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2009年7月29日 (水)

文芸時評<文学7月> (09年7月28日 読売新聞)

「いじめ被害 少女気高く」「粗筋では語り切れぬ魅力」
先日芥川賞に決まった磯崎憲一郎氏「終(つい)の住処(すみか)」は、粗筋でその魅力を伝えるのが難しい小説である。どんなに丁寧に要約しても、小説はすり抜けてしまう。「小説を読んでいる時間の中にこそ小説がある」と書いたのは保坂和志氏だが、粗筋に還元できない質感や速度、登場人物と世界との関係の現れ方にこそ、この小説の新しさはある。
 川上未映子氏(32)の400枚の新作「ヘヴン」(群像)もまた、粗筋では掬(すく)いきれないものの多い作品だ。中2の少年〈僕〉と同級の少女〈コジマ〉はいじめられている者同士、ひそかに手紙を交わし、心を通わせる。〈僕〉をいじめるのは、学業優秀、スポーツ万能な〈二ノ宮〉と彼の取り巻き。一見、図式的な構造のいじめ小説ではある。
 「わたくし率イン歯ー、または世界」で作家デビューして以来、詩的でリズムのある文体を駆使してきた氏は、本作ではそれを手放し、奇をてらわない少年の一人称スタイルで書いた。追いつめられていく僕の内面、陰惨を極める暴力の空気は、胸苦しくなるほど緊迫感がある。
 試練を乗り越えることにこそ意味があると訴え、受難者的な神々しさを帯びていくコジマの強さについていけなくなる僕は、いじめる側にいながら一歩引いて悪魔的ニヒリズムに浸る〈百瀬〉の、「人生なんてものにそもそも意味がない」という言葉に大きくぐらつく。終盤の展開がやや駆け足で未消化な面もないではないが、新たな挑戦で、着実に世界を広げている。

 青山七恵氏(26)「山猫」(新潮)は、例えば静かな水面を乱す小石一個の波紋の広がりと収束を静かに見つめる作家の眼差(まなざ)しが感じられる短編。東京の大学を見学するため夏休みに上京した沖縄・西表島の高2のいとこを新居に泊める29歳の主婦は、スリッパをはくよう注意しても直らない彼女の鈍感さと、何を考えているか読み取れない無表情にいらだつ。思いと行動のずれ、うっすら積もる違和感は次第に大きくなり、少女と新婚夫婦の3者からなる感情の三角形は休みなく変化していく。その様が、刻々伝わってくる。
 異物として攻撃され、排除される弱者の側から描く川上氏、他者の登場で図らずも起きた夫婦の揺らぎを見る青山氏。日常に軸足を置くこれら2作に比べると、小川洋子氏(47)「寄生」(文芸秋号)は不条理で幻想的だ。付き合っている彼女にプロポーズしようとぜいたくなレストランを予約した〈僕〉は、店へ向かう途中、見知らぬおばあさんにダッコちゃんのように腕にしがみつかれる。交番に連れていくとおばあさんは、僕を「あたしの息子です」と言う。意表をつく冒頭から、僕と店で待っているだろう彼女との数奇な出会いのエピソードへ展開し、タイトルの意味が深まっていく流れは実に巧みだ。
 連載では東浩紀氏(38)「ファントム、クォンタム」(新潮2008年5月号~)が完結した。並行世界を遡行(そこう)し、壊れた家族の絆(きずな)を作り直そうとする人間の、痛ましさと哀(かな)しさに触れたSF。いくつもの世界で別の生を生きる多様な「私」が錯綜(さくそう)するイメージは、ネット社会、高度情報化社会のただ中にいる現代人にとって、比較的想像しやすいもの。村上春樹氏の『1Q84』が話題をさらっている時に、本来あるべき世界からはぐれてしまった人々の物語がもうひとつ書かれたことは、偶然の符合とばかり言えないのではないか。
 白岩玄氏(26)「月と馴(な)れあう」(文芸秋号)は、会社帰りに元彼と会った後、いまの彼を部屋に泊める気まずさとちぐはぐな気分を20代半ばの女性の視点で描く。小品ながら余韻を残した。
「辻邦生・北杜夫 パリ東京往復書簡」(新潮)。パリ留学中の辻と芥川賞受賞前後の北の文面のみずみずしさ、お互いの作品への批評の忌憚(きたん)のなさにハッとさせられる。(文化部 山内則史)

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