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2009年7月31日 (金)

詩の紹介  「亀」 門林岩雄

(紹介者・江素瑛)
人間は二通りに分けられる。悪い環境にいることを自覚し、一生めげずに抜け出そうとする人と、全く自覚なしに、一生楽しく安住できるひと。脱出することに意義を見出す習性、そこから悲劇が始まるのではないか。

「亀」
野井戸の底に、亀が住む。若い一匹の亀が住む。
野井戸は古く、すでに涸れ、苔むし、羊歯が生茂る。
底は暗く、湿っぽく、しずくがポタポタ落ちてくる。
亀はそこを抜け出そうとする。しかしその都度、いつも失敗。

あるとき、別の亀が野井戸の縁に立つ。
何気なく中をのぞき込む。下の亀は懸命に合図。
上の亀は思わず身を乗り出し、落っこちた。

そのうち、子亀が一匹生まれた。
物心つくと、子亀は野井戸を抜け出そうとする。
とても石垣は登れない。それでもこりずに、くり返し挑戦。

あるとき、子亀が宙に浮いた。野井戸を抜け出し、空を飛んだ。
秋草の乱れ咲く野が広がる。子亀は有頂天!
――鵙が子亀をくわえているのだ。

ケヤキの梢を飛び越えると、鵙は口を開けた。子亀は真っ逆さま。
激しく地面にぶちあたり、甲羅はグシャグシャにつぶれた。
子亀は鵙に食べられた。

野井戸の底に、亀が住む。老いた二匹の亀が住む。
野井戸は古く、すでに涸れ、苔なし、羊歯が生い茂る。
底は暗く、湿っぽく、しずくがポタポタおちてくる。
抜け出そうとして、いつも失敗。亀の甲羅はひびだらけ。
「門林岩雄詩集」より 土曜美術社出版販売 09年7月(東京)

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文芸時評7月(毎日新聞7月29日)川村湊氏

「いじめ」「被害者の連帯テーマに」暴力の連鎖断ち切る方向性も」。
《対象作品》川上三映子「ヘヴン」(群像)/松尾スズキ「老人賭博」(文学界)/青山七恵「山猫」(新潮)/村田沙耶香「街を食べる」(新潮)。

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2009年7月30日 (木)

第21堺自由都市文学賞に小川栄さん

 堺市などが主催する「第21回堺自由都市文学賞」(読売新聞大阪本社など後援)の受賞作が28日、発表され、千葉県市川市の主夫作家、小川栄さん(52)の小説「聞きます屋・聡介」が選ばれた。小川さんには副賞100万円と読売新聞大阪本社賞30万円が贈られる。


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2009年7月29日 (水)

文芸時評<文学7月> (09年7月28日 読売新聞)

「いじめ被害 少女気高く」「粗筋では語り切れぬ魅力」
先日芥川賞に決まった磯崎憲一郎氏「終(つい)の住処(すみか)」は、粗筋でその魅力を伝えるのが難しい小説である。どんなに丁寧に要約しても、小説はすり抜けてしまう。「小説を読んでいる時間の中にこそ小説がある」と書いたのは保坂和志氏だが、粗筋に還元できない質感や速度、登場人物と世界との関係の現れ方にこそ、この小説の新しさはある。
 川上未映子氏(32)の400枚の新作「ヘヴン」(群像)もまた、粗筋では掬(すく)いきれないものの多い作品だ。中2の少年〈僕〉と同級の少女〈コジマ〉はいじめられている者同士、ひそかに手紙を交わし、心を通わせる。〈僕〉をいじめるのは、学業優秀、スポーツ万能な〈二ノ宮〉と彼の取り巻き。一見、図式的な構造のいじめ小説ではある。
 「わたくし率イン歯ー、または世界」で作家デビューして以来、詩的でリズムのある文体を駆使してきた氏は、本作ではそれを手放し、奇をてらわない少年の一人称スタイルで書いた。追いつめられていく僕の内面、陰惨を極める暴力の空気は、胸苦しくなるほど緊迫感がある。
 試練を乗り越えることにこそ意味があると訴え、受難者的な神々しさを帯びていくコジマの強さについていけなくなる僕は、いじめる側にいながら一歩引いて悪魔的ニヒリズムに浸る〈百瀬〉の、「人生なんてものにそもそも意味がない」という言葉に大きくぐらつく。終盤の展開がやや駆け足で未消化な面もないではないが、新たな挑戦で、着実に世界を広げている。

 青山七恵氏(26)「山猫」(新潮)は、例えば静かな水面を乱す小石一個の波紋の広がりと収束を静かに見つめる作家の眼差(まなざ)しが感じられる短編。東京の大学を見学するため夏休みに上京した沖縄・西表島の高2のいとこを新居に泊める29歳の主婦は、スリッパをはくよう注意しても直らない彼女の鈍感さと、何を考えているか読み取れない無表情にいらだつ。思いと行動のずれ、うっすら積もる違和感は次第に大きくなり、少女と新婚夫婦の3者からなる感情の三角形は休みなく変化していく。その様が、刻々伝わってくる。
 異物として攻撃され、排除される弱者の側から描く川上氏、他者の登場で図らずも起きた夫婦の揺らぎを見る青山氏。日常に軸足を置くこれら2作に比べると、小川洋子氏(47)「寄生」(文芸秋号)は不条理で幻想的だ。付き合っている彼女にプロポーズしようとぜいたくなレストランを予約した〈僕〉は、店へ向かう途中、見知らぬおばあさんにダッコちゃんのように腕にしがみつかれる。交番に連れていくとおばあさんは、僕を「あたしの息子です」と言う。意表をつく冒頭から、僕と店で待っているだろう彼女との数奇な出会いのエピソードへ展開し、タイトルの意味が深まっていく流れは実に巧みだ。
 連載では東浩紀氏(38)「ファントム、クォンタム」(新潮2008年5月号~)が完結した。並行世界を遡行(そこう)し、壊れた家族の絆(きずな)を作り直そうとする人間の、痛ましさと哀(かな)しさに触れたSF。いくつもの世界で別の生を生きる多様な「私」が錯綜(さくそう)するイメージは、ネット社会、高度情報化社会のただ中にいる現代人にとって、比較的想像しやすいもの。村上春樹氏の『1Q84』が話題をさらっている時に、本来あるべき世界からはぐれてしまった人々の物語がもうひとつ書かれたことは、偶然の符合とばかり言えないのではないか。
 白岩玄氏(26)「月と馴(な)れあう」(文芸秋号)は、会社帰りに元彼と会った後、いまの彼を部屋に泊める気まずさとちぐはぐな気分を20代半ばの女性の視点で描く。小品ながら余韻を残した。
「辻邦生・北杜夫 パリ東京往復書簡」(新潮)。パリ留学中の辻と芥川賞受賞前後の北の文面のみずみずしさ、お互いの作品への批評の忌憚(きたん)のなさにハッとさせられる。(文化部 山内則史)

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2009年7月26日 (日)

「フォーブス」日本版が9月で休刊

 月刊経済誌「フォーブス日本版」が、9月発行の11月号を最後に休刊することが分かった。出版元のぎょうせいが23日、明らかにした。同社によると部数の落ち込みが原因。同誌は92年に創刊され、世界長者番付などを掲載してきた。(毎日新聞7月23日)

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2009年7月25日 (土)

「1Q84」が1、2巻とも100万部達成

都内の書店店頭に並ぶ、村上春樹さんの5年ぶりの新作長編小説「1Q84」 新潮社は23日、村上春樹さんの長編小説「1Q84」(全2巻)の2巻目「BOOK2」が100万部に到達すると発表した。「BOOK2」は同日、4万部の増刷が決定。「BOOK1」は5万部の増刷で123万部となった。同書は5月29日の全国発売以来、2カ月足らずで各100万部突破の“ダブルミリオン”を達成した。

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「第16回小学館ノンフィクション大賞」に、河合香織氏と須藤みか氏

小学館は 7月24日、「第16回小学館ノンフィクション大賞」に、河合香織氏の「ウスケボーイズ-日本ワインの革命児たち」と須藤みか氏の「エンブリオロジスト-いのちの素を生み出す人たち」の2作品を決めた。応募総数は432編。

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2009年7月22日 (水)

第7回開高健ノンフィクション賞に中村安希(あき)さん

 第7回開高健ノンフィクション賞(集英社主催)は18日、三重県在住の中村安希(あき)さん(30)の「バックストリートの星たち」に決まった。2年間にわたるユーラシア、アフリカ大陸の旅をつづった。副賞300万円。

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小原優・著「イニャリトゥ、トリアー、是枝-今世紀の映画作家たち」(鳥影社)

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映画批評であるが、同時に著者が感動した映画と映像作家への解説紹介であり、観賞への詳細な招待状でもある。
 小説を書くクリエイターでもある著者ならではの、文章による映像イメージの再現という表現力によって、映画を見なくても、読むだけで感動させるものもある。(定価1800円+税)
 ☆小原優(おはら ゆう)=1962年、東京都出身。短編集に「メタモルフォーズ―十一の変身譚―」(鳥影社)がある。

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2009年7月21日 (火)

文芸同人誌評「讀賣新聞」西日本地域版09年6月14日夕刊・松本常彦氏

題:同人誌二枚腰の構え必要
「日田文学」の57号(復刊30号)での再休刊に触れ、「文芸思潮」(29号)掲載「同人雑誌の新展開」を紹介。現在の同人誌は二枚腰の構えが必要として、ひとつは「中心への志向」。「質の高い商品を開花させるための土壌作り」としている。もうひとつは、周辺の創造。「地方の、高齢の、一見平凡な人々の、過去や感じ方や考え方などを吸収し、発信する役目を積極的に担う」とある。「周辺の観察と表現は、けっして周辺的な問題ではない。高齢化が進む同人誌は、自らの条件をむしろ積極的な足がかりとして捉え直してはどうだろう」と結んでいる。
「日田文学」椿山滋「紫陽花日和」、神代健二「うつうつとした不安」(「現実と文学」44号)、「文芸思潮」同人雑誌優秀作に間義之「どくだみ」。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2009年7月20日 (月)

「法政文芸」第5号に漂う途上の幸福感

「法政文芸」第5号(法政大学国文学会)が出た。特集が「土地の力/場所の力」で、これをテーマに「日本全国ご当地&出身作家紹介」の一覧が組まれている。
 評論のなかに「群像」新人賞受賞者の永岡杜人「<路地の奥の、何か>――リービ英雄と中国大陸」があるが、この執筆は受賞前のもので、結果的に受賞第1作になるそうだ。
 テーマ関連で、いしいしんじインタビュー「“小説を生きる”ということ」(聞き手=岩瀬さゆり・徳西萌)がある。これは、いしい氏の作風をしのばせる芒洋としたもので、いいかげんに応えているうちに、聞き手が真面目にしつこいので、うだうだとしてしまう。そこがなんとなく、無から有を生む文学性に富んでいるのが面白い。
 その他、赤江瀑、大城立裕、笠原淳、堀江敏幸の関連エッセイがある。各教授ゼミの習作などもある。
 巻頭のエッセイの齋藤慎爾「芭蕉変幻」では、サリンジャーが芭蕉の句を導入していることから、彼の隠遁生活と関連させている。
 なんとなく啓蒙的色彩と学習から研究に移行する段階の雰囲気があって、まだこれから成熟途上にある文学ファンのために、というような幸福感の漂う編集になっている。

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2009年7月19日 (日)

著者メッセージ: 『地雷のない世界へ』 大塚敦子さん

(講談社『BOOK倶楽部メール』 2009年7月15日号)
★地雷のない世界へ はたらく地雷探知犬
http://cz.kds.jp/cl/D12201000290.17.66775.1756189
 みなさんもごぞんじのように、私たちの社会では人間のために働いてくれる犬たちが、たくさん活躍しています。盲導犬、介助犬、聴導犬、災害救助犬、麻薬探知犬などなど。でも、「地雷探知犬」のことはあまり知られていないのではないでしょうか。
 名前だけは聞いたことがあっても、犬がどうやって地雷を探すのか、数年前までは、私もよく知りませんでした。初めて実際に地雷探知犬が仕事をするところを見たのは2005年。こんな危険でむずかしい仕事ができるようになるには、どんな風に育ち、どんな訓練を受けるのだろう。取材で訪れたボスニアの地雷原で働く犬たちの姿を見て、私はもっと地雷探知犬のことを知りたくなりました。そこで、2007年、ボスニアで生まれた子犬たちが地雷探知犬としての訓練を受け、その後カンボジアで活躍するようになるまでを追うことにしたのです。
 戦争が終わっても地雷はずっと人々の生活を脅かし続けます。それは、地雷の危険がある場所では、誰も安心して普通に暮らすことはできないからです。
 カンボジアでは、地雷が人々の生活圏のすぐそばにあり、人々は生きるために、地雷の埋まっている場所を通らざるをえません。大多数の人が農業で暮らしを立てているカンボジアで、自分の田んぼを耕す農夫が、水くみに行った女性が、林に薪を取りに行った子どもが、被害にあっているのです。もし地雷を踏んでしまったら、命を落とすか、手足を失うなどの大けがをするのですから、本当に恐ろしいことです。
 地雷のことを聞いたことはあっても、平和な国に暮らす私たちにはなかなかピンとこないものです。でも、犬たちが人間のために地雷を探してくれること、立派な地雷探知犬になるために、ほんの小さな子犬のころから訓練を受けることを知って、みなさんがこの問題に関心を持ってくれることを願っています。(大塚敦子)

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2009年7月18日 (土)

第31回ノンフィクション賞は佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社)=講談社

講談社は7月16日、第31回ノンフィクション賞に佐野眞一著『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社)い決めた。第25回エッセイ賞は青柳いづみこ著『六本指のゴルトベルク』(岩波書店)と向井万起男著『謎の1セント硬貨』(講談社)の2作が受賞、第25回科学出版賞は大河内直彦著『チェンジング・ブルー』(岩波書店)に決まった。

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第141回直木賞の北村 薫さん(59)

 酷な選考だった。デビュー20年。本格ミステリ作家クラブの前会長という大御所だが、この賞にはずっと恵まれず6度目の候補。今回の他の候補には、今年自ら選考した山本周五郎賞の候補者や、自分が発掘した作家もいた。「正直ホッとしました」。「遠い夢」がかなった。
 受賞作「鷺(さぎ)と雪」は、華族の神隠しなど、女学校に通うお嬢様の周りで起きる事件を追う三部作の完結編。女性視点の上品な文体で、戦前の上流階級の世界と大事件へと向かう昭和史の不気味な世相をよみがえらせた。「盤石と思っていたものもいつか崩れ去る」との思いは、日常性と時間の二つをテーマにしてきた作家の集大成だ。
 沖縄の民俗学を研究した父の影響で、本に囲まれ育った。見識の高さから文学賞の選考を頼まれることも多いが、「選ぶより、いただくほうがうれしい」と笑う。ミステリーや詩歌などアンソロジーの名手でもあり、「創作もアンソロジーも、自分でないと出来ないことをやりたい」という。
 息抜きは阪神タイガースの応援。今年は不振だが、「まだシーズンは終わってません」と穏やかな笑顔できっぱり。忍耐と不屈の人なのだ。(文化部 佐藤憲一)(09年7月16日 読売新聞)

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2009年7月17日 (金)

文学サロンや同人誌と文芸同志会の立場

 過日、ある詩人の集まりに顔を出したら、やってきたのは、集まった人を会員に引き抜こうというつもりであろう、と批判的なことを言われてしまった。
 その時は、すでに文芸同志会で「詩人回廊」という発表場所を作っていたので、そういわれても仕方がないとは思った。ただし、そのサロンに顔を出したのは、もとから当会の会員であるひとが、そのサロンに参加したことから、教えられたのであった。我が会員をそのサロンが引き抜いたのであって、実際は、話は逆であった。
 どのサークルも会員の獲得と脱落防止には神経質になっていることがわかる。本当は、サロンの詩会や同人雑誌の作品と「詩人回廊」とは性格が根本的に異なるので競合はしない。しかし、そのように会員の脱落に神経を使っている組織維持志向になるということは、自然淘汰の段階で作品の向上への努力があるかどうか疑問ではある。

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2009年7月16日 (木)

芥川賞に磯崎さん 直木賞に北村さん

第141回芥川賞が磯崎憲一郎さん(44)の「終(つい)の住処(すみか)」(新潮6月号)、直木賞が北村薫さん(59)の「鷺(さぎ)と雪」(文芸春秋)に決まった。
 初めて芥川賞の候補に挙がったイラン人のシリン・ネザマフィさん(29)は受賞を逸した。
 磯崎さんは三井物産(東京・大手町)の人事総務部人材開発室次長を務める商社マン。会見場の東京・丸の内の東京会館に黒のスーツにノーネクタイ姿で現れた。「非常にうれしい。私という個人の自意識のためではなく、小説という大きな流れの一部になるために書き続けていきたい」と喜びを語った。
 磯崎作品は、30歳を超えて結婚した男の約20年の人生を描く。浮気を重ねつつ、出世していく主人公。人生における「時間の流れ」が印象づけられる。
 直木賞の北村さんはベテランらしく落ち着いた表情。「以前、山口瞳さんの作品に“直木賞待ち”のことが出てきたが、まさか自分が6回も直木賞待ちをするとは思わなかった。冗談ではなく、長い年月の間、候補に選んでいただける作品を書けたことがうれしい」と喜びを語った。
 北村作品は昭和初めを舞台にしたレトロ・ミステリー。女子学習院に通う令嬢が女性運転手と共に、失踪(しっそう)した子爵の秘密を解くなどの3編を収録。3部作として構想された「ベッキーさん」シリーズの完結編。知的で端正な筆致で、時代に忍び寄る不穏な影を描く。【棚部秀行、内藤麻里子】 ◇「知的に構築」磯崎作品
 選考委員の山田詠美さんは「知的に構築された作品。インスピレーションだけでなく、きちんと時間軸を設定し、小説でしかあり得ない言葉を考えている」と評した。
 ◇「文体に安定感」北村作品
 選考委員の浅田次郎さんは「昭和初期という難しい時代を、資料の読み込みや取材で生き生きと描いた。プロとして作風や文体に安定感があり、安心して読めた」と述べた。
 【略歴】磯崎憲一郎(いそざき・けんいちろう)さん 千葉県我孫子市出身。早大商学部卒。会社勤務を続けながら作品を発表。07年「肝心の子供」で文芸賞。08年「眼と太陽」が初めて芥川賞候補に。東京都世田谷区在住。家族は妻と2女。
 【略歴】北村薫(きたむら・かおる)さん 埼玉県生まれ。早稲田大第1文学部卒。県立高校教諭の傍ら89年「空飛ぶ馬」でデビュー。91年「夜の蝉」で日本推理作家協会賞、06年「ニッポン硬貨の謎」で本格ミステリ大賞。埼玉県杉戸町在住。候補6回目での受賞。(毎日新聞7月16日)

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2009年7月15日 (水)

第141回芥川賞に磯崎憲一郎さん、直木賞に北村薫さん

 第141回芥川賞、直木賞の選考会が15日開かれ、芥川賞には、磯崎憲一郎さんの「終(つい)の住処(すみか)」(「新潮」6月号)に決まった。直木賞には、北村薫さんの「鷺と雪」(文藝春秋)が選ばれた。
磯崎さんは、受賞によって、発表する場が確保されたことがうれしい、と語った。

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萩原朔太郎の指摘していた芥川龍之介の才能の限界

 「詩人回廊」に掲示の作品で萩原朔太郎「小説家の俳句」があるが、ここでは芥川龍之介の友人でもある萩原朔太郎が、彼の才能の限界を指摘している。
 芥川は東京生まれの東京育ちで、伝統的な粋の世界や生活の形式美には鋭いセンスをもっている。しかし、それ以外のことでは、案外と凡庸である。「詩人回廊」では、「小説作法十則」や「散文詩」を掲示しているが、詩こそ芸術として、あこがれながら、詩人的なセンスには不足するものがある。
「散文詩」のなかに「椎の木」に関するものがあるが、これなどは、同じ椎の木を題材にした葛西善蔵の「椎の若葉」に比べると、その差は大きい。
 小説でも、若い感覚で、技術的に精緻をつくした短編が多く、人生の経験を生かした重厚なものはほとんどない。
 また、東京でない他の土地の取材ものでは、「トロッコ」「一塊の土」などの佳品があるが、これは彼が湯河原にいた時期に、地元に力石平蔵という熱烈なファンが素材を提供したもので、湯河原にある万葉公園の文学資料によると力石氏も相当の文学的視線にすぐれていたようで、彼との協同制作にちかいものであったろうと思わせるものがある。

《参考》=葛西善造「椎の若葉」の書き出し

 六月半ば、梅雨晴れの午前の光りを浴びている椎の若葉の趣を、ありがたくしみじみと眺めやった。鎌倉行き、売る、売り物――三題話し見たようなこの頃の生活ぶりの間に、ふと、下宿の二階の窓から、他家のお屋敷の庭の椎の木なんだが実に美しく生々した感じの、光りを求め、光りを浴び、光りに戯れているような若葉のおもむきは、自分の身の、殊にこのごろの弱りかけ間違いだらけの生き方と較べて何という相違だろう。人間というものは、人間生活というものは、もっと美しくある道理なんだと自分は信じているし、それには違いないんだから、今更に、草木の美しさを羨むなんて、余程自分の生活に、自分の心持ちに不自然な醜さがあるのだと、この朝つくづくと身に沁(し)みて考えられた。(中略)
 本能というものの前には、ひとたまりもないのだと云はれれば、それまでのことなんだが、どうにかなりはしないものだろうか。本能が人間を間違わすものなら、また人間を救ってくれる筈だと思う。椎の若葉に光りあれ、我が心にも光りあらしめよ。

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2009年7月14日 (火)

「新 同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏「三田文學」第98号・夏季号

今号で取り上げられた作品
北川朱美「かきわりの家」(「文芸中部」80号、東海市)/堀江光雄「ショウジ タロウと石笛」(「文芸中部」80号、東海市)/西村郁子「ウロボロスの亀」(「せる」80号、東大阪市)/加藤京子「モノクロームに捧ぐ」(「カプリチオ」29号、東京都)/万リー「結ばれて」(「そして」6号、神奈川県三浦郡)/佐久間慶子「おとさた球」(「繋」創刊号、吹田市)/藤野秀樹「ハワイアンフェア」(「遠近」36号、東京都)/青野ひろ子「レールの上で雪が溶けた」(「水流」19号、広島市)/伊藤礼子「畦草の記」(「八月の群れ」50号、明石市)/山脇一利「タコ☆男」(「AMAZON」434号、尼崎市)/的場鐵太郎「悪夢」(「AMAZON」434号、尼崎市)/菅野俊光「マンボ族」(「季刊作家」67号、豊田市)塚越淑行「私んところの嫁」/(「まくた」263号、横浜市)/小南武朗「羊蹄」(「札幌文学」73号、札幌市)/松原健「ガラス皿の破片」(「木綿葉」3号、熊本県宇城市)/山口馨「風景」(「渤海」57号、富山市)/市谷博「葦の記憶」(「渤海」57号、富山市)/添田ひろみ「象の墓場」(「そして」6号、神奈川県三浦郡)/小林和太「後ろ影のない男」(「文芸思潮」27号、東京都)/竹迫千尋「イングリッシュ・ママ」(「湧水」42号、東京都)/佐野博「何処に」(「じゅん文学」59号、名古屋市)/松本佐保子「スタンドスティル」(「私人」65号、東京都)/藤野志緒梨「夜の庭」(「樹林」529号、大阪市)
ベスト3
伊藤氏貴氏:「結ばれて」・「おとさた球」・「ウロボロスの亀」
勝又浩氏:「ウロボロスの亀」・「おとさた球」・「かきわりの家」
(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2009年7月12日 (日)

詩の紹介 「紀子の帰宅」・勝畑耕一

(紹介者 江素瑛)
“しかし組まれた指は/冷たく誰の交信をも拒絶し続ける”ある日突然、生の世界を閉ざしたこの妻の指は、生に送る最後のサインでもあるのだ。死の世界は生きる者には知ることが不可能であるが、もう一つ生の別世界があるのであろうか。目には見えないが、きっと彼女は毎日「家計簿」をつけ続けているだろう。
「熱ある孤島」全詩集は海外でのセンチメタルジャーニー、クラシック音楽と妻紀子への思い出の数々で綴られている。衒う言葉はなく、友情、愛情そのままの優しさと温かさが伝わってくる。
              ☆
「紀子の帰宅」
紀子は帰ってきた、杉並の自宅に/改築したばかりの二階の和室に/アパートから移ってこの部屋での生活はわずか四ヶ月/真新しい畳の上で/紀子は肩や腰にドライアイスをあて/花に囲まれて眠る/枕元には歌集「青き海青き風」/110号室でずっと見守ってくれた/はらだたけひで「フランチェスコ」/沖縄の海の写真/親戚や友人たちからの電報/紀子は眠っている/あふれるほどの菊と百合の花びん/清潔なランが、白バラの花かごが/紀子を皆見つめる中/ひっそりと薄化粧をして眠っている/しかし組まれた指は/冷たく誰の交信をも拒絶し続ける/ピンクのタオルケット/その上には/服部のおばさんの千羽鶴が/赤、青、そして桃色に舞い/悲しくも暖かく紀子の指を囲んでいる

紀子は帰って来た/けれど、もう棚に並んでいる/スタイル画の本も/アルバムも/ずっとつけていた家計簿も/「今日の料理」も/もう二度とその頁をめくることはない/明日、遺骨になる紀子だから

詩集「熱ある孤島」(文治堂書店)より 2009年5月  東京都杉並区

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2009年7月11日 (土)

出版8社が新販売制導入へ!26タイトルを配本

 中堅出版社8社は、書店の利益率を上げ、返本を抑制するため新しい仕組みとして共同責任販売制「35ブックス」を導入する。参加するのは筑摩書房、河出書房新社、中央公論新社、平凡社、早川書房、二玄社、青弓社、ポット出版。これまでの委託販売制では、本の定価に占める書店側の取り分は約22~23%だったが、新制度では35%に引き上げる。一方、売れ残った本の書店からの返本について、出版社は従来より低率の35%で引き取り、返本抑制を図る。8社は品切れになっていた本の復刊や既刊、新刊など26タイトルを11月上旬から配本する。(産経ニュース09.7.11)

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文芸同人誌評「週刊 読書人」(09年6月19日付)白川正芳氏

野口存弥「太宰治と菊田義孝」(「群系」27号)、江橋瑞枝「父・十八年ぶりのクラス会・エキストラ・財布・息子」(「窓」26号)、藤澤茂弘「名古屋のどえりゃー男 山田才吉物語」(「じゅん文学」59号)、森谷篁一郎「『自分の本領』に飛び移れない」(「米子文学」55号)、山中光一「言葉を考える」(「青稲」82号)
上坂高生『ベレー帽の行方』(武蔵野書房)収録の短篇「過日」などをまとめた「蕗の薹」(「碑」92号)
田中きわ子「旅人 海へ放つ(尾崎放哉)」(「ハマ文芸」40号)、「みちくさ」2号より「特集 鴎外と藤村」、清水信講演「満点の星の下」(「北斗」5月号)、永久ひさ子「読書会記録海辺のカフカ」(「ふくやま文学」21号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2009年7月10日 (金)

 同人誌「安藝文学」77号(広島市)

【「孫たちの夏休み」望月雅子】
 エッセイである。春休みに娘と孫が帰省してくる。迎える筆者は、生活習慣病が重くなり、糖尿病、自律神経失調などで多量の薬を飲み、病に振り回されるようになっている。賑やかであるが「近所のお好み焼きを取り寄せ、買い置きのもので夫と娘・孫がテーブルを囲むのをも私は眺めるだけだ。糖尿の私は、あまり食事がとれない」と書く。
 恵まれた家庭環境にあるものの、老いてかは共に暮らすという家庭生活の外部環境と生活の質が変わりゆくさまをじっと見つめて描く。歯がゆい思いとあきらめの入り交じった老境をあらためて見つめさせる。

(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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西日本文学展望「西日本新聞」6月30日朝刊 長野秀樹氏

題「戦う男たち」
古屋陸夫さん「鯛供養」(第七期「九州文学」6号、福岡県中間市)、山口碧さん「田舎教師」(「詩と真実」720号、熊本市)
「九州文学」より、たぢからこんさん「蟋蟀」、椎窓猛さん「気まぐれ九州文学館(六)」、高尾稔さんと黒木淳吉さんの追悼小特集
「西日本文化」439号(福岡市)は「『生誕一〇〇年作家』を読み返す」として、松本清張と太宰治を取り上げ、昭和21年に「文学展望」(福岡市)に掲載された太宰「十五年間」を復刻。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2009年7月 9日 (木)

同人誌「雑木林」第12号(枚方市)

 エッセイを主体とした同人誌なのであろうか。事務局の「あとがき」では、前号の11号は、逝去した北川荘平講師の追悼号で、今回は尾田玲子会員の追悼号となったとある。現在7人の会員が毎月の例会に参加し、文章を書くことの意味をさぐっているという。本誌は年に1回発行しているもの。
【「デスマスク」三木祥子】
 96歳の姑が老人療養型病院に入院している。三年前から入所したが、間もなく認知症になり今は個室で意識混濁の状態である。その姑のわがままさに嫁として仕えてきた日々の思い出が語られる。そのなかで亡くなった姑のデスマスクを描く。
 姑の理不尽な行為と、我が侭な言い分に苦しめられ、心を傷つけられて暮らしてきたものでないと、書くことのできないさまざまな細かいエピソードが真実性をもって語られる。
 その意味では、これから姑をもつ立場や、同じ経験をされてきた女性には、女性が、母親から姑になるという現象のある標準的な姿を知ることが出来、非常に役に立つ参考書になっている。
 筆者はこの介護における姑の身勝手さのためにうつ状態にもなったようだが、ここでは、夫が良識人で冷静に嫁と姑の関係を理解し、妻に対する心使いがあり、さらに経済的な余裕が感じられる。世間一般の嫁さんから「まだまだ、私のほうがひどい目にあった…………」という声も出るかもしれない。
 同時に、かつては息子を良識人に育て上げた姑が、もとから特別に意地悪な人間性をもっていたわけでなく、普通の母親から嫁に向けて、傍若無人なイジワル婆さんに化けてしまった様子が読みとれる。
 それにしても、通常はなかなかこのような話は、感情的になって冷静に記録できないものだが、介護生活のストレスのそのトラウマをよく克服して、冷静に記録することをしたものだ、と感心する。
 書くという行為が、自分の感情にとらわれた心境と一定の距離をとり、他人の視点を持つことによる自己客観化の効果を生むようだ。自ら精神を鎮魂させる効果があるのではないか推察される。

【「生き物にご用心」安芸宏子】
 大阪から茨城の神川という町の義妹の家を訪問する話。自分の母親の実家がやはり茨城なので、読んでいて、なんとなく地域の風土が感じられる。茨城には関東平野の中のあらゆる農作物の栽培が可能な豊穣な土地柄の鷹揚な部分と、地域の情報伝達網が独特の発達をし、隣町のことでも手に取るように把握するという明治時代以来の独自の風土性がある。書いてあることからは、そうした風土の匂いが漂うが、書いた本人にはまったくそのようなことに関心がなく、ただ羅列的に書きまくっている状態が面白い。もっと、身近なありふれた出来事をこの作者が思うように書くと、おのずと個性的な読み物になるのでないかという、天性の持ち味を感じさせる。
発行所=〒573-0013枚方市星丘3-10-8、安芸方「雑木林文学の会」

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2009年7月 8日 (水)

第八回文学フリマ参加記念刊行本「詩人回廊2009」の経過

「第八回文学フリマ参加記念」として5月1日に刊行した「詩人回廊2009」(500円)の販売が約50冊を超えた。本誌は原則として会員に配布する以外は、無料で配ることはないので、すべて実売数であり、人件費を除くと、制作費の回収は順調に推移している。 《詩人回廊サイト》 この本の制作のために簡易紙切断機、布テープなどを購入。カラーコピー、モノクロコピー代がほとんどである。あと、元会員で以前会費を払ったままに人への通信費。活動再会のDM切手代などである。
 買っている読者層は、同人雑誌関係の人たちはごく少数で、ほとんどが一般人である。販売担当会員の話によると、「自分は芥川龍之介の全集を読んでいるが、ここに掲載されているものは読んでいない」という人。「岡本かな子の作品『愛』というのはいいが、あの人はまだ生きているのか?」という人。「夢野久作は知っているが、『猟奇歌』なんてこんな短歌を詠んでいるとは、さすが変人だと再認識した」という人。また、会員の知り合いは、芥川龍之介の載っている本に作品を書くなんてすごいね」と、モノ珍しもの買いで、編集人の意図が当った事例などが見られる。
 また、「薄いので旅行に持って行って、列車のなかで読んだが、どれも現代の人が書いたような」時代を超えた現代性を感じ、なによりも面白い」という反響もあった。
 編集人としては、今回の「詩人回廊2009」の読みどころの柱は、中原中也の「散歩生活」であった。かなり文学好きの人でないとわからないものなので、売れなくても仕方がないという気持で、編集人の独断的な精神を盛り込んだものになっている。
 会としては、これまでISBNの図書コードの取得をするなど、発行物の自主流通の準備をしてきたが、今回のアナログオンデマンド制作本「詩人回廊2009」の製作・流通の実験によって、当初から100部程度の部数であったなら、クチコミや会員の事務所受付に置いてもらう協力販売などで、わざわざ経費をかけてまで図書コードをつける必要がないのではないか、と思うようになった。

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2009年7月 7日 (火)

同人誌「安藝文学」77号(広島市)

【「原爆・おぼえ書」文沢隆一】
 アメリカの投下した広島への原爆がウラン型で、長崎に投下したのはウラン型であることなど、原爆の製造法とその威力について、くわしく解説している。これによって、米国が日本人を対象に核爆発の威力の人体実験を行ったことが、明確に示されている。
 同時に、米国は日本軍の真珠湾攻撃を、日本への原爆投下の免罪符としていることについて、民衆への計画的な無差別虐殺とは、意味がまったく異なり、米国の原爆投下が国際条約違反であることを示唆している。
 こうしたアメリカの意識は、イラク戦争における劣化ウラン弾使用の、民衆への無差別虐殺攻撃によって、国際条約違反がいまだに続いていることを強く思い起こさせる。こうした事実を、幾度でも繰り返し記録するというのは、同人誌の果たす有意義な使命であろう。

 世界の話し合いを提唱するオバマ政権で、米国は軍事予算を4%増やしている。口では平和を説いていても、経済構造が戦争を必要とする構成になっている。どこかに敵対する国をもっていないと、不安なのである。彼らにとって、イランと和解することなど、とんでもない話である。その言動は偽善に満ちたものにならざるを得ない。戦争に使う爆弾は消費だけが約束されるもの。作りすぎても、また戦争をすれば、そこに消費が約束されている。経済活動の麻薬中毒のようなものである。10年以内にアメリカはどこかで戦争を始める可能性をもつ。そうしないと軍需関係の会社は倒産し、多くの人が職を失うからである。現在でも失業者は軍の志願兵となって収入を得ている。国費を爆弾で消費するのでるから、増税が必要で、その後は大不況がくる。ベトナム戦争の後、日本のバブル経済が、NYのビルを買収するまで、経済は疲弊した。わかっていても、イラク戦争後の不況に苦しむ米国民の誰が戦争に反対するというのだろうか。

【「はたちの茎立ち記」梶川洋一郎】
 定年を控えて、その前に地域の警察署の署長に就任し、そこでの警察署の日常の出来事が詳しく描かれている。キャリア組でない警察署の署長の視点を通して、その内部事情が具体的なのが面白い。「一灯照隅」という高邁な理想と現実の狭間を指揮する署長の奮闘ぶりを描く。地域貢献に力をいれるまじめなノンキャリア公務員の姿を通して、警察の仕組みの問題点も、作者の意図とは別に理解できる。貴重な報告でもある。

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2009年7月 6日 (月)

「伊藤桂一文学碑」を建立!8月23日92歳の誕生日に除幕式=四日市

直木賞作家「伊藤桂一文学碑」を建立へ!郷土の四日市で=三重県027
 今年になって、四日市で文学碑と像を建てるという噂を聞いた。銅像でも建つならバルザックなみである。4月と5月にお会いした時に「先生は像も建つのですか?」と訊いたら、「ばかいっちゃいかんよ。政治家じゃあるまいし。そういうのは、いらんといってるのだがね。」という。像でなく碑を建てる話がきているのだという。
 地元の文化人の団体と有志が寄付と、四日市の協力で碑の建設を進めている。地元の関係者によると、市は文化的活動には好意的だが、何かを建設するというのには、なかなか消極的だという。そこで、農民文学会や「グループ桂」教室の弟子、文芸同志会なども寄付活動に賛同参加している。
 伊藤桂一氏の私小説には、自分を要助と称する作品が多い。四日市についてには「日帰りの旅」という小説がある(「群像」1992年5月号、日本文芸家協会編「文学1993」収録)。
 その中に『県の芸術文化協会の事務局長をしている鳥井さんと、かれの後輩の北本君が迎えに出てくれていた。』とあり、報いを期待できない文化活動に尽くす地元の人に感謝と同情をする場面がある。
 前半部では『要助が六歳の時、その寺を追われるようにして出てしまったので、寺そのものとは関係が一切切れてしまっている。ただ、父親が住職であったため、寺の境内脇にある「歴代住職之墓」に、父は葬られている。天台宗の寺院というのは、住職だけが「歴代住職之墓」葬られ、家族はその寺に葬られることがない。別な、村の墓地に、墓をつくるのである』というところがある。

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2009年7月 5日 (日)

文芸時評・6月(東京新聞6月30日)沼野充義氏

タイトル=村上春樹「1Q84」技術と熟成あいまって/松本智子「優れた文章感覚と骨格」
《対象作品》村上春樹「1Q84」(新潮社)/小野正嗣インタビュー「誰のために小説は書かれるのか?」(すばる)/金原ひとみ「ジビカ」(文学界)/松本智子「法螺(ほら)ハウス」(群像)/町田康「尻の泉」(新潮)/川上三映子「すばらしい骨格の持ち主は」(同)。

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2009年7月 4日 (土)

詩の紹介 「十万回の生死」有森信二

(紹介者 江素瑛)
新陳代謝という、身体の細胞はそうだけれども、精神も正しく生々死々を繰り返すうちに一生を終焉する。生まれなければ死はない、死ななければ、新しい生はない。当たり前の事だけれども。生きとし生けるものの永劫回帰を止めるのはブッダのサトリの世界観のみか?
     ☆
「十万回の生死」 
人は十万回生まれ変わるという説がある//
三百年おきに十万回生まれ変わるとしたら/三千万年を要す/いや 三千万年しか要しない//
十万回生まれ変わる/ということからして不確かな/話であるが
一回きりでしかない/ということにも/頷けないものがある//
一回きりでしかないとしたら/どうしてこう/不器用な生き方をしたりするのか//
うまれてすぐに命を落としたり/疫病にかかったり誤爆で手足を吹き飛ばされたり/なぜ餓死したりするのか//
と思えば/七色の籠の中で育てられ/颯爽とパリの街を闊歩し/晩餐会で/優雅にシャンパンを傾けたりする//
あるいは/野良犬に生まれたり/蝸牛に生まれたり/ぺんぺん草に生まれたりもする//
これはなぜだ/どういう仕組なのだ//
われわれは/いたいどこから来て/どこへ去るのかなんのために来て/どのように果てるのか//
こんなことを考えること自体/そろそろ出口の方が近くなったせいだとの説もあるが//
このことを/生まれたときから考えていた/生まれたときから/いつも同じことばかり考えていた//
ひょっとしたら/一刻 一刻に/生死かあるかもしれないと/真剣に考えていたときもあった//
結局、十万回とう説も/ただ一回きりという説も/そのまま、きっちり正しいのだと思う//
今与えられている生の中で/考えられ得る限りの叡智をもって/考察したにしろ/この今の一回の生を過ぎていかねばならないことは/疑いようもない事実であるのだから
「海」(第二期)創刊号より21年6月 福岡 花書院

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文芸時評・6月(毎日新聞6月29日)川村湊氏

タイトル=メタ小説「現実に浸透する作品内作品」「微妙にずれて迷宮のなかへ」
《対象作品》村上春樹『1Q84』Book1,2(新潮社)/桐野夏生「IN」(集英社)/原田マハ「うつくしい墓」(すばる)。

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2009年7月 3日 (金)

第4回ポプラ社小説大賞、「該当作なし」

ポプラ社は、第4回ポプラ社小説大賞の選考結果を発表。大賞については、第2回、第3回に続き授賞を見送った。優秀賞も該当作なしとなった。最終選考作品は次の通り。小松エメル著『雪洞や、雪洞や』、佐藤菁南著『ストラグル』、花魚・クジョー著『エイリアンギターネイバーフッド』、佳原衣里著『ひらさか』、宮原さと子著『色とりどりの』。

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丸山健二さん新作『百と八つの流れ星』(岩波書店)、煩悩108の問答

 作家の丸山健二さん(65)の新作『百と八つの流れ星』(岩波書店)は、人間の煩悩の数だけ並べた掌編によって、生と死の鮮烈な瞬間を切り取った大作だ。(川村律文)
 自分の作品のことを、山に例えて語る。
 中編、長編になるテーマをあえて1編原稿用紙10枚の掌編に凝縮するという構想は、「十数年前から登りたいとあこがれていて、ようやく登れるようになった山だった」という。
 「108の掌編の中にはどこか自分に近いものがあると思う。たとえ悲惨な瞬間であっても、生きる力が与えられたら面白い。青臭いといえば青臭いけど、この世は生きるに値するのか、という重大なテーマに、108の疑問と答えをたたきつけてみよう、と思った」
 生きる喜び、死、絶望、倦怠(けんたい)、狂気、感動、暴力……。終戦直後から現代までを描く掌編の中で、人間だけでなく馬やタヌキ、朽ちたボートまで、一瞬のきらめきと、それを取り巻く森羅万象を鋭く切り取る。今回は出版社の資料室から古い写真や絵のコピーを借り、そこから作品へのインスピレーションを得た。「写真の傍らにあった石に目をつけたり、別なものを書いたり……。自分の頭の中のことに頼らずに、外から刺激を受けようと考えた。どんな情景でも、蟻(あり)一匹這(は)っていることでさえ、ちゃんと見れば感動がある。それを言葉でとらえるからこそ、文学は無限だと思う」
 1日目に6枚、2日目に4枚書き、3日目にそれを調整して完成する。その作業を11か月間、休むことなく繰り返した。あふれ出るイメージに10枚という制約をかけ、文体を選んで書き言葉の面白さを追究した。
 「無駄なものを省いて一分のすきもなく組み立てると、知らず知らずのうちにその世界に引き込まれていく。言葉にはそれぐらいの魅力がある。難問を解く数学者のように、異常な集中力で向き合わないとすごい作品はできない」
 23歳で芥川賞を取る鮮烈なデビュー以来、作家生活は40年を超えた。毎朝4時ごろに起床し、朝食後に2、3時間集中して小説を書く。それが終わると、庭の手入れにかかる。草取り、水まき、剪定(せんてい)……。地味な肉体労働を繰り返し、頭を落ち着かせる。「庭仕事は本当に面白いのは1割あるかどうかで、バカみたいに根気のいる仕事。小説も同じ。地道な努力をしないと」(09年6月30日 読売新聞)

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2009年7月 2日 (木)

第141回芥川賞、直木賞候補作決まる

 第141回芥川賞、直木賞(日本文学振興会主催)の候補作が1日発表された。初候補は芥川賞が戌井昭人、シリン・ネザマフィ、藤野可織、松波太郎の4氏、直木賞が西川美和さん。ネザマフィさんはイラン人で、日本語を母語としない外国人の芥川賞候補は昨年受賞した中国人の楊逸さんに次いで2人目。選考会は15日午後5時から東京都中央区の「新喜楽」で開かれる。候補作は次の通り。(敬称略)
 【芥川賞】磯崎憲一郎「終の住処」(新潮6月号)▽戌井昭人「まずいスープ」(新潮3月号)▽シリン・ネザマフィ「白い紙」(文学界6月号)▽藤野可織「いけにえ」(すばる3月号)▽松波太郎「よもぎ学園高等学校蹴球部」(文学界5月号)▽本谷有希子「あの子の考えることは変」(群像6月号)
 【直木賞】北村薫「鷺と雪」(文芸春秋)▽西川美和「きのうの神さま」(ポプラ社)▽貫井徳郎「乱反射」(朝日新聞出版)▽葉室麟「秋月記」(角川書店)▽万城目学「プリンセス・トヨトミ」(文芸春秋)▽道尾秀介「鬼の跫音」(角川書店)。

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文芸時評<文学6月>読売新聞・失われた10年の「前史」

現代社会・人の深層描く(09年6月30日 文化部 山内則史記者)
《対象作品》村上春樹氏(60)の『1Q84』(新潮社、BOOK1・2)/伊井直行氏(55)『ポケットの中のレワニワ』(講談社、上・下)/矢作俊彦氏(58)の連載「常夏の豚」(文学界2007年1月号~)。
 英国の小説家ジョージ・オーウェルが『1984』を発表したのは1949年。独裁者に支配された暗黒の管理社会の到来を予言した近未来小説だった。その年に生まれた村上春樹氏(60)の『1Q84』(新潮社、BOOK1・2)は近過去小説。海外の文芸誌「A PUBLIC SPACE」の3年前のインタビューで氏は「95年からの日本の失われた10年がどんな重大性を持っていたか、私たちはまだ理解していない」という趣旨の発言をしているが、1984年と微妙にずれた「1Q84年」を仮構することで、10年の混沌(こんとん)へとつながっていく“前史”を照らし出した。
 まず、導入部の巧みさに圧倒される。スポーツクラブのインストラクター〈青豆〉の乗るタクシーが首都高で渋滞に巻き込まれる。車内に流れるのはヤナーチェク「シンフォニエッタ」。〈見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです〉と謎めいた物言いの運転手に教えられ、高速道路の非常階段を下りた彼女は、「9」から「Q」の世界へ移行している。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のエレベーター、『ねじまき鳥クロニクル』の井戸で繰り返された、垂直に下降するイメージ。瞬時に読者も、1Q84年の世界にいる。
 青豆の章と交互に、小説家志望の予備校講師〈天吾〉の章が出てくる。前景に青豆と天吾の、ささやかだけれど濃密な過去のつながり、すれ違い続ける現在が浮かび、背景に政治の季節をへて自給自足のコミューン、新宗教、カルト教団へ進む、理想と挫折の精神史が流れている。失われた10年の入り口に当たる95年に阪神・淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件が相次いだことを重視する作家は、個人と社会、それらの深層を見ようとする。また、天吾が父と向き合う場面は、過去の村上作品にはなかった、日本の近代文学の伝統に連なる要素。新鮮だ。
 けれど、青豆と天吾がそれぞれに誰かと交わすダイアローグによって物語を駆動させる手法には、限界も感じる。三人称の客観的視点から、例えばカルト教団内部の狂気が直接描写されることはない。また、青豆が命を奪うべく教団リーダーと対峙(たいじ)する場面は作中最大のヤマ場だと思うが、この世には絶対的な善も絶対的な悪もないというリーダーの言葉に青豆が理解を示し、悪をめぐる対話は、その核心に深く降りていくことがない。あるいは、こうした様相を通してしか、現代の悪をリアルに捉(とら)えることは難しいのかもしれない。

 一方、伊井直行氏(55)『ポケットの中のレワニワ』(講談社、上・下)は、村上氏とまた違ったアプローチで、この社会の変容を捉えている。小学3年の時、同じクラスにいたベトナムの少女ティアン。アジア系の人々の多い団地の住人だった彼女は、十数年の時間を経て、会社の正社員として派遣社員の〈俺〉の前に現れる。〈恋人以上、友達未満〉の2人の、濃いような淡いような不思議な関係を軸に物語は進む。怪しい仕事に手を染めているらしいティアンの孤独、振り回され続ける俺、引きこもる俺の義弟、そして空想の中で存在感を増していく生き物〈レワニワ〉。一見つかみどころのない人間関係の中から、社会を覆う空気の重さと希薄さが、ゆるやかにあぶり出されていた。

 今月完結した矢作俊彦氏(58)の連載「常夏の豚」(文学界2007年1月号~)は、中国人と米国人のハーフの環境テロリストと、その女の相棒の豚とのスリルと危険だらけの旅を、豚の視点から痛快に描く。下北半島から三陸海岸、茨城県つくば市、東京へ南下するひとりと一匹は、国家や組織の謀略に巻き込まれ、ひなびた東北の片田舎などで、スパイ映画さながらの派手なアクションを展開する。軍事や映画、食に関する蘊蓄(うんちく)を傾けたかと思えば、果敢に敵に体当たり、自分は一体何者かと時々自問する豚の語りが秀逸だった。

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2009年7月 1日 (水)

詩の紹介   「塒(ねぐら)」原かずみ

(紹介者 江 素瑛)
長閑な風景。当然のごとくある平和、その平和に狙撃手の目が赤々と燃える。貪欲と残虐、武器を持たない弱小者を犠牲にする世の情勢。作者の怒りと不安が伝わってくる。
         ☆
「塒(ねぐら)」
空の入り江に/水鳥たちが漂っている/長い首を器用に曲げ/翼に嘴を差し入れて/毛繕いをする野鳥たち/今 ここに湧き出たばかりのような/純白な羽が空の水をはじいている//

入り江の向うの/青黒い雲陰から/ひとりの猟師が/水鳥を狙っている/両手に握られた銃身/その重さの分だけ/皮膚をたらし/両目を血走らせて//

爆音と共に/一羽の水鳥の目が射抜かれる/天空に滲んでいく朱/ざわめき立つ鳥たち/そうして知る/鳥たちが一羽として飛び立ってないことを/真っ白の羽の下に/傷を隠し持った鳥たちであることを

猟師は明日も/まんまと/一羽の獲物を射止め/冷ややかな空から/西に消えていくのだろう//

小刻みに震えながら/私は目を閉じる/まぶたの裏であかあかと/燃え上がる両目/それが/水鳥の目なのか/猟師の目なのか/ちっとも判らないままに/私は私の塒(ねぐら)に目を持ち帰る//

詩誌「まひる」五号 アサの会part2 あきるの市

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