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2011年1月 3日 (月)

第11回文学フリマ」における60歳代~70歳参加体験レポート(3)

 文学を味わうということだけであるなら、書店やネットで本を買えばよいし、電子書籍というイノベーションも起きている。文学フリマの参加者の多くは、ネットを活用している筈だから、純粋に作品を鑑賞するのであれば、わざわざフリーマーケットにやってくる必要もないのである。
 文学フリマには、書店では販売されない自費出版物が入手できるということや、売り手と作品・作者の情報が同時に得られるというのが、その魅力のひとつであろう。「場」の面白さがある限り参加者は増えるのではないだろうか。
 人々はそれぞれの自己の存在の拡張をもとめて仲間の場を求めている。文学フリマもその自己拡張の場を提供してもらうところである。人間の自分の存在感を広げたい、強めたい欲求は、大変根強い。社会的に自己存在が拡張していないと、人生に絶望してしまう場合もある。自分の存在を知ってもらって社会的に自己拡大する行為をしているという満足感が、フリマに参加することで得られる。そういう「場」は、今後もすたれないであろう。

 電子書籍が大きな「技術革新」と話題にされているが、フリマでもそのシステムの参加を呼びかけるグループがあった。電子書籍は、これまでの紙の本の市場が消失しないまでも減少する可能性がある。音楽再生の世界で、レコード盤がCDになり、CDがダウンロード方式に変わったのと同じことが起きるかもしれない。
 現在は、あらゆるジャンルでニーズの多様化が進み、そのなかに少数のニーズというものは、ビジネス的にいうと市場の形成がない、という判断が下される。電子書籍は、少ない費用で多くの読者を獲得するためのツールになる可能性はある。その前途は保証されてはいない。危機感は従来のシステムでビジネスをしてきた企業関係者にあるもので、利害関係のないユーザーには、大資本によらずに作品が発表できるチャンスでもある。
 尋ね人をするように一人の読者を探すような作品であれば、商業性をもたなくて良い。
 文学の世界では、詩や短歌、俳句などは商業ベースに乗らないのが通常になっている。そういう意味で、たまに文芸本が売れてもそれは芸能ジャンルのところに組み入れるにふさわしく、稀な現象となっている。
 作家として本を出したかったらまず芸能人となって名前を売るのも登竜門としての道でもある。こうした世界では作家名は、ブランドとして機能し、ブランド戦略が重要になるであろう。みんなが「ムラカミ」を読んでいるから自分も読んでおこう、というのは文学鑑賞ではなく、情報収集である。作家名をブランド化すれば電子書籍時代でもビジネスになる。出版ビジネスでは、売れるものが良いのであって、質などは問題にしない。

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