文芸月評(読売新聞2010年4月27日) 自己実現の場失った鬱屈(文化部 待田晋哉)
《対象作品》村上春樹氏(61)『1Q84』BOOK3(新潮社)/中森明夫氏(50)「アナーキー・イン・ザ・JP」(新潮)/松井周氏(37)「そのかわり」(すばる)/喜多ふあり氏(29)「望みの彼方」(群像)/柴崎友香氏(36)長編「寝ても覚めても」(文芸)。
東京・渋谷の「TSUTAYA」で16日未明、村上春樹氏(61)『1Q84』BOOK3(新潮社)の発売を取材した。若者の集まる店は本よりDVDやCDのフロアが混雑し、向かいのビルに歌手、浜崎あゆみの巨大広告があった。電子書籍が広まり始め、本の将来がよく見えない時代だ。紙の側に立つ作家として、若者向けエンターテインメントとしても成立する作品を意識したのではないか。
BOOK2の終盤で、宗教教団リーダーを殺害して追い詰められ、拳銃を口に突っ込んだはずの<青豆>は、実は生きていた。まるで人気女優が主演する大ヒット映画の続編のような展開だ。
前2巻まで、<青豆>ともう一人の主役<天吾>の章を交互に繰り返した物語は、BOOK3に入り、教団から派遣された中年探偵<牛河>の章から始まる。探索の過程で彼が過去の内容を説明しながら進むのも、前作を見なくてもストーリーが分かるシリーズ映画の手法を連想させた。
中森明夫氏(50)「アナーキー・イン・ザ・JP」(新潮)は強烈な長編だった。17歳のにわかパンク・ロック少年に、関東大震災の混乱の最中に虐殺された無政府主義者、大杉栄(1885~1923年)の霊が住み着くのだから。
躍動する大杉を一層まぶしく見せるのは、現代に広がる鬱屈(うっくつ)の気分である。不景気なのか、人間の絆(きずな)が薄れたためなのか。若手作家の小説には、自己実現の場を社会で見つけられず悶々(もんもん)とする青年の姿を描くものが目立つ。
30歳を機に「新しい気持ち」になろうとして挫折する会社員を描くのは、松井周氏(37)「そのかわり」(すばる)。喜多ふあり氏(29)「望みの彼方」(群像)は、細々と小説を書く29歳が主人公だ。英会話学校の外国人講師を殺害し逃亡生活を送る男に自分を重ねてスリルを感じ、自分が「無」でないことを確かめようとする姿が切実である。
柴崎友香氏(36)が、長編「寝ても覚めても」(文芸)を発表した。1999年に22歳だった女性の10年に及ぶ恋愛の軌跡を追う。この間、デジタルカメラやカメラつき携帯電話などの普及で、恋人の顔の映像を簡単に複製できる世の中が到来した。この現象が、直接会う喜びをどう変化させるか。
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