。「もしドラ」は、経営術の専門家で有名なのかもしれないが、経営情報をドラマの構造のなかに収めたものである。
 文学フリマでは、量産しても売れないのでは意味がないかも知れない。それならその場で作品を書く、生演奏ならぬナマ書き小説というのも良いかもしれない。目の前の客に「ととのいました」といって短いお話をパソコンに書いてみせるという芸もあるのではないだろうか。一発ギャグ集をつくって、そこで披露し、受けたものをまた集めて本にする手もある。これなども、参加した現場情報で発想したヒントである。
 現在は電子書籍が充実してきた。誰でも電子書籍ができるシステムができているようだ。高齢者の参加も多いそうである。ただ、その数が多くなると、埋没現象が起きて、読者との出会いがしにくいかもしれない。そうした時に、本欄の同人誌作品紹介欄のような機能が有効なのかも知れない。
 これまで、日本純文学系はビジネスの路線に乗らないものが多くなるという傾向は続くことのニュアンスを話題の奥においてきた。
 元来、近代文学の時代には、夏目漱石ですら教師をかけもちし、そのあと新聞社の社員になり、印税が多くはいるようになって初めて職業作家にふさわしい自立作家になったといわれる。純文学でやるにはそういう時代に戻ったのではないか。
 ただ、創作という世界はアニメにもあり、これからはその方向に優秀な人材が世界的な作家として、生まれる可能性があるかもしれない。
 これをビジネス的にみると、本の内容はコンテンツ情報扱いされてきている。情報というのは、現在は伝達技術の改革によって市場が猛烈に分散化し小分割される。今までのように出版物が何年も重版をして、企業の収益になるということがなくなった。出版は不振分野になっている。
 情報化した作品はその人気が不確実性をもち、当たるか当たらないかやってみなければわからない。そのリスクに対応して、外れても次々にコンテンツが出せる体制をとったところが存立できる。
 これは表現で自己拡張をめざす個人には悪いことではない。なぜなら技術革新が、表現への低コスト化であれば、ひとりの読者を求める人にもそれを提供しても費用が小さいということだ。
 少数読者を獲得することで制作費の軽減ができれば、大勢の人がもっとたくさんの作品を発表することができる。

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2011年1月 3日 (月)

第11回文学フリマ」における60歳代~70歳参加体験レポート(3)

 文学を味わうということだけであるなら、書店やネットで本を買えばよいし、電子書籍というイノベーションも起きている。文学フリマの参加者の多くは、ネットを活用している筈だから、純粋に作品を鑑賞するのであれば、わざわざフリーマーケットにやってくる必要もないのである。
 文学フリマには、書店では販売されない自費出版物が入手できるということや、売り手と作品・作者の情報が同時に得られるというのが、その魅力のひとつであろう。「場」の面白さがある限り参加者は増えるのではないだろうか。
 人々はそれぞれの自己の存在の拡張をもとめて仲間の場を求めている。文学フリマもその自己拡張の場を提供してもらうところである。人間の自分の存在感を広げたい、強めたい欲求は、大変根強い。社会的に自己存在が拡張していないと、人生に絶望してしまう場合もある。自分の存在を知ってもらって社会的に自己拡大する行為をしているという満足感が、フリマに参加することで得られる。そういう「場」は、今後もすたれないであろう。

 電子書籍が大きな「技術革新」と話題にされているが、フリマでもそのシステムの参加を呼びかけるグループがあった。電子書籍は、これまでの紙の本の市場が消失しないまでも減少する可能性がある。音楽再生の世界で、レコード盤がCDになり、CDがダウンロード方式に変わったのと同じことが起きるかもしれない。
 現在は、あらゆるジャンルでニーズの多様化が進み、そのなかに少数のニーズというものは、ビジネス的にいうと市場の形成がない、という判断が下される。電子書籍は、少ない費用で多くの読者を獲得するためのツールになる可能性はある。その前途は保証されてはいない。危機感は従来のシステムでビジネスをしてきた企業関係者にあるもので、利害関係のないユーザーには、大資本によらずに作品が発表できるチャンスでもある。
 尋ね人をするように一人の読者を探すような作品であれば、商業性をもたなくて良い。
 文学の世界では、詩や短歌、俳句などは商業ベースに乗らないのが通常になっている。そういう意味で、たまに文芸本が売れてもそれは芸能ジャンルのところに組み入れるにふさわしく、稀な現象となっている。
 作家として本を出したかったらまず芸能人となって名前を売るのも登竜門としての道でもある。こうした世界では作家名は、ブランドとして機能し、ブランド戦略が重要になるであろう。みんなが「ムラカミ」を読んでいるから自分も読んでおこう、というのは文学鑑賞ではなく、情報収集である。作家名をブランド化すれば電子書籍時代でもビジネスになる。出版ビジネスでは、売れるものが良いのであって、質などは問題にしない。

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2011年1月 2日 (日)

 「第11回文学フリマ」における60歳代~70歳参加体験レポート

~著者メッセージ: 西尾維新さん~からはじめましょう
著者メッセージ: 西尾維新さん (講談社『BOOK倶楽部メール』 2011年1月1日号より)
 あけましておめでとうございます。
 西尾維新です。
 みなさまお元気ですか?
 年末に『傾物語』が無事に発売されたようですので、ご挨拶をさせていただ
 きます。
 まあ去年はいろいろ無茶をし過ぎたので、今年は是非ともおとなしく過ごし
 たいと思っております(講談社がそれを許してくれれば)。書き下ろし小説
 二冊くらい出すのが目標です(講談社がそれを許してくれれば)。
 作家生活も十年目に入ろうという今、改めて原点に帰ろうとか、そんなこと
 を考えていたりいなかったり。
 いずれにしても本年も西尾維新をよろしくお願いします。
 それでは。
                               西尾維新
 西尾氏は、2002年11月3日の第1回文学フリマで「佐藤友哉・西尾 維新・太田克史・舞城王太郎」の同人誌「タンデムローター方法論」で出店し作家になった人です。
 以来、「伝説の文学フリマ」それぞれの若者が10年にわたって職業作家をしているというのは大変なことです。
 職業作家がどのようなライフスタイルで変化して行くか、過去の実績から書かなくても作家としてテレビ文化に入る道などは、森村誠一「作家とはなにかー小説道場・総論」(角川ONEテーマ21新書)に詳しい。
 俳優もしているかつてのベストセラー作家・筒井康隆氏は、作家(役者)はいかに巧くなっても読者(観客)から飽きられる。その技が一般読者では判断できないほど高度になってしまっていることと、読者の目は新しい才能をもった新人に向き、その技が未熟であれば、その未熟さを愛するのだ――という。
 
それから約10年―。
 「第11回文学フリマ」における60歳代~70歳参加体験レポート(2)
 自分のブースに本を並べていたら、会場の角のあたりに人が並んでいた。映画関係のブースらしい。それも一時的な行列で無事に終わったようだ。あらかじめネットやツイッターでブースへの集客を働きかけていたところが繁盛していたのであろう。
 こちらは埋没ブースであるから、ぼんやり周囲をながめるだけである。その場でいろいろな考えることと、後になって考えることはかなり違いがある。「文学フリマ公式サイト」では、その場で得た感想などを集めている。
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