« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月29日 (火)

同人誌「孤帆」(こはん)16号(神奈川県)

【「赤い響き」奥端秀彰】
 奔放な生き方をしてきた父親。息子がその人生と死後の想いを描く。晩年に案外とおとなしく過ごしていた父親が写真に凝り、高級カメラを残す。そのデーターを取出してみると、ある山頂から見た赤い夕陽が見事に捉えられていた。
 父親の人生と息子の関係。息子のそこはかとない喪失感が短いなかにバランスよく描かれている。隠れたテーマとしては、写真の表現者である父親の表現が息子にどう伝わったのかというところがあり、それを追及すると、単なるファミリーストーリーから脱皮した芸術表現の伝達という普遍性をもつテーマにもなったのではないかと思った。
【「晩夏に」北村順子】
 季節の日本的な花鳥風月の描写を柱に、人の生き方とその過程を並行的に描く。人も自然の変化のなかにあるという明確な視点が作品をすっきりとさせている。
【「男の世界」塚田遼】
 男であると、あらゆる異性に種を振りまかねばならぬーーという肉食系男子の遺伝子に突き動かされ、女性をものにしていく過程を描く。女性のタイプを書き分けるのが手際よく面白く、楽しく読ませる。哀歓も含んで、純文学への足がかりも残している。
【「欲望と性格」淘山竜子】
 主婦と独身女性との現代の生活と意識の違いを書きわけて手際よく描く。女性らしいリアリズム手法に凝っているのか、現代性を重視するためなのか、作品の狙いでどの範囲を描くか、創作へのビジョンを読者へゆだねるようなところがある。小説的リアリティと現実のリアルとの違いはどこにあるのかな?と思わせるものある。(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

| | コメント (0)

2010年6月28日 (月)

【文芸時評】7月号(産経新聞) 早稲田大学教授・石原千秋 2人の村上春樹

【文芸時評】7月号 早稲田大学教授・石原千秋 2人の村上春樹 今月の小説は低調。文芸誌では村上春樹『1Q84』祭りがまだ続いているようで、そちらの対談、座談会、評論の方がはるかに面白かった。

 小森陽一は一貫して村上春樹批判の立場のようだ。それはもちろんいい。しかし、村上春樹の訳者ジェイ・ルービンとの対談での、こういう発言はどうだろうか。「私が言いたいのは、村上春樹のこの小説のこの謎はこういうことだ、といい大人たちが議論する、そこに何か意味があると思ってしまうこと自体が、反小説的なことではないかということです」(群像)。それなら、文学研究は全否定されることになる。もちろん、それもいい。しかしそういう小森陽一自身が、同じ対談で夏目漱石の『三四郎』について得々と、しかもまったくの事実誤認をもとに語ってしまうのはどうしたことだろう。

 小森陽一は『三四郎』は「一カ所だけ、展覧会で美禰子の視点になる」以外は、「基本的には登場人物である三四郎の視点から綴られている小説」だと言う。その「一カ所」とは「三四郎は自分(美禰子のこと-石原注)の方を見ていない」(新潮文庫)を指すのだろう。ところが、別に名古屋の汽車の女視点もあるし、『三四郎』には「この田舎出の青年には、凡て解らなかった」(同)といった、三四郎以外の全知視点から書かれた文が全体で13もある(これはかなり以前に、拙著『反転する漱石』で指摘したことだ)。繰り返すが、小森陽一はまったくの事実誤認をしているのだ。「いい大人」がこういう杜撰(ずさん)な議論をする方が問題ではないだろうか。

| | コメント (1)

2010年6月27日 (日)

「文芸思潮」と同人誌「風の森」11号2010年1月(東京)のことなど

 雑誌「文芸思潮」2010初夏号(アジア文化社)の同人雑誌紹介によると、「風の森」という誌名は、新宿ゴールデン街の酒場の名前だったそうで、そこに通ったアーティストたちの同人雑誌だという。書き手は60歳代のひとたち。いずれも独自の文体を持っている。
 余談だが「文芸思潮」2010初夏号には、古井由吉氏のインタビュー。それから、長編小説「天の川炎上」(三神弘・著)。この小説は、地域色豊かで土俗的な文体で、統一感をもって駆使。力作で抜群の面白さである。こんな個性的な文体をもってみたいと、文体なし体質の自分にも、うらやましいものがある。

【「<アジア>という迷妄―見果てぬ夢の暗渠」皆川勤】
 日本という名称が、中国を意識して東の「日出る処」という発想があるとする網野善彦の見解から話がはじまる。そこから、鳩山政権のアジア共同体的な国家力の拡張としてのネットワーク構想に違和感と拒否の論を展開する。哲学者の西田幾多郎が<大東亜共栄圏>の起草原案に関わっていたことを記している。
 自分もアジア的なものとは、同地域分類に過ぎず、それは寄稿風土が相似的であること以外に、なにか精神的な同質性を強調する政治性には強い違和感をもつ。同感の部分がある。
 こういうことを言い出すと、きりがないが、地球上には乾燥地帯と湿潤な地帯とがあり、そこに住む人間がそれぞれの風土に適応して生きなければならない。同地域で連携するのは国の利害関係が一致した時だけであろう。また、日本の位置を地図で中国側を手元にして見ると、中国の「美国」(アメリカ)へ向う太平洋への拡大意欲を、日本列島がさえぎっているのがわかる。日本は、近代の侵略国で、「目の上のたんこぶ」という存在であろう。
 それはともかく、新聞メディアがその役割りを放棄し、変調したものになった現在、こうした論が同人誌に存在するのは、意義があるように思う。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

| | コメント (0)

2010年6月26日 (土)

詩の紹介  「不景気」  暮尾 淳

「不景気」  暮尾 淳
門前から人の列ができる道を/規制して今年は変えてしまったから/大晦日も三日ケ月/お客はさっぱりだったわとこぼす/八十歳のママさんがやっている/焼きトン屋の/カウンター席の二つ横に/白いヘルメットがぽつんとあり/ついふと手を伸ばしたら/店の外に出て階段を上がらなければならない/トイレから/おれよりは若い/白髪まじりの先客の/がっしりした体の男が戻って来て/何か珍しいですかと訊くので/ごめんなさいついさいきん/こういうMタイプのほかに/前ひさしと全周のタイプがあり/小さなナットでも/ビル建築などの高い所から落ちてくると/ヘルメットを突き破り/死ぬこともあると本で読んだものでと言うと/ああそうらしいね/男は無愛想にこたえ/会話はそれでとぎれ/今度はおれがトイレから戻ってくると/もうその姿はなく/あの人はうちのお客で警官で/正月の規制は済まなかったねと謝りにきたの/腸がんの手術をしたという/着物にエプロンのママさんは言い/次の客はなかなか現れず/おれはホッピ―の継ぎ足しをしながら/とっくの昔に死んだ市川雷蔵の/円月殺法を/波立つテレビでみていたが/画面は変り/不景気のニュースがつづいた    
       詩誌・「騒」81号より 2010年3月 町田市 騒の会
<紹介者「詩人回廊」江 素瑛>
お正月の賑やかさを狙って商売繁盛を期待する焼きトン屋が道路規制の影響で、ぱらぱら客の門庭羅雀(庭に人がいないので、雀がたさくさん遊ぶ)のお正月だった。短編小説のような作品である。作者を除く、登場人物の、ママさん、警官、テレビの画面まで不景気による気だるさをよく表現している。

| | コメント (0)

村上春樹氏「考える人」(新潮社)夏号にロングインタビュー

 7月3日に発売される季刊の学芸系総合誌「考える人」(新潮社)夏号に、作家の村上春樹氏の約90ページのロングインタビューが掲載される。新潮社によると「これは村上氏の作家生活の中で最も長いインタビューといえるもの」。累計部数は377万7000部に達し、社会現象になった「1Q84」のBOOK1~3はどのようにして生み出されたか、また、海外での活動や個人的な日常生活、今後の作家活動について話は及んでいるという。(2010年6月24日 読売新聞)

| | コメント (0)

2010年6月25日 (金)

『矢山哲治と「こをろ」の時代』(績文堂)杉山武子著

 矢山哲治という詩人の存在を本書で知った。私は昭和17年生まれ。太平洋戦争初期で日本軍が、昭南島(今のシンガポール)を陥落させたというので、提灯行列をした日(母がそう言っていた)である。詩人・矢山はその年に入隊しているのだな、読み進みながら思ったものだ。
 その時代は軍部権力からすれば、詩人や小説家などというものは、軟弱的な危険思想を国民に蔓延させかねない監視すべきものであった。
 戦時中に国家権力の監視のもとで、若い詩人が文化活動として文芸同人誌「こをろ」を発行する苦心が追跡調査されている。粘り強く特高警察との妥協と反発の試行錯誤をしていく姿が、作者の根気のよい作業で浮き彫りにされている。資料では島尾敏雄、阿川弘之などの参加者の名もある。
 矢山は兵役免除となり、国に戻って文学活動をするなかで、電車道の無人踏切で轢死している。事故か自死はいまだに判別できないでいるらしい。
 自分は、著者の提示した資料から、無意識の精神の葛藤から一瞬の生物的な眩暈にでも見舞われたのかも知れないと思った。自分で青春時代を思い返しても、その時期の精神状態を正しく把握できない。なにやら不合理な世界にいたことを感じる。
 矢山哲治という夭折の詩人の死を、それなりに精一杯時代に生きた人と肯定的に感じながらも、掲載されている矢山哲治の詩を読むと、彼の人生を不幸とは思わないが、なぜかその時代を精一杯生きることの悲しみが浮かぶ。
 著者の経歴は、1949年、福岡生まれ。1984年「土着と反逆」(評論)で農民文学賞受賞。ウェブサイト「杉山武子の文学夢街道」。ブログ「一樹の蔭、一河の流れ」がある。薩摩の国の伝統なのか、作風にハードな精神性が感じられるものがある。

| | コメント (0)

2010年6月24日 (木)

第5回小説現代長編新人賞に塩田武士さん「盤上のアルファ」

 第5回小説現代長編新人賞(講談社主催)は18日、兵庫県芦屋市の新聞社勤務、塩田武士さん(31)の「盤上のアルファ」に決まった。賞金300万円。受賞作は「小説現代」に抄録され、10月に単行本が刊行される。

| | コメント (0)

「文芸月評」6月(読売新聞)「なじめぬ自分」が軋む(文化部 待田晋哉)

《対象作品》大江麻衣氏(26)詩編「昭和以降に恋愛はない」(新潮)/大道珠貴氏(44)「身重で身軽」(文学界)/藤野千夜(ちや)氏(48)連作短編「願い」(群像)/島田雅彦氏(49)悪貨』(講談社)/村上春樹氏(61)『1Q84』(新潮社)/古川日出男氏(43)「冬」(新潮)。

 大江麻衣氏(26)というほぼ無名の詩人の詩編「昭和以降に恋愛はない」が、「新潮」に掲載されている。中原中也賞の候補作で、選考委員の高橋源一郎氏(59)が簡易投稿サイト「ツイッター」で激賞するのを見た編集者が、転載した。
 <昭和以降に恋愛はない、街はいつでもばかみたいにセックスにしかみえない男子女子が連れ立って歩く、みんな死なないといけない>
 いかにも現代風の冗舌な一編は、古くから文学が主題としてきた他者との「軋(きし)み」を叫んでいる。
 大道珠貴氏(44)「身重で身軽」(文学界)は、独身で人嫌いを公言する物書きが主人公。だが、40代半ばに差し掛かり、肩ひじ張って生きる気力は薄れ気味だ。
 「身重」にも「身軽」にも生きられない。四十女の中ぶらりんな心境をあえて軽く語ることで、突き放す。軟体ゆえにかみ切れない夏の酢ダコのごとき小説はかめば、かむほど、味がしみ出てくる。
 藤野千夜(ちや)氏(48)の連作短編「願い」(群像)が完結した。不倫が発覚し職場をやめたOL、元彼女と復縁を願う会社員など、世間の流れに取り残された9人の小さな願いをすくい取る。

 中でも、初老の男性を描く昨年11月号の「散骨と密葬」がいい。妹を亡くした彼は葬儀を取り仕切り、式場で多くの親類たちと出会う。49歳で引きこもり気味の長男を筆頭に自分たちの息子3人だけが独身で、孫もなく、ふわふわと暮らす現実を突きつけられるのだ。
 詩や小説を書く人間は、大江氏のように世界と自分のずれに軋み、叫ぶところから始める。それらを掘り下げるうち、苦悩はゆっくり浄化され、手ごわさや哀切さなど持ち味が生まれていく。10年以上のキャリアを持つ二人の小説は、それぞれに成熟していた。
 文芸誌「海燕(かいえん)」「文芸」の編集長を歴任し、3月に死去した寺田博氏をしのぶ会が9日開かれた。多くの作家があいさつし、島田雅彦氏(49)は「『寺田組』の一員として彼のダンディズムを受け継ぎたい」と語った。デビュー以来、27年交流した編集者の死に思うこともあるだろう。書き下ろし長編『悪貨』(講談社)は、客気のある問題作だ。
 思えば村上春樹氏(61)の小説『1Q84』(新潮社)でも、コミューンは重要な鍵を握った。巨額の財政赤字と政治不信で「国家」の衰弱が言われる現在だが、冷戦終結以前のように社会主義の夢も見られない。息苦しい現体制の代替物の可能性を求めて、作家たちの想像力は、共同体的な世界へ向かっている。
 そのほか、古川日出男氏(43)「冬」(新潮)は、身寄りのない犬を連れた少年が関西を旅する。汚れを知らない裸の目が、見知らぬ土地と出合う姿はスリリングだ。(2010年6月22日 読売新聞)

| | コメント (0)

2010年6月23日 (水)

同人誌時評(5月)「図書新聞」(2010年6月19日)志村有弘氏

<歴史小説・時代小説・歴史劇>
木夏真一郎「銀龍の淵」(たきおん第65号)、逆井三三「宿命の暗殺剣」(遠近第39号)、荒海新太郎「化けるかもしらじ」(コスモス文学第371号)、武野晩来「御道固」(青稲第84号)、賈島憲治「水戸天狗党物語」(創造家第17号)、滝沢達郎「愛憐無限」(たきおん第66号)
<現代小説>
小畠千佳「じごくのやかた」(あるかいど第40号)、小野田多満の童話「おやこ狐とおやこ地蔵」(婦人文芸第88号)
<エッセイ>
前之園明良「長い残余の生(三)」(酩酊船第25集)
<俳句>(以下、名前のみ)
仲真一、中園倫
<短歌>
黒澤勉、桑田靖之
<創刊>
「北斗七星」
<追悼号(含訃報)>
「あふち」第65巻第2号が加藤嘉市、「COALSACK」第66号が遠藤一夫、「新現実」第104号が牧野徑太郎、「東京四季」第98号が水谷清、「響」第285号が山崎尚子。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

| | コメント (0)

2010年6月22日 (火)

著者メッセージ:『老猿』 藤田宜永さん

 物語は厳冬期の軽井沢から始まります。雪が降り、急坂が凍結すると、人里離れた僻地と化してしまう高台に、主人公の男が住みつきます。彼はリストラされ、家族とも別れた還暦男です。
  近所に住んでいるのは、気難しく、すこぶる感じの悪い老人だけ。何となく高村光雲の『老猿』の雰囲気をも持っているので、主人公は密かに老猿と名付けます。しかし、老人は光雲の『老猿』のように猟などしません。家に引きこもっていて、酒ばかりくらっています。
  そんな隣人しかいない高台に、得体のしれない中国女がやってきたことで、主人公の周りが、にわかに騒がしくなります。そして、彼らと親交を深めていくうちに、中国女の秘密、そして老猿の謎が解き明かされていきます。
  最後の方で、三人は北京に行きますが、そこで起こることは伏せておきましょう。六十年間、ごく普通の人生を歩んできた男が、老猿と中国女の破格な生き方に誘われ、逸脱することの愉しみを知る物語です。
 恋あり、ドンパチあり、論争ありというハードボイルド風の作品ですが、男性だけではなく、女性が読んでも愉しめる人間ドラマに仕上がっていると思います。盛りをすぎた人にも、すぎていない人にも、手に取っていただきたい、十二年振りの書き下ろしです。(藤田宜永)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2010年6月15日号)

| | コメント (0)

2010年6月21日 (月)

<詩の紹介> 「青い母」   山本聖子

港は
そっと抱いている
旅立てなかった真昼の夢

海面下七メートルの
まだ幼い曲線をえがく水の宮
うす青い温塊を
川からの離岸流で酔わせないよう
霧をはらう笛で起こさないよう

 北西の寡黙をすこし
 南南東の情をすこし混ぜ

二十日月が満ちるのを待っている

わたしは
そんな港から海へ出た
   詩誌「まひる」 第6号より 2010年4月あきる野市・アサの会

<紹介者「詩人回廊」江素瑛>
 川からの離岸流で酔わせないよう/霧をはらう笛で起こさないよう/
とやさしい気持ちを込めた若い母の子守唄と祈りである。
胎内の記憶というか、羊水の記憶というか、自分を孕む若い母親の気持ちを、満月の出航を待つ胎児の心を、作者は表現しているのか。なぜか秘められた内なる悲しみが感じられる。 

| | コメント (0)

2010年6月20日 (日)

著者メッセージ:『雨心中』 唯川恵さん

 この『雨心中』の第一章となる『降り暮らす』を書いた時、実は、長篇に しようとは考えていませんでした。
  それなのに、どういうわけか主人公のことが頭から離れず、やがて私自身この先いったいどうなるのか、突き詰めていきたいと思い始めたのです。
  主人公は幸福に向かおうとしているのか、それとも、絶望に向かおうとしているのか。書きながら、そのふたつのあまりの近さにため息をつき、同時に、もしかしたら主人公にとってそのふたつは同じなのかもしれない、とも考えました。
  私はよく恋愛小説を書く小説家と言われていて、もちろんそれに異存はなく、また興味も尽きないのですが、今回の『雨心中』は、今までとは違った一冊になったのではないかと思っています。            (唯川恵)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2010年6月15日号)

| | コメント (0)

2010年6月19日 (土)

同人誌「奏」2010夏・20号(静岡市)

【「ウキワ物語」田代尚路】
 22歳の息子をもつ主婦の生活を描く。大学生の息子と食事をすること。息子のブログを読んでいること。結婚生活。スポーツジムのインストラクターのこと。不自由のない恵まれた主婦の立場になって、失われた若さを自覚し、なにか輝くものをつかみたいという心象を描く。ストーリー性をもたせず雑然と描いているのかと思ったら、しっかりテーマをもった表現に読めた。言うにいえぬところの表現力に感心させられるものがある。折角だからもう少しその精神を追求して欲しいところもある。

【「クレオールへの夢―安部公房の文学言語」戸塚学】
 多種類の民族言語が混交する言葉が生まれる背景には、文化交流だけでなく国家および国家戦略による侵略や占領がつきまとうことが多い。カフカやベケットをクレオールと見た安部公房の視点を解説して興味深い。

【「評伝 小川国夫―第二回」勝呂奏】
 小川国夫の同人誌「青銅時代」のことや、大田区大森の教会や新井宿の親戚のことなど、安部公房と同じく城南地域に縁があるのを知って驚いた。小川国夫が志賀直哉に傾倒していたのは知っていたが、ヘミングウエイにも興味をもっていたことを知り、彼の文体から納得できるものがあった。とにかく長いものになりそうだ。途中まで読んで感想でも書こうと思っていたが、ついに終わるまで読んでしまった。「奏」発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-2。(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

| | コメント (0)

このごろの文芸同人誌に関する話

 4月末の農民文学賞の贈呈式に出席したときに、かつての受賞作家の方々と話をする機会があった。同人誌作品紹介を、会員のだれか読んでいるという人が幾人かいた。そのなかで北原文雄さんであったか、「自分たちの同人誌・淡路島文学は、書き手が高齢で、どの作品もこれが最後の発表になるかも知れんと思ってやっているので、積極的に取り上げて欲しい」というような話であった。そういう姿勢もあるのか、と印象に残った。最近、ネットでの同人誌の情報が充実してきた。同人誌評として、作品のその良し悪しを評価するものが最近は沢山ある。自分の役割は済んだような気がする。
 また、評論で受賞歴のある杉山武子さん(参照:HP)ともお会いして、著作『矢山哲治と「こをろ」の時代』 (単行本)―現在、読んでいる途中だがーの刊行や「文芸同人誌案内」の運営者ひわきさんとも友人であることなどを知った。
 自分が「作品紹介」としたのは、社会の反映としてこのようなものがあり、「読みどころをさがす」という研究の視点で書いてきたつもりである。
 これまでの同人誌を読んできた経験から、 生きがいと文芸同人誌を並列に考えた評論「菊池寛の作家凡庸主義と文学カラオケ化の精神」にしてみた。
 同人誌作品紹介は、2001年に情報紙「文芸研究月報」で始めている。研究対象としての読者であった。折角読んだので紹介記事にしようという動機なので、権威など不要であった。その頃の反応は、その同人誌に入会したいというものがあった。しかしネットになると、紹介した同人誌が欲しい、という問い合わせがいくつかある。また、書店からお客が、本欄で紹介している同人誌を欲しいので取り寄せて欲しいと頼まれた。連絡先を知りたいというのもある。自分は批評よりも紹介スタイルのほうが意義をかんじる。

| | コメント (1)

2010年6月18日 (金)

<詩の紹介> 「真鶴峠」 戸上寛子

半島は原始の風貌で/歩き続けるわたしに/波はここまで追いかけてくる

てさぐりでたどりついた岬は/暗く/眠ることもしない

波の白さは/記憶につながる夜の中に/汗ばんだ肌ほどに無縁であったろうか

昏れ残る波もあると告げた/不眠の日の/月明の樹林

今日の時間さえも崩している/砂の音/波の声

わたしの心に刻まれた/原始の風貌の半島の岬

         詩誌・岩礁143より 2010年6月 三島市 岩礁の会
                 ☆
 時間が流れても、人為的な加工がなければ、地球は原始の風景で居られる。真鶴半島には、溶岩流でできた転石海岸、原生林など時間の進まない原始の空間がある。なにもないまま作者のこころを惹きつかれる。岬。樹。月。不眠の夜に聴く波の声。砂の音。一句一句に波のように押し寄せてくる作品である。<紹介者「詩人回廊」江素瑛>
《参照:真鶴半島PJニュース
《参照:真鶴岬転石海岸PJニュース

| | コメント (0)

2010年6月17日 (木)

著者メッセージ:『悪貨』 島田雅彦さん

『悪貨』は、ニューヨークに滞在中の2009年1月から書き始めました。
 私は、リーマン・ショックから始まった金融恐慌を間近で見ながら、二十世紀の大恐慌のことを考えました。大恐慌は、一九三一年に景気の二番底を経験し、ハイパーインフレ、ブロック経済、そして全体主義の台頭、世界大戦へと二十世紀前半のカタストロフの引き金になった。
 恐慌は世界を根底から変える要因になる。それが自然発生的なものならば、天災であるが、意図的に引き起こされた事件であるならば、それは一種の戦争であり、革命です。
 また、ナチスドイツは大戦末期に大規模な金融テロを実行しました。イギリス・ポンドとアメリカ・ドルを大量に偽造しようとしていたのです。れは国家規模の経済戦争の最たる例だが、似たような国家的陰謀が現代においても、着々と進行しているのではないか? そして、今、世界は新たな貨幣システム、新たな通貨を必要としているのではないか?
 私は『悪貨』構想の最初の段階からそんな予感を漠然と抱いていました。それが、どのような小説となって結実したか、ぜひ確かめてみてください。(島田雅彦)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2010年6月15日号)

| | コメント (0)

2010年6月16日 (水)

<詩の紹介> 「下総中山」  矢野俊彦

「下総中山」  矢野俊彦
下総中山/九十を過ぎた母が/口癖のように話す街/尋常小学校を卒えて/働きに行った街/モスリン工場で/住み込み工女として働いていた母

女工哀史を思い起こし/同情すると/楽しかったと言う/定められた時間まで働けば/後は自由な時間があった/習字や栽縫を習った/ピンポンや/映画を楽しめる日もあった

いつか行った家族旅行の/箱根の宿でラケットを振るのを見た/卓球に馴染んでいない孫たちより/確かに上手に球を打ち返した

下総中山を/通過する車窓から/モスリン工場は/どのあたりであったかと/探す眼になる

工場を見たい訳ではない/十代の母を/お下げ髪に赤い頬の/溌剌としていた/若き日の母を/娘だった母を/探しているのだ 
          同人誌「砂」113号より 2010年5月東京都 砂の会

<紹介者> 江素瑛
 作者は、「国鉄詩人」の運営にもかかわる。作品は、母親の昔話で、悲惨な女工哀史を思い起こしたが、九十を過ぎた母の消えない記憶には楽しい青春だった。定められる時間、定められる作業、不平不満のない働く喜びこそその時代の人の幸せである。
 若き日の母を探す作者、それも老いた母がまだいる時ができる。母が居なくなってからも追い求めるありしの母。なんといっても、孫に囲まれ、元気な母がいることが羨ましい。(参照:「詩人回廊」江素瑛の庭)(参照:「詩人回廊」矢野俊彦の庭

| | コメント (0)

2010年6月15日 (火)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2010年6月4日付)白川正芳氏

  冒頭、昭和の文人をめぐる172人の感慨『私の保田與重郎』(新学社)について言及。
《対象作品》吉田幸平編著「福沢諭吉の佩刀・甲冑と妻土岐阿錦の系譜考総論」(「文芸長良」21号)、同誌より山名恭子「寒樹の春」、田中一葉「サンライズ」(「カム」6号)。「太郎と花木」(札幌市)12号。田村加寿子「柳田の夕暮れ」(「かいだん」58号)、竹宮よしみ「ケアハウス・デビュー」(「アミーゴ」63号)、豊田一郎「イルミナシオン」(「孤愁」7号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)


| | コメント (0)

2010年6月14日 (月)

同人誌時評(4月)「図書新聞」(2010年6月5日)福田信夫氏

『酩酊船』第25集で前之園明良「長い残余の生(三)」完結
竹内和夫編「同人雑誌評抄録-『文學界』を中心に-」
《対象作品》『みちくさ』第3号は樋口一葉と志賀直哉の特集、『奏』第19号より勝呂奏「評伝 小川国夫-第1回」、『探偵随想』第106号より秋田稔「幻想奇譚 魚」、『黒豹』第125号より諫川正臣の詩「雲のゆくえ」、『播火』第74号より諸井学「隠岐への道」と大塚高誉「鈍色の街角」、『丁卯(ていほう)』第27号より大池文雄「西新井一丁目(二)」、『人間像』第179号より根保孝栄「同人雑誌評」・平木国夫「二宮忠八の世界」・福島昭午「紙魚戯言(24) 飛脚の走りと『ナンバ』」、『文学街』273号より遠野美地子「太初に言あり」と川島徹「北の街」。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

| | コメント (0)

2010年6月10日 (木)

女性向け文芸誌「GINGER L.」(幻冬舎)12月創刊へ

 幻冬舎は、女性向け文芸誌「GINGER L.」を 12月6日、5万部(予定)で創刊する。A5正寸、季刊、書籍扱い、本体800円。20~30代の女性を対象。小説をメインにエッセイや対談などで構成する。同社が発行する女性誌「GINGER」の姉妹誌という位置づけ。雑誌形式の書籍扱いとなる。 6月8日に広告代理店向けの説明会を行い、約30社が集まった。菊池朱雅子編集長は「あくまで小説とエッセイを柱とした読み物。女性に『読む』楽しみを知ってもらいたい」。

| | コメント (0)

2010年6月 9日 (水)

哀川譲さんの電撃文庫。盗作の疑いで自主回収 

 ライトノベル(イラスト付き若者向け娯楽小説)作家、哀川譲さんの作品「俺と彼女が魔王と勇者で生徒会長」(電撃文庫)に盗作の疑いがあるとして、発行元のアスキー・メディアワークスは8日、本の絶版と自主回収を決めた。哀川さんは事実を認めている。
 同社によると、同作品は哀川さんのデビュー作として先月10日に発売され、4万5千部を発行。読者からの指摘を受け、同社が調査した結果、井上堅二さんのライトノベル「バカとテストと召喚獣」(ファミ通文庫)との類似個所を複数確認した。
 哀川さんは同社のホームページを通じ、「プロ作家としての意識の低さ、認識の甘さを深く反省しております。まことに申し訳ございませんでした」とコメントしている。(2010.6.8 産経ニュース)

| | コメント (0)

2010年6月 8日 (火)

iPadと電子書籍のゆくえ! 西垣通氏・平野啓一郎氏に聞く

 電子書籍を読むこともできる米アップルの情報端末「iPad(アイパッド)」が国内でも発売され、話題となっている。“黒船来襲”を機に電子書籍が本格的に普及するのか、作家は電子化とどう向き合うのか。東大教授の西垣通氏、作家の平野啓一郎氏に聞いた。(2010年6月1日 読売新聞)
「紙」は消えず二極分化へ◇西垣通(東大教授 メディア論)
「キンドルは本に近く、読みやすい。中高年向きかもしれない」 iPadでまず思い出したのは米の科学者、アラン・ケイの「ダイナブック構想」。ケイは大型コンピューターしかなかった1970年代初め、パーソナル(個人向け)コンピューターという概念を提唱した。スタティック(静的)なメディアである本に対し、文書や図像、音声などを組み合わせたダイナミックなメディアがパソコンで、それは人間の想像力をかきたて、創造的活動のための文化的ツールになるという夢を描いた。
 iPadは、音楽や動画、書籍などを組み合わせた複合メディア。一方、アマゾンの「キンドル」は紙の本を電子書籍に置き換えた単体メディアだ。
 コミックやビジネス実用書、娯楽雑誌などが、まず電子書籍に移行する可能性が高い。だが物としての厚みを持つ紙の本は、愛書家が線を引いて読んだり大事に飾ったりするから、絶対にすたれない。電子書籍が大量に流通し消費されていく一方で、時間をかけて作られた真の良書は残る。それらは価格が高くても一部の人々に必ず売れ、二極分化していくのではないか。
 電子書籍が普及すれば、アマチュアでも出版社を介さずに本を出しやすくなり、編集者の役割も変わっていく。優秀な著者を発掘し、良い作品を世に出す能力がますます求められる。編集者の中には独立して、電子書籍専門の会社と連携して仕事をする人も出てくるだろう。
 電子書籍では、小説に登場する音楽や風景の映像も並行して楽しめるような、クロスメディア作品が登場する可能性もある。iPadの登場はそういう総合クリエイターの創造性を刺激するかもしれない。
端末向けに小説も変化◇平野啓一郎(作家)
「iPadの画面に、指紋がつきやすいのが少し気になりました」片手で持つのは、まだ相当重いですね……。現在の雑誌や新聞を見るには、判型も小さく慣れません。ただ、写真はバックライトで画面が発光して美しい。写真雑誌やファッション誌とは相性がいいのではないか。
 でも時間がたてば、軽い機種が出るでしょう。折り畳み式で画面が広がるかもしれない。そうなれば個人の紙に対する愛着にかかわらず、作家も世間の流れに沿って、作品を電子書籍端末に掲載するしかなくなる。
 この機器に合う書き方をした小説も現れるはずです。例えば「二人が訪れた東京・狸穴(まみあな)のレストランは暗く、テーブル席が六つあり――」などと文章で書いていたのを、画像を添えて済ませるとか。「狸穴」の地名を知らない読者向けに、本文からネット上の地図へリンクを張れば余計な説明を省ける。それに応じて文体も変わります。
 作家にとって、iPadの普及は一つのチャンスでもあると思う。通勤電車で携帯電話の画面を眺め、ゲームや音楽を楽しむ人がいる。彼らは画面が大きくなれば、読書に興味を持つかもしれない。電子書籍で適切な収入が得られる仕組みを作り、忙しい現代人がほかの分野のエンターテインメントに割く時間を、文学が取り戻す方法を考えてみたい。
 人間の記憶や思考も変わるでしょう。本の装丁を編集者が作家と打ち合わせする際、今までは「あの画家の雰囲気で」などとあいまいに語り合った後、現物の掲載作を本で探してコピーしたりしていた。iPadがあれば、話の最中にその場で画像を呼び出し、情報を共有化できる。
 一方で、一つの画面で簡単に動画や音楽、小説を楽しめるから、長時間集中するより、次々とコンテンツ(中身)を試したくなる。切り替えが早く、飽きっぽい人に向くのではないか。

| | コメント (0)

2010年6月 6日 (日)

西日本文学展望(西日本新聞」6月1日朝刊)長野秀樹氏

題「文学と人生」
後藤みな子さん「樹滴」(「すとろんぼり」8号、福岡県久留米市)連載8回で完結
明石善之助さん「美しかりし兜屋小町」(「午前」87号、福岡市)
「旅かばん」(「福岡市、花書院)より水木玲(ママ)「エンゼルベイビー」
「海」(第二期3号、福岡市)通巻70号小特集より月岡祥郎さんと笹原由理さん、牧草泉さんのダーウィン「種の起源」翻訳連載開始
「季刊午前」42号(福岡市)より西田宣子さん「おっぱい山」、神宮吉昌さん「美佐代」、野見山潔子さん「飛翔」
「南風」27号(福岡市)より松本文世さん「路地」
(「文芸同人誌案内」ひわきさんまとめ)

| | コメント (0)

2010年6月 5日 (土)

著者インタビュー: 黒木瞳さん「私の場合 ブレない大人への段階」 

(講談社『BOOK倶楽部メール』 2010年6月1日号)
(編集)この本が生まれたきっかけを、まず教えて下さい。
(黒木)最近、歳は重ねていても、大人になりきれていない人って、多いですよね。そもそも、“大人になる”ってどういうことだろう。私はどんなふうに、大人への段階を踏んでいったのかな?――そんな、大人への道のりを、今なら書くこともできるんじゃないかと思って。私の今までの経験や出来事を思い出しながら、いろんな場面の“私の場合”を綴ってみたのが、この本の経緯です。
(編集)ここまで書いていいの? と驚くほど、黒木さんの喜怒哀楽の秘話が、たくさん詰まっていますね!
(黒木)はい、自分で言うのもなんですが、かなり赤裸々に書きました(笑)。そもそも、自分が弱っているときや傷ついたときって、やはり人生の中で見ても、ドラマチックなんですよ。しかもそういうときこそ成長のチャンスで、振り返ると転機になっていますしね。
(編集)書く上でこだわった部分はありますか。
(黒木)これほどメールが普及している今だからこそ、読みやすい文章にしなくては、と心がけました。そこで今回、“口語体”での体言止めに初トライしてみたんですよ。絵文字が使えたら、この想い、もっと伝わるのに! と思ったこともしばしばです(笑)。
(編集)エッセイとしてはもちろん、写真もたくさん載っていますよね。
(黒木)そうなんです。この本のためにグアムに行って、すべて写真も撮りおろしているんですよ。今まで見たことのない“黒木瞳”をテーマに、大自然で走って泳いで……いろんな表情がかなり撮れたと思います。
(編集)撮影、ハードでしたよね。本当にいろんなカットを撮りました。見ても楽しい本になったはずです。そしてこの本、<特別限定版>の理由は――
(黒木)初回配本に限るんですが、私の芸能生活30周年の感謝の気持ちをこめて、特製クリスタルネックレスの特典をつけたんです。私も、読者の皆さんも「この先も一緒に、ずっと輝いていきましょう」という願いをこめて、輝きにこだわったスワロフスキー エレメントを使用しています。ヴィンテージローズの大人っぽい色合いのネックレスで、どんな肌色の人にも合いそうですよね。
(編集)肌になじみながら美しく輝くので、重ね付けにもぴったりですよね。では最後に、黒木さんからみなさんにメッセージお願いします!
(黒木)私は、ラクして幸せなんて、手に入らないと思っています。いい大人への格差は、心がけ次第でどんどんついていくものですから…もっと向上したい、美しい大人になりたい、と願う人に、私が正直に綴ったこのエッセイ、ぜひ読んでほしいです。
(編集)読み応えたっぷりの超・直球エッセイ、どうぞご覧ください!
 --------------------------------------------------------------------
■「私の場合 ブレない大人への段階」 <特別限定版>【黒木瞳 価格1,890円】 泣いて笑って苦しんで…無器用なまでに真っ直ぐ生きた半生を、女優・黒木 瞳が本音で綴った迫力のエッセイ。初版のみ特製クリスタルネックレス付き。http://shop.kodansha.jp/bc/books/topics/watashinobaai/


| | コメント (0)

2010年6月 3日 (木)

作品のネット公開。渡辺淳一さん、瀬戸内寂聴さんも

 作家の五木寛之さんが昨年末に出したベストセラー小説「親鸞」の上巻全文が先月12日から1か月間、インターネット(http://shin-ran.jp)で無料公開されている。パソコンでの“立ち読み”によって読者を書店に呼び戻そうとする動きが、人気作家の間でも広がっている。
 「親鸞」は上下巻で計65万部と版を重ねる。新刊の一部をネット公開する手法は昨年頃から増えているが、人気作の前半をそっくり無料公開した例はない。
 自ら提案したという五木氏は「一人でも多くの読者に読んでもらいたい。若い世代が書店に足を運んでくれるきっかけとなれば、これほど嬉(うれ)しいことはありません」と理由を述べる。
 長引く出版不況で書籍・雑誌の昨年の推定販売額は21年ぶりに2兆円を割り、全国の書店数も2000年の2万1000店強から6000店以上減った(アルメディア調べ)。出版事情に詳しいフリーライターの永江朗さんは「全国どこでも著作が並ぶ人気作家だけに、特に地方の書店減少を深刻に受け止めたのではないか」とみる。
 出版元である講談社の国兼秀二・文芸図書第二出版部長は「読者が本に触れるきっかけ作りという意味でプラスと判断した。少しでも読み始めてもらえば、ワクワクするエンターテインメントとして本を買ってもらえる自信がある」と話す。公開後1週間で約20万回閲覧され、書店での売り上げも上下巻ともに約2割伸びたという。今後、iPadでも電子書籍として販売する予定だ。
 渡辺淳一さんも4月末から約2週間、初期の短編をネット公開した。自選短編集(朝日文庫)のPRを兼ね、閲覧は3万回以上。集英社インターナショナルも同月、新刊の半分程度を公開する「無料立ち読み」を始めた。瀬戸内寂聴さんの近刊も近く公開する。
 ベストセラーを連発してきた大御所3氏だが、「新しい技術にも前向き。米国企業にのみ込まれる前に、日本の出版社主体の仕組みを作らなければ、という気持ちも強いのでは」と永江さん。出版状況が激変する中、人気作家も様々な模索を続けている。(多葉田聡)(2010年6月1日 読売新聞)

| | コメント (0)

2010年6月 2日 (水)

【Q1】『親鸞(上)』全文ネット無料公開を知っていましたか?

  ・はい…28% ・いいえ…72%(講談社『BOOK倶楽部メール』 2010年6月1日号)
【Q2】『親鸞(上)』全文ネット無料公開を一部でもご覧になりましたか?
  ・はい…11% ・いいえ…89%
【Q3】小説のネットでの全文公開についてどう思いますか?
  ・増やしてほしい…29%
  ・現状程度でよい…37%
  ・増やす必要はない…19%
  ・公開する必要はない…9%
  ・その他…6%
【Q4】ネットで公開してほしい作品は?
  “絶版書籍”が最も多く、具体的な作品名は回答者の数くらいあったかも。
  「1Q84」「小暮写眞館」あたりが目立ったでしょうか…。
【Q5】2010年上半期の読書量について
  ・予定よりかなり多い…6%
  ・予定より少し多め…18%
  ・ほぼ予定通り…28%
  ・予定より少し少なめ…32%
  ・予定よりかなり少ない…15%

| | コメント (0)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »