詩の紹介 「出会いの嘆語」原 子朗
「出会いの嘆語」 原 子朗
ぼくらの一生は出会いの一語につきる/ぼくらは生物の一員ではあるが/多くの出会いに作用されることで/他の生物たちとはげしくことなる/限りない大小の出会いの中から/ぼくらは選択し 屈折し/飛躍し 分裂し あるいは成就し/あるいは破滅を余儀なくされる/生きながら多くの死者たちと出会い/出会うことで新たな自分と出会い/とうとう自分の死と出会っておわる
一つのことばがぼくを幸せにし/一人のおんながぼくを平凡にし/一本の旗がぼくを狂わせ/一杯のうどんで汗をかき風邪をひいて/死んでしまったひともいる
だが ぼくらは出会いの過剰にいる/さいわい一本の樹のようにぼくらは生きることもできる
原 子朗詩集「空の砂漠」より 1993年11月 東京千代田区 花神社
(紹介者・「詩人回廊」江素瑛)
中国のことわざがある、「有縁千里来相会、無縁対面不相識」――縁があれば、遥かなところから会いにくる、縁がなければ、目の前に居ても知ることが出来ない。出会いということは、選択するか、あるいは選択されるか、目で見えるもの、こころで感じるもの、微小な生き物如く、例え芋虫などと出会いすることにわれが癒される。例えインフルエンザウィルス菌に遭遇したことで、われの命が奪われることもある。いやいや、出会いというものは素晴らしく怖いものである。
ありのままのことばが放たれて、投げかけてくる。書道家でもある作者の痛快な精神がある。
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