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2009年6月10日 (水)

村上春樹「1Q84」書評=福岡伸一青山学院大教授

遺伝子支配に対抗する均衡
 冒頭から読者は強い流れに引き込まれる。その強度はこれまでのどんな作品よりも大きい。やがて読者は当惑に直面する。「リトル・ピープル」をめぐって。夜ごと、山羊(やぎ)の口から出てきて「空気さなぎ」を作る不可思議なこびとたち。実体があるのかないのかわからず、善悪もわからない。ただそれは「着実に我々の足元を掘り崩していく」存在として登場する。
 リトル・ピープルは本書最大の謎である。それは1Q84年の世界において、目に見えないながら私たちの内部にひそむものとして描かれる。その点がオーウェルの『1984年』における、外的な支配者「ビッグ・ブラザー」とは違う。彼らは「山羊だろうが、鯨だろうが、えんどう豆だろうが。それが通路でさえあれば」姿を現し、私たちを徹底的に利用する。利用価値がなくなればたやすく乗り捨てていく。そういうものとして描かれる。
 現在、私たちは私たちの運命を収奪し、一義的に因果づける内的な存在を知り、それを信奉している。それはえんどう豆の研究から見いだされたところの遺伝子(的なもの)である。もちろん遺伝子は物質以外のなにものでもない。しかしひとたび、それが小さいながらも擬人化されて捉(とら)えられると、利己的な意思と意図を帯び、世界と私たちを支配するために動き出す。
 遺伝子の究極的な目的は永続的な自己複製である。「母(マザ)」からクローンとしての「娘(ドウタ)」を作り出すこと。そのメタファーが「空気さなぎ」ではないだろうか。
 しかし青豆は問う。「もし我々が単なる遺伝子の乗り物(キャリア)に過ぎないとしたら、我々のうちの少なからざるものが、どうして奇妙なかたちをとった人生を歩まなくてはならないのだろう」と。
 遺伝子が利己的な支配者に見えるのは、私たちがその物語を信じ、身を委ねたいからである。そこに私たちがたやすく切り崩されてしまう契機が潜んでいる。それはかつて外側に存在していたビッグ・ブラザーを内側に求めることに等しい。リトル・ピープルに象徴されるこのような不可避的で、それでいて誘惑的な決定論に対抗するには、一つ一つの人生を自分の物語として自分で語り直すしかない。重要なのはその均衡であり、均衡は動的なものとして、可能性の在処(ありか)を示す。そう本書は宣言している。
 私たちは時に合理性を無視し、利他的に行動しうる。その動因として私たちは自らの内部の核に、自らの複製ではない「さなぎ」をはぐくむことができる。本書の結末をそういう風に私は読んだ。
 ◇むらかみ・はるき=1949年、京都府生まれ。『ノルウェイの森』が大ベストセラーに。著書に『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『アフターダーク』『東京奇譚集』など。
評・福岡伸一=ふくおか・しんいち 1959年、東京都生まれ。分子生物学者、青山学院大教授。著書に『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』。(2009年6月8日 読売新聞)

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