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2010年8月 1日 (日)

ポストモダン的対応とは

 なにかどれも、うわついて嘘っぽく感じる時代になった。新聞、テレビメディアの報道もほんとかね、というものが多い。たとえば日本は沈没する、という評論があるのに円高だ。沈没する国の通貨が高くなるなんて、国際的円の収集家でもいるのか。実は、自分は民主党が政権をとるなんて思ってもみなかったのだ。これもポストモダン。ついでに小沢元代表の政治とカネ、自民党が政権を失うとすぐさま政治献金をやめたほどシビアな経済界が、収賄罪にもならない野党時代の小沢に、だれがカネを出したのか。物好きな人がいたのであろう。これは別のカネではないだろうか。それがどのようなカネか追求してほしいが、メディアはしない。大相撲の野球賭博も、それじゃその野球界はどうなんだというと、どのメディアも知らんふり。これはマルチチュード、いわゆる多面的で多様な社会なのに、複雑なものを無理に単純化するから、変になるらしい。変だと思いながら、まあまあと日常が過ぎていく。これがポストモダンの生き方か。
 こうした時代に合わせたというわけでもないが、流れにそって、文芸同志会も運営するサイトを個人会員向けに「詩人回廊」、団体・企業関連会員に「暮らしのノートPJ・ITO」という成り行きになった。「暮らしのノートPJ・ITO」は休日に文芸関連情報を扱うつもりです。興味があれば休日に読んでみてください。今月に93歳になる伊藤桂一先生の写真もあります。先生は、故郷の三重に近い関西にすでに別宅を用意してあるとのこと。先生にこういう質問をしてみた。「お寺の子である先生は、門前の小僧習わぬ経を読むで、仏典と思想との関連はどうなっているのでしょう」。
 すると「門前の小僧といっても、もっと小さい時に父をなくいるからそれはないよ。しかし、仏典の思想と自分の今の思想とは全く重なって同じ。同じですよ」

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