詩の紹介 「高雄の空」秋山泰則
(紹介者「詩人回廊」江 素瑛)
「なぜ戦争を止めないのか」と問いかけると、「国家があるから」と答えるしかない。
いろんな国々といろんな人間。兄弟が喧嘩するのと、世界の国家が喧嘩するのとどう違うのか。違う個体が騒ぎ、それに国家がのりだすと戦争になる。国家は国民の貪欲と憎しみを引っ張りだし、武器を造り、武器の実験台になる戦争を起こす。国家は戦争を戦争で抑える。国民の間には、恨みの溝が深まり、また国家の戦争を呼ぶ。世界が一つの国になれば、一心同体、夢のような時が来られるように祈りたい。高雄の空が世界人類の空であるように。これからも国家戦闘機の交戦する空ではなく、旅客機の飛んでいる空であるように。
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「高雄の空」 秋山泰則
耕一さんは高雄の上空でなくなった/小さな木の箱の中で石になって帰ってきた/おじさんもおばさんも二人の弟も/親戚中の大人も子供も泣いた/葬列の白い幟が風で揚ったとき/「耕ちゃんの襟巻きみたい」と言う声がした/おじさんは何も書いてない白い幟を竿からはずして丁寧に畳み/シャツのボタンを外して胸にしまった/その間 葬式の列は道端に止まり/提灯行列で興奮したことを/ラジオの臨時二ュースに沸き立ったことを/新聞やラジオより先にみんなで戦争を喜んでいたことを悔やんだ/あれから何十年か生きておじさんが/次におばさんがなくなった/また何十年かして耕一さんの二人の弟もなくなった/耕一さんがいた頃の家族はみんないなくなった
おじさん達が行けなかった台湾の空へぼくは行った/耕一さんが果てたという高雄の空は大都市の上にあった/横に流れた白い雲 その端で光ったものを見て風防がと思い/旋回する翼かと思った時に/僕は心の中に平和がないことを知った/戦争が無いことが平和なのではなく/平和は戦争をさせない人間の心にあることを知った
(秋山泰則詩集 「遠い遺言」より 09年7月 長野県 松本詩人会)
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