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2010年12月 2日 (木)

文芸時評(毎日新聞11月29日)田中和生氏

自己のなかに他者を発見/日本語だけが達成する現代性
《対象作品》粟津則雄「見者ランボー」(思潮社)/西村賢太「苦役列車」(新潮)/栗田有起「テンガロンズ」(群像)/村上龍「歌うクジラ」(講談社)/チョン・イヒョン「午後4時の冗談」(金明順訳)(新潮「文学アジア3×2×4」)/葛水平「月明かりは誰の枕辺に」(桑島道夫訳))(同)/藤野可織「かげ踏みあそび」(文学界)。
「共通了解としてのリアリズムが失われ、どんな書き方でも可能になった現在の小説で、その書き方からすぐれた作品を識別するのは困難になりつつある。自由な場所での非リアリズム的な書き方は、それが工夫の結果なのか単に文章が雑なのかわからないからだ。だとすればどの書き手も見てもらいたがる書き方より、物語としてのかたちに注目する方が作品の現代性を取り出しやすいかも知れない」と記す。

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