詩の紹介 「空洞の鞄」清水正吾
空洞の鞄 清水正吾
妻の鞄を捨てる/廃棄する手続きに/市役所の310円券を買う
巨きな銀色の旅行鞄は空輸を繰り返し/古びて傷んでいる
鞄には十日分の着替えが詰め込まれ/ベルトでかたく締め付ける
カートで空港を引き回し/金属の刃 薬物点検のゲートを通過する
着陸するたびに馬蹄形に流れるベルトから/鞄を引き取る/目印にと
結んだ朱色の手巾は/無防備にもぎ取られていた
国境のスタンプがぎっしり捺印された/二冊のパスポート
妻の鞄は危険情報の空を旅して/入国不可の国を巡り鞄だけ戻ってきた
三冊目の十年有効のパスポートは/白紙のまま
妻は逝った/あれから十年になる
空洞になった妻の鞄を捨てる/閉じた口金の蓋を/ぱっくり開けて見る/すべすべした布切れの内ポケットに/小さく光るカギと
凍りつく手首/妻が写る楕円形の手鏡が在った
<紹介者・「詩人回廊」江素瑛>
「妻は逝った/ あれから十年になる」「 入国不可の国を巡り鞄だけ戻ってきた」
妻が逝って行ってしまった国は、鞄が入国不能なので、戻ってきた。鞄から記憶の時間を一段また一段と汲みだす。空洞になった妻の鞄に、一緒に旅をする情景、深い思い出が満ちている。
詩誌「幻竜」11号より(2010年3月 川口市・幻竜舎)
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