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2009年8月17日 (月)

同人誌「石榴」第10号(広島市)

【「歯」木戸博子】
1995年頃に、父親の死を迎えた娘の回顧である。老人の認知症という表現もなく、痴呆症という概念も明確でなく、さらに介護制度などもない。老いた肉親は病気であれば、病院へ、そうでなければ自宅介護となる。しかし、通常の家庭では自宅介護はすぐに行き詰る。それぞれ家族の生活あるからである。受け入れてくれる病院を探すのも、大変である。
 ここでは、自宅介護から病院へ入院させた娘が、もっと長生きをすると思っていたところ急に病状が悪化し、亡くなってしまう。そこに至るまでの娘の、父親との交流と意外な亡くなり方への後悔の念が描かれている。歯というのは、病院へ入れた父親が入れ歯をしておらず、看護の人たちから歯を使う食事をさせられていないことに娘がこだわる。そうして、死んだ後に、入れ歯をさせてあげたいと、病院がしまってしまった入れ歯を出してもらうと、入れ歯は本人の手で割られ使い物にならなくなっていた、というところで終わる。
 この時代、オームのサリン事件がニュースになっていたことを書き込み、時代背景がしっかりおさえてある。また、現実に父親を介護したときの、身についてしまう臭気、病院内での死臭など、臭いという五感の働きを表現に取り入れ、人間の死に直面した状況のイメージを明確に表現する視点に優れている。その細部によって、父親の性格や作者の細かい心情が、説得力をもって、語られている。
 自分もオーム裁判の時期に、会社を辞め、父親の介護をし、老人性の感情失禁というか、傍若無人な自己主張で、介護人には断られ、病院に入れれば不穏な言動だと呼び出され、自らの手はいくら洗っても、食事のたびに箸を持つ指から糞尿の臭いがしたものだ。個人的に、大変に心を動かされた。それは体験の共通点によるものであろう。確かに、私ひとりには、表現の意図は通じた。一人に感動を与えたのは、大変なこと。
 そういう良さがあるのだが、文芸作品として、どれだけの成果があるかというと、どこか、主婦の心情を吐露したレポート的なイメージがつきまとう。手際が悪く書かれていれば、わかりにくいものが、よく整理され優れているが故に、足りないものが浮き出してくる、という皮肉な結果になっているようだ。
 文学としてのポイントは父親の老人の業というようなこと、それを凝視する娘の感情の2点で、それらを組み合わせて純文学の素材にしている。この作品にはさらに体験者の思い入れがある。この思い入れこそ書く動機であろうから、欠かせない。同人仲間からは賞賛されるであろうと予想される。これでいいとするか、「もっと工夫して書くべき」とするか、自分も迷う。一応、もっと……、としておこう。父親の死に際の観察と、臭いへのこだわりは、作者の勘で純文学への扉を示しているのではないか? その壁を、もう一押しあれば……。同じ作者が本誌でスタインペックの「菊」の評論を書いている。シャープで、素晴らしい。勉強になった。

【「つづいて尾崎翠」高雄祥平】
 尾崎翠という作家はしならないが、知らなくても面白く読める。兄妹の愛を表現するのに、作家がそれを社会的なモラルを意識して、どう自己体験の表現の欲望を調和的に表現して見せるかを、難しく論じているが、わからないながら大変面白い。勉強になった。
発行所=〒739-1742広島市安佐北区亀崎2-16-7、「石榴編集室」。

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コメント

連作ですか。まとめる形式の形成力がありますね。気が付きませんでした。これからを大いに期待しています。同人誌は一度に、長く書けないのが悩みですね。しかし、それを活用して連作技術が上達できるのかも知れません。

投稿: 鶴樹 | 2009年10月14日 (水) 08時38分

木戸博子です。
詳しく紹介いただき、大変ありがとうございました。とても励みになりました。
「歯」は父の痴呆を通じて戦争の影響も描くことを意図しました。
実はこの作品は戦争体験によって損なわれた「父」を巡る三つの連作短編として
構想しています。「歯」はその第一話ですので、戦争の影響色濃く感じられない
かもしれません。
今後ともよろしくお願い致します!

投稿: | 2009年10月13日 (火) 23時06分

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