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2010年2月 4日 (木)

【読売文学賞の人びと】(1)小説賞「太陽を曳く馬」 高村薫さん(56)

 15年前の1月17日、激しい揺れを感じたのは、大阪の自宅のベッドでだった。炎に包まれた神戸を映すテレビ、鳴りやまない救急車の音、6400人が亡くなった現実――。
 「人間が言葉を積み重ね、築き上げた社会が、大震災によって一瞬で瓦解する。言葉で何かを形にすることに意味なんてあるのか」
 漠然と持っていた言葉への信頼が壊れた。2か月後、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きる。
 荒涼とした心境が、浜風の吹きすさぶ海辺の光景を引き寄せた。1997年から津軽に根ざす福澤家の物語へ挑み、戦中戦後を描く『晴子情歌』、80年代の保守政治を追う『新リア王』。いつしか4世代をまたぐ話に膨らみ、三部作を締める本作で賞を射止めた。
 「この12年、五里霧中でした」。本棚が並ぶ自宅の応接室で、静かに喜びをにじませる。
 受賞作は、9・11米同時テロ発生直後の2001年の東京が舞台だ。絵に執着する福澤家の末裔(まつえい)が、同棲(どうせい)中の女性や隣人を突然殺害した事件と、元オウム真理教信者でてんかんの持病を持つ若者が、禅寺で修行中に起こした事故を核に進む。
 一見、理解不能な事件を直木賞受賞作『マークスの山』に登場した合田雄一郎刑事が捜査する。道元の仏書『正法眼蔵』を踏まえた難解な宗教論や美術論を戦わせ、中でも、オウム真理教について僧侶や合田が延々と議論する場面は、作家が登場人物に乗り移って教義を論破せんばかりだ。
 「圧倒的な迫力」「冗長で退屈」――。選考会の評価は割れた。
 「読者に伝わるか葛藤(かっとう)はあった。世間には二つの事件のように、法律や宗教、哲学の専門家でも、意味や背景を的確に言い表せない出来事がある。様々な分野の言葉から漏れ落ちてしまう現にある出来事に、小説の言葉で迫りたかった」
 阪神大震災で崩れた自身の言葉への信頼を取り戻すため、一語一語を積み上げ、高い物語を築くことが作家として必要だった。
 <私たちの生命は、どんなときも生きよ、といふのです>
 「ぐちゃぐちゃ言わずに生きればよい。三部作を書き終え、ようやく楽天的な場所に来ることができた気がします。人間は生きていることの意味を問い続けることで、人であり続ける。問い、書き、新しいことを始める衝動から私は、死ぬまで逃れられない」
 自宅には猫が3匹。2階の書斎で執筆を続けると1階の猫が寂しがり、階段を時々降りてはパソコンに向かう。(待田晋哉)(10年2月2日 読売新聞)

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