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2010年1月 8日 (金)

浅田次郎さん、小説『ハッピー・リタイアメント』刊行 

 浅田次郎さんが、現代を舞台にした長編小説としては7年ぶりの『ハッピー・リタイアメント』(幻冬舎)を出した。債権保証機関に天下った男二人が、ある企(たくら)みを極秘裏に進める姿をユーモアたっぷりに描くが、ただの“お笑い”には終わらせず、人はどう生きるべきか、なぜ天下りが起きるのかにまで踏み込む。言うなれば、浅田流幸福論・社会論である。(村田雅幸)
 “泣かせの浅田”という印象が強いが、「僕は、本当はお笑いなんです」と言う。「『鉄道員』が直木賞を受賞したために道を踏み惑い、シリアスな小説を書くようになってしまった」と、今作は確かに、初期の『きんぴか』『プリズンホテル』のように、コミカルな要素をふんだんに盛り込みながら進んでいく。
 主人公は、ノンキャリアの財務官僚だった樋口と、愚直さだけが取りえの元自衛官・大友。共に55歳で「JAMS」なる組織の整理部に再就職したが、その部署は、さまざまな団体からの天下りの受け皿だった。与えられた仕事は、時効を迎えた債権の回収。つまり、踏み倒され、法的には返す必要のなくなった金を集める役目だが、実際に取り立てればトラブルになりかねないと、他の誰も何もせず、ただ高給をはんでいる。少しの呵責(かしゃく)も感じることなく、金があることが最高の幸せだと信じて。
 「日本人が従来持っていた幸福感が失われつつあるのではないか」。今作をしたためた背景には、そんな思いがあるという。そういえば、かつてよく耳にした「成り金」という言葉は、気づけば、セレブという言葉にすり替わっている。「そこには、さげすみがない。だから、違和感があるんだ」
 その違和感を託したのが、オヤジギャグを連発する樋口と大友という存在だった。二人には、働かなくていいということがしっくりこない。それに気づいた秘書の立花女史が誘う。〈ねえ、仕事しましょうか〉。二人は回収に挑み、まれに成功する。道義的責任を感じて支払う男、過去の記憶から逃げたくて返済する女。金が集まり出すと立花は「幸福な退職」実現のため、大胆な計画を二人に持ちかける。果たしてその計画とは?
 「年を取ったらさっさと仕事を辞め、遊ぶことですよ。遊びが文化を育む」。そう言うと浅田さんは、江戸時代に日本地図を作った伊能忠敬を例に挙げた。忠敬は50歳で隠居、地図を作り始めたのは、樋口らと同じ50代半ばだった。
 「人生とはヒューマンアビリティーの発見の旅なんだ。自分の可能性をどれだけ発掘できるかという。何かを始めるのは、若ければいいというものでもない。年を取った人には経験がある。僕もデビューは40歳と遅かったが、実はそれがよかったんだと思う」
 さて、この小説にはもう一つ、気になる部分がある。プロローグに書かれた、債権保証機関の男の訪問を受けた作家が、すでに時効になった30年前の借金を返済する羽目に陥るエピソード。作家の名は〈浅田次郎〉。著者一流のユーモアかと思いきや、「実話なんだよ。でもさ、借金を取りに来たヤツはその後すぐ、定年で辞めてるんだ。怪しいだろ。だまされたのかもしれない。じゃあ、小説にして元を取り返そうと思ったんだ」。
 
あさだ・じろう 1951年、東京都生まれ。自衛隊除隊後、ブティック経営などを経て作家デビュー。2000年、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、08年、『中原の虹』で吉川英治文学賞。(10年1月4日 読売新聞)

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