文芸月評(10年5月25日 読売新聞)新しさを求めて若手が小説のたくらみ
《対象作品》文学界新人賞・穂田川洋山氏(35)「自由高さH」/群像新人賞・浅川継太氏(30)「朝が止まる」/赤染(あかぞめ)晶子氏(35)「乙女の密告」(新潮)/る温又柔(おんゆうじゅう)氏(30)「来福の家」(すばる)/シリン・ネザマフィ氏(30)「拍動」(文学界)/「文学アジア3×2×4」・蘇童(スートン)氏「香草営」(新潮)。
今月は「文学界」「群像」の新人賞の発表があり、各2作の受賞作と優秀作1作の計5作が選ばれ、例年よりにぎやかだった。授賞式のあいさつでは緊張し、言葉に詰まり気味な初々しい受賞者もいた。その姿を眺め、ぼんやり考える。新人作家が真の「新人」である訳はどこにあるのか。(文化部 待田晋哉)
講談社文芸文庫から復刊されたばかりの英文学者、吉田健一の著書『文学の楽しみ』に「新しいということ」と題した文があった。新奇な作品を追い求める態度を否定し、彼は語る。
<我々が新しい文学と言うのは文学ということであり、新しさよりも文学を求めているのでなければならない>
文学界新人賞を受けた穂田川洋山氏(35)「自由高さH」は、題名からして「どういう意味?」と興味をひく。負荷をかけない時のばねの長さを意味する専門用語らしい。
舞台は、マンション街に変貌(へんぼう)しつつある東京・下町だ。ばねを製造していた廃工場という「場」に偶然、生まれた伸びやかな人間関係を描く。取り残されたような建物で週末ごとに木材の柿渋塗りに熱中する会社員、額の端のほくろが色っぽい元彼女、大正生まれで頑固そうな元ばね職人の大家――。
血縁はなく、地縁とも言えない。建設中の東京スカイツリーの名前をめぐり時折、世間話を交わす程度だ。しかし、何気ない会話や出来事ににじむ生の肯定と消えゆく風景への愛惜は最後、物語の世界を心地よく弾ませる。
群像新人賞の浅川継太氏(30)「朝が止まる」は、2度目のアラームが鳴ると現実が夢になるという「二重目覚まし時計」を売るデート商法的な仕事に手を染める女と、彼女の姿にひかれ後を追い続ける男を交互につづった。手の込んだ修辞で、索漠とした時代の空気感をあぶり出す。
穂田川氏は光の側から、浅川氏は影の側から、複雑怪奇な現代の一断面を切り取って、小説に仕立てる模索をしていた。たくらみのある文学が誕生したと言いたい。
一方、次回の芥川賞候補作の選定時期が近づき、4誌に若手8人の作品が掲載されている。2004~09年までに新人賞を受けてデビューした作家たちだ。「新人」対「若手」競作の趣のある中で、赤染(あかぞめ)晶子氏(35)「乙女の密告」(新潮)は抜きんでていた。
主人公は、京都の大学でドイツ語を学ぶ<乙女>たち。「アンネの日記」の一節を読むスピーチ大会に向け、正確な暗唱と発音を求める外国人教師とのやり取りを書き、一見、外国語初学者のドタバタ劇を追う凡庸な一編に映る。
だが、この教師と女学生たちの間に「不潔な噂(うわさ)」が流れ、互いが密告を恐れ、疑心暗鬼に陥るに至って、本作は女学生の恐怖と、第2次世界大戦中のナチスドイツに迫害されたユダヤ人の絶望を重ね合わせる試みだと分かる。
戦争を知らない世代の日本人作家がユダヤ人の悲劇をストレートに表現すれば、作りものになる。設定を工夫し、歴史を自分の問題に引き寄せようとする姿勢が真摯(しんし)だった。
また、台湾人の両親を持ち、日本で育った女性が登場する温又柔(おんゆうじゅう)氏(30)「来福の家」(すばる)は、アイデンティティーを主題にして湿っぽくならない向日性がある。イラン出身のシリン・ネザマフィ氏(30)「拍動」(文学界)は、日本で交通事故に遭ったアラブ人の通訳の少なさや遺族の心のケアを扱い、題材が目を引いた。
ユニークな企画を連発する「新潮」が新たに「文学アジア3×2×4」を始めた。日中韓3か国の文芸誌が2年間で4回、共通の主題で各国2人ずつ小説6作を同時掲載する。今回は「都市」がテーマだ。
掲載作からは、日本、韓国、中国の順で「経済的に豊かになるにつれ、人間関係が希薄になる法則」が読み取れる。小説が面白いのは、やはり濃密な方だ。1963年生まれの中国作家、蘇童(スートン)氏「香草営」は、不倫する医師が密会用の部屋を借りようとしたものの、住宅事情の悪さから下層市民と思わぬつながりができる。煩わしい出来事を飄逸(ひょういつ)さを交えて描く味のある作風は、近頃の日本ではあまり見かけない。(文化部 待田晋哉)
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