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2009年7月15日 (水)

萩原朔太郎の指摘していた芥川龍之介の才能の限界

 「詩人回廊」に掲示の作品で萩原朔太郎「小説家の俳句」があるが、ここでは芥川龍之介の友人でもある萩原朔太郎が、彼の才能の限界を指摘している。
 芥川は東京生まれの東京育ちで、伝統的な粋の世界や生活の形式美には鋭いセンスをもっている。しかし、それ以外のことでは、案外と凡庸である。「詩人回廊」では、「小説作法十則」や「散文詩」を掲示しているが、詩こそ芸術として、あこがれながら、詩人的なセンスには不足するものがある。
「散文詩」のなかに「椎の木」に関するものがあるが、これなどは、同じ椎の木を題材にした葛西善蔵の「椎の若葉」に比べると、その差は大きい。
 小説でも、若い感覚で、技術的に精緻をつくした短編が多く、人生の経験を生かした重厚なものはほとんどない。
 また、東京でない他の土地の取材ものでは、「トロッコ」「一塊の土」などの佳品があるが、これは彼が湯河原にいた時期に、地元に力石平蔵という熱烈なファンが素材を提供したもので、湯河原にある万葉公園の文学資料によると力石氏も相当の文学的視線にすぐれていたようで、彼との協同制作にちかいものであったろうと思わせるものがある。

《参考》=葛西善造「椎の若葉」の書き出し

 六月半ば、梅雨晴れの午前の光りを浴びている椎の若葉の趣を、ありがたくしみじみと眺めやった。鎌倉行き、売る、売り物――三題話し見たようなこの頃の生活ぶりの間に、ふと、下宿の二階の窓から、他家のお屋敷の庭の椎の木なんだが実に美しく生々した感じの、光りを求め、光りを浴び、光りに戯れているような若葉のおもむきは、自分の身の、殊にこのごろの弱りかけ間違いだらけの生き方と較べて何という相違だろう。人間というものは、人間生活というものは、もっと美しくある道理なんだと自分は信じているし、それには違いないんだから、今更に、草木の美しさを羨むなんて、余程自分の生活に、自分の心持ちに不自然な醜さがあるのだと、この朝つくづくと身に沁(し)みて考えられた。(中略)
 本能というものの前には、ひとたまりもないのだと云はれれば、それまでのことなんだが、どうにかなりはしないものだろうか。本能が人間を間違わすものなら、また人間を救ってくれる筈だと思う。椎の若葉に光りあれ、我が心にも光りあらしめよ。

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