同人誌「雑木林」第13号(枚方市)
本誌の目次に、エッセイと小説と雑記というジャンル分けがしてある。ここでは、雑記とされているなかで、純文学的作品をひとつ紹介してみたい。
【「帽子」水野みち】
冒頭に「昭和の世界恐慌の年の暮、私は次姉とは年子という悪条件で生まれた」とあるから、作者はかなりの年配者である。同時に、合理性をもった滑り出しで、その文章力の確かさを教えてくれる。人生が戦争の世紀であった20世紀の民衆の体験と目撃の記憶を、エピソードを選んで淡々と語る。
その記憶の扇の要のようになるのが帽子である。話がどのように広がっても、その民衆の記録の方向は帽子によって、エピソードが散逸することがない。2・26事件、日中戦争、太平洋戦争、敗戦後と歴史の記録の背後に、人間はどのようであったかを具体的に肉付けしてみせる。巧みな構成になっている。
エピソードを順繰りに並べたと読むとたしかに雑記的だが、それらを帽子という鎖で有機的に関連させると、文学的な感銘に誘われる。
ふつうの物語は起承転結があって、感情的なうねりがあるので、途中から盛り上がり面白く読める。
これが「物語の構造」であり、世界共通のものといえる。ミステリー小説などはその最たるもの。大衆小説と純文学にもその構造がある。村上春樹の小説が国際的に理解されるのも、この構造があってのことであろう。同時に、その手法は大衆小説にもあるために、村上作品に疑義を感じる読者もいるかもしれない。常に読み流しが可能なため、読解が不充分であるまま読了してしまう危険性をもつ。
ところがこの「帽子」という作品には、エピソードを読み進んでいってどんどん面白くなって読み流すということは出来ない。そういう構造がないから、読み飛ばすことできない。ひとつひとつをよく読めと、読者に迫ってくる。ひたすら、その時代に体験した「私」の出来事の恐ろしさ、楽しさを味わうことを要求する。エピソードの選択が、作者の精神そのものの表現になっている。ちょっと志賀直哉に通じる文章技巧を感じて、懐かしいものがあった。
発行連絡先=〒573-0013枚方市星丘3-10-8、安芸方、「雑木林文学の会」。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一
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