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2009年10月31日 (土)

同人誌時評「図書新聞」09年10月24日、福田信夫氏

見出し「女性が主宰する同人誌に惹きつけられた」
《対象作品》
『宮古島文学』第3号の特集「宮古島で生まれた詩人たち」より岡本定勝、伊良波盛男ら8人の詩と市原千佳子のエッセイ
『新しい天使のための…』4号より大坪れみ子「現代詩が目指すべきもの 石川啄木に学ぶ」
『惟(ゆい)』4号より紫野京子の連載「風の起こる処」
『群系』第23号は「生誕百年の作家たち」と「『私』の好きな詩 鑑賞と論考」の特集。特集Ⅰはラミレス・マイケルら12人。Ⅱは永野悟ら16人。小林弘子「松本清張雑感」、安宅夏夫の「松本清張-本歌取りと取材の徹底-」
『一宮文学』第33号より伊藤芳昭「放生閑中汗簡記」
SF短歌同人誌『フロンティア』第77号より松宮静雄の連載「悔恨の遠い日々(三)-戦後の回想 上」。同誌は次号にて終刊
『シリウス』第19号宇野秀「野人政治家風見章の真実-ソ連参戦をいち早く予言-」、一ノ瀬綾「我が人生 独り芝居」
『層』110号より中沢正弘「晩秋のゲート」、小田切芳郎「雪崩の谷(連載第9回)」
『あべの文学』9号、「追悼 松浦保さん」奥野忠昭ら11人。(「文芸同人誌案内」ひわきさんまとめ)

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文芸同人誌評「週刊 読書人」009年10月9日、白川正芳氏

小松陽子「春の夢」(「木木」22号)、同誌より河村剛「家系の記」
藤岡侑子「紅花は語る(「アミーゴ」62号)
「矢作川」10号の著者紹介がユニーク。同誌より小野滋美華「江戸のリサイクル」、大浜太郎「良寛さん」
「群系」23号より間島康子「埴谷雄高『闇の中の黒い馬』」、高比良直美「詩人野上彰の足跡を訪ねて海鹿島(あしかじま)へ」
「千年紀文学」81号より小畑精和「物語の相対化と現実の希薄化」
津坂治男「軌跡」50号、遠山アキ「チャッコピー先生奮闘記」、岸本静江「岸田劉生」(「槇」32号)、上田千之「晩年の家」(「渤海」58号)(「文芸同人誌案内)ひわきさんまとめ)

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2009年10月30日 (金)

文芸時評<文学10月>(読売新聞)作家、空虚な現代に対峙

 先日ノーベル文学賞に決まったルーマニア生まれの作家へルタ・ミュラー氏は、祖国で出版活動を禁じられて西独に移り、チャウシェスク独裁政権下の民衆の窮状などを描いてきた女性だ。また、日本語で書く外国人作家として登場した楊逸(ヤンイー)氏(45)とシリン・ネザマフィ氏(29)は、文化大革命、イラン・イラク戦争と小説を書くこととの関係を対談「私たちはなぜ日本語で書くのか」(文学界)で語り合っている。戦争、革命といった現実に、作家は書くことで対峙(たいじ)する。翻ってこの日本で、作家は何と向き合っているだろう。
 新潮新人賞に選ばれた赤木和雄氏(29)「神キチ」(新潮)にあるのは、この社会を覆う荒涼とした風景。救われたいと祈り、宗教ばかりはやるけれど、神はどこにもいないという信心のインフレ現象を、主人公〈伊作〉が少し動く度に何かが起きてしまうエピソードの連鎖で描出する。筒井康隆的な不条理と、黒い笑いのドタバタ劇にも読めるが、選考委員の町田康氏が「ほぼそのまま、私たちが現実に生きる社会を描いたもの」と評する通り、戯画でも誇張でもなく、ここには救いがたい現実の姿そのものがある――と思わせる強度と密度を持った作品である。
 自身の故郷〈神町(じんまち)〉の地形、地誌、歴史を踏まえつつ、神も仏もない惨澹(さんたん)たる別世界を現出させた『シンセミア』の刊行から5年、阿部和重氏(41)が、またも神町を舞台に連載「ピストルズ」(群像2007年1月号~)を完結させた。本作で描かれるのは植物性の香薬を使った「魔術」を一子相伝で継承する神町の一族〈菖蒲(あやめ)家〉のミステリアスな歴史。それを菖蒲家の次女である職業作家から町の書店主が聞き出し、手記にまとめる体裁をとっている。
 妖(あや)しい魔法や超能力で人びとの運命を弄(もてあそ)ぶ残酷な幻想物語の雰囲気を醸しつつ、町の中心である若木山(おさなぎやま)の縁起、戦後の権力争い、アメリカの影などが語られ、『シンセミア』では触れられなかった神町年代記の行間が埋められていく。不吉な何かに向かってカウントダウンが続いている緊張感が高まる。
 とりわけ芥川賞受賞作『グランド・フィナーレ』の主人公が殺人の嫌疑をかけられる終盤の急展開は、疑心暗鬼に駆られた住民が悪意のドミノ倒しを引き起こす『シンセミア』的悪夢の再来。氏が書いてきた「神町」につながる作品群が互いに浸食し合い、「神町サーガ」と呼ぶべき大河となってうねり出す様は壮観だ。さらに、次なる物語の芽も見え隠れしている。 「神キチ」でも神町でも、誰の目にも明らかな戦争や革命は起きていないが、作家たちはそこに伏流する何かをあぶり出している。伏流するものを補助線にして、表面の薄皮一枚下にある世界の実相を暴こうとしているのではないか。
 橋本治氏(61)の補助線は、距離を置いて社会史を通観するさめた視線だろう。新作「橋」(文学界10・11月号)は、80年代に少女時代を過ごし、バブル崩壊に歩調を合わせて犯罪で破滅する2人の女性の物語。消費が欲望を増幅させるあべこべの循環が地方都市をも呑(の)み込んでいったあの時代をたどり直す手法は、「戦後」に焦点を当てた前作『巡礼』に通じる。それは暗礁に乗り上げ茫然(ぼうぜん)自失している現代人の空虚に、よく響く。
 フリーターやニートが増え、晩婚化も進んで、若者たちが「青春」の気分に浸る時間は、以前よりずいぶん長くなっている気がする。丹下健太氏(31)「マイルド生活スーパーライト」(文芸冬号)は、延長されたそんな時間の中にある不安をよくとらえている。彼女にふられた契約社員が、友人3人と夜の川で上流から葉っぱを流し、下流で捕まえる実験を繰り返す。彼女が残した別れの言葉の真意をつかむために。永遠に続くのではないかと錯覚させる彼らの時間には、退屈と自足があり、そこに苦さが入り交じる。
 すばる文学賞の木村友祐氏(39)「海猫ツリーハウス」(すばる)は、祖父の農業を手伝いながら将来を模索する青年の葛藤(かっとう)と兄への屈託を丁寧に描く。南部弁が躍動し、地方都市特有の青春の閉塞(へいそく)感をリアルに伝えていた。(文化部 山内則史)(09年10月27日 読売新聞)

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2009年10月29日 (木)

同人誌「相模文芸」第18号(相模原市)

 30人近い参加者の作品が掲載され、カラー表紙絵、中にはカラー記録写真(江成常雄「ガナルガダルの『故郷』の歌」)もある。多くは目を通せないので、目についたものだけを紹介する。

【「断食道場」宮本筆】
 断食で病気を治す道場に行った経験談のようだ。断食体験の光景がドキュメンタリー的な面白さを持つ。

【「文豪の遺言」(四)木内是壽】
 松本清張、林芙美子、島崎藤村、火野葦平の遺言から、作家の人生感、死生観が解説されている。調べるのは大変そうだが、どれも大変面白かった。

【「輝く青春の日々―手記―」外狩雅巳】
 目次では小説となっているが、固有名詞や仕事の内容の詳細なところから、ほとんど事実に即しているように思える。1942年生まれで、私と同年である。夜間大学に通っているところや労働運動に参加し、大学では全共闘時代を過ごしたのも同様である。ただ、私は資本論と革命を研究したが、学生運動には参加しなかった。それでも研究をしているというので、いろいろと巻き込まれた。そのため面白く読んだ。
 ここにもレーニンやトロツキー、第四インター、核マル派などの活動に巻き込まれている様子がある。自分は彼らの理論が理解できずに(頭のいい連中なのに、行動原理がめちゃくちゃでついていけなかった)。少数グループで革命論を研究していた。同時に昼間の仕事でダイエーなどの流通革命の激変にかかわっていたので、デモに関与することよりも現実に関与せざるを得なかった。作品中で、ゲームのセガ社の話が出ている。自分はジュークボックスのセガ・エンタープライズの時代に、ジュークボックスの市場調査でマネージャーと会った記憶がある。調査では衰退すると結論したが、やはりなくなった。
 いずれにしても、高度経済成長期だからこその輝く青春の日々。現在の状況の厳しさとは、比較にならない。

【「ねこ語」/「まんびき」はまむらひろぞ】
 ショート・ショートが2作。「ねこ語」は、洒落ていて面白い。「まんびき」は書店の本を万引きする話だが、その本が、椎名麟三「赤い孤独者」、梅崎春生「日の果て」、武田泰淳「風媒花」、鶴田知也「コシャマイン記」、カミユ「異邦人」、サルトル「嘔吐」。そして万引きしたのは、太陽のせいだとする。時代離れしてはいるが、考えさせる。
事務局=相模原市相生2-6-15、外狩方。 「相模文芸クラブ」サイト
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)
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テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例
連携サイト穂高健一ワールド

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第九回文学フリマ(蒲田)に文芸同志会も参加

12月6日(日)開催予定の「第九回文学フリマに文芸同志会も参加することを決めた。
「文学フリマ」は、プロ・アマ、個人、サークル、法人を問わず参加できる文学のフリーマーケット。出店者の作品を誰でも気軽に見て買うことのできる「文学」限定の同人誌即売会。《参照:文学フリマTwitter
 同人誌即売会は、マンガの世界を活性化させることで知られているが、「それを<文学>の世界でやってしまおう」(望月倫彦・文学フリマ事務局代表)という試み。
 02年以来毎年開催され、出店者・来場者あわせて1000人規模の文学イベントとして注目を集めている。また06年2月には名古屋にて「文学フリマIN なごや」も開催され、その運動展開が注目されてきた。(参照:伝説の「文学フリマ」を名古屋市でも開催

文芸同人誌の即売会「文学フリマ」は、さらなる拡充へ=東京

 09年5月10日の「第八回文学フリマ」は、約320の文芸サークルが出店し、1800人以上の参加人員となった。事務局は「第九回文学フリマ」の参加者は「約380サークルの申し込みの全部のサークルの出店が可能となった」としており、参加者2000人規模のイベントになると見込んでいる。
 文芸同志会は、「第八回文学フリマ」に出店し、WEB同人誌「詩人回廊」から作品セレクションした冊子「詩人回廊2009」を販売した。そこでは、多数の文芸同人誌のなかで、埋没しないように、前々回の秋葉原の七回文学フリマにおける「東浩紀氏のゼロアカ道場」の盛り上がりの余韻を活用、パフォーマンスのため特集記事として評論「東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』で読む日本文学の傾向と対策」を掲載。たまたま来場した東浩紀氏に贈呈している。だが、その努力空しく現在の冊子の販売数は60冊程度(目下、絶版)にとどまった。普段から作品はネットサイト「詩人回廊」は無料で読めるため、ネットに縁のない高齢者が購読者であった。

 今回も前回同様のパフォーマンス特集記事を企画している。評論「大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿―構造しかない日本』に読むニヒリズム観」を予定、会員の山川豊太郎氏に執筆を依頼中である。
 発想は、「文学フリマ」の発足のきっかけとして、マンガ原作者で評論家の大塚英志氏が雑誌「群像」02年6月号に「不良債権としての文学」で提唱、参加者を募った際に、いち早く文芸同志会も賛同、ほかの年配者構成による文芸同人誌に呼びかけを行った経過を踏まえ、大塚英志氏にスポットを当てることにしたものである。
 これは、評論家をパブリックに評論できるのは読者であるという論理による。今後とも文芸同志会は、現在の文学界の底の浅い「足湯文学化」「ライトノベル化」「専門主義的オタク化」「孤立化」の傾向に逆らい、レガシー文学思想をもって、伝統的な文学精神の継承に努力する。
 「詩人回廊」サイトは、参加同人の作品に加え、青空文庫に作品が発表されている歴史的な文人たち(芥川龍之介、菊池寛、中原中也、夢野久作など)を同時掲載し、直接的な作品比較を容易にし、それをもって文学的鑑賞力の初心者でも、批評的な読み方ができ、鑑賞力の向上になること目指している。

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2009年10月28日 (水)

同人誌「文芸中部」82号(愛知県東海市)(1)

【「オールドローズガーデンB&B」西澤しのぶ】
 大変印象の深い小説であった。云うに言えない味わいがある。舞台は英国であるが、そこに登場する人たちは、ドイツ語の翻訳家、ドイツ出身のウイルヘルムが主人公、彼のなき妻が英国人、出入りする家政婦は、モロッコ系である。ウイルムヘルムが妻の亡き後、庭のバラ園を放置しておいたが、そこへ日本人が幾日かのホームステイを依頼してくる。妻がかつてしていたB&Bの活動の影響である。
 ウイルヘルムは事情を知らずに、年配の日本人夫妻を泊める。
 すると、夫妻がこの地で、かつて渡英していた娘を殺害され、その犯人が刑務者を出所するので、彼を赦す気持になったことを伝えに来たのだった。ところが犯人は、父親を日本兵殺されていてそれを赦すという。また、ウルヘルムも戦争で、敵を殺していた。
 まず、英国の風土と、日本人への敵意など、そこに住む外国人のキャラクターが自然に描かれている。クリスチャン精神に満ちた人物像が、そこによく融合されている。作者は、おそらく英国での暮らしが長く、信者であろうと推察される。ここに描かれた罪と罰、赦しの問題も理屈的には深みがないが、小説のなかではそれを身にしみるように表現。創作的ではあるが、これが小説でなければならない必然性を感じさせる。とにかく文学表現力で良質な小説である。

【「溶けてゆく街」蒲生一三】
 技術的に老練な手腕の作品。阪神大震災を経験した高齢者の、日々を生きる様子とその死を描く。かつて古山高麗男という作家が、私小説風な「私的」日常から物語を飛躍させる手法を用いていた。なんとなく、その作風をイメージさせる。震災以来、人が消えて町が溶ける。自在な筆致が、物悲しいような、庶民のあわれな味わいを深くしている。

【「花疲れ」濱中禧行】
 若き時代に、遊び心で交際のあった女性が知らぬ間にわが子を産み、成長していた話。書く楽しみと読む楽しみが半々の読み物のようだ。
 発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、文芸中部の会。
            (紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例
連携サイト穂高健一ワールド

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2009年10月27日 (火)

第109回文学界新人賞に奥田真理子さんの「ディヴィジョン」

 奥田真理子さんの「ディヴィジョン」に決まった。奥田さんは1972年、大阪府生まれ。現在、主婦、社会人学生。大阪府在住。また花村萬月・松浦理英子特別賞に合原壮一朗さんの「狭い庭」。合原さんは92年、福岡県生まれ。現在、高校3年生。福岡県在住。受賞作と選評は11月7日発売の『文学界』12月号に掲載。

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2009年10月26日 (月)

「本の学校」を運営、第57回菊池寛賞の永井伸和さん

 本と人とを橋渡しする人材の育成を目指した「本の学校」を1995年、鳥取県米子市に開いた。同市の米子今井書店(現今井書店グループ)経営者として、進む活字離れに危機感を持ったのがきっかけだ。書店と図書室、研修室を備える。読み聞かせ活動などに取り組む人に交流の場を提供し、文学講座も開いてきた。
 業界の若手を集め、書店の役割を考える会合も開催している。95年に開いたシンポジウムに「朝の10分間読書」を提唱した千葉県の高校教師を招いたのを機に、参加者らで普及のための団体が発足。全国の小中高校に広がった。
 書店は5代目で、生活の中に常に活字があった。自室も本で埋まり「家族はあきれてます」と苦笑。「紺屋の白袴で、読みたい本を開く時間がない」のが目下の悩みだ。
 受賞を喜ぶ一方、「ネット中心の社会で出版不況の出口は見えず、闇夜に船をこぎ出す思い」とも。理想はドイツの書店だ。書店員の多くが専門の職業教育を受け、読書家の好奇心に応える。「本と人の出会いを支える基盤づくりを」。情熱は尽きない。(09年10月23日、読売新聞・米子支局 大櫃裕一、写真も)

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詩の紹介 「崖に打ち寄せる波」大井康暢

 人の声なき声。無言の映像だけの影と光。崖に繰り返し打ち寄せる波のように、遠い時間とも、遠い空間から伝わってきた叫びは、聞きたくても聞こえない。或いは、聞く機能を閉じ、拒否している。
 自分の叫びは、留守番電話に吹き込んでも、手紙を出しても、伝わることがない。無言黙秘、返事がないことは黙って受け取ったことなのか、黙って拒否したのか。
確かに「ITテクノロジーは人間の精神を破壊する」言葉の流れは、その一語で核心に届いている。
  ☆
「崖に打ち寄せる波」          大井康暢

画面いっぱいの大衆の群れ/人々が何か叫んでいる/しかし/映像だけで音がない/拳をかざし腕を振っている/顔がゆがみ口を開けたり閉じたりしている/彼らの声はこちらには聞こえない/向こう側の叫びはこちら側には届かない/バンザイクリフに打ち寄せる/波しぶきに音がないように/永遠に繰り返す悲しみは/動く物体に当てた光の影に過ぎない
悲しみとはそんな光の影なのか/それか知りたくていらいらしてくる/しかしなにも聞こえない/テレビのアナンスか/蹴る音投げる音か/それは騒音の中の無音でしかない/真空状態では音はでない/音は空気の振動としてあるからだ/それは骨の鳴る音なのだ
留守電に用件を話しても/返事がないことがある/決して返ってこない留守電だ/幾度録音しても相手は答えない/これはきわめて現代的な脅迫に違いなかろう/ITテクノロジーは人間の精神を破壊する/手紙を出しても返事が来ない/返答拒否が返答であり/真空パックの恐怖の犯罪なのだ
電話口の半狂乱の叫びが多分現代だ/無音電話の方が効果がある/密室のひとつである電話/怒鳴っても喚いても誰も知らない/しかし一瞬露出した自我は再び消える/無言の威圧は恐ろしい

詩集「遠く呼ぶ声」より 大井康暢 2009年10月10日 東京都砂子屋書房 
(紹介者「詩人回廊」 江素瑛

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2009年10月25日 (日)

手話でシャンソン、橘妃呂子「風歌い」コンサートを聴く

 23日に内幸町ホールでの「橘妃呂子シャンソンコンサート」を聴く。毎年恒例の彼女のコンサートだが、最近は難聴者の人を招待して、手話をまじえた唄もプログラムに入っていた。補聴器のPR誌「WIDEXCLUB」にもこのコンサートの記事が出ていて、磁気ループ(マイクで拾った音を、磁気ループを通して受信機に直接届けるシステム。テレコイル機能のある補聴器で利用される)席を設置しているのだという。
 じつは、私は片耳がフタをされたようで、最近は耳鳴りがひどい。耳鼻科にいったら原因不明で聴力の高音部の劣化があるという。これからは、音楽はメロディだけを聴くようになるのか、と思ったらがっかりした。だから、補聴器の話も他人事でないのかもしれない。
 彼女の歌は、てらいのないオーソドックスな唄い方で、譜面に正確で、きちんと唄う。癖のない歌い方を頑固に守って、これまでやってきたのは立派、と評したら「それは、どういうこと、失礼な評じゃないの?」と、文句を言っていたが、ひねこびていないという意味である。
 伴奏=ピアノ 上里知巳/ギター 並木健司/上園弘樹の各氏。

 彼女とはなんとなく、つかずつかずの離れた関係だが、そのわりには、ネットニュースにかなり扱っている。いつだかの「伊藤桂一先生を囲む会」の集いでも、伊藤先生と同郷なので会場で歌ってもらった。
 耳が鈍感でなく感受性に自信のある方には、おすすめの歌い手である。

 橘妃呂子さんのチャリティコンサートに海江田万里氏も来聴! 共生の時代を語る=東京 

思い出のGW!親日家の建築家“コンドル展”で千客万来=東京・旧岩崎邸

シャンソン教室は花盛り!映画「愛の賛歌」でブーム再来か?=川崎市

シャンソン・ファンの気分はもう巴里祭!=東京・秋葉原MUSIC VOX

天使のシャンソンを聴く、銀座の老舗“マ,ヴィ”=東京

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2009年10月24日 (土)

 第37泉鏡花文学賞に千早氏「魚神」

 第37回泉鏡花文学賞(金沢市主催)の最終選考会は、千早茜(ちはや・あかね)氏の「魚神(いおがみ)」(集英社)を受賞作に選んだ。正賞の八稜鏡(はちりょうきょう)と副賞100万円が贈られる。

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2009年10月22日 (木)

グラビア誌「sabra」(小学館)休刊へ

 小学館は19日、男性向けグラビア誌「sabra(サブラ)」を来年1月25日発売の3月号で休刊すると発表した。
 同誌は平成12年5月、誌面とウェブを連動させた新たな情報誌として創刊。平成15年には過去最大となる20万5千部を発行したが、最近は平均8万5千部程度で推移していたという。
 同社は「雑誌とウェブ環境の大きな変化の中で、時代へ向けた展開を視野に抜本的な見直しをはかることとした」としている。(産経ニュース09.10.19)

「sabra(サブラ)」休刊で聞こえてきたグラビア誌終焉の足音

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2009年10月21日 (水)

ハヤカワ、女性向けレーベル「イソラ文庫」が創刊

 海外文学の紹介で知られるハヤカワ文庫(早川書房)に、女性向けの新レーベル「イソラ文庫」が創刊された。
 ロマンス小説や軽いタッチの「コージーミステリー」など女性向きの翻訳作品をラインアップする。担当編集者も女性。南イタリアの言葉で島を意味するイソラは、無人島に持って行っても、楽しく過ごせる物語を集めた、との意味だという。
 第1回配本は、アディーナ・ハルパーン『人生最高の10のできごと』(田辺千幸訳)、ミシェル・スコット『おいしいワインに殺意をそえて』(青木千鶴訳)、テレサ・マデイラス『月の光に魅せられて』(辻早苗訳)の3冊。(09年10月20日 読売新聞)

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2009年10月19日 (月)

講談社Birthカフェが10月13日~24日まで銀座にオープン

 「講談社Birthカフェ」が東京・銀座のスワンカフェ銀座店内にオープン。「講談社Birth」は、20代以下の新人作家とイラストレーターを毎月単行本デビューさせている新レーベル。今年5月の創刊以来20人を超す新人を世に送り出してきた。
 カフェは「若き才能が集う場所を作りたい」と初めて企画。新人の作品を店の壁に張り出すほか、トークショーや朗読会を開催。編集者が小説やイラストの持ち込み原稿に目を通しアドバイスする時間も設ける。


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 続・関東地域の文芸同人誌の交流会の発足に向け懇談会

 森会長、五十嵐編集長のよびかけでは、仮称・関東ペンクラブ設立という話であったので、ペンクラブといえば、物書きの思想的な意見を発表するための組織というイメージがあったので、どんな思想の主張をするのだろうと、考えていたら、趣旨というのは前回の話のようなものであった。
 それでは、なぜ関東ペンクラブという名称にしようとしたかというと、説明では、関西の「中部ペンクラブ」(三田村博史会長)が、地域の文芸同人誌を結集して、成功しているので、それと同様の結集組織をつくりたいということであったらしい。
 その時の森啓夫氏の自己紹介は、参考になった。かつて日本の文壇の雄であった作家・丹羽文雄が同人雑誌における文学修業を重視して、「全国同人雑誌作家協会」を支援。そのときの発足メンバーが4人いたのであるが、森氏がそのメンバーの一人であった。そのうちに「全国同人雑誌作家協会」の内容が変質してしまったために、森氏は脱会。休刊していた「文学街」を再刊し、現在は300人の会員がいるという。その「文学街」の267号をみると、徳島ペンクラブ会長・山下博之氏の活動記が掲載されている。ペンクラブがそんなにあるとは知らないので驚いた。しかし、中部も徳島も、日本ペンクラブとは関係のない団体のようだ。
 一方、森氏の脱退したあとの「全国同人雑誌作家協会」は、その後「全作家協会」(豊田一郎会長)と名称を変えて存在している。私は「文芸研究月報」という紙の情報紙を発行しはじめた頃、「文芸同人雑誌って何をしているのか、教えて」という購読会員の声を受けて、「文学街」の会員になったり、「全作家」の会員から理事になった時期があった。それらは、情報紙のための投資であった。そして、会員に連絡をいれて報告をしていたわけである。
 また、五十嵐氏の作家集団「KAI」の活動についても月報でレポートした記憶がある。
 これは個人的な感想だが、文芸同人雑誌の会員が、本当に集結した団体があれば、会員に商業文芸誌の購入をすすめるなど、赤字の商業文芸誌も無視できずに、きちんとした対応をしてくるようにしたらどうだろう。本来は「季刊文科」がふさわしいが、発行回数が少ない。
 そういう意味で、「文学界」が同人雑誌評のような形態をとって、雑誌の購読数に寄与しないシステムにしたのは、双方にとって知恵のないものであったように思う。
 森氏と五十嵐氏の活動で、文芸同人誌の集結が出来そうならば、小異にこだわらず、両氏の活動に参加するのも一方法だと思う。「なんだ、結局、二人の雑誌のためのものではないか」というような気持になるとしたら、次の世界をどう自分が展開するか、いづれ自分で先を読んだ活動が求められるのではないだろうか。

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2009年10月18日 (日)

関東地域の文芸同人誌の交流会の発足に向け懇談会

 関東ペンクラブ設立へ向けての懇談会が10月18日に、全国同人雑誌振興会・森啓夫(もりひろお)会長と「文芸思潮」の五十嵐勉編集長(発行人)の呼びかけで、東京・大田区民プラザ会議室にて開催され、約20人の文芸同人誌主宰者・会員が集まった。
 集まった人たちの自己紹介と森会長と五十嵐編集長の考えを聴いた。そこでわかったことは、関東ペンクラブというのは、便宜上の仮称で、必ずしもその名称にこだわらない。呼びかけた両人は文芸同人誌の全国の連携を深める活動をしてきたが、全国的な規模で集まるのは大変なので、東京でできる交通の物理的な集合可能な関東地域として、交流連携するクラブのようなものを結成したい、という趣旨のようであった。
 今後、交流会の詳細については、森会長の主宰する雑誌「文学街」と五十嵐編集長の「文芸思潮」の紙面&ホームページで告知していくということだ。そして、次回は来年3月14日(日)に集まることになった。とりあえず、会費は取らないということ。
 森会長の主宰する「文学街」の発行所は〒168-0065杉並区浜田山2-15-41、文学街社。03-3302-6023。
 私が知ったのは、以前に文芸同人誌「砂」の運営委員と連絡所を引き受けていた(その後は、委員を辞退し、ただの会員となっている)ことから、その集いがあるという知らせを受け取ったのである。そこで、現在の「砂」の運営委員に、その集会があることを連絡したところ、当日は「砂」の合評会があるので、役員が誰も行けない。私が会員として参加しておいて欲しいということで、出席したのである。この集いの状況を「砂」の役員に伝えることになる。
 参加した同人誌関係者たちは、このような交流会で集まるのは有意義であるという人が多かった。「文芸同志会」は、もとから社会的な関係での文芸情報交流の会であるから、ここに情報として伝える。
 集まった文芸同人誌のメンバーは、五十嵐編集長のリストでは、呼びかけの両結社のほか、「逆光線」「夢類」「展開図」「なんじゃもんじゃ」「飛翔」「群系」「文学世紀」「サブカルポップマガジンまぐま」「クレーン」「私人」「相模文芸」など、ほかであった。
 自己紹介では、みなハイレベルな作家、評論家の集まりで、聴くだけで大変に面白く興味深いものがあった。文芸同志会としては、今回の集いに参加した人たちは、それぞれの発行の同人雑誌にこの集会のことを記録するようにして、交流をはかり、ゆるい連携をとったら良いのではないか、と提案した。(伊藤)

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 柳美里さん 『オンエア』 著者メッセージ

(講談社『BOOK倶楽部メール』09年10月15日号)
 『オンエア』は、取材を含めると、2年半を費やした長編です。わたしの作品では、『命』、『8月の果て』に次いで長い小説ということになります。
 20代、30代の女子アナを主人公にし、テレビ業界を舞台にしましたが、特殊な世界を描いたわけではありません。読んでいただければ、きっと、「自分と似ている」登場人物が見つかる、と思います。
 というか、読者のみなさんに、これは「自分の物語」だ、と思ってもらえる小説を書けなくなったら、わたしは書く意味がない、書くのをやめます、筆を折る。
 『オンエア』に登場する3人の女子アナは、不倫、セックススキャンダル、裏切り、という大きな危機に遭遇します。そして、敗ける。でも、挫けない。
 小説は、絶望の処方箋(みたいな小説もあるんでしょうが、わたしは読みもしないし書きもしない)ではありませんが、読者のみなさんが、登場人物と共に絶望し、絶望の最中で希望を見出す過程に参加することはできます。
 いま、辛いひと、いま、淋しいひと、いま、絶望しているひとと、再起への一歩を踏み出したい、と思って書いた小説です。どうか、読んでください。  (柳美里)

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2009年10月17日 (土)

創作同人誌「R&W」第7号(愛知県)(3)

【「絆」静井ヒロ】
 ペット猫の一生が、猫の視点で語られる。ペットの使命について考えさせられるが、「我輩は猫である」ほどの、深い意味はなさそう。こういうジャンルの作品は、これから流行りそうな気がする。

【「タワーホテルの女性客」由愛 葵】
 高級ホテルに宿泊する若い女性。そこに男の宿泊者がいて、束の間の社交を楽しむ。そこで、別れ際に、お互いに自分の身の上を打ち明けると、意外な偶然があることがわかる。オチがあって悪くはないが、すこし重くなって、古めかしいかも。出だしの調子からすると、軽い気分の設定の方がコントとして、このスタイルには適しているような気がした。

【「自然の森公園」山本進】
 高齢者の回顧と瞑想を描く。文学的な文章表現力で、読ませてしまう。時代の正確なところを書かずにうまく回想と妄想を組み合わせている。

【評論「山田風太郎論」藤田充伯】
 山田風太郎を読んでいる人には共感できるところが多いし、よく人となりを伝えていると思った。
…………………… ☆ ……………………
テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例


(紹介者:「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年10月15日 (木)

創作同人誌「R&W」第7号(愛知県)(2)

【「十人目の影」渡辺勝彦】
 特高警察の話があるので、前作の続きとわかった。広島に原爆投下があった時に全滅したとされる劇団「桜隊」のメンバーの一人が生きて、犯罪的な活動しているのではないか、という疑惑で話が進む。時代は岸信介内閣の日米安保条約推進に反対運動が盛んな時期である。
 異色のミステリーとして面白く読める。原爆の被爆都市と特高警察のからみが、時代の政治色を反映して興味をそそる。作品は本来もっと長くなる要素が見られる。ここではあらすじと構成を示したような部分もある。ストーリーが中心で、登場人物のキャラクターの細部が、まだ書き込みされていない。人物像を深めれば、もっと量感のある物語になりそう。

【「復活―友人への書簡―」改田龍男】
 自分より14歳若い妻を持つ高齢の夫が、前立腺肥大になりその治療に女性ホルモンを服用したところ、それまで何事なく営んできた性的な能力が失われてしまう。そこで性の営みの途絶えた時に、妻が憂鬱症を示すようになり、治療を行う。
 そのいきさつがあってから、碁を打ちに来ている友人がしばしば訪ねてくるようになる。夫は妻の態度が明るくなり、魅力を増してきたように思う。夫は妻が友人と不倫をしているのではないかと状況を観察するのだが、確証はない―、という話。
 この作品で、なるほどと思ったのは、冒頭に谷崎潤一郎の「鍵」という作品を引き合いにだしていることが、非常に効果的であるということだった。映画にもなったし、文庫でも、棟方志功の版画がついて、大変魅力的な出来あがりになっている。
 主人公が「鍵」を再読し、昔はなんとも変な話に思っていたが、今は実感をもって読めるという前振りが、この話のイメージを味わいのあるものにし、成功している。親友への手紙という設定だが、その親友が碁を打ちにくる男かどうか、ぼかしてあるのが気になる。
(紹介者:「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)
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2009年10月14日 (水)

早稲田ジャーナリズム大賞に土井敏郎氏ら受賞

 社会に貢献したジャーナリストの活動に贈られる「第9回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」が発表された。
 公共奉仕部門は、(1)イスラエル兵士の苦悩を描いた土井敏郎氏の長編ドキュメンタリー映画「沈黙を破る」(2)在日米軍の問題に鋭く切り込んだ斉藤光政氏の「在日米軍基地の意味を問う」の一連の記事と、記事を一本化した書籍「在日米軍最前線~軍事列島日本~」-の2作品が受賞した。
 文化貢献部門は、リハビリテーションを題材とした大西成明氏のフォトドキュメント「ロマンティック・リハビリテーション」が選ばれた。草の根民主主義部門は該当なし。(産経ニュース09.10.12)

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2009年10月13日 (火)

同人誌評【三田文學」第99号・秋季号

対談「新 同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏
今号で取り上げられた作品
野坂喜美「旅支度」(「米子文学」55号、米子市)/神盛敬一「衝海町(つくまみち)」(「飢餓祭」32号、奈良市)/夏川戸詠子「そして、渦の中」(「飢餓祭」32号、奈良市)/山口碧「田舎教師」(「詩と眞實」720号、熊本市)/難波田節子「夕映えとりんどう」(「河」150号、東京都)/納富泰子「パートタイム」(「胡壷・KOKO」8号、福岡市)/有坂広一「憧れの男」(「じゅん文学」60号、名古屋市)/傳頻伽「ピグマリオンの妻」(「じゅん文学」60号、名古屋市)/板坂剛「『炎の変奏曲』」(「北方文学」62号、新潟県長岡市)/朝岡明美「辛夷の家」(「文芸中部」81号、東海市)/広瀬弘章「赤と白」(「高知文学」35号、高知市)/広小路尚祈「ショートショートな週末」(「デラックス文藝猫背」創刊号、愛知県一宮市)/岡野陽子「身の程知らずの猿」(「文藝軌道」10号、神奈川県中郡)/あべゆきえ「プラスティック エレジー」(「文藝軌道」10号、神奈川県中郡)/石毛春人「ふるさとは遠くにありて……」(「新現実」100号、東京都)/塚越淑行「変な人たち」(「まくた」264号、横浜市)/山川文「蛇口」(「佐賀文学」26号、佐賀県嬉野市)/中島隆「犬小屋エレジー」(「雑記囃子」8号、伊丹市)/宮本誠一「烙印」(「詩と眞實」719号、熊本市)/桜井克明「夢の中から」(「残党」29号、神奈川県高座市)/上山和音「リアル」(「樹林」533号、大阪市)/青木哲夫「渓間の笛」(「アンプレヤブル宣言」15・終刊号、愛媛県今治市)/各務麗至「此の世にて 補記」(「戞戞」31号、香川県観音寺市)
ベスト3
勝又氏:夏川戸詠子「そして、渦の中」(「飢餓祭」)、神盛敬一「衝海町(つくまみち)」(「飢餓祭」)、あべゆきえ「プラスティック エレジー」(「文藝軌道」)
伊藤氏:夏川戸詠子「そして、渦の中」(「飢餓祭」)、野坂喜美「旅支度」(「米子文学」)、中島隆「犬小屋エレジー」(「雑記囃子」)
前回のベスト3と今回分を合わせた中からの推薦作は、両者ともに「ウロボロスの亀」。
よって、今期の同人誌推薦作は「ウロボロスの亀」に決定しました。(「文芸同人誌案内」ひわきさんまとめ)

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2009年10月11日 (日)

創作同人誌「R&W」第7号(愛知県)(1)

 【「泣きじゃくる声」松岡博】
 昭和30年頃、小学生の時に、仲間と外でいたずらをして、みんなで叱られた時に、先生に迎合して、期待に答える返事をしてしまったのが話のはじまり。いたずらをしたと教師が思っているのが堂前で、教師が「堂前の姿を見たか?」と訊かれて、その場の雰囲気で「見ました」と「私」は答えてしまう。実際は見ていない。堂前は「やっていません、やっていません」と泣きじゃくる。そのことが、「私」の記憶から消せない。
 そして、後年40歳代になって、偶然、彼の家の存在を知るが、じぶんから訪ねることは
しないでいる。すると、いつのまにか、彼の家の表札が別人のものになっている。60歳になってから、同窓会の集まりで堂前がなくなっていることをしらされる。「私」には「やっていません」という彼の泣きじゃくる声が消えることがない。このように、簡単に話が紹介でるほど、すっきりまとまった作品。曖昧さを生かして、よく小説にしたという感じ。エッセイ的な手法を活かしながら、ストリーテラーの手腕が出ている。

【「いざない」松本順子】
 警察小説の作家のところに、若い妖艶な既婚女性が訪ねてくる。作家の妻は、それを不吉に感じる。作家の作中人物が夢に出てきて、彼女はその男と交わるのだという。その後、妻の予感は当たり、作家はその女性に取りつかれ死んでしまう。中世の古典にある怪談「」の現代版である。日本の文学的な伝統の浸透の深さを感じさせる。みやびさよりも主婦感覚の話の手順や細部が何となく面白い。

【「ジープ その想念」谷澤弘昭】
 戦後、しばらくしてから朝鮮戦争がはじまり、日本は経済的な復活のきっかけとなった。その時代、まだ米兵を相手に若い日本人女性が商売をする光景があった。占領された日本の屈辱的な立場を象徴しているが、時代の空気はそれを忘れようとしている。主人公の笹澤は、少年時代に米兵と日本人女性が神社裏で性行為をする姿を目撃する。
 その光景をトラウマとして、バイクでツーリングをしながら回想する。単なる回想に終わらせないように、ツーリングの過程を描くことには成功している。目撃した風景の記憶と現在形で存在する女性が並列的な想念として意識にのぼるところが、連結力が薄いのが惜しいといえば惜しいが、バイクツーリングを面白く読ませられた。
発行所=〒480-1131愛知郡長久手長湫上井堀82-1、渡辺方。
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)
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2009年10月10日 (土)

【書評】『闇の奥』コンラッド著、黒原敏行訳

 これまでは、岩波文庫の中野好夫訳があったが、新訳が出たらしい。コンラッドのこういう悠然とした書き方は、メルビルの「白鯨」とか、日本では中里介山「大菩薩峠」などがあるが、いずれも長編。短編では「闇の奥」ぐらいなものだ。
(産経ニュース09.10.10)光文社翻訳編集部 鹿児島有里
「闇の奥」 ■最大の恐怖とは何なのか
 この小説は「20世紀最大の問題作」と呼ばれてきた。映画「地獄の黙示録」の原案であることは有名だが、多くの映像作家や小説家を惹(ひ)き付ける一方、難解でわからないとも言われ続けてきたのだ。何か大事な問題を提起していても、その日本語の文章が理解できないものなら、問題について考えることはできない。「問題作」と言うからには、何を言っているのか理解できて初めて大事だとわかる何かがあるはず。新訳では、その何かがきちんと伝わるようにすることを目指した。
 船乗りマーロウはかつて、象牙交易で絶大な権力を握る人物クルツを救出するため、アフリカの奥地へ河を遡(さかのぼ)る旅に出た。マーロウが経験した旅を回想するこの作品には、さまざまな恐怖が盛り込まれている。
 自然でも人間でも、得体(えたい)の知れないものは怖ろしい。底知れぬ力を秘めて沈黙する密林。息をつめて船を進める中、遠くから響いてくる太鼓の音、静寂を破る突然の雄叫(おたけ)び。これは歓迎のしるしなのか威嚇なのか。森に潜む黒人の表情は読めない。道中聞いた噂(うわさ)で、クルツ像も謎が深まるばかり。
 読んでいると、本当に太鼓の音が聞こえてくる気がする。ぞくぞくしながら、次に何が起こるか追わずにはいられない緊張感は、まさに冒険小説の醍醐(だいご)味だ。
 だが、もっとも強烈な恐怖は、「知っていたはず」のものが「わからなくなってしまう」ことだろう。それが自分自身だったら? この旅の果てにマーロウがたどり着いた真実、最大の恐怖とは何なのか。本書の「問題作」たる所以(ゆえん)をご確認ください。(光文社古典新訳文庫・620円)

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2009年10月 8日 (木)

「文学フリマ」望月代表にインタビュー記事!同人雑誌界の新潮流で、「文学界」11月号

雑誌「文学界」11月号に「文学フリマ」望月代表のインタビュー記事が掲載されている。特集「文学と出会う場所」ということで、「同人雑誌界の新潮流」としている。
 内容はこれまでの文学フリマの歴史や年表が中心。望月代表が、雑誌「文学界」が同人雑誌評を廃止した時に、同人雑誌が低調だという論評が出たのは残念、とする話題もある。時代が変わっているだけで、同人雑誌は盛んになっているというのだ。
 また東浩紀氏のゼロアカ道場から、最終関門に残れなかった坂上秋成氏が「ユリイカ」でデビューしたことも述べられている。
 お笑いでも、準優勝がフィーバーするという傾向にあるから、そういうものかもしれない。
 望月倫彦代表は、評論など物書きなのに、何故インタビュー記事したのかと疑問に思ったら、末尾に「文学界」が「三田文学」の同人雑誌評と連動しているということが書いてあった。まあ、望月代表に書かせたらそれはしないから仕方がないか。

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“歴士”が増加中 好調の歴史雑誌も

 歴史好きの女性(歴女)による「武将萌(も)え」など、武将をアイドルとしてとらえる“軟派”な風潮に疑義を唱える声がにわかに上がっている。お堅いイメージのある歴史雑誌が部数を伸ばしているほか、歴史好きが集うバーが人気を集め、真摯(しんし)で活発な歴史談義が交わされている。時代は「歴女」から硬派な「歴士」に取って代わるのか?
 毎週水曜午後6時過ぎ。東京・神田小川町のバー「渡部商店」に、一見共通点のなさそうな老若男女が集まってくる。カウンターのみ15席ほどの店内は、歴史をめぐる話題でもちきりだ。次第に客席に座りきれない酔客が店外にあふれ、自然と立ち飲みとなる。
 経営者の渡部麗(りょう)さん(35)によると、もともとごく普通のバーだったが、趣味が高じて約2年前から「歴史バー」として開放した。口コミやインターネットを通じて話題になり、各地から歴史ファンが訪れる名スポットとなっていった。
 渡部さんは「ネットの普及もあって、歴史好き同士が交流する機会が増えている」と指摘。「硬派な歴史好きを私は勝手に“歴士”と呼んでいる。萌えがきっかけでもいいと思うが、歴史は点ではなく線として続くもの。ブームとして消費してはいけない」と強調する。
 PHP研究所の月刊誌「歴史街道」だ。昭和63年の創刊時からしばらくは10万部台を維持していたが、一時は6万部台にまで落ち込んだ。しかし、平成16年に現在の編集長にバトンタッチすると“V字回復”を見せ、現在約12万部まで伸ばした。
 「歴史を求める潜在的ニーズはあると思っていた」と語るのは辰本清隆編集長。「わかりやすさ」への配慮を徹底し、「歴史を通じて現代へのヒントを考えてもらえるような紙面作りを心がけてきた」という。読者層も創刊時に比べて若年化し、小、中学生の読者もいるという。女性読者も全体の約4割を占める。
 辰本編集長は「確かに(歴女が好むとされる)戦国武将特集は人気があるが、日露戦争や太平洋戦争といった近現代史にも高い関心が寄せられる。性別にかかわらず、全力で苦難に立ち向かっていった人間像を知ることは、いつの時代も普遍的な欲求なのではないか」と分析している。(三品貴志)(産経ニュース09.10.5)

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2009年10月 7日 (水)

西日本文学展望「西日本新聞」9月28日朝刊・長野秀樹氏

題「象徴」
吉岡紋さん「家族合わせ」(第七期「九州文学」7号、福岡県中間市)、久保輝巳さん「看板」(「龍舌蘭」177号、宮崎市)
林由佳莉さん「あの日へ続く道」(「九州文学」)、同誌より興膳克彦さん「空渠の歳月」
戸川如風さん「島」(「詩と真実」723号、熊本市)
「すとろんぼり」7号(福岡県久留米市)より後藤みな子さん「樹滴」連載7,岩下祥子さん「尾形亀之助の詩について」
福田章さん『カルデラ・ショック!』(あそ星文堂刊)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2009年10月 5日 (月)

村上春樹氏「1Q84」第3巻刊行へ 新潮社、駅広告で暗示

 待望の続編刊行-。新潮社は5日、2巻合計で220万部を超える大ベストセラーとなった作家、村上春樹さんの長編小説「1Q84」の第3巻「BOOK3」の刊行を暗示する広告を、東京駅や横浜駅など首都圏のJR計25駅に一斉に張り出す。
 関係者によると、村上さんは現在、来年初夏の刊行を目指して「BOOK3」の原稿を執筆しているという。
 広告のコピーは「私たちはこの物語から かけがえのないものを 受けとり続けるだろう」。1、2巻の表紙には、それぞれ黄緑色とオレンジ色の「Q」の文字が描かれていたが、広告には同じ書体で青色の「Q」が描かれている。
 新潮社は「BOOK3」の刊行について「広告を見た人の想像におまかせしたい」としている。(産経ニュース)

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2009年10月 4日 (日)

第22回柴田錬三郎賞に篠田節子さん、村山由佳さん

  第22回柴田錬三郎賞(集英社主催)は1日、篠田節子さんの「仮想儀礼」(新潮社)と、村山由佳さんの「ダブル・ファンタジー」(文芸春秋)に決まった。副賞各300万円。

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2009年10月 3日 (土)

同人誌「弧帆」第15号(小金井市)

【「大人になるってどういうこと?」塚田遼】
 30歳の僕に、15歳の頃の自分が幻影となって現れ、過去の出来事について問いかけをしてくる。当時、仲間で示し合わせて家出をし、女友達を交えて、山小屋でキャンプ生活をする。そこで安藤という親しい仲間の一人が、滑落事故死する。死んだ仲間の命日のために再度その現場に行こうという誘いを受けて参加する。そうして、生きることの意味付けの青春時代と30代のすこしばかりの相違を表現しているように見える。平たく言えば、人生に大げさに向き合っていた時代と現代の成り行きに流される生き方から感慨が素材になっている。独自の感性で文学的なトーンを維持しているため、形式的には安定し、抒情的な余韻がある。出だしもなんだろうと思わせよいのでは。
 内容的には、死んでしまう安藤が「人間は人生の無意味性を何も考えないために、酒を飲んだり騒いだりするのだ」という、パスカルの「人生慰戯論」を述べる。これは若い知識としての発想で、ニヒリズムと積極的意義の中立点を示す。それから15年を経て、その視点から主人公がどれほど離れたところにいるのか、問いかけに対し、思考のアップダウンがない。近代小説の範囲で、ゆらぎがない。ここまで書けるのなら、なぜ「現代の小説」にもっていかないのかなと、思わせる。

【「夜、コンビニの前、雨」淘山竜子】
 佳織は会社の営業社員で、真一という男から結婚を申し入れられている。真一は特に好きではないようだが、積極的な働きかけに交際をするが、お互いの感性の違いに、やはり破局をしてしまう。佳織自身、自分の性格に負い目を見ており、自ら破局へ持ち込んだような部分に悲しみを感じるお話。このところ、この作者の作品は、閉塞的な状況のみを表現するのに凝っていて、自分には意図がわからない作風であった。だが、今回は現代の女性の生きる上での問題意識がキャラクターとして定着されており、自意識と対人関係に格闘する女性の大変さが表現されている。

【「返却」北村順子】
 「私」の日常的生活範囲の出来事が、淡々とかなり丁寧に語られている。しかし、私が誰で何を考えているかは語られない。自分を語らないで何かを表現する一つのパーターンか、それとも意図があるのかわからない。

【「吠える」奥端秀彰】
 本誌のなかでもっとも小説らしい小説。出だしが良い。ある家のエレベーターのメンテナンスに出入りする男が、その家の夫人や一家の飼っている犬の近所迷惑な行為に、腹を立て私的な罰を加えようと企てる。そういうことを考える男の異常さと、悪質な新聞勧誘員の跋扈する異常な町。ところが罰を与えようとした家の夫人は狂気に染まっており、自宅に放火して自ら家庭を崩壊させてしまう。日常的な感情が少しずつずれていって、狂気の境目に入る様子が、うまく表現され、現代人の閉塞性を象徴的に描いている。
《紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一》

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2009年10月 1日 (木)

文芸時評9月(毎日新聞)川村湊氏

「小説家が主人公」「虚構としてリアルな生活描く」「『老人』や『結婚』を面白く悲しく」
《対象作品》前田司郎「逆に14歳」(新潮)/中島たい子「結婚小説」(すばる)/飯塚朝美「地上で最も巨大な死骸」(新潮)/平田俊子「スロープ」(群像)/朝吹真理子「流跡」。(毎日新聞9月29日)

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長嶋公栄「昭和イセザキストリート~東京大空襲余話」(文芸社)

長嶋公栄「昭和イセザキストリート~東京大空襲余話」(文芸社) 著者の長嶋公栄(ながしま きみえ)氏は、1834年、東京生まれ。夫の経営する現代芸術社の木馬座を手伝ったこともある。作家・伊藤桂一氏に師事し、1985年に発足した同人誌「グループ桂」の主宰者となる。
 1997年、「温かい遺体」が女流新人賞最終候補、1998年、「はなぐるま」が北日本文学賞選奨、2002年、「残像の米軍基地」で新日本文学賞佳作、2003年、「幻のイセザキストリート」で新日本文学賞佳作などの経歴を持つ。
 発表作品のタイトルを見ても、太平洋戦争における米軍の無差別空爆や、その後の占領米軍に対応する日本人の苦悩に強い関心を抱いてきたことがわかる。それらは多くが短編であったが、本書は、そのライフワークの集大成といえる。
 1945年の東京大空襲のなかで、思春期に学徒動員に借り出されていた主人公・石坂藍が、兄の友人に抱くあこがれ――。国の破滅のなかで、ほのかな思いから相愛の恋に発展する。純愛の心と裏腹に、敗戦のなかで押しつぶされ、肉体は生きる道具となってしまい心が裂かれる。破滅的な運命から生き直す心を取り戻すまでを描く。
 参考資料に早乙女勝元「東京大空襲―昭和20年3月10日の記録」、蜷川壽恵「学徒出陣―戦争と青春」(吉川弘文館)、日本戦没学生手記編集委員会編「きけわだつみのこえ―日本戦歿学生の手記」(東京大学出版会)、ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて―第二次大戦後の日本人」(上・下)三浦陽一・高杉忠明訳(岩波書店)があげられており、作者の地道な調査と資料重視のリアリズムからなる。事実に即したフィクション化であるから内容は地味である。戦争の悲惨さをしみじみと身近に感じてほしいという作者の意図が見える。高所からの国益論よりも、庶民感覚での平和の意味と尊さを示している。(紹介者:「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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