詩の紹介 <山椒魚>後日譚 原 満三寿
(紹介者「詩人回廊」江素瑛)
否応なしに情報が氾濫し侵入する。山椒魚が悲しむ。長年にわたる憂鬱、退屈しながらも安住する岩屋が破壊されるから。解決策として、一つは、余計な欲望を抑え「知足常楽」、満足を知ること。もう一つは、時々聾盲になり、情報を拒否すること、である。しかし、鎖国が開放された昔の中国、日本はもとより、今のイラクなど、国民の本意に選らない他国の干渉で、本来どうあるべきかを知らずに、現状肯定をしていくのは、神の意志でもあるのだろうか。
<山椒魚>後日譚 原 満三寿
山椒魚は悲しんだ/とつぜん解放されることになったからだ/彼をながねん閉じ込めていた岩屋の出口が/とつぜんぐらぐらくずれ/ぽっかり大きく開かれたのだ//彼は棲家としていた岩屋で二年もの間/無為に過ごしているうちに躯が大きくなってしまって/気づくと頭が出入り口につかえて出られなくなったのだった/必死で出ようといろいろ試みたが/すべて徒労だった/彼はおのれの迂闊さを悔い/愚かさをののしった/しばらくは呆然とするばかりだったが/やがて ながねん幽閉された囚人のように/悲嘆と孤独をうけいれ/停滯の澱む岩屋の日月になれていった//
彼は幽閉の窓と化した出口から外をながめた/そこには いまや彼と隔絶した風景がひろがり/驚くばかりに生き生きとした春秋があった
(中略)
(ところが、そこで大蛙があらわれ山椒魚の岩屋の出口を壊してしまったのだ)
山椒魚は大蛙に感謝するどころか/なぜか彼は悲しいのだった/壊れた出口からは目が眩むほどの日光が/どっと岩屋にはいり込んだ/かつて渇望した外界か目の前にあった/万緑の風の濃い匂いが/ついに幽閉から解放されたことをつげていた/だが彼は とつぜん実現した開放には/とまどうばかりだった/幽閉されていた窓からは/外界は望遠鏡をのぞくように仔細見えたのだが/すべてが開かれてしまうと/まばゆいばかりの光に幻惑されて/ものの焦点のあわせように困じた/目がなれると/見える世界もその奥にある見えない世界も/にわかに恐ろしい気がしだした/そこは未知の楽しみがひろがる楽土などではなく/生存競争にぞめく不条理が匿されているようにおもわれた//
のである。
(中略)
「いま あんたの躯は 自由な世界に飛びだしたい自分と なれた岩屋にぬくぬくと安住しつづけたい自分とで 引き裂かれているんだよ なんせあんたは半裂(はんざき)ともいうらしいからね/大蛙はもっともらしく解説してみせ うすく嗤っても/いまや彼には/大蛙に反発して岩屋を出る気力も体力も/懶(もうろく)く萎えて残ってはいないようにおもわれた/失われた歳月に/いつしか 萎え老いた躯になってしまっていることに/彼は兀然(こつぜん)として気がついた/ぶるぶるっと跼(せぐくま)って身悶えした/すると 岩屋に堆積していた泥が/ながねんにわたって降り積もった彼自身の臭気と澱(おり)とともに/はげしく舞いあがった/「我は濁れる水に宿らん」/という遠くから湧きあがる心の声を彼は聴いた
詩誌「騒」第79号より 2009年 9月 騒の会 町田市
(どんなに広大な地球でも、「我は濁れる水に宿らん」としてしまう人間の迷いの心。阿弥陀様の御心だけが救いをもたらすのか)
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投稿: | 2017年5月12日 (金) 07時04分