<詩の紹介> 「下総中山」 矢野俊彦
「下総中山」 矢野俊彦
下総中山/九十を過ぎた母が/口癖のように話す街/尋常小学校を卒えて/働きに行った街/モスリン工場で/住み込み工女として働いていた母
女工哀史を思い起こし/同情すると/楽しかったと言う/定められた時間まで働けば/後は自由な時間があった/習字や栽縫を習った/ピンポンや/映画を楽しめる日もあった
いつか行った家族旅行の/箱根の宿でラケットを振るのを見た/卓球に馴染んでいない孫たちより/確かに上手に球を打ち返した
下総中山を/通過する車窓から/モスリン工場は/どのあたりであったかと/探す眼になる
工場を見たい訳ではない/十代の母を/お下げ髪に赤い頬の/溌剌としていた/若き日の母を/娘だった母を/探しているのだ
同人誌「砂」113号より 2010年5月東京都 砂の会
<紹介者> 江素瑛
作者は、「国鉄詩人」の運営にもかかわる。作品は、母親の昔話で、悲惨な女工哀史を思い起こしたが、九十を過ぎた母の消えない記憶には楽しい青春だった。定められる時間、定められる作業、不平不満のない働く喜びこそその時代の人の幸せである。
若き日の母を探す作者、それも老いた母がまだいる時ができる。母が居なくなってからも追い求めるありしの母。なんといっても、孫に囲まれ、元気な母がいることが羨ましい。(参照:「詩人回廊」江素瑛の庭)(参照:「詩人回廊」矢野俊彦の庭)
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