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2010年3月18日 (木)

<詩の紹介>  「童」  坪井勝男

童   坪井勝男

鼻腔をくすぐる焦げた砂糖の匂い 綿菓子屋の前で老人の足は止まる 彼の「童」が騒ぎだしたのだ (ねえ あの綿菓子を買っておくれよ) おいぼれの着ぐるみを纏ってはいるが まだ幼いものも棲んでいる 孫にせがまれて とでも言う風に手に一つ 雑踏のなかで舐めるには勇気がいる。

 職人が回転体に一握りのザラメ糖を放り込む と 熱風が真綿のようなものを吹き上げる 割り箸で それを手際よく掬いながら アセチレン灯の臭い 金魚すくいの歓声 女の子の木履の音など みな絡めて綿飴は膨くらんでいく 奉祝・紀元二千六百年の歌が流れていた  

その「時」は確実に刻まれていた 慎ましく暮らしていたこの下町の人達を 
囲い込み 舐め尽くした紅蓮の炎 昭和二十年三月一○日未明の東京大空襲 
爆風と炎の中で死体を跨いで生き延びた記憶 死者は十万人とも

あの頃と同じようにぽっかり浮かんだ白い雲 惨劇から六十有余年の春 綿菓
子を 味わってみる 口ごもりながら「童」は問いかける

<紹介者「詩人回廊」江素瑛>
 記憶は生まれてから始まるという。いや、赤ん坊は胎内にいる時、羊水の記
憶はすでに脳のどこかに棲みついてあるだろうか。
楽しい「時」も苦しい「時」も、幼児の記憶は人の一生と仲良く添い歩く。 歳をとるにつれて暈けた現実の世界に、幼時の経験が鮮明になり、「童」が騒ぎだす時がひんぱんになる。
肉体は衰え、力が失せつつ、友人が消えつつ、寂しい老年にとっては、「童」は無くしてはならない、大事な存在である。この小さな分身「童」が、時には人を慰め、時には意地悪、人を惑せる。多くの民衆の喜怒哀楽が継承されて奉祝・紀元二千六百年の歌が流れているのか。

<詩誌「岩礁」142号より2010 春 三島市   岩礁の会>

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