【書評】『闇の奥』コンラッド著、黒原敏行訳
これまでは、岩波文庫の中野好夫訳があったが、新訳が出たらしい。コンラッドのこういう悠然とした書き方は、メルビルの「白鯨」とか、日本では中里介山「大菩薩峠」などがあるが、いずれも長編。短編では「闇の奥」ぐらいなものだ。
(産経ニュース09.10.10)光文社翻訳編集部 鹿児島有里
「闇の奥」 ■最大の恐怖とは何なのか
この小説は「20世紀最大の問題作」と呼ばれてきた。映画「地獄の黙示録」の原案であることは有名だが、多くの映像作家や小説家を惹(ひ)き付ける一方、難解でわからないとも言われ続けてきたのだ。何か大事な問題を提起していても、その日本語の文章が理解できないものなら、問題について考えることはできない。「問題作」と言うからには、何を言っているのか理解できて初めて大事だとわかる何かがあるはず。新訳では、その何かがきちんと伝わるようにすることを目指した。
船乗りマーロウはかつて、象牙交易で絶大な権力を握る人物クルツを救出するため、アフリカの奥地へ河を遡(さかのぼ)る旅に出た。マーロウが経験した旅を回想するこの作品には、さまざまな恐怖が盛り込まれている。
自然でも人間でも、得体(えたい)の知れないものは怖ろしい。底知れぬ力を秘めて沈黙する密林。息をつめて船を進める中、遠くから響いてくる太鼓の音、静寂を破る突然の雄叫(おたけ)び。これは歓迎のしるしなのか威嚇なのか。森に潜む黒人の表情は読めない。道中聞いた噂(うわさ)で、クルツ像も謎が深まるばかり。
読んでいると、本当に太鼓の音が聞こえてくる気がする。ぞくぞくしながら、次に何が起こるか追わずにはいられない緊張感は、まさに冒険小説の醍醐(だいご)味だ。
だが、もっとも強烈な恐怖は、「知っていたはず」のものが「わからなくなってしまう」ことだろう。それが自分自身だったら? この旅の果てにマーロウがたどり着いた真実、最大の恐怖とは何なのか。本書の「問題作」たる所以(ゆえん)をご確認ください。(光文社古典新訳文庫・620円)
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