文芸誌「照葉樹」第7号(福岡市)
本誌は、博多弁というのか、九州弁というのか、ローカル色のある言葉を活用して、どの作品も面白い。文芸誌たろうとする意欲作がそろった。
【「遊境」水木怜】
これは認知症の老女の独白体の物語である。嫁が盗みをし、謀略を企てているという思い込みを軸に、その独白によって、老女の現実認知の力が衰え、認知症が進行し、人格が崩壊しゆく様子が読者に伝えられてゆく。語り手の話の内容を読者が点検し、そこで何が起こっているかを推理させるスタイルである。
この手法には文章の技巧力が必要とされる。そういう意味で、作者の文章技術で読ませるエンターテインメント作品である。脳の進歩と退化をテーマに、独白日記体での成功例としてはダニエル・キース.「アルジャーノンに花束を」という外国作品がある。この小説は、当初は技巧的な短編小説であったが、作者がさらに10年かけて技巧に磨きをかけ、長編小説にしてベストセラーになった。
ところがこの「遊境」には、オチがない。自分は読んでいて、老女の嫁が謀略をしていると語るのは、読者には妄想と思わせておいて、現実は事実で、嫁の何らかの謀略があったという、オチがあるものと思って読んでいたので、そのまま終わってしまったのに、驚かされた。そういう意味で意表をつかれたが、それは欠点に思えた。
【「銀玉と吉子」水木怜】
吉子の亡くなった夫は、パチンコ好きで吉子も一緒に遊んだ。その夫が亡くなってしまう。さびしさと生きる目標を失った吉子はパチンコで夫を偲び、我を忘れる生活になる。
そんな時に偶然、高校時代の同窓生だった芝原に出会う。芝原も妻を亡くし、独身の寂しさを抱えている。まじめでパチンコはやらない。
家事をしてやり、その交流の成り行きから、吉子は彼のマンションに泊まるようになる。そんなある時、彼の金、10万円が部屋に置いてあるのを見つけてしまう。
パチンコ狂いの吉子は、そこから万札を何枚か抜き取り、パチンコをする。勝つと持ち出した現金を戻すようになる。
そのほか、夫を失った後、生活のためか、男好きのためか、男をあさってはたかることで生活をしている冴子が出てくる。どれも興味がつきない設定である。
大変面白い物語で、芯のある娯楽物として楽しめる。最後に違法な高利貸の登場が、効果的であるが、整理がしっかりしていないところが気になる。気にさせるところがあるほど、物語に吸引力がある。
【「同行」垂水薫】
これは、作家的な手腕とロマンの表現にすぐれた作品として、大変に感心し、面白く読んだ。話は、陣痛のはじまった主人公の視点で、出産までの陣痛の苦しみの合間に、これまでのいきさつを回想する。読者を離さない手法として、これは効果的である。
彼女の回想によると、夫は母親思いなのかマザコンなのか。その夫に出張の間、姑のそばに居てくれ頼まれ、なんとかそうして、おだやかに暮らしいている。そのなかで、元の会社の上司だった男と知り合い。恋愛関係になる。男にも妻がいる。不倫のなかの主人公の恋心が読みどころ。そこで、妊娠したのだが、どうも夫には子種がなく、子供の元は上司ではないかと思わせる話が語られる。
夫と姑は、そんなことつゆ知らず、産みの苦しみを励ます。無事出産したものの、彼女は生命の危機に陥り、意識が消えていく。
読み方はいろいろあるであろうが、自分にとってこの作品の読みどころは、いざとなれば身勝手に去ってゆく元上司への、主人公の恋と情熱である。ロマンとしての恋愛が描けている。それが稀有なのである。これまで読み方が悪いのか、同人誌でロマンとしての恋情が描かれたものに出会ったことがない。(恋と思い込んでいるだけで、恋に関するようなだけで、そうではないのがほとんど。そういうのが恋愛小説として、ほめられている評などを読むと、違和感を感じてしまう)。描ける人がいるのだと、大変驚かされた。
小説は、恋を失った女性は、子供を産んで死ぬのが象徴として活きている。それでも、当然であるが、悲しい話である。これが計算しなくても必然の構成になっているところがセンスのあるところに思う。F・サガンは恋の不条理しか小説のテーマにして書かなかった。本作品は、中どころと、ラストが良い。久留米のサガンとして、期待したい。
発行所=〒811-0012福岡市中央区白金2-9-2、花書院。
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