「文芸月評」6月(読売新聞)「なじめぬ自分」が軋む(文化部 待田晋哉)
《対象作品》大江麻衣氏(26)詩編「昭和以降に恋愛はない」(新潮)/大道珠貴氏(44)「身重で身軽」(文学界)/藤野千夜(ちや)氏(48)連作短編「願い」(群像)/島田雅彦氏(49)悪貨』(講談社)/村上春樹氏(61)『1Q84』(新潮社)/古川日出男氏(43)「冬」(新潮)。
大江麻衣氏(26)というほぼ無名の詩人の詩編「昭和以降に恋愛はない」が、「新潮」に掲載されている。中原中也賞の候補作で、選考委員の高橋源一郎氏(59)が簡易投稿サイト「ツイッター」で激賞するのを見た編集者が、転載した。
<昭和以降に恋愛はない、街はいつでもばかみたいにセックスにしかみえない男子女子が連れ立って歩く、みんな死なないといけない>
いかにも現代風の冗舌な一編は、古くから文学が主題としてきた他者との「軋(きし)み」を叫んでいる。
大道珠貴氏(44)「身重で身軽」(文学界)は、独身で人嫌いを公言する物書きが主人公。だが、40代半ばに差し掛かり、肩ひじ張って生きる気力は薄れ気味だ。
「身重」にも「身軽」にも生きられない。四十女の中ぶらりんな心境をあえて軽く語ることで、突き放す。軟体ゆえにかみ切れない夏の酢ダコのごとき小説はかめば、かむほど、味がしみ出てくる。
藤野千夜(ちや)氏(48)の連作短編「願い」(群像)が完結した。不倫が発覚し職場をやめたOL、元彼女と復縁を願う会社員など、世間の流れに取り残された9人の小さな願いをすくい取る。
中でも、初老の男性を描く昨年11月号の「散骨と密葬」がいい。妹を亡くした彼は葬儀を取り仕切り、式場で多くの親類たちと出会う。49歳で引きこもり気味の長男を筆頭に自分たちの息子3人だけが独身で、孫もなく、ふわふわと暮らす現実を突きつけられるのだ。
詩や小説を書く人間は、大江氏のように世界と自分のずれに軋み、叫ぶところから始める。それらを掘り下げるうち、苦悩はゆっくり浄化され、手ごわさや哀切さなど持ち味が生まれていく。10年以上のキャリアを持つ二人の小説は、それぞれに成熟していた。
文芸誌「海燕(かいえん)」「文芸」の編集長を歴任し、3月に死去した寺田博氏をしのぶ会が9日開かれた。多くの作家があいさつし、島田雅彦氏(49)は「『寺田組』の一員として彼のダンディズムを受け継ぎたい」と語った。デビュー以来、27年交流した編集者の死に思うこともあるだろう。書き下ろし長編『悪貨』(講談社)は、客気のある問題作だ。
思えば村上春樹氏(61)の小説『1Q84』(新潮社)でも、コミューンは重要な鍵を握った。巨額の財政赤字と政治不信で「国家」の衰弱が言われる現在だが、冷戦終結以前のように社会主義の夢も見られない。息苦しい現体制の代替物の可能性を求めて、作家たちの想像力は、共同体的な世界へ向かっている。
そのほか、古川日出男氏(43)「冬」(新潮)は、身寄りのない犬を連れた少年が関西を旅する。汚れを知らない裸の目が、見知らぬ土地と出合う姿はスリリングだ。(2010年6月22日 読売新聞)
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