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2009年8月14日 (金)

デジタルガーデン「詩人回廊」巡回記(3)

《「詩人回廊」サイト》09年5月の「文学フリマ」に参加できることになったので、セレクションした作品を「詩人回廊2009」という雑誌的な手作り本にした。「文フリ」では、プロもアマも同じ市場で、本を販売するというのが、うたい文句のひとつである。期せずして、「詩人回廊2009」は、著作権の切れた歴史的なプロの作家のものと、会員の作品が同じ誌上に掲載する方法を選んだ。
 先月国際ブックフェアに行って、姜尚中氏教授の講演を聞いた。話は、マックス・ヴェーバーの思想にからんで、社会科学の思想は、現代社会においても十分通じるものであり、古典を超えるような信頼できる理論は生まれていない、というもの。
 これからは、それらの古典を新しい視点でリサイクルし、説得力をもつ出版能力が必要だ。編集者が古典を素材として現代にどのような息吹を与えるかが、問題だとする話をしていた。
 姜尚中氏の講演は、社会科学の専門家としての狭い範囲であったが、その現状は文学界とずいぶん重なるところがあるのを感じた。
参照:古典で出版界の「“TBS化現象”から脱出しよう」、姜尚中氏が語る=東京 「詩人回廊2009」では、現代に生きる古典として、歴史上の著名作家の作品を掲載しながら、そこに何の解説も付けなかった。あとで考えると、編集人がなぜ、その作品を選んだかという編集上の理由を書いて付け足した方が良かったかな、と思った。現実にはそれを実行すると、本が厚くなり、実現しにくいのではあったが。
そこで、ここでそのセレクションの意味を記して置こうと思う。これは文芸同志会の活動のポリシーを強く反映させたものでもあるからだ。 まず、第一に選んだのは、中原中也の《「散歩生活」(1~3)》である。タイトルからして気に入った。まず、基本的に散歩していては生活ができない。しかし、詩人は散歩生活がなくしては、詩人ではなくなってしまう。
 いわゆる引きこもりやニートと同じ状況である。そこに、現代と同じようで同じでないものがある。では、どこが現代と異なるのか。そこを知ることができる。ここでいう現代とは、自殺者が3万人を超え、うつ病にかかる人が増えたという印象を与える社会の息苦しさである。中原中也の時代の社会は、それはどうであったのかである。

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