« 文芸時評・6月(毎日新聞6月29日)川村湊氏 | トップページ | 文芸時評・6月(東京新聞6月30日)沼野充義氏 »

2009年7月 4日 (土)

詩の紹介 「十万回の生死」有森信二

(紹介者 江素瑛)
新陳代謝という、身体の細胞はそうだけれども、精神も正しく生々死々を繰り返すうちに一生を終焉する。生まれなければ死はない、死ななければ、新しい生はない。当たり前の事だけれども。生きとし生けるものの永劫回帰を止めるのはブッダのサトリの世界観のみか?
     ☆
「十万回の生死」 
人は十万回生まれ変わるという説がある//
三百年おきに十万回生まれ変わるとしたら/三千万年を要す/いや 三千万年しか要しない//
十万回生まれ変わる/ということからして不確かな/話であるが
一回きりでしかない/ということにも/頷けないものがある//
一回きりでしかないとしたら/どうしてこう/不器用な生き方をしたりするのか//
うまれてすぐに命を落としたり/疫病にかかったり誤爆で手足を吹き飛ばされたり/なぜ餓死したりするのか//
と思えば/七色の籠の中で育てられ/颯爽とパリの街を闊歩し/晩餐会で/優雅にシャンパンを傾けたりする//
あるいは/野良犬に生まれたり/蝸牛に生まれたり/ぺんぺん草に生まれたりもする//
これはなぜだ/どういう仕組なのだ//
われわれは/いたいどこから来て/どこへ去るのかなんのために来て/どのように果てるのか//
こんなことを考えること自体/そろそろ出口の方が近くなったせいだとの説もあるが//
このことを/生まれたときから考えていた/生まれたときから/いつも同じことばかり考えていた//
ひょっとしたら/一刻 一刻に/生死かあるかもしれないと/真剣に考えていたときもあった//
結局、十万回とう説も/ただ一回きりという説も/そのまま、きっちり正しいのだと思う//
今与えられている生の中で/考えられ得る限りの叡智をもって/考察したにしろ/この今の一回の生を過ぎていかねばならないことは/疑いようもない事実であるのだから
「海」(第二期)創刊号より21年6月 福岡 花書院

|

« 文芸時評・6月(毎日新聞6月29日)川村湊氏 | トップページ | 文芸時評・6月(東京新聞6月30日)沼野充義氏 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 文芸時評・6月(毎日新聞6月29日)川村湊氏 | トップページ | 文芸時評・6月(東京新聞6月30日)沼野充義氏 »