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2009年11月30日 (月)

文芸時評<文学12月号>(産経新聞09.11.29)早稲田大学教授・石原千秋氏

「書き出しも、終わり方も難しい 」
《対象作品》文學界新人賞受賞作・奥田真理子「ディヴィジョン」(文学界)/文學界新人賞「特別賞」・高校3年生の合原(ごうばる)壮一朗「狭い庭」(同)/山崎ナオコーラ「この世は二人組ではできあがらない」(新潮)/田中慎弥「実験」(同)。
【文芸時評】12月号 早稲田大学教授・石原千秋 

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2009年11月29日 (日)

第15回中山義秀文学賞に植松三十里さんの「彫残二人」

 第15回中山義秀文学賞(中山義秀顕彰会主催、福島県白河市など共催)は28日、植松三十里(みどり)さんの「彫残二人」(中央公論新社刊)に決まった。対象は08年度刊行の歴史・時代小説で、副賞は賞金50万円とコシヒカリ1年分。(毎日新聞09年11月29日)

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郷土文化の「地産地消」文庫 盛岡の出版社が年2冊

 本の帯にも工夫が込められている「もりおか文庫」の創刊号 盛岡市の出版社・盛岡出版コミュニティーが、郷土文化の「地産地消」を目指し、「もりおか文庫」を創刊した。盛岡など岩手県内ゆかりの作家に執筆してもらい、年に2冊のペースでシリーズ出版していく計画だ。
 盛岡出版コミュニティーは、地元の書店に約20年勤めた栃内正行さん(55)が、「盛岡をはじめ岩手の文芸を発掘し、全国に発信したい」と7月に設立。第1弾は、盛岡出身の作家松田十刻さんの「26年2か月 啄木の生涯」(730円)で10月に出版された。
 26歳の若さで生涯を閉じた石川啄木に関する日記や歌集などをひもとき、恋愛や結婚、友人関係などに焦点をあてて活写。「初めて啄木に接する若者でも共感が持てるような内容にした」と松田さんは話す。
 来春には第2弾として、栃内さんの考えに共鳴した紫波町の作家沢口たまみさんの「宮沢賢治 愛のうた」(仮題)が発刊。沢口さんは、「地元の人と賢治の恋の記録を、詩をたどりながらつづってみたい。地元の人にこそ読んで欲しい」と執筆にいそしむ毎日だ。
 挿画や表紙画のほか、本に巻く帯も盛岡のイラストレーターが手がけるなど、内容から装丁まで「地元」にこだっている。栃内さんは「目指すは文芸資産の地産地消」と意気込む。同社では、文庫本のほか自費出版にも力を入れる予定。問い合わせは019・681・1451。(09年11月25日 読売新聞)

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2009年11月28日 (土)

同人誌「淡路島文学」第4号(洲本市)

 同人誌が送られてくるが、現在は読んでも紹介するほどのゆとりがない。第九回文学フリマに、あわせて販売する「詩人回廊2010」の制作や、会員の出版の支援、その他、頼まれ事が重なってしまった。今は、本誌に関しては、下記の文学的な論文のみを紹介する。
【「環境ファシズム上部構造についての考察ノート(前編)」奥本隆司】
 これは環境問題を材料に商業活動が(マスコミ宣伝商売も含めて)活発化していることを指摘したものである。なかに「同人誌などだれも読んでくれないものですし、読むに値するものであるとも思えないのですが、実録としてありのまま書くと環境ファシストたちに袋叩きに……」という冗句があるのは、笑わせられる。(同時に、このような意識で、同人誌が書かれているということも、大変興味深いものがある)
 マルクスの話が出てくるが、マルクスは資本論では経済学的に社会分析したが、共産主義運動という活動にも参加し、論理的には自己矛盾することをしている。
 マルクスは、人間を自己中心的な行動をするという前提で、アダム・スミスやヘーゲルの思想を受け継いでいる。自分に都合が良いと思うことを選択する人間の特性は、物理における引力のような共通性があるとしないと、経済学は理論にならない。
 ところで、地球温暖化は、人類の歴史からはじまった時から起きていることがわかる。例えば6000年前の縄文時代には、氷河期が終わると地球の温度が2度上昇したため、今よりも海面が2メートル高く、時には8メートルも高い時期があったとある(小学館「日本歴史館」による)。
 それ以降、温暖化は長く続いてきたために日本列島は緑豊かな島国になったのである。つまり、人間が何もしなくても、温暖化で海面が8メートル上昇することがあっても、それは地球気象学的には過去にあったことなのだ、とわかる。
 その事実と、環境問題とされることとはズレがある。しかし、人間が機会さえあれば自分だけ、時代の流れに乗って利益を得ようとする行動とが結びつくことは、有りうることである。
 アメリカが自動車社会になったのは、自然にそうなったのではない。フォードなど自動車メーカーが謀略を用いて、意図的に鉄道を潰した向きもある。
 いま、アメリカは鉄道主義を復活させようという動きがある。これらは歴史的な事実であるが、知りたくない人が多いと知られないのである。
 この考察では、風力発電が低周波公害を起こしていることも指摘されている。現在、低周波の出ない風力発電装置もベンチャー企業が手がけている。いずれにしても政府の補助金があるかぎり試行錯誤しながら開発されるであろう。
 レーニンは「帝国主義論」で、社会の動きを分析するのには、すでに発表された公的な資料があれば充分で、特別にデーターをつくるほどのものでないと記している。この考察は、その点でもよく資料を集めている。(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年11月25日 (水)

文芸時評<文学11月>(読売新聞)

薄れる境界にこそ本質/「老と若」、「東京と地方」(文化部 山内則史)
 「老い」をみずみずしい目でとらえ、新境地を拓(ひら)いた黒井千次氏(77)が「高く手を振る日」(新潮)を書いている。生と、時間と、男女について、老境から問いかける今月一番の力作だ。
 妻に先立たれ、一人暮らしの浩平には〈行き止りの感覚〉がある。人生は残り少なく、後に残るものを、自分が消え去る前に始末したい。折しも娘の夫の同僚の母親が、自分に会いたがっていると聞く。重子というその女性は、大学で浩平、亡妻と同じゼミにいた同期。学生時代のある出来事を封印してきた浩平は、すでに伴侶もなく70を過ぎた重子に再会し、思いを再燃させる。重子の勧めで携帯電話を持ち、〈じっと まって います〉と平仮名だけのメールを送る。
 行き止まりから引き返し、過去へと時間を遡(さかのぼ)る浩平と、〈生きている途中で終りが来る。(中略)全部途中なんだ〉と考える重子。2人の軌跡が交錯する経緯には、愚かしい執着と表裏一体の、限りある生の厳粛な重さがある。〈正体の掴(つか)めぬものが身の内に蠢(うごめ)く〉のを見つめる作家の、沈着で温かい視線を感じる。
 アンチ・エージングで老いは先延ばしされ、「老」と「若」の境界があいまいになった風潮も踏まえて、本作は書かれただろう。一方、かつて厳然とあった「東京」と「地方」という二項対立の構図もあいまいになった。最近目につく地方を舞台にした小説は、そのぼんやりとした境目から書かれている。
 羽田圭介氏(24)「ミート・ザ・ビート」(文学界)で描かれるのは、在来線に1時間も乗れば東京圏という北関東の都市。叔父の家に居候して予備校に通う19歳の浪人生が、地元の若者たちと車を通して親しくなる。この地の若者にとって車は単なる「足」ではない。好みの仕様に改造したり、5人家族で車6台という家があったり。田んぼがあり、道路があり、家が点在し、そこを車が往来する広漠とした風景。車にかける若者たちの自由な生態が小説に書かれたことは、あまりなかったのではないか。新鮮な視点だ。
 広小路尚祈氏(37)「のうのうライフ」(すばる)も地方色豊かな作品。輸入車販売の営業マンをクビになった〈おれ〉は、祖母が心臓病で入院し放置されたままの畑の世話を買って出る。少年のころ毎夏2週間を過ごした祖母の家は〈町村合併で面積がやたらと広がったこの町の端の、元々は隣村だった山の中〉。雑草を刈り、猿を駆除し、快い筋肉疲労に包まれて眠る生活に充足する。車を売った顧客であり交際中の彼女が持つ都市的価値観と、〈農〉の豊かさの間で揺れ動く〈おれ〉。〈山と町の境目〉という設定が、その苦悩を滑稽(こっけい)かつ切実に際立たせた。
 住んでいる山口県下関市を作品に書き続ける田中慎弥氏(36)は、「実験」(新潮)でも地元を書いている。文芸誌の新人賞を受けて4年、〈私〉は編集者に「東京で仕事をされるおつもりは?」と電話で問われ、この地で書き続ける意味を模索している。2歳下の幼なじみがうつの診断を受け、請われて会いに行った〈私〉は、彼のことを小説に書こうという下心から〈四肢を固定した鼠(ねずみ)に通電する気分で〉うつには毒になる言葉を浴びせ、観察する。外から聞こえて来る選挙演説の声に吉田松陰や高杉晋作の名がまじる地での、苦いユーモアに満ちた小さなドラマだ。
 文学界新人賞の奥田真理子氏(37)「ディヴィジョン」(文学界)も、関西の濃密な匂(にお)いをたたえた1編。この秋の新人賞受賞作にも、地方を書いた作品が目立った。中央から押し寄せる均一化の波。その波打ち際の中間的な場所で、本質的な何かが露呈する――作家たちは、そこを見ようとしているのではないか。
 別れた女の記憶を去来させつつ、男が黙々と別荘に茂った雑草を刈る藤沢周氏(50)「草屈(くさかまり)」(新潮)、40を過ぎて子どもに恵まれない夫婦の静かな日常を切り取った青山真治氏(45)「ネフェルティティと亀」(すばる)は、ともに短編の切れ味を感じさせた。(09年11月24日 読売新聞)

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2009年11月24日 (火)

「文学フリマ」参加の豆本作家・赤井都さんがノウハウ本を出版

 「文学フリマ」の初回から「言壷」サークルで参加していた豆本作家・赤井都さんの「手で作る小さな本 豆本づくりのいろは」(河出書房新社、1680円)が11月27日から発売される。
 赤井さんは、雑誌「群像」の新人賞の最終選考に残るまでの実績があるが、豆本作りでは、内容にその筆力を活かしている。その他、超短編集に作品が編入されたこともあるようだ。
 今回の豆本作りの本は、ノウハウ本ではあるが、出版企画の世界では、こうした著作者を作家と称することが多い。赤井さんは、文学フリマ出身の作家といえる。
赤井都さんの豆本を報じるPJニュース
日本人アーチストが、豆本国際コンペで2年連続の特別優秀賞=米国オハイオ州
日本の“現代豆本”が国際コンペで初受賞!
隠れた豆本ブーム!合同展にNHKも取材

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2009年11月22日 (日)

「季刊文科」46号(鳥影社)が伊藤桂一「形と影」の再録の続き

 山本周五郎は、曲軒ともいわれ、へそまがりで皮肉屋のところがあって、そのエピソードは木村久邇典のエッセイなどに記されている。
 「グループ桂」に掲載の北一郎の寸編小説では、そのことに触れている。同人仲間がそのエピソードってどういうものなのか、訊くので、典型的なものをひとつ教えた。
 嵐寛十郎という鞍馬天狗で一世を風靡した俳優(故人)がいた。アラカンといえば鞍馬天狗である。
 映画の中に出てくる角兵獅子を美空ひばりや松島トモ子が演じていた。アラカンは、鞍馬天狗のイメージが強くて、次の主演映画の仕事がこなくなったらしい。
 そこで映画化されるので有名な作家山本周五郎を訪ねた。山本周五郎の代表作「樅の木は残った」は、当時「青葉城の鬼」という題で、長谷川一夫が主演をしていたような記憶がある。
 アラカンこと嵐寛十郎は山本周五郎に「先生、最近わたしは芸に行き詰まりを感じまして、そこで先生にお願いして、私の壁に当っている芸に新境地を開けるような原作を書いていただけないでしょうか」とか、言ったそうである。
 すると周五郎は「いや、いや、私はあなたの映画を観ていますが、あなたの芸は、とても行き詰ったり、壁にあたるような芸には見えませんね」と、いって断ったそうである。
 アラカンの語る台詞は、歌舞伎役者調の棒読みで、「杉作、いくぞ」とかのものが多く、たしかに大根役者的であった。(しかし、自分はその棒読み役者が大好きであった。第一アラカンはその後、老人役の脇役でいい味をだしている)。
 そうした話は伊藤桂一氏も知っていたらしい。
 自分が「先生、アラカンはその後、晩年になっていい役者になったのですよ。山本周五郎はそれを予知できなかったですね」といったところ、「いや、私だって嵐寛十郎の芝居は、いきづまるような高級な芸には思えなかったよ」と、周五郎の意見に賛成していた。
 これは、それぞれの時代の人間の受けてきた風の肌合いの違いを示すものであろう。
 それはともかく、「季刊文科」46号(鳥影社)に掲載されている「光と影」は、小説と詩作の両方ジャンルに作品を発表してきた、詩人&作家・伊藤桂一の本質がそこに見られるので、近いうちに「詩人回廊」の伊藤昭一の庭で、解説をしてみたいと思う。作品「光と影」の過去に発表された媒体は、昭和30年2月「三田文学」が初出で、次に昭和37年4月「ナルシスの鏡」(南北社)に掲載されている。いわゆる商業性に乏しいので、今回「季刊文科」46号(鳥影社)に掲載されたのは、貴重なものである。
 自分の思いついてる視点としては、この作品には、存在論として、戦前に埴谷雄高が同人誌に発表している「洞窟」と比較することが可能かどうかを検証してみたい、ところだ。

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新史料発見、「焚くほどは風がもて来る…」は良寛作

句集「発句類題越後獅子」に載った良寛の句を示す冨沢信明・新潟大名誉教授 江戸時代の僧・良寛(1758~1831)の代表的な俳句とされながら、作品の自筆が残っていないため、「他人の作では」とも言われた句について、「良寛作」とする新史料を、良寛研究家の冨沢信明・新潟大名誉教授(67)が発見した。来年は、良寛の没後180年目の節目に当たり、話題を呼びそうだ。
 この句は「焚(た)くほどは 風がもて来る 落葉かな」。
 火を燃やすのに十分な落ち葉は、風が持ってきてくれる――との意味で、良寛の質素な暮らしぶりがうかがえる代表作として親しまれてきた。良寛が修行を終えた後、20年ほど暮らした「五合庵」(新潟県燕市)脇には、この句を彫った碑も立っている。
 しかし、同時代の俳人・小林一茶(1763~1827)が1815年に記した日記には、「焚くほどは 風がくれたる 落葉かな」との俳句があり、「良寛がこの句をまねたのではないか」という指摘も。
 冨沢さんは今年9月、良寛関連の書物を収集している知人の所有物の中に、問題の句を良寛作と明記している句集「発句類題越後獅子(ほっくるいだいえちごじし)」第2巻を見つけた。句集は越後の俳人の編集で、奥付の記載から、良寛没後約1年の1832年に出版されたとみられる。
 良寛の句は、問題の句を含め2作品を所収。一茶の日記は個人的なもので当時は公開されておらず、一茶と良寛が会った記録もないことから、冨沢さんは「信頼性の高い史料。良寛が一茶の句をまねたとは考えられない」と説明する。
 「全国良寛会」副会長、加藤僖一・新潟大名誉教授(73)も「当時は出版に数年かかったことを考えると、編集時点では良寛が生きていた可能性が高い。編集者は良寛直筆の句を見たと考えられる」と評価する。(2009年11月19日 読売新聞)

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2009年11月21日 (土)

【Q2】太宰治作品(まんが)を読んだことがありますか?

(講談社『BOOK倶楽部メール』 2009年11月15日号)
 ・ほとんど読んだ…1% ・わりと読んだ…1% ・少し読んだ…6% ・読んだことがない…60% ・まんがで太宰作品が出ていることを知らなかった…32%
【Q3】太宰治の代表作といえば何だと思いますか?
 1位)人間失格…54% 2位)走れメロス…33% 3位)斜陽…12%   この3作品をあげた方は合計99%(驚)!
【Q4】あなたの好きな太宰作品は?
 1位)走れメロス…25% 2位)人間失格…11% 3位)斜陽…7%
★「走れメロス」友人を信じるのか。それとも友人を信じている自分を信じるのか。セリヌンティウスに対して国語の先生が言った言葉が今も忘れられません。(北海道 K様 20代)★「走れメロス」最近読んで、王様の「絶望」がいかに深いものかを思い知った。最後に王様は改心したかのよう描かれているが、実はあれは「うそ」だと思う。(岡山県 O様 40代)★「人間失格」人間の堕ちていく様子がとても自然に描かれて、それでいてすごく共感のできる奥深い作品で、私の一番好きな小説です。(兵庫県 E様 15歳以下)★「人間失格」冒頭の”笑いながらこぶしを固くにぎれる人間はいない”は衝撃的でした。なるほどそうなんだとすごく納得したのを覚えています。(石川県 F様 50代)★『斜陽』没落していく姿を描いているのに、どこかユーモアが漂うところが好きです。(神奈川県 I様 30代)★「斜陽」中学三年の夏休みに読んで、二週間ぐらい他の本が読めなくなるぐらい衝撃を受けました。今思えば、あの時が、読書に対する考え方が大きく変わった時期だと思います。(鹿児島県 T様 30代)★「駆け込み訴え」太宰は重く息苦しい作品ばかりを書く作家と思われているようですが、実はユーモアたっぷりのシニカルな視点を持った「他人を楽しませる」ことに重点を置いた作家だと思います。その一例として。(神奈川県 M様 30代)★「駆け込み訴え」太宰治作品は苦手なのですが、これだけは好きです。天才に対して、憧れて焦がれて嫉妬して憎んで愛して、手を伸ばしながら突き離してしまう、そんな気持ちが痛かったです。(埼玉県 M様 30代)★「富嶽百景」太宰作品の中では、執筆時期のせいもあって文体がほの明るく、全編にわたって牧歌的な雰囲気が漂っている。破滅的なばかりでない、太宰治の一面が感じられる印象深い作品です。(東京都 K様 20代)★「お伽草紙」過酷なまでの人間洞察と言ってしまえばそれまでだが、独特のユーモアやウィットに富んだ内容は単なるパロディの枠を超え、人間洞察がいや増して(東京都 W様 50代)★「津軽」それまでの「太宰治=暗い」というイメージをぶち壊してくれた作品でした!小説というよりは自伝のようですが、落ち着いた明るさがあった(大阪府 H様 10代)★『正義と微笑』小さな孤独に耐える力がつきます。学校の教科書にはメロスよりこちらを入れたほうがいいのでは、と思っています。(神奈川県 H様 30代)★「桜桃」“子供より親が大事と、思ひたい”という出だしが鮮烈だから。(大分県 G様 40代)★「畜犬談」犬好きとしては外せない一作。(岡山県 A様 20代)
★【Q5】自分がするならどのスポーツが好きですか?
 1位)テニス 2位)野球  3位)バトミントン 4位)水泳  5位)サッカー(以下、ゴルフ、バレーボール、卓球…)

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2009年11月20日 (金)

近刊・詩人回廊2010」冊子の第九回「文学フリマ」に向けた企画

 第九回「文学フリマ」(12月6日)に文芸同志会も参加する。そこで販売する新刊「詩人回廊2010」【写真】の版下ができた。柱は「山川豊太郎の庭サイト」にある『「物語論で読む村上春樹と宮崎駿―構造しかない日本」(角川oneテーマ21新書)に読むニヒリズム観』そのものである。
 来月の参加が決まってから、山川氏にテーマを提示し、書いてもらった。山川氏は、大塚氏と面識がある。
 青山ブックセンターでの第1回「文学フリマ」の会場において、主催者であった大塚英志氏と面談し、インタビューして「文芸研究月報」でそのレポートを執筆している。そのレポートは「文学フリマ5周年記念」本に転載されている。
 物語が構造をもつことは、当然のことであり、大塚氏が指摘するように構造があるから世界に通用する。大塚氏は、そのことを指摘したからといって、良い悪いなどの価値については、意識的に論及していない。
 構造しかない日本の物語文化がサブカルチャーを発展させたと、みてもそれに価値観の照明をあてていない。文芸評論よりも社会観察評論の要素が強い。
 山川氏は、そこに着目し、観察と定義で寸止めする大塚氏の評論に、ニヒリズム的な色彩をまぶして書いている。
 山川氏の話しによると、この問題より東浩紀と大塚英志のポストモダンをめぐる考え方の違いを論じる方が面白いかも知れない、ということだ。が、この辺で、大塚英志氏の発想によって、文学フリマが発祥したことを再認識するのも良いのではないか、という企画なのである。

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2009年11月19日 (木)

姜尚中ブームの謎に迫る。鋭い分析 やさしい論述

「三四郎と美禰子の出会いの場面は印象派の絵のよう」と語る姜さん(東大本郷キャンパスの三四郎池で=飯島啓太撮影) 本を出せばベストセラー、テレビでは討論番組のコメンテーター、美術番組の司会とひっぱりだこ――。政治学者で東大教授の姜尚中(カンサンジュン)氏が多彩な活躍を見せている。“姜ブーム”の背景には何があるのか。(泉田友紀)
 氏は、討論番組「朝まで生テレビ!」の常連論客として知られ、在日2世の立場から朝鮮半島問題を積極的に論じるなど、政治をめぐって鋭い社会的発言をしてきた。2004年には生い立ちと心の遍歴をつづった半生の自伝『在日』(講談社)がベストセラーとなった。
 ブレークを決定づけたのは、昨年刊行された85万部のベストセラー『悩む力』(集英社新書)。マックス・ウェーバーと夏目漱石という100年前の同時代人を通じ、悩みの本質に迫った。今年4月からはNHK教育「日曜美術館」の司会に起用され、来年の刊行に向けて実母をテーマに小説を執筆するなど、専門を超えて活動の幅を広げている。人となりを紹介したDVD付きのムック本『姜流』(朝日新聞出版)も話題を呼んだ。
 最新刊『リーダーは半歩前を歩け』(集英社新書)では、韓国の元大統領で、今年8月に亡くなった金大中氏との対談を軸に、先の見えない時代をリードする人材論を展開している。

 <私は子供のころから、「リーダー」というものが根本的に向いていない性格でした>と自らの人生に重ね合わせながら、リーダー像を考察。カリスマ性に満ちた人物が大衆を引っ張るのではなく、だれもがリーダーになりうる時代の心構えを提案し、政治参加の大切さを訴えた。担当編集者の落合勝人さんは「鋭く状況を分析し、わかりやすい言葉で伝えられる人」と、その魅力を語る。
 一方、『マックス・ウェーバーと近代』(岩波現代文庫)などを担当した編集者、林建朗さんは「原書を読み込む地味な研究が一種の重しになって、多彩な分野を論じても軽薄に流れない」と話す。
 端正なルックスやソフトな語り口だけが人気の理由ではない。天下国家を論じる場合、どこか「自分」が置き去りにされがちだが、氏は自身の問題に引き寄せ、身近な言葉で社会や生き方を論じる。読者はそこに引きつけられるのではないだろうか。
 ――幅広い活動の理由は?
 日本では政治、経済、文化など、領域ごとに垣根がある。領域横断的に自己表現することで何かが学べるのではないかと思い、マルチな場に出てみた。時代と「添い寝」した部分があるかもしれません。
 ――イメージが先行することをどう思うか。
 いろいろな場に出る上で仕方がないこと。テンポの遅い話し方を揶揄(やゆ)されることがあるが、高校時代に軽い吃音(きつおん)になり、自分の話を耳で確かめるスピードになってしまった。戦略的な意味は全くない。ファッションもほとんど妻まかせで、あまりポリシーはない。
 ――今後の活動は。
 私も来年で還暦。今後5年間で、自分のあるべき方向に収束していこうと思う。物を書き、そして学問の分野では、ライフワークの「日本の戦後」を考えたい。人生の秋は、少し落ち着いてやりたいと思っています。(09年11月16日 読売新聞)

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詩の紹介 「舞う」 北里 美和子

紹介者 「詩人回廊」 江 素瑛
忙しい主婦ならば必ず経験する日々の「事件」である。「事件」の連続は、生活そのものである。それと、恐ろしい社会の「事件」とは関係ないと軽んじることはできない。たとえれば国際紛争などは、主婦の狂おしい厨房戦争から始まるとしても、大袈裟な話でもない。人間の悪意は、われわれが思っているより世界を揺るがしているのではないだろうか。複雑系のカオス理論では、アフリカで蝶が羽ばたく空気のゆれが、地球の気候変動に影響を与えるとか。人間の哀しき本性への嘆きとも読める。
             ☆
「舞う」   北里 美和子
風が吹いて髪が乱れる/砂埃が舞い上がる/目にゴミがはいる
信号が黄色を示す/急ブレーキをふむ/あやうく追突/うしろからクラクション/あるのよね、こんな日が
朝、冷蔵庫から卵を取り出す/ぼんやりうわのそら/するり掌から卵が離れた/予期していたかのように眺める/床に黄身が盛り上がった
灯油をこぼす/醤油をこぼす/お湯をポットに注ぐ/手元が狂い足に熱湯/アヂッ/手足が踊る/薬缶が舞う
今朝の三面記事/殴る/蹴る/埋める
叩く拳の指先の/爪の中にまでことごとく/力をいれて/哀しみが舞い上がる
 
文芸同人誌 「海」第二期第二号より(H21年10月15日)福岡市花書院

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2009年11月18日 (水)

「笑う警官」映画化 原作者、佐々木譲さんに聞く

 北海道警の不祥事をテーマに描いたミステリー小説「笑う警官」が映画化され、公開中だ。原作者の佐々木譲さん(59)は「地味な地方警察の物語が、映画で描けばこうなるのかと感心しました。俳優の存在感が、小説の登場人物の違った魅力を引き出していた」と語る。1作目の「うたう警官」(後に「笑う警官」に改題)から道警シリーズは4作目となるが、「10作まで書くつもりです」とますます意欲的だ。(戸津井康之)
 「実は事件が発覚する1年ほど前に、この事実を知りました」と佐々木さんは明かす。事件とは、道警が組織ぐるみで行っていた捜査費の裏金問題。別の小説に登場させる警察官を描くため関係者を取材していた時に、偶然、耳にしたのだ。「でもその時は信じられませんでした。まさかこんな不祥事に発展するなど…」
 旭川中央署の不正経理に端を発した裏金問題は、その後、道警の不正の新事実が次々と発覚し、警察組織全体に蔓延(まんえん)していた闇の深さが明らかになっていった。
 そんな時期、ある人物から「警察小説を書きませんか」と勧められる。
 佐々木さんは警察小説の巨匠、マルティン・ベックの大ファンで、その人物が20代のころ出版社の編集者として手掛けたのがベックシリーズだった。ある人とは角川春樹さん(67)。今回の映画化ではプロデューサー兼監督を務めている。
 《札幌市内のアパートで女性の死体が発見させる。女性は現職警官。札幌大通署の警部補、佐伯(大森南朋)は事件の背後に組織的な陰謀を感じ、独自に捜査を始めるが…》
 「笑う警官」は最初、「うたう警官」というタイトルで刊行された。“うたう”とは警察の隠語で「自供」の意味。こちらも意味深長で味わい深い題名だが、ベックの代表作の一つ「笑う警官」に敬意を払い、角川さんの勧めもあり改題したのだという。
 警察内部の闇に切り込む道警シリーズは、新たなスタイルの警察小説というジャンルを築いた。「これまでのように勧善懲悪の警察をヒーローにした小説は今後、描きにくくなるかもしれません。ただ、私はあくまで現場の警官に敬意を払って描いています」
 なぜ道警シリーズを10作まで続けたいか、その理由を聞くと「ベックシリーズが10作まで続いていますからね。そのオマージュ(敬意)です」と笑顔で答えた。(産経ニュース09.11.16)

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2009年11月16日 (月)

詩小説の紹介  「ウナギ」佐竹重生

(紹介者 「詩人回廊」江 素瑛)
高度技術のセキュリティに守られて、安全と安心を保証される独居老人。どころか守られるべきセキュリティが、老人行動の自由を束縛されてしまう。安全と思ったものが命を奪ってしまう。古き社会の科学技術に頼らないアナログの隣近所の助け合いをどんどん失っていく、現代社会の孤独死。科学技術が生み出した悲しくい現実、現代人として変えることもできない話である。危険な外部からのリスクをゼロにしたところ、内側からしか開けられない棺であったという読み方もできる。

「ウナギ」     佐竹重生
食料は 石組の隙間から浸み出る水に たっぷりと含まれていた。石垣の奥の洞穴の住処は適当に温み 河の中で日々繰り返される食料獲得やテリトリーの疎ましくも哀しい争いを 食物連鎖の外にいて 壁に穿った小窓から同情しながら ときにはだれにも知られることなく 無差別な遊び心の矢を放ち 群れを乱す小魚をわくわくと眺めて暮らした。(中略)時折差し入れられる竿の先に外国生まれのミミズが断末魔の悲鳴を上げて 死を懇願してきたが そいつの腹に悪意が潜んでいるようで喰うことは冷たく拒絶した。

だが 今日はいったいどうしたというのだ。水と一緒に餌がどんどん流れ出ていく。急いで頭を出せば 青空から剥がれ落ちたか水面は遥か下にあり 空(くう)に突き出て重くなった上半身がだらりと垂れる。身体をくねらせ 脱出を試みるが 鰭は空を切り 出入り口の岩が 胴を締め付け食い込んでくる。岩屋のコルク栓になったという山椒魚の話が頭を掠める。だが 突き出てしまった上半身は 剥き出して進むことも戻ることも出来ない。セキュリティに守られて ひとり ひそかに 籠っていたのが間違いだったか。
(中略)
「今朝、ひとり暮らしの老人が、自宅マンションの玄関で亡くなっていることがわかりました。入り口には鍵がかけてあり、警察では・・・・」

佐竹重生詩集「蓮の花 開くときに」から(09年10月 東京 土曜美術社出版販売)

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2009年11月15日 (日)

文芸同人誌評「週刊 読書人」(09年11月13日付)白川正芳氏

《対象作品》「かわばた文芸」13号の松下八重子「猫と私」、矢田山聖子「おんな万事塞翁が馬」(「視点」71号)、美月麻希「揺れるワンピース」(「白鴉24号)、柴田宗徳「子規の妹」(「流氷群」52号)、「断絶」105号の海野弘「武蔵野すこしずつ」
林由佳里「あの日へ続く道」(第7期「九州文学」7号)、柴田耕平「車掌長居の終着駅」(「鉄道林」49号)、大重道子「卒論模様」(「私人」67号)
(「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさんまとめ)

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文芸季評2009(読売新聞11月14日)文芸評論家・池田雄一

「突然 怪物化する隣人」
《対象作品》橋本治「巡礼」(新潮社)/吉村萬壱「独居45」(文芸春秋)川上未映子「ヘブン」(講談社)/中村文則「掏摸(すり)」(河出書房新社)/金原ひとみ「憂鬱たち」(文芸春秋)/藤野千夜「親子三代、犬一匹」(朝日新聞出版)/笙野頼子「海底八幡宮」(河出書房新社)。

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2009年11月14日 (土)

伊藤桂一「形と影」を雑誌「季刊文科」46号(鳥影社)が再録

「季刊文科」は毎号読んでいるが、なかなか触れることがない。ただの一読者であるから、別になにも言うことがないのだ。純文学の本来の姿はこういうものではないか、と会員には購読をすすめていたが、継続しているかどうかは知らない。
 46号には、自選短編として伊藤桂一「形と影」が掲載されている。解説では、戦後、市販同人誌「文芸首都」の投稿時代に詩的小説、現代詩の小説という考えで書いたものと記している。文芸おける「詩の素」と「小説の素」との比較を考える上で、大変興味深い作品である。先ごろ同人誌「グループ桂」に北一郎が「詩人回廊」の散文を「寸編小説」として掲載したが、他の同人が「もっと詳しく事情をかかないと小説らしくない」とか、いうことだった。しかし、師である伊藤桂一氏は「まあ、いいのではないか」という評であった。そこで、あとで「伊藤先生は最近、評が甘くなった」などという話も出たが、北もその気になって、そうだね、なといっていたものだ。
 伊藤先生は、山本周五郎に誰かの葬儀で、出会ったが、「あまり周囲になじまず、ぽつんとしていたね」という。編集者には、伊藤先生の小説を褒めていたという伝聞を耳にしたという。

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同人誌時評(11月)「図書新聞」(09年11月7日)志村有弘氏

《対象作品》柴田宗徳「子規の妹」(「流氷群」第52号)、乾宏「圓城寺日胤」(「槇」第32号)、花本龍之介「南北怪談地獄」(「大衆文芸」第69巻第9号)、小坂忠弘「奇譚倶楽部」(「カンテラ」第22号)、吉岡紋「家族合わせ」(「九州文學」第529号)、福井ゆかり「貧乏神」(「てくる」第6号)、葉山修平の小説「新釈閑吟集」(「風の道」第3号)
エッセイでは、中村晃「近代小説と実存主義」(「春秋山形」)、横倉忠二「故郷北竜町と千葉との関係」(「海蛍」第2号)
詩誌では、「COALSACK」第64号より、くにさだきみ「闇の現」、水崎野里子「広島平和記念資料館にて」、郡山直「今夜も月が泣いている」、楊原泰子「ビルケナウのタンポポ」、森常治「八月の精霊」、鈴木比佐雄「被爆手水鉢の面影」他、堀内利美
短歌では、「彗星」第4号の美濃和哥
俳句では、木田千女・宮谷昌代(「天塚」第191号)
本所太郎『あの頃のスケッチ抄』(鳥影社)、藤蔭道子『慕情』(龍書房)、鈴木比佐雄『鈴木比佐雄詩選集(コールサック社)
山本四尾主宰の詩誌「墓地」が第66号にて休刊、「季刊春秋山形」が第20号で終刊
「槇」第32号が田村百代追悼号
(「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさんまとめ)

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2009年11月12日 (木)

文芸同人誌評「讀賣新聞」西日本地域版09年11月10日夕刊・松本常彦氏

題:暮らし支える絆描く
《対象作品》和田信子「ミッドナイト・コール」(「南風」26号)、角田真由美「赤い爪」(「詩と真実」725号)、足立正男「オペラチオン」(「龍舌蘭」177号)
(「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさんまとめ)

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2009年11月11日 (水)

大杉豊さん上梓の『日録・大杉栄伝』をめぐって講話=本郷クラブ

 大杉豊さん(70)は、10年余にわたる調査のうえ「日録・大杉栄伝」を執筆。その苦労話を12月5日、文京区民センターでの 本郷クラブ(サイト)12月例会で語る予定。上梓した「日録・大杉栄伝」(社会評論社)は、伯父・大杉栄の生涯を日録として再構成し、未発表書簡や中学時代の成績表・明治大学の学籍簿など、新たな資料が入れられているという。
 アナキズムを唱えた大杉栄は、関東大震災後の9月16日、9歳年下の弟(豊さんの父)の家を伊藤野枝江とともに訪ね、妹の子・橘宗一(6歳)を連れて帰宅途中、憲兵に拉致され、3人とも虐殺された。
 大杉豊さん略歴=1939年、横浜市生まれ。都立大卒。東京放送(TBS)入社。99年退職。東放学園専門学校・常盤大学国際学部非常勤講師、柏自主夜間中学スタッフ。共著に「日本の視聴者・続」(誠文堂新光社)、「放送広告の効果・続」(ダイヤモンド社)など。
関連情報=詩人回廊・ニュースバルコニー

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詩の紹介  <山椒魚>後日譚  原 満三寿

(紹介者「詩人回廊」江素瑛)
否応なしに情報が氾濫し侵入する。山椒魚が悲しむ。長年にわたる憂鬱、退屈しながらも安住する岩屋が破壊されるから。解決策として、一つは、余計な欲望を抑え「知足常楽」、満足を知ること。もう一つは、時々聾盲になり、情報を拒否すること、である。しかし、鎖国が開放された昔の中国、日本はもとより、今のイラクなど、国民の本意に選らない他国の干渉で、本来どうあるべきかを知らずに、現状肯定をしていくのは、神の意志でもあるのだろうか。

<山椒魚>後日譚  原 満三寿
山椒魚は悲しんだ/とつぜん解放されることになったからだ/彼をながねん閉じ込めていた岩屋の出口が/とつぜんぐらぐらくずれ/ぽっかり大きく開かれたのだ//彼は棲家としていた岩屋で二年もの間/無為に過ごしているうちに躯が大きくなってしまって/気づくと頭が出入り口につかえて出られなくなったのだった/必死で出ようといろいろ試みたが/すべて徒労だった/彼はおのれの迂闊さを悔い/愚かさをののしった/しばらくは呆然とするばかりだったが/やがて ながねん幽閉された囚人のように/悲嘆と孤独をうけいれ/停滯の澱む岩屋の日月になれていった//
彼は幽閉の窓と化した出口から外をながめた/そこには いまや彼と隔絶した風景がひろがり/驚くばかりに生き生きとした春秋があった
(中略)
(ところが、そこで大蛙があらわれ山椒魚の岩屋の出口を壊してしまったのだ)

山椒魚は大蛙に感謝するどころか/なぜか彼は悲しいのだった/壊れた出口からは目が眩むほどの日光が/どっと岩屋にはいり込んだ/かつて渇望した外界か目の前にあった/万緑の風の濃い匂いが/ついに幽閉から解放されたことをつげていた/だが彼は とつぜん実現した開放には/とまどうばかりだった/幽閉されていた窓からは/外界は望遠鏡をのぞくように仔細見えたのだが/すべてが開かれてしまうと/まばゆいばかりの光に幻惑されて/ものの焦点のあわせように困じた/目がなれると/見える世界もその奥にある見えない世界も/にわかに恐ろしい気がしだした/そこは未知の楽しみがひろがる楽土などではなく/生存競争にぞめく不条理が匿されているようにおもわれた//
のである。
(中略)
 「いま あんたの躯は 自由な世界に飛びだしたい自分と なれた岩屋にぬくぬくと安住しつづけたい自分とで 引き裂かれているんだよ なんせあんたは半裂(はんざき)ともいうらしいからね/大蛙はもっともらしく解説してみせ うすく嗤っても/いまや彼には/大蛙に反発して岩屋を出る気力も体力も/懶(もうろく)く萎えて残ってはいないようにおもわれた/失われた歳月に/いつしか 萎え老いた躯になってしまっていることに/彼は兀然(こつぜん)として気がついた/ぶるぶるっと跼(せぐくま)って身悶えした/すると 岩屋に堆積していた泥が/ながねんにわたって降り積もった彼自身の臭気と澱(おり)とともに/はげしく舞いあがった/「我は濁れる水に宿らん」/という遠くから湧きあがる心の声を彼は聴いた
詩誌「騒」第79号より 2009年 9月 騒の会 町田市

(どんなに広大な地球でも、「我は濁れる水に宿らん」としてしまう人間の迷いの心。阿弥陀様の御心だけが救いをもたらすのか)

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2009年11月10日 (火)

季刊文科46号「同人雑誌評」ほか

●創作は同人誌の以下2編を転載。
「夕映えとりんどう」難波田節子(「河」150号より)
「猫のいる家」和田信子(「南風」25号より)
●同人雑誌季評
「言語の運命」松本道介筆
《対象作品》「作家」(46号、名古屋市)より小森好彦の水村美苗「日本語が亡びる時」(筑摩書房)の書評、同誌よりさとりあい「さくら草が笑った」
多門昭「杠(ゆずりは)」(「文芸復興」120号、船橋市)、同誌より堀江朋子「チャレンジャー・リポート-須崎御用邸と旧三井海洋生物学研究所」、西澤建義「フランドル雑感」、会田武三「卍(まんじ)」、森下征二「おさん狐の宿」(未完)
昆道子「うすい皮」(「碑」92号)、井藤藍「雛罌粟」(「法羅」61号、交野市)、「飢餓祭」(32号、奈良市)より神盛敬一「衝海町(つくみまち)」、高橋るい子「智恵子の坂道」(「采」11号、静岡市)、亜木康子「幸福公園」(「湧水」43号、東京都)、同誌より飛田一歩「桜色の棺」
「草木のある……」勝又浩筆
《対象作品》千田佳代「猫ヲ祭ル」(「朝」27号、我孫子市)、芝野慶子「山の黙(もだ)」(「別冊檜」30号、神戸市)、泉紀子「へびの通るみち」(「風の道」3号、東京都)、同誌より吉田慈平「猫の思想」、森静泉「ふりかけごはん」(「狼」54号、高崎市)、小梢「ハーバードのぶらんこ」(「木曜日」25号、東京都)、長瀬葉子「言えなかったこと」(「とぽす」47号、茨木市)、松田實靭「水虫の泥」(「勢陽」21号、伊勢市)、吉保知佐「いま伝法物語」(「AMAZON」435号、尼崎市)、青海静雄「らしく」(「午前」85号、福岡市)、同誌より吉森康夫「筑紫の風」、森岡久元「青磁のひび割れ」(「酩酊船」24号、宍栗市)と「神楽坂百草会」(「關學文藝」38号、西宮市)
前記「酩酊船」より前之園明良「長い残余の生」連載2回目、「日田文學」(57号、日田市)はこの復刊30号をもって休刊。同誌より河津武俊「コスモスの花」と「雲の影」、「碑」(92号、横浜市)上坂高生「蕗の薹」
●同人誌の現場から
「同人誌内循環」樋脇由利子(同人誌「胡壷・KOKO所属)
「只管に歩む」竹中忍(月刊同人雑誌「北斗」主宰)
「『酩酊船』-この長い鈍なる航海」前之園明良(「酩酊船」編集人)
(「文芸同人誌案内・掲示板」ひわきさんまとめ)

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光市の母子殺害、元少年の出版差し止め却下

 山口県光市の母子殺害事件で死刑判決を受け、上告中の元少年(28)が、実名を記載されたルポルタージュ本の出版差し止めを求めた仮処分申請で、広島地裁は9日、申請を却下する決定を出した。
 元少年側の弁護士が同日、明らかにした。決定理由は説明できないとしている。
 本の著者は一橋大職員の増田美智子さん(28)。出版元は「インシデンツ」(東京都)で、10月7日から販売され、初版の4000部を完売、さらに2万部が増刷されている。
 申立書などで元少年側は、増田さんとの間に、出版前に内容を確認した上で実名記載などを検討する「契約」があったのに、守られなかったと主張。少年法に違反しており、人格権も侵害されたとしていた。
 出版側は、本人と面会した際に実名の承諾は得ており、事前に内容を見せる約束もしていないと反論していた。
 決定を受け、増田さんは「本の内容は元少年に有利なもの。出版差し止めは元少年の真意でないと思う」とのコメントを出した。
 元少年は、仮処分申請とは別に、著者と出版元を相手に、出版差し止めや1100万円の損害賠償を求める訴訟も起こしている。(09年11月9日 読売新聞)

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2009年11月 9日 (月)

居酒屋女将「文学界」デビュー。大阪市の鈴木さんが同人雑誌評で優秀作

 大阪市都島区でたこ焼き居酒屋「美輝(みき)」を営む鈴木郁子さん(48)の小説「ウロボロスの亀」が、同人雑誌評で46作品の中から優秀作に選ばれ、発売中の雑誌「文学界」(文芸春秋)11月号に掲載された。鈴木さんは、店に訪れる客を観察してイメージを練ることもあったといい、「同人の活動を広く知ってもらうきっかけになれば」と喜んでいる。
 鈴木さんは、アルバイトをしていた27歳の頃に小説を書こうと思い立ち、私塾・大阪文学学校(同市中央区)に入った。2年間、プロの作家から表現手法を学び、卒業後は同校OBの同人グループ「せる」に所属。西村郁子のペンネームで、約10作品を同グループ発行の同人誌に出してきた。
 選出作の舞台は大阪の下町。「ニム」というあだ名の女性を主人公に、専門学校同窓の男性や、その交際相手で体にたくさんの傷がある女性が登場。ニムが男性を好きか嫌いか分からなくなったり、女性の代わりになりたくて自身の体に傷を付けたりする場面が描かれる。作品名は、自らの尾をかんで輪になった蛇「ウロボロス」から取り、「終わりも始まりもない」などの意味を込めた。
 仕事前の午前中を執筆に充て、約3か月で原稿用紙約60枚分を書き上げたという鈴木さん。仕事中に登場人物の生活が頭に浮かぶこともあったといい、「現実と架空の世界の二つの人生を同時に経験している感覚が楽しかった」。
 離婚を経験した女性の恋愛模様を描く新作も同人誌に近く発表予定で、「何でも書けるのが小説の魅力。これからも、誰も書いたことのないような作品を書きたい」と意気込む。
 同人雑誌評は、文学界で1951年に始まった企画で、様々な同人誌に掲載された作品を審査。今年から文芸雑誌「三田文学」(三田文学会)が審査を引き継ぎ、年2回、優秀作を1作ずつ選んでいる。(09年11月6日 読売新聞)

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2009年11月 7日 (土)

12月6日の第九回「文学フリマ」にあわせて奥泉光氏のイベント同時開催

 「文学フリマ事務局通信公式サイト」によると、12月6日の文学フリマに合わせて、イベントが同時開催されるという。文学フリマは1F大ホールと会議室だけを借りているの。ほかの会議室はあとから借りられるので、動員が2000人ほど見込めるフリマ当日にぶっつけてたイベントは効率が良い。こういうことは、さらに増えるかもしれない。

トークイベント ジュール・ヴェルヌ活用法――奥泉光氏を迎えて
ゲスト:奥泉光氏(作家)
パネリスト:新島進(慶應義塾大学准教授)、石橋正孝(日本学術振興会特別研究員)
ヴェルヌ研究者が奥泉光氏に問う、現代作家にとっての二次創作という問題
人は読んだから書く――文学の歴史とは、絶えざる温故知新の運動である。中世以来のアーサー王物語群、あるいは近代のロビンソナードを参照するまでもなく、二次創作こそ、文学の王道なのだ。奥泉氏は、『「吾輩は猫である」殺人事件』や『新・地底旅行』といった実作によって、この逆説の正しさを証明してきた数少ない現代作家のひとりである。誰もが知っている(と思っている)古典をいかにして現代に生かすか、という課題に対する奥泉氏の解答が上記の二作品にほかならない。そこで共通してパスティッシュの対象となっているのは漱石であるが、今回は特に『新・地底旅行』に注目し、なぜヴェルヌが選ばれたのか、ヴェルヌ作品のどこが現代作家としての奥泉氏を誘惑し、また、「リライト」に向かわせたのか、といった点を、とりわけヴェルヌ研究の視点から本人に直接問い質す。

日時:2009年12月6日(日) 14:30 ~16:00
会場:大田区産業プラザPiO 3F 特別会議室
主催:日本ジュール・ヴェルヌ研究会
協力:文学フリマ事務局
入場料:無料(定員120名)

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2009年11月 5日 (木)

第62回「野間文芸賞」は奥泉光氏『神器 軍艦「橿原」殺人事件(上・下)』(新潮社刊)

野間文化財団は11月4日、第62回「野間文芸賞」は奥泉光氏『神器 軍艦「橿原」殺人事件(上・下)』(新潮社刊)、第31回「同文芸新人賞」は村田沙耶香氏『ギンイロノウタ』(新潮社刊)、第47回「同児童文芸賞」はなかがわちひろ氏『かりんちゃんと十五人のおひなさま』(偕成社刊)にそれぞれ決まった。

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文芸同人「長崎の会」第4号(東京・町田市)(2)

【「新天地」野江乃絵】
 東京に通勤していた野江という人が、富山に転勤。そこで退職して、再就職したら、職場が富山であった、という富山県との縁の話。野江という人が作者であったとしても、自己紹介程度で、私小説にはまだ距離がある。今後に期待。

【「老人の町」赤木保】
 高齢化社会で活気のない町に、祭りで地域振興をしようと若者が交渉をしてくるのを、老人たちが受け入れる話。祭りのテーマをこなして、小説にしている。本当に軽いライトノベル。

 以上、ざっと読ませてもらったが、すでに爺さまとなった筆者とは、価値観が違うので、見当はずれな紹介かもしれないのう。ただ、表現ということについては、絵、音楽、コミック、小説も同じところがある。たとえば、白い紙にA点からB点まで横に線を直線で引く。これは線を描いただけ。日記は直線的で、書き始めに悲しんでいたものが、終わりでは笑っていた、という変化はないのが普通。これは小説とは言えない。(小説がなんであるかを議論しない同人誌には時々こういう作文があるのじゃ。誰も文句をいわないからかまわないけれどなあ)。
 こんどはA点からB点まで、上下に波打って線を引いたとする。すると、なにか変化あって洒落た感じがする。表現的である。さらにそこに縦線をいれるともっと複雑な線の組み合わせができる。それがただの線から、その人の引き方の違いで表現になっていくということだと思う。爺さんは、これが散文や小説の要素とみるわけじゃ。
 さらに爺さんのぼやきとしては、テーマの「祭り」の意味がわからなかった。はこのメンバーであるなら、ドラマチックな書き方をしようとか、静的な描写を重点にとか、編集内部で決まりをもうけて、出来てからそれを検証するのが同人誌のありかたのように思えるのじゃよ。小説は自由に書けばよいなどと、人から言われて本気にしてはいかんのじゃよ。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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著者メッセージ: 円居挽さん 『丸太町ルヴォワール』

(講談社『BOOK倶楽部メール』 2009年11月1日号)
  はじめまして、円居挽です。最近、単行本作業のために『丸太町ルヴォワール』を読み返して、この作品がそのまま自分の学生生活の縮図になっていることに今更ながら気がつきました。さよならした筈の恥ずかしい青春が一冊の本として帰ってくるなんて、恐ろしいことではありませんか。当分は本屋に近づかないことにします。
  そんな『丸太町ルヴォワール』ですが、当然のように傑作です。私からまっとうな学生生活を奪った犯人である『彼ら』が主役の物語なのですから、面白くない訳がありません。読者の皆様には特等席をご用意しました。どうぞ、最後の一ページまでお楽しみ下さい。(円居挽)

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2009年11月 4日 (水)

文芸同人「長崎の会」第4号(東京・町田市)(1)

 表紙にアイルランドの聖パトリックデーの広場風景写真(撮影:瀬山響)があり、「祭り」小説集となっている。良い写真である。発行人の秋田しんのすけ氏には、5月の文学フリマで文芸同志会のブースに寄っていただいたのに、席に居ずに失礼をしてしまいました。おそらく設営のし残しをしていた時であろうと思う。罪滅ぼしに、我が会員の作品に接するのと同じ視線で読んでみます。

【「夜明けの花」瀬山響】
 我が事務所の「響ルーム」と似た名前の作者である。同名のよしみもありそうだ。作品は、煙草をはじめて吸うという体験から哲学的な思弁が転がり出る。出だし1ページ半が彼という、距離をとった始まりをしている。そこから行をあけて、「俺」の語りになり「俺」の視点のまま終わる。
 短編で、視点を変えるのも新手なのだろうか。彼という視点のはじまりなのに、窓の外の音が「流れてくる」という表現。すでに「私」の視点の表現になっていて、あとから「彼」となる。自分の方法論では、ここは「流れていた」とするが、これも新手法か。そのほか、佐伯という人物との会話、最後の夏椿の扱いに、詩的で非小説手法がいくつかあり、これは小説的でなく、叙事詩として読んだ。

【「だんじり捕り物帳」あきらつかさ】
 コミックのシナリオ的で、ビジュアルで雰囲気を補強すると表現に味がでるような感じ。
先日、蒲田のPiOによったら、コミックの「ぷにケット」と「ラブ・インクリメント」とかいうイベントをやっていて、大勢集まっていた。こうした賑わいなら、「文学フリマ」の組は、このようなスタイルの小説で、コミックの原作提供でタイアップするのも良いのでは、とおもった。しかし、二次創作だと原作不要でもあるらしい。

【「喪中神輿」秋田しんのすけ】
 これは文字通り「祭り」を題材にした日記風の話。祭りの神輿担ぎの間に、親族の不幸が起きる話。この書き方では、事情がわかるものの小説の要素である灰汁が抜けてしまっている感じ。

【「テミドールの夏休み」小林圭介】
 フランス革命当時の血なまぐさい時代を書いた歴史小説。想像力による雰囲気が出ていて、わかりやすい。最後の意識の空白が、ページの空白になっているのも、ゲーム参加したような気分でなるほどと思った。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年11月 3日 (火)

第63回毎日出版文化賞:文学・芸術部門に「1Q84」

 毎日出版文化賞(特別協力=大日本印刷株式会社)の受賞図書が決まった。優れた出版物の著編者、訳者、出版社などを顕彰する本賞は、終戦後の1947年にスタート、今年で63回を迎えた。
<文学・芸術部門>1Q84(BOOK1・2)村上春樹著 新潮社。
<人文・社会部門>「政治の美学--権力と表象」田中純著 東京大学出版会。
<自然科学部門>「つながる脳」藤井直敬著 NTT出版。
<企画部門>「江戸時代語辞典」潁原(えばら)退蔵著、尾形仂(つとむ)編 角川学芸出版。
<特別賞>「運命の人(全4巻)」山崎豊子著 文芸春秋。

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文芸時評10月(毎日新聞10月28日)=川村湊氏

「何が彼女らをそうさせたのか」
「現実の事件とお重なる小説」「主人公と社会を見つめ直す」
《対象作品》橋本治「橋(前・後編)」/(文学界)辻原登「抱擁」(新潮)/すばる文学賞(佳作)温又柔(おんゆうじゅう)「好去好来歌(こうきょこうらいか)」(すばる)。

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2009年11月 2日 (月)

詩の紹介 「降り止まぬ雨へのレクイエム」 伊武トーマ

 詩韻が良く、繰り返しが効いた詩である。落ちかかる橋を渡る勇気が試される。一歩を踏みださないと、始まらない。一歩を踏み出したからと言って、かならず橋を渡ることができるとは限らない。渡ったとしてもなにができるのか。どっちにしても、すべてが終わることはない。終わることがありえない。万物流転、循環回帰の世界の向こうに、虹の世界があったとしても、なんの不思議もない。その時、果たしてレクイエムは、終章へのピリオドとなりえるのだろうか。

「降り止まぬ雨へのレクイエム」   伊武トーマ

すべてが終わることはない。
道端にひとり咲く花を見ずして/崩れた橋を渡ることはできない。
向こう岸に/光がさしているのではない。/誰かが/待っているのではない。
何かが終われば/何かが始まり/人知れず花は散り/またひとり花は咲く……。
尻尾を垂らした野良犬が/橋の前を行ったり来たり。/すりきれた影をひきずり/くんくん鼻を鳴らしている。
向こう岸に/帰る家があるのではない。/飼い主がまだ/ちぎれた首輪を握っているのではない。
絶望もなければ/希望もなく/鳴き濡れて犬は/ひとり咲く花をみつめている。
もう道はない。
ぴんと尻尾を立て/イチか/バチか/崩れた橋を渡るしか道はないのだ・・・。すべてが終わることはない。
崩れた橋を渡らずして/道端に咲いた恋を成就させることはできない。
向こう岸から吹く風に/舞い戻る雨が/すりきれた影をひきずる野良犬の背を/容赦なく打ちのめす。
ああ/土に帰ればこの雨も道。/野良犬は顔を上げ/猛勢一拳に駆け出した。
濁流とうとうと口をあけ/波が波を呑み巻き煽りたて/幾千匹の大蛇のようにのたうち荒れ狂う/崩れた橋の橋脚から橋脚へ
翼の代わりに尻尾を立て/一足飛びに跳躍した・・・。
すべてが終わることはない。
道端に咲いた恋を成就させることなくして/降りしぶく雨が止むことはない。
ああ/土に帰ればこの雨も道。/野良犬は空を駆け/崩れた橋に花と散っても
向こう岸からこちら岸へ/やがて/虹は架かるだろう。
「洪水」4号より 09年7月1日(横浜市・草場書房にて販売
(紹介者「詩人回廊」江素瑛)


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2009年11月 1日 (日)

「第九回文学フリマ」の会場付近「京急蒲田駅」

 第八回の時とと大きな変化なし
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 京急蒲田駅周辺は、高架線工事の高い塀で周囲の見通しが効かない。すぐ近くに会場PIOの建物があるのだが、通りからへこんでいるので、見えない。
 駅を大きな車道よりの方の改札を出る。それは東口の反対側で、正面に東日本銀行の看板が見える。工事中の駅舎を出てすぐ右側に交番がある。

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自費出版の小雑誌「リトルプレス」が人気

 写真を多用し、レイアウトに工夫を凝らした「リトルプレス」と呼ばれる自費出版の小雑誌が人気を集めている。飲食店情報や雑貨など生活に関係した事柄を扱うものが多く、おしゃれなデザインで若者を中心に支持を集める。地方発のリトルプレスが増えており、全国流通の雑誌では得られない話題を見つけることができる。
 「リトルプレス」とは、自費出版の小出版物のことを指し、以前の「ミニコミ」とほぼ同じ意味。しかし、単色印刷で文字が多かった「ミニコミ」に対し、「リトルプレス」は写真やイラストなどの視覚面を重視しているのが特徴。大手出版社の雑誌と見間違えるほどデザイン性の高いものも少なくない。
 多くは広告などが入らず、出版側ももうけより、自己表現の場と考えていることが多い。この点で、従来ある地域情報誌とも違う。
 東京・神保町の東京堂書店神田本店は昨年春から、全国の「リトルプレス」を集めたコーナーを3階に設けた。担当している畠中理恵子さんは「地方のリトルプレスが元気です。料理のレシピを入れるなど実用性を重視し、生活の魅力を見直す内容が目立ちます」と話す。同店で取り扱っているのは、約30種類。多くの雑誌は300~500円程度だ。
 その一つが、金沢市で2005年から発行されている「そらあるき」。作っているのは、市内のギャラリーや喫茶店などの店主たち。年2回発行し、今年4月に発行した最新号では、市内に残る近代洋風建築の由来や雰囲気の良いカフェ、金沢を題材にした書籍の紹介などの記事を掲載している。前号の売り上げで印刷費などを賄っている。
文字の位置なども見やすいように工夫されているリトルプレス。市内の観光名所やお薦めのレストランをまとめた地図。雑貨店を経営する編集長の田中義英さんは「元々は観光客に役立つ小さなガイドブックにしようと作ってきたが、地元の人にも売れている」と手応えを話す。
 盛岡市で発行されているリトルプレス「てくり」は、南部鉄瓶や染め物といった地域に残る伝統的な物づくりなどを取りあげる。紹介する飲食店も、地元に根ざしたハンバーグ屋や喫茶店などで、観光客向けの店は少ない。題名の「てくり」は「てくてく歩く」という意味を込めている。編集スタッフの木村敦子さんは「郊外に大型ショッピングモールが増え、中心市街地が寂しくなってきている。雑誌をきっかけに昔からの街の良さに気付いてもらえれば」と話す。
 こうした出版が盛んになってきた背景には、パソコンの普及で、写真やイラストを手軽にデザインできるようになったことがある。原稿を書く執筆者のほかに、雑誌全体のデザインをする人もメンバーに加わっていることが多い。
畠中さんは「リトルプレスもインターネットと同じく情報を扱っているが、手元に物として残すことができる点が違う。気軽におしゃれな雰囲気を味わえることが読み手に受け入れられる要因です」と魅力を話す。(09年10月30日 読売新聞)

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「西日本文学展望」西日本新聞(10月29日朝刊)長野秀樹氏

題「死と少年少女」
《対象作品》
石峰意佐雄さん「少年時」(「火山地帯」159号、鹿児島県鹿屋市)連載10回で完結。
美山みち子さん「瑠以子」(「南風」26号、福岡市)
「火山地帯」は大迫忠信さんの追悼号。大迫さんの「霧島吟行記」、立石富生さんの「やさしい共犯者」はじめ追悼文掲載。
「午前」86号(福岡市)より青海静雄さん「偽学生と哲学」、吉森康夫さん「筑紫の風」
「周炎」42号(北九州市)より推薦作として久我秀茂さん「長安の白梅」、暮安翠さん「グレアム・グリーンの墓を訪ねて」
「無辺」14号(熊本市高森町)は阿蘇ペンクラブの機関誌。特集コラムのテーマは「風」。阿蘇在住作家の川崎のぼるさんのコラム掲載。(「文芸同人誌案内」ひわきさんまとめ)

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