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2009年8月27日 (木)

文芸時評<文学8月>魂と生者のつながり(読売新聞)

小林恭二氏(51)の連載「麻布怪談」(文学界7月号~)が完結した。「四谷怪談」の向こうをはったか、歌舞伎的な骨格を備えた、エンターテインメント性あふれる快作である。
 大坂の儒学者の家に生まれた不惑目前の男が、家の学問に飽きたらず、江戸に出て親に内緒で国学を志す。産褥(さんじょく)で妻子を亡くし今は寡(やもお)のこの男が麻布に引っ越すと、二人の美女が代わる代わる、夜に訪ねて来る。その正体は狐(きつね)と幽霊。そこで一騒動起き、男の先祖に恩義がある狐と、男と浅からぬ因縁がある幽霊それぞれの来歴が語られる。
 『本朝聊斎志異(りょうさいしい)』で伝奇ものを連作し、黙阿弥や近松をふまえて『宇田川心中』を書いている作家にとって、人情と洒脱(しゃだつ)の物語は自家薬籠(じかやくろう)中のもの。思いを残して死んだ人間が無念を晴らすドラマに、愛する者と別離する悲しみをにじませつつ、剽(ひょう)げた語り口で飽きさせない。
 湯本香樹実(かずみ)氏(49)「岸辺の旅」(文学界)も、生者と死者のつながりを題材にした作品だ。失踪(しっそう)していた夫が、3年ぶりに〈私〉のもとに帰ってくる。海の底で体を蟹(かに)に食われてしまったと語る夫と共に私は、夫の戻って来た道を遡(さかのぼ)る旅に出る。中華料理店、タバコ農家など、転がり込んだ家で夫は仕事を手伝い、失踪の時間を過ごしてきたことを知る。そこにはいつも、水の流れる音がする。
 訪ね歩く先々の妙に生々しい生活感の振幅がユーモラス。彼岸と此岸(しがん)のあわいで揺れる夫は、本当のことを話していないのでは、という謎を帯びる。〈私〉の喪失感は変わらないけれど、旅の途中で夫と交わす就寝前の会話で、一緒に暮らしていたころ気づかなかった様々が明かされる場面など、ほほ笑ましい。「死者は断絶している、生者が断絶しているように。死者は繋(つな)がっている、生者と」という夫の言葉が、この作品の世界観だろう。それは氏が昨年、絵本『くまとやまねこ』で描いた、なかよしだったことりの死の悲しみから回復するくまの心境にも重なる。
 今月は、作家の年輪を感じさせる短編を読んだ。南木佳士氏(57)「白い花の木の下」(同)は、激務で心身のバランスを崩し、息をひそめるように回復し、生き延びてきた信州の医師の語る私小説的作品。診察したおばあさんに聞いた山菜の採れる秘密の場所を探すうち、若い頃検視した首つり死体の下がっていたとおぼしき木に出くわす。人の死と自分の死をともども見つめてきた長い時間が、瞬時に巻き戻される浮遊感があった。
 又吉栄喜氏(62)「凧(たこ)の御言」(すばる)は、揚がる凧の高さに神の声を聴き、結婚相手を決めるという風習を兄弟が試した結果、兄と結婚することになった女性〈私〉の独白体小説。その後、戦争が女性の運命を変える。のどかな凧揚げと、何もかも破壊する戦争の残酷さが柔らかな語りの中で自然に溶けあっていた。
 若手では舞城王太郎氏(36)「ビッチマグネット」(新潮)。素っ頓狂でやや幼稚な冗舌口語体で、4人家族の変遷を物語る。〈人間のゼロは骨なのだ(中略)そこに肉と物語をまとっていく〉といった言葉は鋭く、他人と理解し合う困難さに捨て鉢になりながらも希望を捨てないこの作品の持つ前向きさに、好感を持った。
小野正嗣氏(38)「みのる、一日(いちじつ)」(同)は、過疎の町で役場支所に勤める臨時職員みのるの日常を描く。幼時、体中デキモノに覆われ膿汁(のうじゅう)にまみれた彼は、この地に眠る記憶と腐臭の中にずぶずぶ沈んでいくかのよう。それに抗して、外国人の来客に備えて覚えた英語で「メモリー、ライズ」などと独りごちる。〈いまだ言葉ならざるものをどろどろの状態にしておくために英語が必要だった〉。言語と世界のありかたに対する考察に裏打ちされた佳作と感じた。(文化部 山内則史)(09年8月25日 読売新聞)

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