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2010年1月28日 (木)

<文学1月>(読売新聞文化部 山内則史記者)

 芥川賞は、今世紀に入って初めて「該当作なし」に終わった。第142回で31度目の「なし」だから、驚くべきはむしろ前回までの20回、受賞作が連続したことの方なのかもしれない。選考後の記者会見で池澤夏樹委員は、議論中の発言を紹介した。「小説とは、作者が何かを偏愛するその偏愛が核にあって、その話が書きたいという意欲があって、そこから生まれてくるものではないか」。2002年『王国 その1 アンドロメダ・ハイツ』(新潮社)に始まり、「アナザー・ワールド 王国その4」(新潮)で今月完結したよしもとばなな氏(45)の長編には、偏愛の核がある。
 占い師・楓(かえで)と彼のアシスタントの女性・雫石(しずくいし)、楓と同性愛で結ばれた片岡。不思議な三角関係を中心に、雫石=〈私〉の視点から語られてきた『王国 その3 ひみつの花園』(同)までの3作と違い、「その4」で語り手〈私〉は、雫石の娘ノニに代わっている。今は亡き〈パパ〉楓、法律上の〈パパ2〉片岡、〈ママ〉雫石の3人に育てられ、〈石を扱う魔法〉を持つノニは、〈パパ〉との思い出の地、ミコノス島をひとり訪れ、妻を交通事故で亡くしたキノと出会い、新しい世界の扉を開く。
 ゆるやかに結ばれた家族の紐帯(ちゅうたい)は語り手が世代交代しても寛容で心地よい。登場人物たちは、社会が強いる価値観に自分を無理に合わせれば、本然的にあった感覚や人間の時間は失われ、自然の流れを見過ごしてしまうことを知っている。「効率」が幅をきかせる現代に、ゆっくり歩くからこそ見えるものを感受して生きる彼らは、なおさら自由で魅力的に映る。
 よしもと作品の人びとは、意識するしないにかかわらず、善く生きたいと願う。個の命が絶えても受け継がれていくもの、魂と世界の成り立ちを包み込む柔らかでつよい希望の物語に、作家が繰り返し書いてきたテーマの集成を感じた。
 すばる文学賞で昨秋デビューした木村友祐氏(39)の受賞第一作「幸福な水夫」(すばる)にも、書くことの核がある。東京で小劇団を率い芝居を書き続けるものの芽が出ず、妻の収入頼みの40目前の男が、夢に見切りをつけ、職人養成の学校に入る金を借りようと八戸の実家に帰省する。3年前の脳梗塞(こうそく)で今は車いす生活をする73歳の父の希望で、家業の製粉・製麺(めん)業を継いだ兄と3人、下北の温泉へ1泊2日の小旅行に車で出かける。泊まった温泉旅館には、父の〈色っぽい過去〉があった――。
 下北半島を北上する途中には、高度経済成長期の夢の残骸(ざんがい)のような「むつ小川原開発区域」の看板があり、原発のPR館があり、立ち寄った恐山は妙に観光化されている。父子3人が交わす南部方言のリズムが、道中のおかしみとかなしみを加速する。山場は旅館内のスナックで、開発に来ているらしい都会の連中と父子が衝突する場面。カラオケで父が歌おうとする演歌は、地方の人間を食い物にして恥じない者たちへの怨歌(えんか)の響きを帯びる。息子たちに言わせれば自分の思いを全部曲げて〈つぐづぐ、あぎらめの人生〉を送ってきた父にも、忘れ得ぬ記憶があり、抑えてきた怒りがあり、誇りがあった。そこを見つめる作家の眼が光っている。
 赤坂真理氏(45)の新連載「東京プリズン」(文芸春号)の出発点にあるのは〈私の家には、何か隠されたことがある〉という予感。中学卒業後、海外に出ることを強いられた〈私〉のアメリカ体験、敗戦後の東京裁判の際に資料の下訳をしていたという母の過去をたぐりよせていく。時間を自在に飛び越える叙述はダイナミックで、日米の歴史の流れの中で家族の秘密の核心へ分け入っていこうとするスケールがある。今後の展開を大いに期待させる始まりだ。
 島本理生氏(26)「あられもない祈り」(同)は、暴力的なミュージシャンと不安定な生活をする〈私〉が、妻ある男と再会し、心揺れ動く様を少女時代の記憶を織り込んで生々しく描く。その男を〈あなた〉と呼びかけるように書くことから生まれる緊迫感が、題材をよく生かしていた。(文化部 山内則史)(10年1月26日 読売新聞)

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