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2009年11月22日 (日)

「季刊文科」46号(鳥影社)が伊藤桂一「形と影」の再録の続き

 山本周五郎は、曲軒ともいわれ、へそまがりで皮肉屋のところがあって、そのエピソードは木村久邇典のエッセイなどに記されている。
 「グループ桂」に掲載の北一郎の寸編小説では、そのことに触れている。同人仲間がそのエピソードってどういうものなのか、訊くので、典型的なものをひとつ教えた。
 嵐寛十郎という鞍馬天狗で一世を風靡した俳優(故人)がいた。アラカンといえば鞍馬天狗である。
 映画の中に出てくる角兵獅子を美空ひばりや松島トモ子が演じていた。アラカンは、鞍馬天狗のイメージが強くて、次の主演映画の仕事がこなくなったらしい。
 そこで映画化されるので有名な作家山本周五郎を訪ねた。山本周五郎の代表作「樅の木は残った」は、当時「青葉城の鬼」という題で、長谷川一夫が主演をしていたような記憶がある。
 アラカンこと嵐寛十郎は山本周五郎に「先生、最近わたしは芸に行き詰まりを感じまして、そこで先生にお願いして、私の壁に当っている芸に新境地を開けるような原作を書いていただけないでしょうか」とか、言ったそうである。
 すると周五郎は「いや、いや、私はあなたの映画を観ていますが、あなたの芸は、とても行き詰ったり、壁にあたるような芸には見えませんね」と、いって断ったそうである。
 アラカンの語る台詞は、歌舞伎役者調の棒読みで、「杉作、いくぞ」とかのものが多く、たしかに大根役者的であった。(しかし、自分はその棒読み役者が大好きであった。第一アラカンはその後、老人役の脇役でいい味をだしている)。
 そうした話は伊藤桂一氏も知っていたらしい。
 自分が「先生、アラカンはその後、晩年になっていい役者になったのですよ。山本周五郎はそれを予知できなかったですね」といったところ、「いや、私だって嵐寛十郎の芝居は、いきづまるような高級な芸には思えなかったよ」と、周五郎の意見に賛成していた。
 これは、それぞれの時代の人間の受けてきた風の肌合いの違いを示すものであろう。
 それはともかく、「季刊文科」46号(鳥影社)に掲載されている「光と影」は、小説と詩作の両方ジャンルに作品を発表してきた、詩人&作家・伊藤桂一の本質がそこに見られるので、近いうちに「詩人回廊」の伊藤昭一の庭で、解説をしてみたいと思う。作品「光と影」の過去に発表された媒体は、昭和30年2月「三田文学」が初出で、次に昭和37年4月「ナルシスの鏡」(南北社)に掲載されている。いわゆる商業性に乏しいので、今回「季刊文科」46号(鳥影社)に掲載されたのは、貴重なものである。
 自分の思いついてる視点としては、この作品には、存在論として、戦前に埴谷雄高が同人誌に発表している「洞窟」と比較することが可能かどうかを検証してみたい、ところだ。

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