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2010年11月29日 (月)

「季刊文科」50号から~伊藤桂一氏の戦記物新作について

 「季刊文科」50号の創作欄に、村田喜代子「楽園」、伊藤桂一「アイタペ河畔」、岡松和夫「友だち」が載っている。
 伊藤桂一「アイタペ河畔」は、戦記物の延長的な新作であった。何年か前に「群像」に発表したもの以来であろうと思う。戦友会の会員の幾人か兵役体験と戦後の生き方を、渋い紋様の帯を広げてみるように味わいをもって仕上げてある。
 こうした過去の出来事を重ねて配置する作品の手法を、かつて講談社の小説教室の講師時代に、丁寧に解説していた。過去のエピソードの近いものから小過去、中過去、大過去と分類し、効果的にそれを物語として繰り出す。その手順は『文章作法―小説の書き方』(講談社)に詳しい。
 手法は「アイタペ河畔」にも採用されている。まず、戦友会の解散式の由来が低音の静かなトーンで始まる。そこから会員の人柄とエピソードがユーモアを交えて紹介され、やがて凄惨な戦争体験のクライマックスの山をいくつか越える。ユーモアと凄愴さのアップダウンを含んで、静かな終章に入る。全体の低音な調子というか、トーンは乱さずに劇的な回想を展開している。
 以前に、自分は短いものだが、過去の回想を幾つか使った物語を書いて提出した。いまひとつ冴えないが、素材に無理があるのかと思っていた。それを「これは、出来事のエピソードの溶接の仕方が下手だね。ぼくならもっと巧くかけるよ、はっは」と指導をされた。素材は悪くないのか? と思いながら、どうにも生かせずに捨てた。その後、師の作品を検討してみて、個別のエピソードを全体のトーンに調整しないので、挿話と挿話が不調和に乱反射して、印象が分裂しているらしいと気づいた経験がある。
 その意味で「アイタペ河畔」は、散文と詩の微妙な境界線を学ぶことができる作品でもある。

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