雑誌「季刊文科」48号(鳥影社)から
以前、自分がいつも面白く読んでいたのは、寺田博「文芸編集覚え書き」であった。雑誌の小説というものは、編集者が事情で選ぶから読まれるのであって、どんなに著名な作家でも編集者に選ばれて作家として有名になったのである。48号では、松本徹氏が追悼文を寄せている。作家はごろごろいるが、編集者は雑誌の数しかいない。良い編集者がいないと良い作家も生まれないと思わせる。今は高橋一清氏の連載が面白い。情熱がある。「作家魂 庄野潤三」とか、平野謙などが面白かった。
平野謙といっても今の人たちにはわからないであろうが、文芸評論家の大家であった人だ。自分は、学生時代に、早稲田の文学部の友人と音羽町で蕎麦屋にはいったら、奥の席に初老の男が独りで、ぽつねんと食事をしていた。すると友人が「おい、あれが平野謙だよ」とわき腹をつついて教えてくれた。「あ、そう。野間宏の解説を書いていたね」といっただけで、とくになんとも思わなかったが(経済学部だったので)、学生に顔をまでよく知られていたのだ。
庄野潤三は「静物」というのを読んで印象に残っているが、中流庶民の日常生活を神話的に書く技術はすごいな、と思っていた。48号は先日亡くなった「立松和平」である。作家の修業時代に結婚する女性は偉いな、と思う。
それから松本道介「視点」はいつも読む。自分は外国語を真剣に学んだことがないから、日本人らしい日本人が外国語を習熟した上での発想はどんなものか、と興味をもって読む。私は、ドイツ語は資本論にある記号しか知らない。哲学的な問題もやさしく説いてくれるので、七割は素直に学ぶし、1割は驚きの示唆を受け、2割は、そうなんですか、よくわからない、と思う。
48号では「戦争は選べるのか」というタイトルで、加藤陽子「それでも日本は『戦争』を選んだ」について論じている。学ぶところと同感に思うところといろいろな感慨がある。この問題は時代の空気を読む力がどれだけあるかによって、判断が異なる。ただ、現在の日米安保条約を解消しないことを疑問に思わずに、戦争というものを論じることに違和感を覚える。
心身とも独立して世界の荒波を乗り切ることを普通に思わない。米国と援助交際しながら平和を維持することに馴れてしまった精神に世界の空気を読めるとは思えない。
現在の社会の無気力ムードは、国民の独立精神のゆがみから生まれているとしか思えない。我々は、これまでの社会形成のどこかで、失敗しているのだ。
岡本某という外交評論家が、日米安保が20年も30年も続くことを前提にTVで話しているのを見ると、5年たてばひと昔の現代に、どういう歴史観をしているのだと、あきれてしまう。
松本道介氏の同人雑誌評も良かった。文学界で同人雑誌推薦作品になった塚越淑行「三十年後のスプートニク」について不満を述べている。私も、これはこれまでの作者の作品が良かったので、その努力に報いる推薦であったのだろうと思った。折角推薦されたので祝意はあるが、作品はなんとなく、ぼんやりしたものに思えた。(
「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)
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