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2009年9月30日 (水)

文芸時評<文学9月>(読売新聞9月29日・(文化部 山内則史)

 『日本文学盛衰史』で明治の文学者たちを現代に生き返らせ、近代日本語の始まりから文学をとらえ直した高橋源一郎氏(58)が、今度は戦後派の作家を題材に新連載「日本文学盛衰史 戦後文学篇」(群像)を開始した。
 大学の先生〈ぼく〉は〈(1)日本語が読める(2)平成生まれである〉という資格をクリアした学生3人と特別研究プロジェクト「戦後文学を読む」を始める。まず見るのが〈イノウエミツハル〉の映像。全身全霊を文学に捧げた男を見てぼくは思う。〈ここでの「文学」や「小説」は、それがなければ、人間が生きてゆくことができない(中略)宗教に近いものなのかもしれない。そして、その国では、すべての国民が信仰を持つことを期待されていたのである。では、いまは?〉いまはそうした信仰から自由な世代が、文芸誌の中心にいる。
今年6月に三島賞を受けた前田司郎氏(32)の新作「逆に14歳」(新潮)は、ばかばかしく、少しかなしい老人小説だ。ぼけていないが記憶が怪しい、書けなくなった作家〈俺〉は、古い友人の葬式で、俳優だった友人〈白田〉と再会し、2人で暮らすようになる。気持ちの若さと老いた表面とのずれは埋めがたく、老人の着ぐるみを着た若者があがいているかのよう。例えば加藤茶と志村けん演じる老人コントを想起させるが、若い頃行った熱海でのある冒険を通して、生きることと老いることの含む滑稽さが、表裏一体のいとおしさへと裏返る。
 中島たい子氏(40)「結婚小説」(すばる)の主人公は、結婚を題材に小説を書こうとしている39歳の女性作家。専業主婦に収まった友人を見ても、結婚に夢を抱けない彼女だが、取材のためバツイチ限定の〈蕎麦打ち合コン〉に未婚の履歴を偽って参加し、ドキュメンタリーを撮る映像作家と運命的に出会う。結婚という制度と、本音の自分、相手を愛する実感に、どう折り合いをつけるか――。独身男女が、その瀬戸際で踏み切れずにいる心理が軽快に活写される。ミイラ取りがミイラになる喜劇と、結末のどんでん返しも鮮やかだ。
 「パワー系181」で2年前にデビューして以来、世界を数値化することに異常な執着を燃やす人間を繰り返し描いてきた墨谷渉氏(36)が新作で着眼したのは究極の数字、お金。「その男、プライスレスにつき」(同)は、クライアントと行ったクラブで知り合った女に貢ぐ、結婚を目前にした弁護士の錯乱を描く。看護学校に通うからと金を無心するその女が別の若い男とつきあっていることに薄々感づきながら、弁護士は女に振り込んだ明細書をながめては〈恍惚と戦慄〉に身を震わせる。際限なくエスカレートする蕩尽、マゾヒスティックな破滅への願望は、マネーゲームに狂奔する現代を嗤っている。
 登場人物が旅に身を置く2作品も、余韻深かった。ひとつは平田俊子氏(54)「スロープ」(群像)。東京・中野の鍋屋横丁のマンションに引っ越した〈わたし〉の身辺の出来事と、わたしが少女時代を過ごした隠岐から出征し、ソロモン諸島で戦死した伯父の慰霊ツアーが、ループのように円環をなし、緩やかに結びあわされている。近所の十貫坂に始まり、坂から喚起される禍々しいイメージと、自分を捨てた男への怨念がない交ぜになって、ありきたりの現実が微妙に歪む感覚があった。もう1作、横尾忠則氏(73)「スリナガルの蛇」(文学界)は、彫刻家とカメラマンの若者2人によるインドへの旅。ハウスボートに滞在する彫刻家の元に神秘的な女性が現れ、夜な夜な創造のエネルギーを向上させる儀式を施す。ここにも日常を逸脱した、えたいの知れない時がたゆたっていた。
(09年9月29日 読売新聞)

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2009年9月29日 (火)

『第9回 女による女のためのR-18文学賞』(新潮社)

『第9回 女による女のためのR-18文学賞』(新潮社) 2009年10月30日 大賞:30万円、体脂肪計付ヘルスメーター

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2009年9月28日 (月)

河内和子「ホームステイのイタリア―ばぁばの一人旅」(元就出版社)

 64になるまでイタリアを知らなかった、とあるように、60歳を過ぎてから、イタリアでホームステイをするまでには、どんな心構えと手順が必要か、が書いてある。それを簡単に可能したように見えるが、作者の経歴を見れば納得できる。渡米歴、翻訳家歴があってのことだとわかる。(参照:「ホームステイのイタリア」紀伊国屋書店
 六章以降の、日記、フィレンツェ再訪、ボローニャへ、アリヴェデルチ・旅を終えてなどが、団体回遊旅行では得られない、現地の雰囲気がわかって興味深い。自分は、イタリアといえば、アルベルト・モラビア、バスコ・プラトニーニなどの作家が好きだが、そうした情報もあればいいのにと思った。それでも後半の第二部あたりから、人生に避け得ない加齢との戦いが読ませる。(参照:「詩人回廊」河内和子の庭

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文芸時評10月号(産経新聞09.9.27)石原千秋早稲田大学教授

 編集の妙を楽しむ
《対象作品》川上未映子『ヘヴン』(講談社)/10月号『新潮』=前田司郎「逆に14歳」/飯塚朝美「地上で最も巨大な死骸(しがい)」/朝吹真理子「流跡」。

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詩集「野の民遠近」大塚史朗(群馬詩人会議出版)

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著者の大塚史朗氏は、1935年生まれ。日本農民文学賞の受賞詩人である。(参照:「第51回農民文学賞決まる(中)=詩集「引出しの奥」に民衆の歴史意識も」)
「道祖神」には、祭りごとのなかの収穫の祈り、男女の秘め事の教えがある。「十日夜」の祭りには戦争に狩り出されて戻ってこない農民がいる。それらは、まだ序の口で、大地からの収穫、エロスの悦び。介護に見る老いの現実。働くだけ働いて、老いて、ひっそりと死ぬ女性たち。農民を必ず巻き込む政治の権力などが示され、これを読めと迫ってくる。
 ここには農民として生活するなかの労働と思索の全宇宙が表現されている。都会暮らししか知らない人も、かつては農家にいて都会生活をしている人も、また農民をしている人でも、日本農民がどのような歴史を背負わされた―ーまたは自ら背負った存在であるかが、如実に表現されている。
 あとがきには、『「野の民遠近」として「まつり」「伝承譜」「野花咲いている」「山々追想」「野道を歩く」は一年半ぐらい前から私が編集している「夜明け(群馬詩人会議)」に発表してたのだが、これは当初から近々出版するつもりで書いてきたもの。そして「介護の中から」の詩も、捨てられないので集めてみたら、あちこちに発表してきた「神の塔」も収録することにした』とあるように旺盛な詩作意欲に満ちた作品集になっている.
発行所=〒370-3602群馬県北群馬郡吉岡町大久保1827、群馬詩人会議出版
(紹介者:「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2009年9月27日 (日)

古処誠二さん:『線』(角川書店) 戦争中の人間描き続ける

 作家の古処誠二(こどころせいじ)さん(39)が短編集『線』(角川書店)を刊行した。フィリピン戦を舞台にした『ルール』(02年)、日系米兵の視点で沖縄戦を描く『接近』(03年)など、太平洋戦争をテーマに小説を書き続けている著者が、新刊ではニューギニアでの戦いを題材に選んだ。
 「マラリアで苦しんだことが他の戦場と比べて際立っている。いつか書こうと思っていた」。今年3月、現地を訪ねたが、直接その見聞を作品には入れていない。「健康で、すぐに帰国できる人間の感覚で見たものを小説に入れると、当時とはずれてしまうかもしれないと思う」
 連合国軍の拠点攻略を目指すが、やがて敗走していく日本軍を輜重(しちょう)兵(食糧、弾薬などの輸送が任務)、工兵、病兵や台湾の原住民族で結成された高砂(たかさご)義勇隊などさまざまな視点で描く。
 「あの戦争をどう考えるか、個々の兵士をどうとらえるか、という政治的、思想的なことには興味がない。戦争は実際悲惨だったが、それを訴えたり、だからといって戦争を批判する気もない」。ニュートラルでいることを心がけている。
 「戦争小説」と言われることも嫌う。「人間の姿をいろいろ描くのが小説の魅力ではないかな。書いているのは戦争中の人間の話。戦争中以外の話は他の作家が書いているので、私がやる必要はない」
 高校卒業後、さまざまな職業を経て航空自衛隊に入隊。在籍中、必要があって戦史を勉強したところ興味を覚えたという。7年ほどで自衛隊を辞め、小説を書き始めた。戦争を描くのは職歴とは関係がない。たまたま戦史に関心があるのと、他に書いている人がいないから。こうした経歴を紹介されるのも、「小説に先入観を与えるから」実は嫌なのだという。
 「本当に自由に読んでもらいたいなあ」【内藤麻里子】(毎日新聞 09年9月23日)

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2009年9月26日 (土)

詩の紹介 「代用教員志賀先生」張建墻(チョウ ケンショウ)

(紹介者・江素瑛)
 台湾の殖民地時代、制圧戦争と政治の要因とは別に、本当の教育者として、志賀先生と生徒の真情の交流を表現した詩である。統治者長官らの傲慢な態度に恐怖心をもった台湾民衆の間に、教育者としてのあるべき姿を示したその姿に感銘をしている。
子供が言うこと聞かない時「警察が来るぞ」と、大人がそう言って驚かせるほど、警察が怖いのだ。その時代にとくに下層官史、警察などの虐めを心痛めながらも、人と人の暖かい付き合い、尊敬しあう志賀先生のような在駐一般日本人は、普通に存在した。
               ☆
       代用教員志賀先生    張建墻

もとは国事を我が事として奔走し/大学にも教えていた先生/輝かしい行く先をふり切って/台湾の片田舎は大甲のまちへ来て/代用教員でいゝからと/小学の先生になったわよ なったわよ/立居振舞がねんごろで/人を人としてあつくつき合ったので/土地の人がこわがることもなくなった/この身分の低い志賀先生は/あるいは身を以て新付の民と共に暮す/お手本をつくっているのではないでせうか

何時も礼儀正しくへり下って/どなたの挨拶にも叮嚀なおじぎ/ひまを見つけては家庭を尋ね回り/病気の子には親身なお見舞/お話の通じない子らは合点せぬから/授業はさとるまで手をつくして/おろそかにせず うむことなく導き/ 腕白な子もついには根まけして/よく言うことを聞くいゝ子になった/先生は生徒を我が子の様に教えた人/入学勧誘にくたびれる位に話しても/出すか出すまいかとためらう婆さんが/子供を打たない/親切に教えてくれる志賀先生なら/孫が頼めると言うほどに/先生は家々に任せられる人

此のまちが住み良いなのか/いや、台湾の何処も同じなのに/学歴がなければ任官されない/任官されたらえらくなって他処へ転勤されると/御立派な学歴をかくして/何時までも皆さんと御一緒になりたいと願う/先生は愛を植えつけてこの地に根付いた人

二十六年もの長い間心血を注いで培うた/幼児らは星のように繁く/思い思いに四方八方に散らばっていても/古里に帰る日があれば/訪ねてまた語らわうと同じ思は一つ/先生も懐かしい我が家の一人
人は誠にこたえるという言葉を/証して見もせよとばかり/老も若きも悲しんでお柩を送って行く/長い長いお弔いの行列/誰か身空寒い教師を軽んじませうか/鉄砧山のふところに抱かれて永眠する先生の/王侯にもたぐわれる様なおくつき/碑にきざみ、語りつぎ言い傳えて崇められる/先生の教の大きな力に思を致したら

        張建墻詩集「赤道と太陽」(国立台湾文学館)より(08年7月 台湾台南)
                     (参照:詩人回廊「江 素瑛の庭」 )

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2009年9月25日 (金)

なぜ本は売れないのか】(下)「新刊増え、どれを手に取ればいいのか」

(産経ニュース09.9.22宝田茂樹、海老沢類、篠原知存記者)
 詩人でエッセイストの木坂涼さんは言う。
 「書店にいってもこれはという本が手に入ることはめったにない。私の場合は、はやっているものを読みたいという読書ではないので最近は本を求めるのはもっぱら古本屋さん。そこでいい本がみつかると、それが私にとっての新刊です」
 自身の価値観がはっきりしているからこその言葉だろう。
 本が売れない。その理由にはさまざまな見方がある。趣味の多様化、ネットの普及、新古書店の成長、書棚を置けない住宅事情…。少ないパイを奪い合うように加速する“新刊洪水”現象のなかで、読み手の選択眼の低下を懸念する声もある。
 三省堂書店神保町本店次長の岸本憲幸さんは「全体の売り上げが落ちてもベストセラーが生まれるのは、テレビなど他のメディアの影響がとても大きい。昔は、自分の見識で読みたい本を選ぶ人が多かったと思うのですが、いまは何を読んだらいいかわからない人が増えてきている」と話す。
 出版ニュース社の清田義昭代表も「いまはベストセラーのランキングをみて本を買う人が多い。消費者が惑わされてしまっている部分がある」と指摘する。ランキングは数量を示しているだけで、内容を保証するものではないのだが、「売れている」という言葉には「買っても安心」といったニュアンスがつきまとう。
 そして「ふだん本をほとんど読まない人が、どれだけ買いに走るか」がベストセラーを決める。個人的体験であるはずの読書に、ベストセラーであるかどうかは無関係なのだが…。
 東京・羽田空港内に今年2月にオープンした土産物店「Tokyo’s Tokyo(トーキョーズ・トーキョー)」。店員の三浦聖未(さとみ)さんによると、土産物や旅行グッズとともに売られている本は100点をゆうに超える。
ユニークなのは品ぞろえだ。こういう場所にありがちな旅行ガイド本は見あたらない。ベストセラーのランキングとも無縁。旅先の雰囲気や商品のイメージから連想される小説やエッセー、写真集が、雑貨や旅用品のそばにさりげなく置かれている。
 例えば、東北に旅立つ人向けに宮沢賢治「風の又三郎」や伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」。中国地方の棚に並べた桜庭一樹の小説「少女には向かない職業」は、仕入れたそばから売り切れるヒット作になった。
 同店の本選びを担当したのはブックディレクターで「BACH」代表の幅允孝(はば・よしたか)さんだ。「今は新刊点数が増えすぎて、読者はどれを手に取ればいいかわからない状態。紹介の仕方を工夫して本の見え方を変えることで、埋もれてしまいがちなものにも光を当てたい」と話す。
 「本棚の編集人」を自称する幅さんのもとには、売り上げ不振に悩む既存の書店に加え、異業種店からもプロデュースの依頼が頻繁に舞い込む。一風変わった新ビジネスは、「本はどこで買っても同じ」という、これまでの常識を変えてしまう可能性も秘めている。
 読み手がそれぞれに「本を見る目」を養い、冒頭の木坂さんのように言い切れる人が増えたとき、新しい出版流通システムのかたちもまた見えてくるはずだ。

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同人誌「楔」(くさび)第26号2009年(2)

【「都会の中の孤独なくらし」青江由紀夫】
 現代生活のシステムのなかでは、孤独死は当然のこと。ここでも、その新聞記事の紹介や、モンテーニュやベーコンの著作をよんだ記録がある。また、「死を覚悟・死のイメージトレーニング」という作者の修業が紹介されているのが微笑ましい。

☆文化事業の同人誌化が進む。
 シルバーウイークを利用して「送られてきた同人誌を“読んだぞう!!”」という気分。どうして同人誌を読んで、その紹介をするのか、当初はともかく、ここまでくると理由ははっきりしないが、最近は面白く読めるようになったのが不思議だ。しかし、功利的な面では、暇がないと出来ない。これが出来たというのも、体調の調整のために外出を避けていたためである。先々月あたりから、あれこれと病気が一時にやってきた。悩まされた末に大学病院を紹介された。総合内科というのがあって、そこでみてもらったら、どうやら、ひとつの病気が発生すると、体力の弱ったところに、潜在しているあらゆる病気が出てくるという現象らしい。たいして活動をしていないのに、疲労が蓄積し衰弱しているらしいから、困ったものだ。このままでは、しまいにゃ死ぬなと思い、そこで、連休は、体力温存のために自宅静養をしていた。その間に同人雑誌の存在の意味を考えることが出来た。
 約9年前から文芸同志会がやってきたのは、文芸界の現状把握である。そこで、大きな流れは、新聞情報で、小さな流れは文芸同人誌の動向で把握しようとした。動向ダイジェストを月報にしたら、かなりの会員読者がいた。また、大塚英志氏の提唱する「文学フリマ」に賛同したことから、同人誌サークルとしての活動が強まった。今考えれば、その時の大塚英志「不良債権としての文学」(雑誌「群像」掲載)の文学作品がビジネスモデルに載らない傾向を指摘したテーマは、今でも解決されていない。
 文学の商業性の衰退から、同時に同人誌の衰退を連想するイメージが強い。しかし、自分の情報整理では、かなりの文化ジャンルの同人誌化が進行していると見ている。まず、新聞がインターネットによって衰退し、本業の赤字化が進んでいる。TV放送局も広告収入が減り、不動産業で事業を維持している。このままいけば、その業界の人が他の仕事で収入をはかり、その収入を本業に投入して社会的な責任を果たすことになる。実態は、かなりの文化事業で、同人誌化が進んでいるように見える。そういう意味で、同人誌制度の発達した文芸の世界の存在のあり方は、まだまだ研究の余地がありそうだ。 
同人誌の存在する理由には、さまざまな要因があり、書き手のめざすところが多彩すぎて細分化しすぎているので、そこが商業誌の文芸ビジネスとの連結のネックになっているようだ。
(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年9月24日 (木)

同人誌「視点」第71号(多摩市)

【「コマチ」(第六回)浜田雄治】
 原始共同体の世界に、看護師だった「ワタシ」がタイムスリップ的に入り込む物語で、今回は野草などを薬草にする日本の古代文化との遭遇を描く。
 同様の物語で、豊田一郎氏が、個人誌「孤愁」第6号で発表した「小羊に贈る夜想曲」では、原始共同体の世界をそのまま舞台にしており、読者がその時代性を現代と比較するような構造になっている。
 それに対し「コマチ」では、「ワタシ」がタイムスリップした現代人として、この世界を見るため、現代人の生活との比較を読者の想像に任すだけでなく、具体的にその違いの意味を示す手法になっている。
 いずれにして過去の世界を現代生活に登場させて表現、そこに生まれるイメージによって、現代の人間の批判する意図が感じられる。それは社会学の小説版といったところか。

【「海峡・魂との対峙」
 青函連絡船があったころに、「大雪丸号」で北海道を渡る時に感じた孤独というものを表現した詩的散文。流れる去る時間のなかで、孤独感が現在まで静止して持続していることがわかる。

「「事件」(2)吉岡和男」
 大菩薩峠の塩山に抜ける道筋に、戦国・武田信玄の支配下で稼動していた黒川金山の金山衆の生活跡を見る。その様子が面白い。
発行所=多摩市永山5-4-9、大類方。
(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年9月23日 (水)

同人誌「楔」(くさび)第26号2009年(1)

 特集が「忘れられないこと」で、会員のエッセイが集められている。
 エッセイばかりと思ったら【「奇妙な体験」赤羽文雄】【「待合室」衣川遊】などの創作らしきものもあった。
【「銀次郎の日記―年金生活十カ月の70歳の春」
 千葉に住んで、釣りと読書の悠々生活で、間もなく読書目標の2000冊を達成しそうだそうだ。
短歌・川柳を詠み、歌謡詞「野菊の里、千葉の城跡」を創作している。面白いので、掲げる。

「野菊の里、千葉の城跡」

 名もないままに 眠りも深く
 昔昔の 古代の人が
 姫塚古墳 その下で
 みるみる夢は どんな夢
 大きな愛を 野菊の里で

 名もないままに 眠りも深く
 昔昔の 夢ものがたり
 亥鼻城の 石の下
 つわ者どもの 物語
 しっているいる 石垣だけは

 名もないままに 眠りも深く
 昔昔の 夢ものがたり
 臼井の城の 石の下
 今も語るか ものがたり
 夢をめぐらす ロマンの里に


 名もないままに 眠りも深く
 昔昔の 古代の人が
 姫塚古墳 その下で
 みるみる夢は どんな夢
 大きな愛を 野ものがたり

(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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【なぜ本は売れないのか】(中)1000万種類超、ネット書店は2ケタ成長

(産経ニュース09.9.22宝田茂樹、海老沢類、篠原知存記者)
 書店の棚は、各出版社が次々に刊行する新刊で飽和状態になっている。そのサイクルは早くなる一方で、じつに4割もの書籍が、誰の手にも渡らずに返本されている。明らかな異常事態が常態化してしまっている出版界だが、返本率を引き下げるための試みも動き始めている。
 「責任販売制」という新しいシステムがそのひとつだ。書店は取次会社を経て出版社から本を仕入れているが、従来の「委託販売制」では、出版社と取次会社が“配本”の主導権を握る代わりに、売れなかった本は仕入れ値と同額で返本できた。
 新システムでは、書店に仕入れの裁量権が委ねられる。返本となった場合、出版社は定価の3~4割でしか引き取らない。その代わりに、書店の受け取るマージンは委託の約1・5倍にあたる35%に上がる。
 現在、一部の商品に限られるものの小学館、講談社など10社がこのシステムを導入している。小学館は7月に刊行した児童向け書籍「くらべる図鑑」の初版7万部のうち5万6000部を責任販売とした。すぐに完売し、1週間後に増刷となった4万部も大半を責任販売にあてた。
 どちらのシステムを選択するかは書店の判断によるが、小学館マーケティング局の市川洋一ゼネラルマネジャーは「書店は売る努力をするし、出版社も企画力を磨くはず。出版界の意識革命につながってほしい」と話す。同社では11月末に発売する「世界大地図」も、初版3万部のうち2万5000部を責任販売にする予定だ。
 出版不況のなか、書店の数は年々減ってきた。しかし、意外にも書店のフロア面積は増えている。出版社「アルメディア」の調査によると、平成19年5月に約1万7098店あった書店は今年5月の時点で1万5765店に減少した。だが売り場面積は137万坪から142万坪へ広がった。大型化と淘汰(とうた)が同時に進んでいる状況だ。小さな書店は徐々に消費者のニーズに応えるのが難しくなり、書店がスーパーマーケット化しているといえる。
 そんななかで、ネット書店も急成長している。アマゾン・ジャパン書籍統括事業本部の渡部高士企画・編集本部長は「2000年11月のサービス開始以来、書籍の売り上げ推移は右肩上がりの2ケタ成長を続けている」と話す。
 「1000万種類を超える品揃(ぞろ)え」を豪語するアマゾンは、千葉県の市川市と八千代市にある物流センターに加えて、8月には大阪府堺市にも新物流センターを開設した。
 渡部本部長によると、ネット書店の長所は(1)店舗面積に制約がないため在庫に厚みがある(2)検索機能で読みたい本を即座に見つけ出せる(3)予約ができて発売と同時に入手できる(4)24時間営業-など。同書店のホームページには月間約1400万人が訪れるという。

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同人誌「海峡派」第116号(北九州市)(2)

【「水脈」高崎綏子】
 のどかな生活なようでいて、何か危ないところにいる人間たち。異常気象で、いつがけ崩れや地盤変化が起きるかわからない。そうした不安を短く描く。短いがシュールなイメージ操作が生きている。

【「日曜礼拝」都 満州美】
 作者は以前、東京の同人誌「季刊遠近」で健筆をふるっていた、看護師をされていた都さんではないかと思う。首都圏にいたが、高齢になって、弟妹の近くに引っ越してきて、友人としての知り合いがいないので、キリスト教会に行く。そこで、牧師さんの導きや教会の活動に惹かれ、定期的に礼拝活動に通うようになる。熱心に通うので、洗礼をすすめられる。その気になって牧師さんと、洗礼式の約束をするが、妹にこれまで仏教でやってきた家系の伝統とどう調和するのかと、諭され思い直して、洗礼を受けずに教会に通うのをやめざるを得ない。やや物悲しく文学としての読後感をあたえる。非常わかりやすく、てきぱきと書き進める筆力はいつもと同じ。テーマが日本人としての文化とキリスト教文化の食い違いという面で、もう少し思索的な要素が欲しい気がしたが、味わいに深みがある。

【「禁じ手」「幻影城」伊藤幸雄】
 ショート・ショート2編。オチがある。ひねりを考えて書くのは大変だが、よくまとめている。

【随想「平家旅―倶利伽羅峠の靄」】
 平家物語の戦いの舞台を訪ねて北陸路を訪ねる。史跡だけを訪ねるのに夫人に理解があって、素晴らしい。話も大変面白い。
発行所=北九州市小倉南区中貫1-13-18。

(紹介者=「詩人回廊」編集人。伊藤昭一)

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2009年9月22日 (火)

教養選書シリーズ「河出ブックス」を創刊

(産経ニュース09.9.22)
 河出書房新社は10月10日、新しい教養選書シリーズ「河出ブックス」を創刊する。文学、思想、歴史などさまざまなジャンルを扱う書き下ろしシリーズで、創刊タイトルとして、本紙「文芸時評」でおなじみの石原千秋さんの『読者はどこにいるのか』など6冊が刊行される。それ以後は毎月2点以上が刊行される予定。創刊を記念し、東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターでは10月15日、「いまこそ〈教養〉を編み直す」と題したイベントが開かれ、石原さんら著者4人が対談する。予約、問い合わせは紀伊國屋書店TEL03・5361・3321。

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同人誌「海峡派」第116号(北九州市)(1)

【随想「銀次郎の日記-年金生活十カ月経過―」青江由紀夫】
 釣りと読書と思索の日々。その生活の記録なので、わが身と比べてみたりして参考になる。6年と5ヶ月で、1856冊を読んだとある。なにや難しい名著や古典が主らしい。健闘を祈ります。

 自分は文芸同人誌を9年以上読んできた。1年に40冊とすると9年360冊である。周囲には、自分ほど文芸同人誌の現状について知る人はいないであろう。ところが、文芸同人誌に書いている人ほど、他の同人誌の作品傾向に興味を持たない。内容は自分の所属しているサークルと同じようなものだと思っている。そして、自分の作品の感想以外には興味を持たない。
 その点、自分は何故その作品が書かれたか? に興味を持つ。このところアリス・W・フラハティ「書きたがる脳―言語と創造性の科学」(吉田利子訳・ランダムハウス講談社)という本を読んでいる。ここには、ライターズブロックといって、書けなくなって悩む作家と悩まずに書き続ける作家の比較や、やたら書きたがるハイパーグラフィアという病気症状などが分析されている。
 ただ、このコーナーでは、作品紹介であるから、こうした観点の思想に対応する自分の考えは書かない。ただ、どうやら多くの文芸同人誌は、書くことを生きがいとし、社交の手段となっているようだ。
 雑誌「文学界」が、同人誌評欄をなくしたときに、反響が大きかったのも、作者の文章技量・手腕の格付け機関のようなもので、書き手の生きがいを支えていたからのようだ。
自分が送られてきた同人誌を読んで紹介するのは、サークルが社会性を維持しようとする意思だと受け取っているからだ。
(紹介者=「詩人回廊」編集人。伊藤昭一)

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2009年9月21日 (月)

【なぜ本は売れないのか】(上)着いたその日に返本

 「先月ここに返本されてきたのは、約340万冊です」
 フォークリフトがせわしく走り回る巨大施設の一角に、返本された書籍がうずたかく積み上げられている。昭和図書美女木物流センター(埼玉県戸田市)の山田貴芳所長(51)によると、新しく刊行された本が書店から戻ってくる返本率は40%に達しているという。(産経ニュース09.9.20)

 小学館や集英社など一ツ橋グループの出版社の書籍と文庫は、同センターから出版取次会社を通じて各書店に届けられる。売れ残った本は逆のルートで少しずつ出戻りする。店頭に並べられた様子もなく、Uターンしてくる本も少なくない。保管するのが商売とはいえ、「なんとも寂しい気分になる」と山田所長。
 カバーを変えるなど改装して再出荷される本もあるが、保管しておいても将来的に売れないと出版社が判断すれば、返本の山は廃棄され、書籍としての役目を終える。年間約2千万冊を古紙原料としてリサイクル業者に買い取ってもらっているが、1キロ当たり十数円が現在の相場だという。
 廃棄処分を示す赤いテープを巻かれた本の束を追って、同県三芳町のリサイクル会社「富澤」を訪ねた。カバーや表紙、袋とじなどは手作業で取り去り、裁断機で本の背をザクザクと切り落とす。圧縮機から出てくる巨大な立方体には、もはや本という印象はない。製紙会社向けに出荷されていく。「書籍はリサイクルの優等生。ほぼ100%再生できるんですよ」と同社の冨澤進一専務はにこやかに語ってくれた。
新刊増え過ぎ
 出版ニュース社が発行する「出版年鑑2009」によると、書籍の総発行部数は平成9年の15億7354万冊がピークだった。当時の新刊点数は約6万2千点。以後、発行部数は退潮傾向で昨年は14億703万冊にとどまった。一方、新刊点数は増加し続けてきた。この2年ほどは微減となっているものの、約8万点に達している。
 編集者出身で、出版界の動向に詳しい評論家の野上暁さんは「新刊点数が増え過ぎた。既刊本が店頭に滞留する期間が圧倒的に短くなっている。出版社も書店も本来はスローなメディアだったはずの本の価値を忘れてしまって、ベストセラー至上主義に走っている」と指摘する。
 新刊点数が増えて、総発行部数は頭打ち、つまり1点当たりの発行部数は減る一方。返本率の高止まりは、悪循環の象徴といっていい。
 ある出版関係者は「出版各社による『平積み』の取り合いです。いい本悪い本ではなくて、スペースを確保するために点数を増やすような状況になっている」と明かす。もはや、本が店頭でホコリをかぶるヒマもない。
 「着いたその日に返本というケースもあるようで、せっかく出版されたのに、誰にも知られずに消えていく本がいかに多いことか」
 そう嘆くのは、東京・神保町で出版社を経営する朔北社の宮本功社長だ。現行の流通システムそのものの問題を指摘する。
 「取次会社は、書店を売り上げや売り場面積などによってランク付けして新刊の配本数を機械的に決めているだけ。これだと発行部数の少ない本は小さな書店には届かない。書店が配本に頼らず、自分たちの判断で欲しい本を仕入れて売るやり方に変えていったほうがいい」
 本が売れなくなった-といわれる。村上春樹「1Q84」の大ヒットなど明るい話題はあるものの、一方では雑誌の休刊も相次ぎ、出版界のムードは湿っぽい。そんななかで、現行の流通システムを見直そうという動きが出始めた。

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文藝誌「なんじゃもんじゃ」仲秋号(通巻第8号)(千葉)

【「ある失踪」小川禾人(おがわかじん)】
 大学の定年後の講師を務めていた森本は、30代のころ交際のあった町田という当時、同僚で友人であった男のことが気にかりはじめる。町田はその後、大学院に通うなど学問の道に関心をもっていたが、ある時期に音信がなくなり失踪したことになる。いちばん最終の手がかりは高野山で修業することらしい、ということだ。
 町田が75歳を過ぎて、生死の不明な状態のまま、その後のことが知りたくて、高野山に行って見る。その道中の過程で、これまでの森本の人生、生きてきた時代、町田の人柄や行動を語る。
 小説の要素の定番は、まず過去の時間をたどること、人物が出てきたら、それはこの人を見よという意味がこめられている。ここでは、森本、町田の二人の人物像と、時代をゆったりとした調子で物語の要件をうまく満たしている。老境に入って過去に関心が出る心理を描き、それほど深みはないが時間のたどり方に、苦心をしており、書きなれた筆致でまとまっている。

【「いぬを追う」杵淵賢二】
 自治会の役員をしている私。町内の老人の飼い犬の管理が悪く、住民の子どもが噛まれたという苦情をもらう。そこから、町会で協力して野良犬の捕獲をはじめる。そのなかで、おびえて震える犬を見て、それを処分することに抵抗を感じる話。素材の捉え方がいいし、作品にメリハリがある。良い資質の作品。文芸作品とするには、ラストの「やるせない気持が私を襲った」というのは、エッセイ的。

【「デッキシューズ」坂本順子】
 「連作・S町コーヒー店」の7話。同じ設定で、質を維持しながら連載。楽しませる着眼と構成力、筆力に脱帽。

発行所=「なんじゃもんじゃ会」〒286-0201千葉県富里市日吉台5-34-2、小川方。
(紹介者=「詩人回廊」編集人。伊藤昭一)

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2009年9月19日 (土)

個人誌「孤愁」第6号(横浜市・平成21年10月)

【「小羊に贈る夜想曲」豊田一郎】
 時代はいつとも知れぬ、国も定まらない原始共同体の世界。狩猟民族らしき村の少年が、母親の守備隊に陵辱されるのを目撃して、その村を脱出し別の村落で暮らすまでが描かれている。
 これは作者の表現意欲に通底する世界らしく、らくらくとした自然な筆運びである。ほんらい原始共同体の時代の狩猟民族で、これだけの守備隊の組織ができるほどになると、他地域では農耕民族が定着し、狩猟民族では一神教の神が生まれ、農耕民族では自然崇拝のマミニズムやシャーマンが生まれているはずである。作者はそういう世界も書いていた記憶がある。おそらく放浪や彷徨に趣向を感じるのだと思う。
 編集後記には遺書のように書きたい、あるいは書いているという意味のことも記されている。
 「そして、ある年代に達して、もう、これしか書けないのではないかと思うようになって来た。そのはしりが『彷徨』だった」とある。「これでおしまいにしよう。そのように考えた」。「しかし『彷徨』を書き上げてしまうと、次があった。端的にいえば、まだ生きていた。それで、『幻影の裏側』を書いた」と記す。書く人の動機はさまざまであるが、実に理解できる。そうであるから、生きている限り、書き続けることになるのであろうか。(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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お笑いタレント“芸人小説”花盛り 

 お茶の間で人気の若手お笑いタレントが続々と小説家デビューを果たしている。話題性だけではなく、ネタ作りで培ったストーリー構成力や会話の妙を評価して執筆を持ちかける出版社が増えているためだ。出版不況下でもヒットを連発する“芸人小説”の存在感がにわかに高まってきた。
 出来心で豪邸に空き巣に入った大学生が、意外な人と出くわす…。大まじめな人物が演じるどこかズレたやりとりを面白おかしく描く「エスケープ!」(幻冬舎)。7月の刊行からわずか1カ月で増刷がかかった話題作を書いたのは、バラエティー番組でも活躍する人気お笑いコンビ、アンジャッシュの渡部建さん(36)だ。「ストーリー性豊かなコントにひかれた」という編集者の依頼を受け、テレビ収録などの合間に執筆。約2年かけて原稿用紙350枚の長編を書き下ろした。
 「16年間で培ったお笑いのノウハウをすべてぶつけた」と渡部さん。「舞台でやるコントとは違い、文章のみの小説は場面や時間も自由に変えられるのが面白い。芸人として勝負できるフィールドが広がるから、機会があればまた挑戦したい」と意欲をみせる。
ブームの火付け役は、平成18年に刊行された劇団ひとりさん(32)の「陰日向に咲く」だ。後に映画化され100万部を突破するヒットを記録。その活躍に触発されたタレントと、話題性を見込む出版社の思惑が合致する格好で、今年に入って刊行ラッシュが起きている。
 インパルスの板倉俊之さん(31)は6月末、近未来を舞台にしたハードボイルド小説「トリガー」を刊行。8月には鳥居みゆきさんの初の掌編集「夜にはずっと深い夜を」も出た。
 処女小説「ドロップ」が映画化された、品川庄司の品川ヒロシさん(36)が18日に出す第2作「漫才ギャング」が、新人では異例の初版5万部からスタートするなど、売れ行きも軒並み好調だ。
 タレント本に多かった自伝スタイルが少ないのも特徴で、作家としての潜在能力を高く評価する声も多い。「日々コントのネタ作りをしているだけに、言葉がポンポン出てくる。書くことへの抵抗がなく、会話も非常に巧み」とは、「トリガー」を担当したリトルモアの編集者、藤井豊さん。エンターテインメント小説の動向に詳しい、元「小説新潮」編集長の校條(めんじょう)剛さんも「本になじみの薄い若い層にファンが多く、部数が計算できる手堅い書き手。有名人の中でも俳優よりも読者の笑いのツボを知り尽くし、期待に応えられる器用さがある。出版社側が質を下げない努力をすれば、今後も支持されるのでは」とみている。(海老沢類)(産経ニュース09.9.17)

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2009年9月18日 (金)

「水車」で「詩人・伊藤桂一」を解説=志水雅明氏

 四日市市地域ゆかりの「郷土作家」顕彰事業委員会と伊藤桂一顕彰委員会は、このほど伊藤桂一詩碑建立記念誌「水車」(非売品)を発行した。これは8月23日に、日本芸術院会員で直木賞作家の伊藤桂一氏の詩「水車」を刻んだ詩碑が建立されたことを記念したもの。
 この中で伊藤桂一顕彰委員代表の志水雅明氏は『作品「水車」の出典および解説』と題して、その詩作歴を示し、故郷の自然体験による詩魂が、時代小説の作品中に伊藤ワールドを形成していると記している。
 詩人・伊藤桂一の詩作の来歴を、次のように記している。
                ☆
 伊藤桂一自筆年譜によれば1961年(昭和36年)44歳時には次のように記されている。

 4月『近代説話』に「黄土の記憶」を発表し第45回芥川賞候補となる。10月『近代説話』に「蛍の河」を発表。12月私家版『竹の思想』を刊行(350部限定版)。通算三十年に及ぶ文学修業の末、生涯恵まれなくてもよい、という覚悟も出来、かつ昨年発病せし妹の容態捗らず、母も痩衰をきわめ、一家の潰滅を予感し、せめて一巻の詩集を挨拶代わりに知友に配布せんと思ったものである。

 伊藤は1946年(昭和21年)1月、中国大陸から復員し、母と妹の疎開先である三重郡川島村(現四日市市川島町)の稲垣家に落ち着いた。「精神は虚脱状態だった」が、当時、群生していた周辺の竹林を逍遥しては、詩作に専念するのであった。(中略)
 伊藤文学の節目とも言うべき「挨拶代わり」の私家版詩集「竹の思想」はその後、伊藤が「蛍の河」で直木賞を受賞した1962年(昭和37年)は8月に他界した令妹愛子への「悼詩」なども加えて1968年(昭和43年)、『定本・竹の思想』(南北社)となって広く読まれることになった。さらに後には日本現代詩文庫シリーズの『伊藤桂一詩集』(土曜美術社、1983年)となって公刊され、名詩集の一冊と称された。
 ところで、『定本・竹の思想』の前半には「竹十章」「竹」「竹の歌」「竹のある風景」や「風景」「椿」「鳥」「水車」「鳶の言葉」「水ぐるま」など、豊かであった川島地域の竹林など自然の風物、特に<竹>から感得した、伊藤自身の人生観・死生観・社会観・宗教観(詩人安西均の評)がすがすがしく形象化されて並んでいる。
 竹の群生する故郷寺方や疎開先川島は疲労困憊した心身を慰撫し、蘇生させてくれるに充分な母的存在であったのである。青年期から育んできた詩魂はここで一気に、良質にして沈潜した叙情性を獲得したのであった。
 この自然体験は短編「鈴鹿」(「午前」1948年)、「帰郷」(「水の景色」構想社、1984年)や、「日帰りの旅」(「群像」1992年5月号)・「祭日」(「文学界」1997年1月号)などに度々、形をかえて描かれることになる。(後略)
                 ☆
 本文の末尾には、「水車」と同じ素材で伊藤桂一氏の詩「水ぐるま」という作品が紹介されている。
 伊藤桂一氏は、一般に直木賞作家として世間で紹介されるのであるが、直木賞受賞作の「蛍の河」は短編であり、内容も詩情に満ちたもので、本来は芥川賞の方がぴったりしていたように思える。この夏、92歳になったが、詩の世界での活動に対する情熱は衰えていないようだ。
《関連情報》
伊藤桂一詩碑建立記念誌「水車」を発行(詩人回廊)

「作家・伊藤さんの望郷の詩が石碑に 出身地四日市で除幕式」
 自身の戦場体験を基にした多くの小説を手がける四日市市出身の作家・伊藤桂一さん(92)の詩碑が、同市寺方町の大日寺に完成し、伊藤さんも出席して23日、除幕式があった。
 伊藤さんは、1917(大正6)年に三重県神前村(現四日市市寺方町)の同寺で、住職の子として生まれた。38年に召集され、復員後の46年から本格的な文筆活動を始めた。62年には自身の戦争体験を描いた「蛍の河」で直木賞を受賞、小説のほか、詩や短歌も多数残している。
 詩碑は、郷土の文学者をたたえようと、市内の文芸評論家ら10人が顕彰委員会を設立。東京に住む伊藤さんと詩碑建立について話し合いを進め、伊藤さんが生家近くにあった水車を懐かしんで詠んだ望郷の詩「水車(みずぐるま)」を碑に刻んだ。
 式には、伊藤さん夫妻のほか、東京や名古屋、九州などから関係者約80人が参加。伊藤さんが、幅1・6メートル、高さ0・9メートルの碑にかかった白い幕を引くと、濃い緑色の石に直筆の詩が浮かび上がった。
 伊藤さんは「こんな立派なものになるとは夢にも思わなかった。皆さんの気持ちを心に留め、それに応える努力をしたい」と語った。(土屋晴康)(中日新聞 09年8月24日)

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2009年9月16日 (水)

著者メッセージ: 東野圭吾さん 『新参者』

(講談社『BOOK倶楽部メール』09年9月15日号)
 この町のことを思い浮かべるだけで、忽ち様々な人間が動きだした。そのうちの一人を描こうとすると、そばにいる人々の姿も描かざるをえなくなった。まるでドミノ倒しのように、次々とドラマが繋がっていった。同時に謎も。最後のドミノを倒したときの達成感は、作家として初めて味わうものだった。(東野圭吾)
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(担当編集者からのメッセージ)著者とともに人形町を歩いた。何度も歩き、何度も驚いた。この町は、いくつもの奇跡を見せてくれた。著者は、小説で奇跡を見せてくれた。(文芸図書第ニ出版部 N)

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同人誌「私人」第66号(東京都)

【「翻訳文化の新時代」(六)尾高修也】
 自分は、翻訳された本の恩恵を受けてきた。そういう意味で、この評論に興味をもった。水村美苗の日本語喪失への危機感と、村上春樹のグローバル化の問題をとりあげている。日本の文学的な伝統の断絶を結びつける活動をすすめることで問題提起している。
 この辺の考えは自分も論より証拠で「詩人回廊」というブログサイトで実行をはじめた。村上春樹のケースは、世界文学というより、作品が「情報コンテンツの発信」として世界中に受信されている現象であり、伝統的な文学精神のあり方とは別に論じる必要があるように思う。「文学のコンテンツ化」の大きな波ではないかと思う。自分なりには、伝統的な文学手法、言葉の運用の回復と、現代的なコンテンツとしての実現を狙っている。

【「繭の中」牧康子】
 女性が、仕事、恋、愛の遍歴を経て、マンションにひとり住まいし、こもるような生活をしているところにマンションの大規模修理の期間に入る。そのため、住民はベランダを自由に使えなくなり、作業員にカーテンの内側を覗かれるような気がする。その大規模修繕の過程が詳しく描かれていて面白い。新築マンションを購入したばかりの人には、いずれこれがはじまりますよ、と参考になるかもしれない。話の奥にある骨格はきちんとしていて、文学的精神はあるのだが、題材との関連がいかにもエッセイ的で、事実関係と密着しているので、エッセイと間違えかねないところもある。もうひとひねりも必要か。

【「百薬」木山省二】
 これは時代小説を書こうという、創作的意欲にあふれた作品。江戸時代の山本長五郎という男に関し、周囲の人の噂を拾い集めることで、山本の人柄を浮き彫りにしたもの。熱心で、ていねいな作業だが、オチとヒネリがないので、その丁寧さが充分に生かされていない気がした。

【「シリウス」櫻井あき】
 全共闘時代の若者の恋愛を描いたもの。時代背景に取り入れた作品は多いが、ほとんど全共闘にたいする思想的な立場にふれられることがない。これは時代の流れの様々な要素と絡みあった出来事で、それだけを取り上げても、一時的な空しい時代の流行に過ぎないように見えるかららしい。この作品も青春の同時代性の表現の一部になっている。

【「築二十年の家」加井恵】
 住み替えの話だが、なんとなく面白く読んでしまう。家探しの詳細とセールスマンの様子がよく書かれている。

【「冬木立」江幡あつ子】
 高齢化した両親が自己責任で生活をすることが出来なくなり、介護に娘がそこに移住してきた話。こまごまとした話は、女性ならではの筆致で現状のレポートになっている。最後に、主人公が介護の意義を認識して前向きに生きようとする決意が、介護生活がひとつの戦いであることを示している。

【「蔦もみじ」鈴木真知子】
 同じ町の書店の店主とも交流を描いて、人生の悲哀を描く。これは上手な書き手で、細部に工夫があり、文学作品として、すっきり仕上がっている。

☆本誌は、東京・新宿の住友三角ビルの朝日カルチャーセンターの教室の人たちによるもの。5月発行のものを、ふと思い立ってこのブログ宛に送ってみたものらしい。最近、未知の同人誌の到着が増えて、なかなか紹介が追いつかない。月報を発行していた時期は、他の会員に手分けしてみたこともあったが、一回はいいが、何故か、あとが続かない。意味があるから送られてくるのであろうから、無視もできない。当方も自分の詩作や創作に力を入れたいので、できればもっと簡略化したものにしていきたいと考えている。(紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一)

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2009年9月15日 (火)

「1Q84」解読や評論、作中出典など関連本が続々と

 村上春樹の長編『1Q84』(BOOK1・2、新潮社)。関連本の刊行が相次いでいる。毎度、春樹作品は謎解きと深読みを誘うが、そのヒントが見つかるかもしれない。(山内則史)
 黄色い月と緑の月。「1Q84」を象徴する二つの月が表紙を飾るのが『「1Q84」村上春樹の世界』(洋泉社MOOK)。登場人物の相関図に始まり、スポーツクラブのインストラクターにして殺し屋の青豆の漫画やストレッチの再現、小説家志望の予備校講師、天吾が作る食事のレシピなど、この小説世界に多角的にアプローチしているのが楽しい。全48章を1ページずつ要約・解読していく構成は読みやすく、下段のコラムでは「ギリヤーク人」「非常階段」「地獄の黙示録」など、気になるテーマを取り上げる。お手軽な作りに見えて侮りがたい、充実した内容だ。
 執筆者の豪華さでは『村上春樹「1Q84」をどう読むか』(河出書房新社)が突出している。春樹作品の読解をリードしてきた文芸評論家・加藤典洋氏、オウム真理教の信者を映画で追った森達也氏、精神科医の斎藤環氏から「文学賞メッタ斬り!」でおなじみの大森望&豊崎由美コンビまで35氏が、超話題作を論じる。大絶賛派から否定派まで意見にかなり幅があるのが、読みどころだ。
 この中にも登場する仏文学者の鈴村和成氏は、『村上春樹・戦記/「1Q84」のジェネシス』(彩流社)を出した。『村上春樹とネコの話』『村上春樹クロニクル1983―1995』を著し、長年春樹作品を読み込んできた人ならではの内容で、過去の作品と新作を結びながら論じた書き下ろし評論「『1Q84』のジェネシス」は、力がこもっている。
 『1Q84』を純粋に、深く味わいたいという人にとって、もう一つの1984年小説は必読だろう。折良く高橋和久の新訳でジョージ・オーウェル『一九八四年』(ハヤカワepi文庫)が出た。編集部によると、あらかじめ新訳の話が進んでいたというが、2か月弱で6万部と好調。現代アメリカ文学の巨人、トマス・ピンチョンによる解説が、この小説が全く古びていないことを教えてくれる。
 作中に出てくる作品としてもう1冊、アントン・チェーホフ『サハリン島』もおさえておきたい。岩波文庫は品切れ中だった上下巻(中村融訳)を各5000部重版。中央公論新社『チェーホフ全集』(原卓也訳)と、ちくま文庫版全集(松下裕訳)の『サハリン島』もそれぞれ復活した。
 村上氏は実際にサハリン島を訪れている。旅の模様は都築響一、吉本由美氏との共著『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(文春文庫)で読める。サブ・テキストとして、要チェックだ。
 最後におすすめの1冊は大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』(角川oneテーマ21)。世界に通用する春樹作品と宮崎アニメの「物語構造」を分析・考察している。便乗本でないため、『1Q84』への言及はあとがき部分9ページに過ぎないが、村上作品の本質を鋭くとらえている。
 『1Q84』は18刷で、BOOK1が123万部、2は100万部。やや落ち着いたものの、「1Q84」現象はさらに続きそうだ。(09年9月14日 読売新聞)

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2009年9月14日 (月)

向田さんの幻のデビュー作発見

 作家の向田邦子さん(1929~81年)が脚本家としてデビューしたテレビドラマ「ダイヤル110番」(57~64年放送)の脚本4作が、14日までに見つかった。現在、内容が確認できる向田さんの脚本としては最も古い“幻のデビュー作”。創作活動の原点を示す貴重な資料といえそうだ。16日刊行の「向田邦子シナリオ集」(岩波現代文庫)第6巻に収録される。(09年9月14日 共同通信)

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2009年9月13日 (日)

文芸同人誌評「週刊 読書人」(09年9月11日付)白川正芳氏

《対象作品》陶山竜子「思い出の人」(「婦人文芸」87号)、一ノ瀬綾の小説「我が人生 独り芝居」(「シリウス」19号)
「中部ペン」16号より堀江光雄「牛マンダラ」(第22回中部ペン文学賞受賞作)、連載座談会「日本の戦後文学再検討」
「海」第二期創刊号より織坂幸治「現代教育考」、由比和子「桜」、牧草泉「氷海の航跡」
三田村博史インタビュー「同人誌は、いま、どこにいるのか?」(「カプリチオ」30号)、西園春美「こおりの音」(「詩と真実」八月号)、大森捷二「豪傑芭蕉」(「四国作家」41号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2009年9月12日 (土)

同人誌時評(9月)「図書新聞」(09年9月5日)・たかとう匡子氏

《対象作品》「第2次未定」第89号(未定俳句会)は創刊30周年記念号。特集「詩の現在・詩は死んだのか」より稲川方人の古賀忠昭講演録を掲載。
「ES白い炎」第17号は「異種交配」を特集。
「玲瓏」第73号(玲瓏館)鈴木漠「活字表現としての詩歌-笠原玉子詩集『この焼け跡の、ユメの、県(あがた)』、「石榴」第10号(石榴編集室)高雄祥平「樋口一葉から野溝七生子と尾崎翠へ**つづいて尾崎翠」、「せる」第81号(グループせる)若林亨「こっこや」、「月水金」第33号(月水金同人会)河合火骨「真夜中の霊柩車に乗る幼女」、「湧水」第43号(湧水の会)大原紅子「白い花」、「耳空」(「耳空」組)創刊号。(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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詩の紹介  「蝸牛」   清水正吾

(紹介者・江素瑛)
 家庭の夫婦喧嘩から国家政党の競り合いに憂国憂民する作者の苦心をかたつむりの詩に託す。漢詩「本是同根生 相煎何太急」同じ根から出たもの、何故煎り合いに急ぐのか。世界に夫婦ケンカと戦争の絶えたことなし、という見方がある。人類はこの殻を手放して生きることができるのか。
        ☆
          蝸牛

蝸牛よ/かたつむりよ/ひきこもりの/殻からでてこい/ぬくもる春の巻貝の閏門から
  土の渦から生まれ/渦の殻を背負って歩き/腹の底に虫が疼く/詩の渦を背負って/なめくじの軟体質/銀色の糸 足跡をひきずって歩く
狂言「蝸牛」の編笠を被る蟲の男/山伏になぶられて/でんでんむしむし/出出蟲蟲
  うたごえは耳の奥の蝸牛殻/神経が集中する/内耳の器官が震え/胸のなかの自問自答は/つまらぬこぜりあい
夫婦の/角だせ槍だせ/国家の/<蝸角の争い>は絶えず/左の角の先は触氏の国 右の角の先は蛮氏の国/同じ殻のちいさな家 ちいさな国どうし/山伏になぶられた党首/太郎冠者と一郎冠者が能舞台で/甲高く罵りあって いかようにか/宙に向い 男たち 夫は地団駄踏む
  
詩誌「幻龍」10号より 発行所 幻龍舎 川口市 09年9月

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同人誌「詩と眞實」9月号・第723号(熊本市)

 本号は、月刊で723号という大変な歴史と実績をもつ。8月号も着いていて、西園春美「こおりの音」は、語りたい熱意が伝わるが、整理と物語としてのうねりが足りないと感じ、吉村滋「金婚式」は、身しみる話でよくまとまっている。しかし手記的で、それをどう紹介するかと考えているうちに9月号がくるという、怒涛のような作品づくりに驚かされた。それにしても、これだけ充実しているのに、一介のブロガーの自分に読めというのは、勉強になるからであろうか。

【「島」戸川如風】
 作品の舞台となっている湯島は、普賢岳が近くにみえる沿岸の小島。そこに二年間の任期で、若い女性教師の真理子が赴任してくる。島の子どもたちは、噴火で津波が起これば、島は沈んでしまうという危機感を持ちながら、平和な日々を送っている。
 真理子の外部者の視点で、島の風物が紹介され、自身も岩海苔をとったりする。島のよさが表現される。島の人の立場は、大人ではなく、未来に夢を持つ子どもたちの視線で描く。こうした手法のため、生活の現実と距離が置かれ、ソフトでロマンティックに、いきいきと描かれている。
 島の子どもの光子は糖尿病という病を持ちながら、周囲を明るい光を放って仲良く暮らしていたが、病に倒れ死ぬ。その悲しみが良く伝わってくる。そして、真理子は任期が終わり去ってゆく。小島の穏やかな生活のなかで、人間の命と尊厳を描き、ヒューマニズムにあふれた物語になっている。生活人情の中での人間愛を向日的にまとめ上げている。甘いところを承知し、落ち着いた筆致によって、物語に共感できる。

【「禁断の木の実」今村有成】
 若い男女の交際を精神と肉体の交流接触に絞り、アダムとイブの愛と性になぞらえて語る。古い感覚もここまで原点に照らし合わせた発想で表現されると、かえって新鮮である。思想的な柱の失われた現代の表現に、苦心するよりも、古くてもなんでも思想というものがあると、なんとなく物語がしっかりしているように見えるのが不思議。
発行所=〒862-0963熊本市出仲間4-14-1、今村方。

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2009年9月11日 (金)

同人雑誌・時評-小説「讀賣新聞 」西日本地域版(09年9月3日夕刊)松本常彦氏

題:女性特有の世界巧みに
《対象作品》垂水薫「同行(どうぎょう)」(「照葉樹」7号)、木山葉子「鍔広の黒い帽子の女」(「木木」22号)、井上百合子「百舌」(「火山地帯」158号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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ツイッターで草稿公開し小説を宣伝!新城カズマさん

 小説家、新城カズマさんが、新作の小説「15×24(イチゴー・ニイヨン)」のプロモーションとして、草稿の一部をツイッターに投稿している。新城さんは8月末、公式ブログで「3000枚の原稿できあがってるのに1&2巻の売れ行き悪くて最後まで出ませんでした、じゃあ洒落にもならん」と書いており、宣伝方法を悩んでいたという。小説は全6巻で、25日から集英社スーパーダッシュ文庫で順次刊行される予定。(産経ニュース09.9.10)

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2009年9月10日 (木)

第18回山本七平賞に長谷川幸洋さん「日本国の正体 政治家・官僚・メディア-本当の権力者は誰か」

18回山本七平賞(PHP研究所主催)が10日、東京新聞・中日新聞論説委員、長谷川幸洋さん(56)の「日本国の正体 政治家・官僚・メディア-本当の権力者は誰か」(講談社)に決まった。賞金は300万円。

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「西日本文学展望」西日本新聞8月28日朝刊・長野秀樹氏

題「死の周辺」
《対象作品》吉村滋さん「金婚式」(「詩と真実」722号、熊本市)、高崎綏子さん「水脈」(「海峡派」116号、北九州市)、西園はねみさな「こおりの音」(「詩と真実」)
「照葉樹」7号(福岡市)垂水薫さん「同行」、水木怜さん「遊境」「銀玉と吉子(きちこ)」
「二十一せいき」11号(大分市)、相加八重さんの個人誌より「鳶(とび)師」
「木木」22号(佐賀県唐津市)は漢詩や短歌も掲載され多彩な誌面作りの総合文芸誌。小説は下川内遙さん「カマイタチ」、木山葉子さん「鍔広の黒い帽子の女」、小松陽子さん「春の夢」。連載中の河村剛つん「家系の記」完結。(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)

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2009年9月 9日 (水)

いじめ通し、人の善悪描く=川上未映子さんが初の長編 『ヘヴン』(講談社)を出版

 芥川賞から1年半。小説や詩、音楽など幅広く活躍する作家の川上未映子さん(33)が、初の長編『ヘヴン』(講談社)を出版した。中学生たちのいじめを通して、人間の善悪を深く見詰めようとした意欲作だ。
 「見るための器官なのに、自分の目は自分で見られない。『目』に興味がありました。斜視の子を登場させ、かわいらしい物語を初めは書くつもりだったんです」
 短い作品を2週間で書き上げようと昨年7月、ホテルで缶詰めになったという。だが、頭の中で話が膨らみ、結局、ドイツの哲学者ニーチェの著作、殺人と許しを描くドストエフスキーの『罪と罰』など本を読んで過ごした。
 1991年の春、14歳の<僕>は、斜視を理由にいじめられていた。ある日の休み時間、筆箱に手紙が入っているのを見つける。
 <わたしたちは仲間です>
 クラスで同じく嫌われ者の女生徒、コジマからだった。2人は文通を始める。
 次第に作品は哲学的な雰囲気を帯びる。いじめは激しくなり、主人公は牛乳パックやごみを机に詰められ、頭をけられて血まみれになる。死を考える彼に、コジマは「弱さに意味がある」と語り、斜視は大事な<しるし>だから治してはいけないと話す。
 執筆は1年がかりになり、一時は800枚以上に膨らんだ原稿を半分に削った。
 「現実のいじめは、物語より深刻かもしれません。いじめ自体を描くより、強者の前に人間はどう振る舞えるのか、信仰のようなものが救いになるのか、などといったことを、作中の2人に背負わせたかった」
 観念的な主題を抱えながら、小説の言語に確かな手応えがある。作品の文体は、豊胸手術を扱った芥川賞受賞作『乳と卵』で使った息の長い関西弁から標準語に変えた。
 「女が3人集まり、胸の話をする前作は関西弁が合いました。男の子がいじめられ、思弁の幅を広げる今作は標準語が書きやすい。文体は作品の世界観に合わせればいいと思っています」
 芥川賞受賞後、歌手の経歴も注目され、雑誌の写真ページやドキュメンタリー番組にも登場した。2月に詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞を受けている。
 「指輪をして写真に映ったら『キーボードが打てるか』と言われた。世間の作家に対するイメージは意外と狭い。でも小説に自信があれば、仕事を狭めなくていいと思う。戦っています」
 <この並木道の果てに、僕ははじめて白く光る向こう側を見たのだった>
 「最後の場面は書いていて吐くほど泣きました。自分にとって掛け替えのない一瞬。それが、ヘヴン……多分、ヘヴン気分」(待田晋哉)(09年9月8日 読売新聞)

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2009年9月 8日 (火)

ゴマブックスが民事再生法の適用申請 ケータイ小説でベストセラーも

 帝国データバンクによると、ケータイ小説やタレント本の刊行で知られる出版社のゴマブックス(東京都港区)が7日、東京地裁に民事再生法の適用を申請した。負債額は約38億2千万円。
 ゴマブックスは昭和63年に設立された中堅出版社。ビジネス書から絵本まで取り扱い分野は幅広く、児童書「レインボーマジック」シリーズや「ちびギャラ」シリーズは累計150万部のヒットを記録。若者に人気のケータイ小説「赤い糸」シリーズも累計330万部のベストセラーになった。また、昨年は夏目漱石や太宰治ら日本の名作文学の横書きで発売し話題を呼んだ。産経ニュース(09.9.7)

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光文社PR誌「本が好き!」年内で休刊

 光文社は月刊PR誌「本が好き!」を12月発売号をもって休刊する。「出版不況」が理由という。同誌は平成18年創刊。主に書店などで配布しているが、年間1000円での定期購読者もいる。楊逸(ヤン・イー)さんや誉田(ほんだ)哲也さんの連載小説、エッセーなどが掲載され、部数は2万3000部。(産経ニュース09.8.29)

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2009年9月 7日 (月)

松浦寿輝(ひさき)さん「吃水(きっすい)都市」に第17回萩原朔太郎賞

松浦寿輝(ひさき)さん「吃水(きっすい)都市」に第17回萩原朔太郎賞

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2009年9月 6日 (日)

詩の紹介      「葦」  渡辺みえこ

(紹介者・伊藤昭一)
群生した葦の上を風が吹きぬけると、青い匂いに全身が包み込まれる。一部抜粋すると、
               ☆

葦の匂いがする/まだ氷の張った掘り抜きの/勢いよく流れる水の匂い/野良から上がってくる/都会育ちの母の/細い骨の撓う音

この地の最初の生き物/それは葦だった/混沌から伸びてきた生き物/だから私の中の葦は/風が吹くと目覚めるのだ
               ☆
 葦が寒い時期から芽吹くとは知らなかった。母親の無言の労苦を、幼心は知っている。また、葦の匂いが呼び起こす、身体の奥に刻まれた命の根源を詠んで力強い感動がある。「婦人文芸」87号09年08月(東京都)より

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「中部ぺん」第16号/2009(名古屋市)を読んで(2)

 座談会・第五回「日本の戦後文学再検討」という企画が続いている。戦後文学の最盛期から時代もだいぶ下がってきて、石原慎太郎の「太陽の季節」、倉橋由美子の「パルタイ」など中心に論じられている。この時代になると、戦争のトラウマ世代には、世界的な文学活動と同期していたものが、それぞれの国ごとに異なる状況になり、世界文学とのシンクロ性が失われてきた。
 戦争による罪と罰、生きるか死ぬかの争い、権力の弾圧にどうするかなどのヒューマンなところでは、共有するものがあるもの、その後の安定をとりもどした社会への文学のアプローチの仕方となると、それぞれ国によって異なるものがある。
 この時代以降に、戦後文学として再検討するには、その後文学はどの方向に行くとか、こう行くべきだとかという、指針をもって行わないと、あれもいいけど、これもいい、というような、蛸ツボのなかから意見をのべるテレビ放送の料理番組やバラエティの範囲に留まるような気がする。今回の座談会では、対象作品が、秩序を守るために強制されてきた制度への反抗する作品が選ばれた。こうした従来の制度からの脱却をした個人は、次の秩序ルールをどう形成してきたのか。その反省は同時代ではまだ総括されないらしいことが、わかる。
 ヒューマニズムだけなら、それはロマン主義の範囲での共感と論理で、大衆文学だけの世界であり、今の純文学ではそれを超えている。戦後意識を問題にするには、テキスト作品のテーマに沿った選別が必要な気がする。
 発行所=中部ペンクラブ、〒461-0004名古屋市東区葵1-16-31、サンコート新栄9F

…………………… ☆ ……………………
テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例

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第1回島田荘司小説賞に台湾の王さん

 中国語で書かれた優れた推理小説に与えられる第1回「島田荘司推理小説賞」が4日、台湾在住の寵物先生(ミスター・ペッツ)(29)の「虚擬街頭漂流記」に決まった。同賞は推理作家の島田荘司さんの支持を受け、台湾の出版社が今年から主催した。受賞作は台湾だけでなく、日、中、タイでも刊行される。(産経ニュース09.9.4)

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2009年9月 5日 (土)

「中部ぺん」第16号/2009(名古屋市)を読んで(1)

 本誌には、中部ペンクラブ文学賞の受賞作、堀江光雄「牛マンダラ」が掲載されている。作者のひらめきによる「私」の設定と環境事情だけは、しっかりとしていて、そのほかは、思い浮かぶままに自由にイメージを広げた描き方で、人生経験に厚みを持った作者の融通無碍で野放図な作風である。選評で吉田知子氏が、「これは小説ではない」というとまどいを見せているのも頷ける。いわゆる、漬物でも売るとなれば、中味のムラのなさ、包装などに気を配るが、非商業の作物なら、中味さえあればよい。
 そういう意味で、小説において、非商業的なジャンルの存在がみとめられつつある現象のようだ。自分の周りでも、春先に作家の伊藤桂一氏を師とする「グループ桂」というテキスト同人誌の作品指導があった。その時に、宇田本次郎氏の「星の簾」という作品について、伊藤桂一氏は「同人誌の作品としては、完成度が高く、よく出来ている」と論評した。これは作品の水準は高いのであるが、商業性の面白さに欠けるという意味である。作品の完成度と商業性とは無関係であるという認識が明確になってきたのではなかろうか。
 堀江敏幸氏の「小説とその周辺」という講演の内容がある。詩と小説の間に位置づけられる作品について述べている。
 結局、現在の売れる小説というものが、一に題材、二にストーリー、三、四がなくて、五に文章と編集者がいうように、文章の表現力を軽視したものが多い。
 これは、出版社が、読者層が文章の読解力のない人たちに、買って読んでもらわないと、採算がとれない、というところから来ている。
 ところが、ある程度文章の表現技術も楽しみたいという層には、そんな小説はただの紙くずでしかない。書店は紙くずの山に見える。そういう層は1万人~2万人しかいないであろうが、堀江氏の論に同感すると同時に、文学における時代の影響を思った。
発行所=中部ペンクラブ、〒461-0004名古屋市東区葵1-16-31、サンコート新栄9F

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同人誌「婦人文芸」87号(東京都)

【「思い出の人」淘山竜子】
 由子は大学を出て上京し、八年同じアパートに住んでいる。その日は、会社休んでぶらぶらしている。すると、以前、羽田空港に近い埋立ての京浜島付近のバーべキュウのときに一緒だった安島という男に出会う。別れてから、グーグルマップで偶然、自分のアパート周辺をみたのであろうか、そこに安島嶋というあの男が、アパートの郵便物を取り出そうとしているのが写っていた。もし、この思いつきのような話だけであったら、ずいぶん冗長に書いたものである。また、冗長なところに意味をもたせたとしたら、ずいぶん風変わりな作品である。

【「マユミ・散骨の島」麻井さほ】
 海に入って自殺をはかった若者が、40歳代の離婚した中年の女性に助けられ、島のようなところで過ごすうちに恋に落ち、愛の生活の中で生きる喜びを取り戻す。それが「僕」の視点で語られる。やがて、女性は「僕」の子どもを産むが高齢出産で、命を落とし「僕」は取り残される。
 現実離れしたロマンチックな物語だが、その思いが物語の筆づかいに反映されていて、ロマンが描ききれている。

【「旅行記―トリノ終日(ひねもす)2008年冬のホームステイ」河内和子】
 翻訳家でイタリア語が堪能な作者が、トリノの60代の女性のところに7泊のホームステイをするレポート。物事の細部を書き慣れているので、その詳細が具体的で大変面白い。イタリア人の生活と風物が楽しめる。話の節目に段落か小見出しを入れたら、もっとイメージが明瞭になるような気がした。それにしても、記憶力と語る力のつよさをもった人である。(参照:詩人回廊「河内和子の庭」 

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文芸時評8月(東京新聞)8月27日・沼野充義氏

舞城王太郎「ビッチマグネット」テンポよい家族小説/湯本香樹実「岸辺の旅」生と死の境をみつめるーー。
《対象作品》対談・磯崎憲一郎&保坂和志(文学界)/舞城王太郎「ビッチマグネット」(新潮)/湯本香樹実「岸辺の旅」(文学界)/吉原清隆「ジオラマ」(すばる)/小野正嗣「みのる、一日」(新潮)/佐川光晴「崖の上」(すばる)。

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2009年9月 4日 (金)

文芸時評8月(毎日新聞)8月26日・川村湊氏

「細部の描写」の強い小説/かえって弱まる物語の力/人間関係の描き方に心配りをーー。
《対象作品》舞城王太郎「ビッチマグネット」(新潮)/鹿島田真希「第三の愛」(群像)/湯本香樹実「岸辺の旅」(文学界)/茅野裕城子「終わらない原稿はない」(すばる)。

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2009年9月 3日 (木)

日本語の歴史、軽視を憂う 第8回小林秀雄賞の水村美苗さん

 「日本語に真剣に向き合わなかった戦後日本の知識人に対するふがいなさをずっと感じていました」。『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房)で第8回小林秀雄賞に決まった作家の水村美苗さんは、受賞決定後の記者会見で、こう語った。
 受賞作では、インターネットの普及などで英語が世界を覆う中、明治期に「日本語」という国語がつくられた歴史がないがしろにされている現状を憂い、漱石など、当時の文学作品に立ち返って読む必要性を説いた。「小説を書くことには苦しい中にも喜びがありますが、この本を書くことは苦しかった」。問題提起の書は、大きな波紋を呼んだ。
 選考委員の関川夏央氏は、「憂国の思いが、この本を書かせたと思う。私自身、強く共感するところがあった」と評価した。
 「この本が日本の人に届かないとすれば、一体私はこれからどうやって書き続けられるだろうと思っていました。これからも日本語で書いていくうえで励みになります」。海外での生活が長く、日本語を外側からも見てきた人の言葉に、一つの役割を果たした手応えと安堵(あんど)感がにじんだ。(09年9月1日 読売新聞)

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2009年9月 2日 (水)

磯崎さん『終(つい)の住処(すみか)』が15万部突破

 第141回芥川賞を受賞した磯崎憲一郎さん(44)の『終の住処』(新潮社)の単行本が、発売約1カ月で15万部を突破した。全文掲載された月刊総合誌「文芸春秋」9月号の発売前に12万部を売り上げ、同誌発売後も順調に売れ行きを伸ばしているという。
 『終の住処』は、会社員の主人公と妻の関係を軸に、数十年の年月を緩急ある文体と描写で凝縮させた小説。新潮社の出版担当者は「村上春樹さんの『1Q84』は例外として、初版数千部からスタートする文芸書の中で非常に売れている」と話す。
 磯崎さんは三井物産勤務の商社マンで、サラリーマン生活のかたわら、小説を書き続けてきた。同社は「たくらみのある小説で、本好きからの評価が高い一方、一般の男性読者も多いようだ。磯崎さん自身に親近感を持って手にとっていただけているのでは」と分析する。
 一方、全文掲載された「文芸春秋」9月号の売れ行きも好調だ。文芸春秋の営業担当者は「単行本が売れると“相乗効果”で雑誌も売れる。芥川賞掲載号は通常より売れる傾向があるが、ここ数年でも上位の好成績」と話している。(09.8.30 産経ニュース)

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2009年9月 1日 (火)

第九回文学フリマの参加申し込み受付開始

「文学フリマ」公式サイト第九回文学フリマは12月6日(日)蒲田・大田区産業会館PIOで開催。

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