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2011年1月 4日 (火)

第11回文学フリマ」における60歳代~70歳参加体験レポート(4)

 公正取引委員会の解釈では、電子図書は再販制度の対象外にしている。その理由はそれが商品ではなく情報であるからだそうだ。
 こうしたことからすると、ブランドのない無名作家は情報提供者となる道もある。情報を小説化すれば良い。「もしドラ」は、経営術の専門家で有名なのかもしれないが、経営情報をドラマの構造のなかに収めたものである。
 文学フリマでは、量産しても売れないのでは意味がないかも知れない。それならその場で作品を書く、生演奏ならぬナマ書き小説というのも良いかもしれない。目の前の客に「ととのいました」といって短いお話をパソコンに書いてみせるという芸もあるのではないだろうか。一発ギャグ集をつくって、そこで披露し、受けたものをまた集めて本にする手もある。これなども、参加した現場情報で発想したヒントである。
 現在は電子書籍が充実してきた。誰でも電子書籍ができるシステムができているようだ。高齢者の参加も多いそうである。ただ、その数が多くなると、埋没現象が起きて、読者との出会いがしにくいかもしれない。そうした時に、本欄の同人誌作品紹介欄のような機能が有効なのかも知れない。
 これまで、日本純文学系はビジネスの路線に乗らないものが多くなるという傾向は続くことのニュアンスを話題の奥においてきた。
 元来、近代文学の時代には、夏目漱石ですら教師をかけもちし、そのあと新聞社の社員になり、印税が多くはいるようになって初めて職業作家にふさわしい自立作家になったといわれる。純文学でやるにはそういう時代に戻ったのではないか。
 ただ、創作という世界はアニメにもあり、これからはその方向に優秀な人材が世界的な作家として、生まれる可能性があるかもしれない。
 これをビジネス的にみると、本の内容はコンテンツ情報扱いされてきている。情報というのは、現在は伝達技術の改革によって市場が猛烈に分散化し小分割される。今までのように出版物が何年も重版をして、企業の収益になるということがなくなった。出版は不振分野になっている。
 情報化した作品はその人気が不確実性をもち、当たるか当たらないかやってみなければわからない。そのリスクに対応して、外れても次々にコンテンツが出せる体制をとったところが存立できる。
 これは表現で自己拡張をめざす個人には悪いことではない。なぜなら技術革新が、表現への低コスト化であれば、ひとりの読者を求める人にもそれを提供しても費用が小さいということだ。
 少数読者を獲得することで制作費の軽減ができれば、大勢の人がもっとたくさんの作品を発表することができる。

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