利他的行動の謎に焦点=真木悠介『自我の起原』(岩波書店)
• 副題は「愛とエゴイズムの動物社会学」。動物行動学の分野でローレンツやドーキンスが提唱した理論を社会学者の真木悠介(見田宗介)が独自の視点で読み解く。「自我の起源」は原初的生物の基層に遡(さかのぼ)り、「自我」の成立過程に迫る一冊だ。
生物は遺伝子という名の利己的な存在が生き残るために利用する「乗り物」に過ぎないと主張するドーキンスの「利己的な遺伝子」理論を紹介しつつ、本書はドーキンスとは対照的に、生物が時に「利他的」に行動する謎に焦点を合わせる。生物の進化の過程で脈々と受け継がれてきた生物の利他的行動の数々。その中から「エゴイズムの先」の「共生」を探ろうとする姿勢が新鮮だ。
広く知られた文献を独自の視点で切り取る手つきは鮮やか。ある作家が氏の作品を「思考ではなく祈りであり、文学的幻想であって社会理論ではない」と酷評したことがあるが、書評子には祈りこそが魅力だ。「利己的な遺伝子」があふれる現代の希望の書。(淳)岩波現代文庫。1000円(税別)。(09年6月4日 読売新聞)
Wikipediaによると、道徳情操論(原題:The Theory of Moral Sentiments)は、1759年に出版されたアダム・スミスの著作)では、主に、近代市民社会におけるバラバラの個人が、「共感」をある種の秩序としてまとまっていることを述べている。 具体的には、人間存在とは、利己的だが、他人に同感する。また、道徳的適切さを指摘しており、第三者である「公平な観察者」が同感でき、当事者は「内なる人」として内面化する。そして、常識(良心)とは、第三者の目で見るということで、「自己規制」しつつ相互行為するものである。そしてこの元で、内なる道徳を持つフェアプレイの世界である社会が形成されるとされる。
そうは言っても、人間がどれだけ自己中心主義かを認識しないと、社会構成の適正な方法を考えることが出来ない。利己主義を研究し追及することで、希望のある方策が打てる。足利事件の冤罪も検察と裁判官の利己主義から生まれたものであり、弱者を救済すると、甘いといって母子家庭の予算を削る意識も、他人が得すると面白くないという嫉妬心、その金を自分のために使いたいという利己主義によるものである。
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