【「大人になるってどういうこと?」塚田遼】
30歳の僕に、15歳の頃の自分が幻影となって現れ、過去の出来事について問いかけをしてくる。当時、仲間で示し合わせて家出をし、女友達を交えて、山小屋でキャンプ生活をする。そこで安藤という親しい仲間の一人が、滑落事故死する。死んだ仲間の命日のために再度その現場に行こうという誘いを受けて参加する。そうして、生きることの意味付けの青春時代と30代のすこしばかりの相違を表現しているように見える。平たく言えば、人生に大げさに向き合っていた時代と現代の成り行きに流される生き方から感慨が素材になっている。独自の感性で文学的なトーンを維持しているため、形式的には安定し、抒情的な余韻がある。出だしもなんだろうと思わせよいのでは。
内容的には、死んでしまう安藤が「人間は人生の無意味性を何も考えないために、酒を飲んだり騒いだりするのだ」という、パスカルの「人生慰戯論」を述べる。これは若い知識としての発想で、ニヒリズムと積極的意義の中立点を示す。それから15年を経て、その視点から主人公がどれほど離れたところにいるのか、問いかけに対し、思考のアップダウンがない。近代小説の範囲で、ゆらぎがない。ここまで書けるのなら、なぜ「現代の小説」にもっていかないのかなと、思わせる。
【「夜、コンビニの前、雨」淘山竜子】
佳織は会社の営業社員で、真一という男から結婚を申し入れられている。真一は特に好きではないようだが、積極的な働きかけに交際をするが、お互いの感性の違いに、やはり破局をしてしまう。佳織自身、自分の性格に負い目を見ており、自ら破局へ持ち込んだような部分に悲しみを感じるお話。このところ、この作者の作品は、閉塞的な状況のみを表現するのに凝っていて、自分には意図がわからない作風であった。だが、今回は現代の女性の生きる上での問題意識がキャラクターとして定着されており、自意識と対人関係に格闘する女性の大変さが表現されている。
【「返却」北村順子】
「私」の日常的生活範囲の出来事が、淡々とかなり丁寧に語られている。しかし、私が誰で何を考えているかは語られない。自分を語らないで何かを表現する一つのパーターンか、それとも意図があるのかわからない。
【「吠える」奥端秀彰】
本誌のなかでもっとも小説らしい小説。出だしが良い。ある家のエレベーターのメンテナンスに出入りする男が、その家の夫人や一家の飼っている犬の近所迷惑な行為に、腹を立て私的な罰を加えようと企てる。そういうことを考える男の異常さと、悪質な新聞勧誘員の跋扈する異常な町。ところが罰を与えようとした家の夫人は狂気に染まっており、自宅に放火して自ら家庭を崩壊させてしまう。日常的な感情が少しずつずれていって、狂気の境目に入る様子が、うまく表現され、現代人の閉塞性を象徴的に描いている。
《紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一》
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