「文芸思潮」と同人誌「風の森」11号2010年1月(東京)のことなど
雑誌「文芸思潮」2010初夏号(アジア文化社)の同人雑誌紹介によると、「風の森」という誌名は、新宿ゴールデン街の酒場の名前だったそうで、そこに通ったアーティストたちの同人雑誌だという。書き手は60歳代のひとたち。いずれも独自の文体を持っている。
余談だが「文芸思潮」2010初夏号には、古井由吉氏のインタビュー。それから、長編小説「天の川炎上」(三神弘・著)。この小説は、地域色豊かで土俗的な文体で、統一感をもって駆使。力作で抜群の面白さである。こんな個性的な文体をもってみたいと、文体なし体質の自分にも、うらやましいものがある。
【「<アジア>という迷妄―見果てぬ夢の暗渠」皆川勤】
日本という名称が、中国を意識して東の「日出る処」という発想があるとする網野善彦の見解から話がはじまる。そこから、鳩山政権のアジア共同体的な国家力の拡張としてのネットワーク構想に違和感と拒否の論を展開する。哲学者の西田幾多郎が<大東亜共栄圏>の起草原案に関わっていたことを記している。
自分もアジア的なものとは、同地域分類に過ぎず、それは寄稿風土が相似的であること以外に、なにか精神的な同質性を強調する政治性には強い違和感をもつ。同感の部分がある。
こういうことを言い出すと、きりがないが、地球上には乾燥地帯と湿潤な地帯とがあり、そこに住む人間がそれぞれの風土に適応して生きなければならない。同地域で連携するのは国の利害関係が一致した時だけであろう。また、日本の位置を地図で中国側を手元にして見ると、中国の「美国」(アメリカ)へ向う太平洋への拡大意欲を、日本列島がさえぎっているのがわかる。日本は、近代の侵略国で、「目の上のたんこぶ」という存在であろう。
それはともかく、新聞メディアがその役割りを放棄し、変調したものになった現在、こうした論が同人誌に存在するのは、意義があるように思う。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)
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