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2009年11月25日 (水)

文芸時評<文学11月>(読売新聞)

薄れる境界にこそ本質/「老と若」、「東京と地方」(文化部 山内則史)
 「老い」をみずみずしい目でとらえ、新境地を拓(ひら)いた黒井千次氏(77)が「高く手を振る日」(新潮)を書いている。生と、時間と、男女について、老境から問いかける今月一番の力作だ。
 妻に先立たれ、一人暮らしの浩平には〈行き止りの感覚〉がある。人生は残り少なく、後に残るものを、自分が消え去る前に始末したい。折しも娘の夫の同僚の母親が、自分に会いたがっていると聞く。重子というその女性は、大学で浩平、亡妻と同じゼミにいた同期。学生時代のある出来事を封印してきた浩平は、すでに伴侶もなく70を過ぎた重子に再会し、思いを再燃させる。重子の勧めで携帯電話を持ち、〈じっと まって います〉と平仮名だけのメールを送る。
 行き止まりから引き返し、過去へと時間を遡(さかのぼ)る浩平と、〈生きている途中で終りが来る。(中略)全部途中なんだ〉と考える重子。2人の軌跡が交錯する経緯には、愚かしい執着と表裏一体の、限りある生の厳粛な重さがある。〈正体の掴(つか)めぬものが身の内に蠢(うごめ)く〉のを見つめる作家の、沈着で温かい視線を感じる。
 アンチ・エージングで老いは先延ばしされ、「老」と「若」の境界があいまいになった風潮も踏まえて、本作は書かれただろう。一方、かつて厳然とあった「東京」と「地方」という二項対立の構図もあいまいになった。最近目につく地方を舞台にした小説は、そのぼんやりとした境目から書かれている。
 羽田圭介氏(24)「ミート・ザ・ビート」(文学界)で描かれるのは、在来線に1時間も乗れば東京圏という北関東の都市。叔父の家に居候して予備校に通う19歳の浪人生が、地元の若者たちと車を通して親しくなる。この地の若者にとって車は単なる「足」ではない。好みの仕様に改造したり、5人家族で車6台という家があったり。田んぼがあり、道路があり、家が点在し、そこを車が往来する広漠とした風景。車にかける若者たちの自由な生態が小説に書かれたことは、あまりなかったのではないか。新鮮な視点だ。
 広小路尚祈氏(37)「のうのうライフ」(すばる)も地方色豊かな作品。輸入車販売の営業マンをクビになった〈おれ〉は、祖母が心臓病で入院し放置されたままの畑の世話を買って出る。少年のころ毎夏2週間を過ごした祖母の家は〈町村合併で面積がやたらと広がったこの町の端の、元々は隣村だった山の中〉。雑草を刈り、猿を駆除し、快い筋肉疲労に包まれて眠る生活に充足する。車を売った顧客であり交際中の彼女が持つ都市的価値観と、〈農〉の豊かさの間で揺れ動く〈おれ〉。〈山と町の境目〉という設定が、その苦悩を滑稽(こっけい)かつ切実に際立たせた。
 住んでいる山口県下関市を作品に書き続ける田中慎弥氏(36)は、「実験」(新潮)でも地元を書いている。文芸誌の新人賞を受けて4年、〈私〉は編集者に「東京で仕事をされるおつもりは?」と電話で問われ、この地で書き続ける意味を模索している。2歳下の幼なじみがうつの診断を受け、請われて会いに行った〈私〉は、彼のことを小説に書こうという下心から〈四肢を固定した鼠(ねずみ)に通電する気分で〉うつには毒になる言葉を浴びせ、観察する。外から聞こえて来る選挙演説の声に吉田松陰や高杉晋作の名がまじる地での、苦いユーモアに満ちた小さなドラマだ。
 文学界新人賞の奥田真理子氏(37)「ディヴィジョン」(文学界)も、関西の濃密な匂(にお)いをたたえた1編。この秋の新人賞受賞作にも、地方を書いた作品が目立った。中央から押し寄せる均一化の波。その波打ち際の中間的な場所で、本質的な何かが露呈する――作家たちは、そこを見ようとしているのではないか。
 別れた女の記憶を去来させつつ、男が黙々と別荘に茂った雑草を刈る藤沢周氏(50)「草屈(くさかまり)」(新潮)、40を過ぎて子どもに恵まれない夫婦の静かな日常を切り取った青山真治氏(45)「ネフェルティティと亀」(すばる)は、ともに短編の切れ味を感じさせた。(09年11月24日 読売新聞)

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