文芸同人「長崎の会」第4号(東京・町田市)(2)
【「新天地」野江乃絵】
東京に通勤していた野江という人が、富山に転勤。そこで退職して、再就職したら、職場が富山であった、という富山県との縁の話。野江という人が作者であったとしても、自己紹介程度で、私小説にはまだ距離がある。今後に期待。
【「老人の町」赤木保】
高齢化社会で活気のない町に、祭りで地域振興をしようと若者が交渉をしてくるのを、老人たちが受け入れる話。祭りのテーマをこなして、小説にしている。本当に軽いライトノベル。
以上、ざっと読ませてもらったが、すでに爺さまとなった筆者とは、価値観が違うので、見当はずれな紹介かもしれないのう。ただ、表現ということについては、絵、音楽、コミック、小説も同じところがある。たとえば、白い紙にA点からB点まで横に線を直線で引く。これは線を描いただけ。日記は直線的で、書き始めに悲しんでいたものが、終わりでは笑っていた、という変化はないのが普通。これは小説とは言えない。(小説がなんであるかを議論しない同人誌には時々こういう作文があるのじゃ。誰も文句をいわないからかまわないけれどなあ)。
こんどはA点からB点まで、上下に波打って線を引いたとする。すると、なにか変化あって洒落た感じがする。表現的である。さらにそこに縦線をいれるともっと複雑な線の組み合わせができる。それがただの線から、その人の引き方の違いで表現になっていくということだと思う。爺さんは、これが散文や小説の要素とみるわけじゃ。
さらに爺さんのぼやきとしては、テーマの「祭り」の意味がわからなかった。はこのメンバーであるなら、ドラマチックな書き方をしようとか、静的な描写を重点にとか、編集内部で決まりをもうけて、出来てからそれを検証するのが同人誌のありかたのように思えるのじゃよ。小説は自由に書けばよいなどと、人から言われて本気にしてはいかんのじゃよ。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)
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コメント
良いご意見ありがとう。たしかに。おっしゃる通りだと思います。
まあ、爺さま相手には、7分の本気、三分の遊び心が必要じゃよ。たかが文芸の遊び、男の勝負をかけるほどのものではないのでの。わしは、一度は寝てもさめても小説のことだけを考えてやってみたいと、思いながら一度もそうしたことがない。やっぱりその日暮らしが性にあっているらしいのじゃ。だからろくな小説ができなていない。
みなさんの、今後の精進を期待しております。
投稿: 鶴樹 | 2009年11月 6日 (金) 07時54分
批評を頂きありがとうございます。
しかしながら、最後のぼやきはいただけないですね。
小説になりきっていない作品がいくつかあったと言いたいのでしょうが、それは合評会で確認して次を書けばよいことと思っております。
同人誌のあり方も結構ですが、編集についてまで口出しをされる筋合いはありません。
投稿: akita | 2009年11月 6日 (金) 07時05分