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2009年6月30日 (火)

 「野間宏の会」奥泉光さんらがシンポジウム!人間探求こそ文学

 第17回「野間宏の会」のシンポジウム「文学よ、どこへゆく?-世界文学と日本文学」が東京都新宿区の日本出版クラブ会館であり、作家の奥泉光さんらが自身の文学観や、戦後文学の旗手として活躍した野間への思いを語った。
 奥泉さんは「一言で言えば、文学とは『人間とは何か?』と探求するもの。日本語の小説世界の中でその問いを最も追求したのが(野間をはじめとする)戦後派だった」と振り返った上で、「切実さこそ失っているが、人間のあり方への問いは今後も消えない」と話した。
 「光ばかりできれいな言葉があふれる中に闇を取り戻すのが文学だと思う」と話したのは作家の姜信子さん。「野間作品に感じるのは執念深さ。楽しかったという気持ちを表現するのに、『楽しかった』という言葉を使わずに10ページ書いてくるような。そういうのを忘れた文章が多いから、最近の小説はあまり読まないんです…」と話し、会場の笑いを誘った。
 また、私小説で知られる作家の佐伯一麦さんも、自身とは作風が違う野間作品を高校時代に愛読し、影響を受けたエピソードを披露した。(産経ニュース09.6.29)

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2009年6月28日 (日)

太宰治の直筆はがき発見!小説モデルの友人らに送る

 今月19日に生誕100年を迎えた作家、太宰治が短編小説「散華(さんげ)」のモデルにしたとされる岩手県花巻市出身の友人、三田循司さんらにあてた直筆のはがき5通が、花巻市の三田さんの実妹宅に保存されていることが27日までに分かった。
 三田さんは、東京帝大在学中から太宰と交流があり、詩人を志していたが、出征し、25歳の若さで戦死した。散華には同名の若者が登場する。
 はがきのうち4通は、病気がちな三田さんの体調を気遣う内容で「青春の病い、と思えば、美しくなるじゃないか。夜のつぎには、朝が来る」「生きているあいだ苦闘すべきものと思います。苦しみが、生き甲斐だと思います」と書かれていた。残る1通は三田さんの弟にあてて、物をもらったお礼を太宰が書いたものだった。
 はがきは三田さんの詩の遺稿などとともに、実妹宅の物置の段ボール箱に保管されていた。
 山内祥史神戸女学院大名誉教授は「太宰と三田さんは今回の5通を含め書簡の往復があったとみられ、これらのやりとりから散華の着想を得たのでは」と指摘。「太宰は実体験と虚構を織り交ぜて小説を書いたとされ、太宰文学の研究に貴重な資料となる」と話している。(09年6月27日共同)

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同人誌「胡壷・KOKO」第8号(福岡市)

【「パートタイム」納富泰子】
 主婦がパートタイムで働きに出ようと、面接にいく。古美術商の事務所とかで、なんとなく怪しげな会社。いや、会社という建物ではなく、民家のようなところに机と電話を置いたようなもの。大勢の面接者がいたのに何故か主人公が選ばれる。仕事は留守番だが、誰もやってこない。そこで、パート勤務の様子が逐一語られるのだが、怪しげな社長とその振る舞い。そこに脇役で出てくる足に障害のある若者。それらがみんな面白い。作者の名を見れば当然かも知れないが、とにかく小説が上手い。書きっぷりに惚れていても仕方がないので、すこし理屈を言おう。
 まず、「私」の夫は海外に出張が多い。日本のビジネスは海外に舞台を移している。国内で仕事を探すと空洞化で、ろくな仕事がない。自動車関連工場は閉鎖されている。「私」が出会ったパートタイムの仕事も、実業には程遠い虚業。留守番を頼まれた家からは、隣のアパートの老老介護の現場の生活状況が見える。しまいには、お金を稼ぎに行った会社が自己破産で、金を借りて欲しいとまで言われ、ただ働きどころか、大損をしそうだ。辞めるしかない。一年経ってみれば、その民家も壊され跡形もない。日本の社会を現在進行形で見事に凝縮してある。現在、過去、未来と、どんづまり社会の倦怠を描く視線が鋭い。

【「運河」ひわきゆりこ】
 これは流れの遅い運河の話であった。時間ものんびりして悠長に流れる。納富さんと住んでいる場所と空間が違うのがわかる。それで内容が人間の澱んだ意識かと思えば、なんと愛情物語のようなもの。描かれた倦怠も相当なもので、次に何かが起こるのをじっと待つ女心の不思議さは伝わってくる。幾重にも折り重なった下にある女性の欲望の厄介さのようなものを感じさせる。

【「松林の径」桑村勝士】
 「私」は剣道の先生でもある兄が再度、入院手術をするというので、妻と共に福岡に飛行機で向かう。兄が体調を崩したのは45歳の時、胃を3分の2きり取った。それから、また再発したらしい。兄の死の予感のする見舞いをし、その後、妻から妊娠を告げられる。死と生のコントラストを効かした作品。同人雑誌的には文句はない。悪くはないけれど、どうもまとまりというか、イメージがはっきりしないところがある。
 書き出しの飛行機の不安感、後半での釣り場での海へ漂流するイメージ、寒々とした故郷の気候。きちんと書いてあるのだけれども、いまひとつ彫が浅いのではなかろうか。純文学を意識して、同人雑誌的な雰囲気に合わせようとしすぎのような気がした。読者としては、前作の出来からして、道場破りをする時の「たのもう」と声をかける緊張感のある気分が欲しいところ。

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2009年6月27日 (土)

同人誌「文芸中部」81号(東海市)(1)

【「羽化」藤澤美子】
 子どもの頃の記憶で、お手伝いさんと思っていた人が、後になって産みの母だとわかり、ママと呼んで母親だと思っていた人は産みの母の友人だとわかる。産みの母は、夫の裏切りを知り、自殺をはかるが、助けられる。しかし、意識障害がのこり、廃人のようになって自死する。子どもの視点でメルヘンタッチの語り方。そうした内情をすこしずつ展開させる。その説明には一部で、大人の視点が入る。そのつなぎ目を微妙に調整して描き、メルヘン調を貫いた描き方をしている。マイルドタッチの文章の全編に死の影がつきまとう。
 その手法は、後半の宗教的色彩を帯びさせることで、合理的であるようにも読める。宗教的な側面も文体のなかに融合させており、話の境界を曖昧模糊としている。だから良いと思う人もいれば、だから良くないと思う人もいるであろう。自分は、文体の良さから、面白く読ませてもらい、どちらでもいいような気がした。作風としてのこれからの方向性を示す書き方。作者自身、まだそれをどうするか、決めていないようである。出だしの12行はやや弱い。もっとメリハリをつけて、アクセントが欲しい。

【「家のかたち」堀井清】
 老いた男が、自分の息子夫妻を追い出して、他人の夫婦を自宅に住まわせる。他人との家族生活を描き、なかなか現代的なテーマの物語。主人公の本間當一の時間の中を漂うような行動ぶりが、うまく表現されて面白い。雰囲気のある文体を維持しながら、変奏曲のようにあの手、この手をつかって老境の人間の心理を描く。この作者ならではの味わいを出している。読売新聞に黒井千次が老境エッセイを連載している。それと比較しても創作的な工夫がある分、本作品のほうが、頭ひとつ分があるかもしれない。堀井氏は、「音楽を聴く」というエッセイも連載している。デジタルはメロディ音を出すかも知れないが、音楽を聴かすのに適しているかどうか、疑問に思う方なので、これも共感を持って興味深く読まさせてもらっています。

【「辛夷の家」朝岡明美】
 「枝いっぱいに白い鳥が止まっているのかと思った」。この出だしが最高にいい。日本のグローイング・アップ、成長物語。年上の上品な女性と男子学生の淡き交流。女性の美しく書けていること。その途中もいいし、終わりもいい。出だしから読み手をノックアウトする。ほんのりと萌える気分が素晴らしい。きっちり几帳面な書き方ですっきりまとまっている。
…………………… ☆ ……………………
テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例
連携サイト穂高健一ワールド

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谷川俊太郎さん 喜寿迎え長編詩集

きれいな野花 咲かすだけ
死について考えることも。「死ぬってどうなんだろう、魂だけになるのはどんな感じなのかしら、と興味津々みたいな感じ。痛くなく死にたいと思うから、体を鍛えとかないといけないですよ」(都内の自宅で)=中司雅信撮影 谷川俊太郎さん(77)の最新詩集『トロムソコラージュ』(新潮社)は、「小説的なものが苦手だった」という詩人が初めて詩と物語との融合を模索した長編詩集だ。戦後を代表する詩人は、喜寿を迎えた今、詩そして言葉とどう向き合っているのだろうか。(金巻有美)
物語の導入
 <私は立ち止まらないよ/私は水たまりの絶えない路地を歩いていく/五百年前に造られた長い回廊を/読んでいる本のページの上を/居眠りしている自分自身を歩いていくよ>
 最新詩集は、ノルウェーの街で即興的に書きつづった200行に及ぶ表題作をはじめ、長編詩7編を収める。三途の川を思わせる大河が舞台の「臨死船」、映画の一コマのような場面から世界が広がる「この織物」……。どの詩も、物語やドラマのような展開をはらむ。
 ずっと物語は苦手だった。「昔のことは覚えていないし、大事じゃない。だから物語のディテールが書けないんですよ」。しかし、年をとるにつれて「人間の一生は、どうしてもある連続したものとしてとらえざるを得ない」と感じるようになったのが、詩に物語を取り入れるきっかけになった。「小説家が『登場人物が勝手に動き出す』って言うあれをちょっと経験しましたよ」とちゃめっ気を見せる。
不幸がない
 処女詩集『二十億光年の孤独』から60年近く。「ピーナッツ」の翻訳や「鉄腕アトム」の作詞など、常に新しく、鋭敏な感受性から生まれる言葉は、多くの人に愛されてきた。しかし、自身には母に愛されて育った恵まれた生い立ちに、ずっと引け目があったという。「他人の不幸に対し、自分にはそういう体験がない、感覚が及ばない、という後ろめたさは終始一貫ある」
 一方で、自分には語るべきつらい物語はないという居直りこそ、詩人を「とにかく他人を楽しませる」方向に向かわせた。「僕は自分を語る気がないし、自分に興味もない。日本語の豊かさに分け入って、“恐山の巫女(みこ)”のように、人の声を自分の中でいかに編集するかが詩作なんです」
ナンセンス
 そんな詩人は、「最初から自分にとっては詩より生活の方がはるかに大事」など大胆なことを平気で口にする。「生活を犠牲にしてすばらしい芸術作品を、という考えはまったくなかった。僕は初めから言葉を信用してないんです」と話し、こう続けた。「自分の心情なんて絶対言語にならないと思ってたし、書かれたものはどこかにうそがあるという意識がありますね」
 そんな考え方が一つの形になったのが、1973年に出した「ことばあそびうた」。
 <うそつききつつき/きはつつかない/うそをつきつき/つきつつく>
 意味やメッセージを伝えるだけでなく、音韻の組み合わせで「職人的に」詩を書くようになった。「僕は『メッセージは何ですか』と言われる詩は失敗作だと思う。ナンセンスってすごく大事。意味が読み取れなければ魅力がないのなら詩じゃないや、って」
 ここ十数年は、国内外への寄付や、長男で音楽家の賢作さんとともに行う朗読会など、チャリティー活動にも積極的だ。「恵まれない人のことを作品に反映するより、お金を出すことが大事だと考えてるんです」
 90年代の一時期、「自分の人間的欠点と詩を書くこと」のつながりに気づき、詩作が「非人間的なこと」に思えて遠ざかっていたこともある。しかし、今、詩を書く時間は「息抜きであり、すごく楽しみな時間」だという。そんな境地に至った詩人が目指す詩とは、どんなものなのか。
 「きざったらしいけど、道端に咲いてる名前もない野花。ただきれいに咲いて、命がきれいだ、みたいな存在を作りたいだけなんです」「だって、本当の美辞麗句は人を動かすんだから」
 進むことをやめない姿に、詩の一文が重なった。<私は立ち止まらないよ>――。(09年6月25日 読売新聞)

《メモ》谷川詩人が人間の存在として、愛情に満たされた存在感をもつ詩人であることは、興味深い。そういえば宇宙を肯定的にとらえている。孤独を、素直に孤独ととらえる精神性はここにあるのだろう、と推察する。生活に重点をおいているというのも皮肉な現象であるいが、多くの読者を獲得していることと、その工夫において納得できる。文学は生活を豊かにするものであれば良い(お金だけの話ではない)。凡才にも感銘を与える天才の言葉、自分にとって、今年読んだ記事で一番有意義なインタビューに読めた。

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2009年6月26日 (金)

舞城氏「好き好き大好き超愛してる。」が第2回「大学読書人大賞」に

全国の大学の文芸サークルに所属する学生が「大学生に読んで欲しい本」を選ぶ第2回の「2009大学読書人大賞」の贈賞式が6月11日、東京・神楽坂の日本出版クラブ会館で行われ、首都圏の大学から12サークル、学生、関係者など約150人が参集した。
 大賞を受賞した『好き好き大好き超愛してる。』(講談社文庫)の著者・舞城王太郎氏は、公の場には一切登場しない覆面作家。そのため当日は、舞城氏の代わりに講談社文庫出版部・新町真弓氏が出席し、賞状と副賞の図書カード、記念品の学帽を受け取った。
 新町氏は受賞の挨拶で、舞城氏より預かってきたという手紙を代読。文中で舞城氏は、覆面で活動する理由を「読者の方々に、できるだけ余計な知識や情報を持たず、小説を読んで頂きたい」からと語った。
 同時に表彰を受けた同書の推薦者で、立教大学文芸思想研究会・緒方勇人氏は、「舞城先生の不在は、僕たち読者が作品から抱くイメージを尊重したいという、先生流の配慮ともいえる。だから僕たちは先生の不在を残念がる必要はなく、それぞれが思い描く舞城先生を祝福すればいい」と語った。 その後の質疑応答も贈賞式同様、大学生からの質問に対する舞城氏の回答を、新町氏が代読。その際、舞城作品に登場する架空の作家・愛媛川十三が質問に答えるなど、ファンには嬉しい演出が見られた。
なお、第3回の応募は今秋からを予定している。(新文化009/6/18号)

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2009年6月25日 (木)

総合文芸誌「まほろば」69号(奈良市)

 本誌は、190頁にわたる雑誌で、(株)ギルガメッシュという会社の広告がいくつか掲載されている。裏表紙には「ブランド共和国」とあり、大統領石田天佑とするその人の写真がある。チャッティ・キャッツおしゃべり猫、ルチアーノ・フォルネリス、カロリーヌ・シルエット、アリス・アリサ、ヴァレンティーノ・ヴァザーリ、デボラ・モーガン、マリア・コモ、ヴィオラ・マッカートニー、モニカ・モニーニ、ニーナ・ニーロ、山田一好という人たちの顔写真が掲載されている。石田ブランド共和国の石田天佑大統領の編集による雑誌で、発行者は河野アサとある。

【「ある詩篇から」北岡善寿】
「ある詩編」というのは、文末に(詩の引用は「RIVIERE」94号、蘆野つづみ氏「雪の日」より)とあるように、「雪の日」という叙事詩的な詩作品を、詩句を引用しながら、散文で丁寧にその内容と心情を解説。共感をもって書いている。戦争にいったきり帰らない父親を、貧困のなかで母と共に待つ少年。母親は再婚したのか内縁なのか、別の男と同棲し、少年は邪険扱われる孤独。北岡氏は、自己の戦場体験と戦後の体験をその詩篇の語句に重ね合わせて、散文にして語る。蘆野つづみという詩人の作風に対する思い入れだけで、書いたようで、風変わりな詩評になっている。

【「零落記」石田天佑】
 本誌編集者・石田氏の自伝が人生ロマン含んだ表現で、短く語られている。若き日は、京大入学し大学紛争のなか、ニーチェに傾倒。幾人かの女性に恋をしたものの、「いきずりの第三の女と結婚」、一子を得るが他界。悲しむ妻を見下ろし「悲しい。でも、もっと悲しいことがあった。初恋の少女のあとに現れた女学生を好きになり、心が揺れ動き続けたが、あの苦しさ、悲しさに比べれば、今の絶望感にはまだ救いがある」と真情を吐いて、妻を唖然とさせる。その妻と40年連れ添い、後半で、彼女が病んで意識不明の床に伏すと介護をし、自ら妻を抹殺した白髪鬼という自覚をもつ様子が表現される。
 若き日は詩人を志して、「ギルガメッシュの恋歌」、「イシュタル讃歌」の2冊を自費出版する。公園のベンチで拾ったスポーツ新聞の求人広告で中小企業に就職するも変人扱いで勤まらず、30歳のときに輸入ファッション会社のコロネット商会に入り、ブランドビジネスを学ぶ。そのブランドビジネスで独立し、(株)ギルガメッシュで成功を収める。世界を股にかけて活躍したこともあり、65歳を過ぎて省みると至福な人生と言い切る。大変面白い自伝エッセイである。波乱万丈の話。読んで、どこが「零落記」なのかと思ったが、高齢になって人生の先細りの感じがするということで、このタイトルとなったらしい。筆力旺盛にしても、老後の零落感との戦いは意識されるところに生きる難しさを感じさせる。

【「忍性芳典行録」田島毓堂】
 長男を32歳で亡くし、一番下の弟がALD(副腎白質変性症)という難病にかかり、親としてその療養と生活を支援する様子が描かれる。事実の持つ重みで、細部はよく理解しにくいが、情況説明から推察できる。人生は長さでなく、その時間をいかに充実させたかである、ということをしみじみ訴えかける力のあるエッセイ。
参考=(株)ギルガメッシュ〒619-0224京都府木津川市兜台4-14-24
(紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2009年6月24日 (水)

「ジョーカー・ゲーム」柳広司さん 吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞にクール

 センスあふれるスパイ小説『ジョーカー・ゲーム』(角川書店)で柳広司さん(41)が吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞のダブル受賞に輝いた。デビュー9年目で脚光を浴びた作家に聞いた。(佐藤憲一)
 「『ジョーカー・ゲーム』の代理人、柳広司です」――両賞の授賞式。ともに一風変わった言い方で自己紹介した。「一作ごとに文体もテーマも変え、カードを切っているので、作家性は表に出したくない」のが理由。受賞作に登場するスパイ同様、クールな黒子なのだ。
 反面、小説への思いは熱い。神戸大の学生時代は、年間400~500冊の本を読破。26歳のときから肉体労働、セールスマンなどの職を転々としながら創作を続けた。2001年のデビュー後はシュリーマン、ソクラテスら歴史上の偉人が登場するミステリー中心に10作以上発表したが、鳴かず飛ばずの苦汁もなめた。「今回の受賞が、他の作品も読んでもらうきっかけになれば」。評価の高まりに苦労人ならではの感慨を抱く。
 受賞作は、怜悧(れいり)な頭脳を持つ結城中佐が創始した、戦前のスパイ養成学校の卒業生が、諜報(ちょうほう)戦を生き抜いていく。無駄をそいだ文体が非情の世界を貫き、隠されていた真実へと鮮やかに導く。「F・フォーサイスとかもともと好きなんです。絵柄の白黒が最後にぽんと反転するミステリーのカタルシスも取り入れた」
 学生時代、ガールフレンドから薦められた村上春樹の『ノルウェイの森』の感想を、犯人やトリックの視点から話し、ふられたことがある。「僕はミステリー的に世界を見ている人間」と自己分析する。
 今でも資料以外に月20冊近く本を読む。「すごい作家の小説を読んで、打ちのめされる経験があるから、この仕事を続けていける」(09年6月23日 読売新聞)

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2009年6月23日 (火)

【Q1】江戸川乱歩作品を読んだことがありますか?

(講談社『BOOK倶楽部メール』09年6月15日号)
・ほぼ全作品読んだ…6%/・半分以上は読んだ…13%/・何作か読んだ…45%/・1作は読んだ…10%/・読んだことがない…26%
【Q2】江戸川乱歩作品を読んだのはいつ頃ですか?
 ・小学校入学前…1% ・小学校低学年…12% ・小学校高学年…43%  ・中学生…17% ・10代後半…13% ・20代前半…8% ・20代後半…3% ・30歳以上…3%
【Q3】江戸川乱歩作品でいちばん好きなものは?(BEST5)
1位)『怪人二十面相』←「少年探偵」とは別に集計
2位)『少年探偵』← 「怪人二十面相」とは別に集計
3位)『人間椅子』
4位)『屋根裏の散歩者』
5位)『黒蜥蜴』
★『人間椅子』読了後、ぞっとした。しばらく厚みのある椅子には座れなかった。(埼玉県 H様 20代)★「人間椅子」小学校2年くらいの時に読んで、しばらく椅子が恐くなりました。人が入る余地のない学校の椅子ですら恐かったのを覚えています(東京都 N様 30代)★「屋根裏の散歩者」今読めばなんてことないんでしょうが、10歳そこそこで読んだ時には大人の 秘め事をのぞき見た感じでドキドキしました。(愛知県 A様 30代)★「屋根裏の散歩者」高校生の時だったと思うが、それまでに読んだ小説の中で、変な恐怖を覚えて、夜寝るとき、天井裏に誰かいるのではないかと気になり、寝られない幾夜かを過ごした経験がある。以来乱歩のファンに… (千葉県 S様 60代)★「芋虫」「乱歩=推理小説家」というイメージを脱却させた作品です。予想外のメッセージ性に打ち砕かれた、いい意味で“乱歩らしからぬ”作品だと思います。(東京都 A様 20代)★「芋虫」 グロテスクだけど、人間の極限がきちんと描かれている。一度読むと忘れられません。(大阪府 I様 30代)
★「二銭銅貨」です。最後のあっと驚く仕掛けが好きです。(岡山県 Y様 20代)★「二銭銅貨」優れた暗号小説でありながら、どこか落語めいていて、処女作とは思えない 雰囲気をたたえています。(埼玉県 C様 40代)★「陰獣」 乱歩作品特有の妖気的魅力と本格推理の味わいが結合した傑作。
(大阪府 T様 40代)★中学生の時にはじめて読んだ「心理試験」が一番印象に残っている。犯人の完璧とも思える心理試験対策が明智に見破られる瞬間の恐怖感が今でも思い出される。推理小説が好きになったきっかけの作品。(大阪府 F様 50代)
【Q4】江戸川乱歩賞は興味がありますか?
  ・興味があり、受賞作を読むことが多い…16%
【Q1】江戸川乱歩作品を読んだことがありますか?
(講談社『BOOK倶楽部メール』09年6月15日号)
・ ほぼ全作品読んだ…6%/・半分以上は読んだ…13%/・何作か読んだ…45%/・1作は読んだ…10%/・読んだことがない…26%
【Q2】江戸川乱歩作品を読んだのはいつ頃ですか?
 ・小学校入学前…1% ・小学校低学年…12% ・小学校高学年…43%  ・中学生…17% ・10代後半…13% ・20代前半…8% ・20代後半…3% ・30歳以上…3%
【Q3】江戸川乱歩作品でいちばん好きなものは?(BEST5)
1位)『怪人二十面相』←「少年探偵」とは別に集計
2位)『少年探偵』← 「怪人二十面相」とは別に集計
3位)『人間椅子』
4位)『屋根裏の散歩者』
5位)『黒蜥蜴』
★『人間椅子』読了後、ぞっとした。しばらく厚みのある椅子には座れなかった。(埼玉県 H様 20代)★「人間椅子」小学校2年くらいの時に読んで、しばらく椅子が恐くなりました。人が入る余地のない学校の椅子ですら恐かったのを覚えています(東京都 N様 30代)★「屋根裏の散歩者」今読めばなんてことないんでしょうが、10歳そこそこで読んだ時には大人の 秘め事をのぞき見た感じでドキドキしました。(愛知県 A様 30代)★「屋根裏の散歩者」高校生の時だったと思うが、それまでに読んだ小説の中で、変な恐怖を覚えて、夜寝るとき、天井裏に誰かいるのではないかと気になり、寝られない幾夜かを過ごした経験がある。以来乱歩のファンに… (千葉県 S様 60代)★「芋虫」「乱歩=推理小説家」というイメージを脱却させた作品です。予想外のメッセージ性に打ち砕かれた、いい意味で“乱歩らしからぬ”作品だと思います。(東京都 A様 20代)★「芋虫」 グロテスクだけど、人間の極限がきちんと描かれている。一度読むと忘れられません。(大阪府 I様 30代)
★「二銭銅貨」です。最後のあっと驚く仕掛けが好きです。(岡山県 Y様 20代)★「二銭銅貨」優れた暗号小説でありながら、どこか落語めいていて、処女作とは思えない 雰囲気をたたえています。(埼玉県 C様 40代)★「陰獣」 乱歩作品特有の妖気的魅力と本格推理の味わいが結合した傑作。
(大阪府 T様 40代)★中学生の時にはじめて読んだ「心理試験」が一番印象に残っている。犯人の完璧とも思える心理試験対策が明智に見破られる瞬間の恐怖感が今でも思い出される。推理小説が好きになったきっかけの作品。(大阪府 F様 50代)
【Q4】江戸川乱歩賞は興味がありますか?
  ・興味があり、受賞作を読むことが多い…16%
  ・興味はあるが、受賞作を読むことは少ない…54%
  ・興味がない…30%
【Q5】「乱歩賞作家」「乱歩賞受賞作」でいちばんに思い浮かぶのは?
(作品)『テロリストのパラソル』/『13階段』/『アルキメデスは手を汚さない』
  ・興味はあるが、受賞作を読むことは少ない…54%
  ・興味がない…30%
【Q5】「乱歩賞作家」「乱歩賞受賞作」でいちばんに思い浮かぶのは?
(作品)『テロリストのパラソル』/『13階段』/『アルキメデスは手を汚さない』

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2009年6月20日 (土)

第4回小説現代長編新人賞(講談社)は、加藤元さん

 第4回小説現代長編新人賞(講談社主催)は19日、加藤元(かとう・げん)さん(35)の「山姫抄(さんきしょう)」に決まった。賞金300万円。 加藤さんは東京都出身、日本大学芸術学部中退。現在は愛知県在住で、フリーの編集者・ライターとして活動。受賞作は「小説現代」8月号(7月22日発売)に一部が掲載され、10月に単行本として刊行される予定。

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2009年6月19日 (金)

【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上)-3-

(09年6月16日 読売新聞の記事を3分載)
 ――市場原理主義、グローバリズムと共に情報化も進んだ。インターネットで検索して情報を得るのは、与えられる情報に操られかねない面もある。
 M 確かに世界は1984年とは全然違う。ワードプロセッサーはあったが、家にパソコンはないからわからないことがあれば図書館へ調べに行った。携帯電話もないから、公衆電話に並び、33回転のレコードが回っていた。それが今はブログで誰もが無責任に意見を出し、匿名の悪意がたちまちネット上で結集する。知識や意見は簡単にペーストされ使い回される。スピードとわかりやすさが何より大事になる。
 今年2月、僕がエルサレム賞を受賞した際も、インターネットで反発が盛り上がったようだ。でもそれは僕が受賞するか拒否するかという白か黒かの二元論でしかなく、現地に行って何ができるかと一歩つっこんだところで議論されることはほとんどなかった。
作家の役割
 ――受賞スピーチ「壁と卵」で「個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるため」小説を書くと発言された。
 M 作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている。「物語」は残る。それがよい物語であり、しかるべき心の中に落ち着けば。例えば「壁と卵」の話をいくら感動的と言われても、そういう生(なま)のメッセージはいずれ消費され力は低下するだろう。しかし物語というのは丸ごと人の心に入る。即効性はないが時間に耐え、時と共に育つ可能性さえある。インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない。
 テーゼやメッセージが、表現しづらい魂の部分をわかりやすく言語化してすぐに心に入り込むものならば、小説家は表現しづらいものの外周を言葉でしっかり固めて作品を作り、丸ごとを読む人に引き渡す。そんな違いがあるだろう。読んでいるうちに読者が、作品の中に小説家が言葉でくるみ込んでいる真実を発見してくれれば、こんなにうれしいことはない。大事なのは売れる数じゃない。届き方だと思う。(09年6月16日 読売新聞)

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2009年6月18日 (木)

太宰治の小説を芥川賞作家の川上未映子がヒロインで映画化!

太宰治の人気小説「パンドラの匣」が映画化され、完成披露試写会を16日開催。ヒロインを芥川賞作家・川上未映子と女優の仲里依紗が務める。監督は、映画『パビリオン山椒魚』の冨永昌敬。
 映画『パンドラの匣』は、太宰の熱烈なファンである冨永監督が原作に大胆な解釈を加え、冨永版『パンドラの匣』とも言うべき新たな世界を作り上げた。太宰治生誕百年である2009年10月の公開。
 物語は結核を患う少年、ひばりが終戦を機に健康道場と称する風変わりな療養所に入所。そこで出会った二人の看護師への恋心と、おかしな療養者たちとの日々を通じて彼が希望を見いだしてゆく姿がユーモアたっぷりに描かれる。
 主人公の少年・ひばりを演じるのは、オーディションで選ばれた期待の16歳、染谷将太。『14歳』『フレフレ少女』にも出演している。彼が思いを寄せる看護師長・竹さん役には、「乳と卵」で第138回芥川賞を受賞した作家の川上。気まぐれな新人看護師、マア坊役には、『純喫茶磯辺』の仲。そして、物語の鍵を握るひばりの友人・つくしには映画『GO』『ピンポン』の窪塚洋介が務める。ほかにもふかわりょう、洞口依子、ミッキー・カーチスら、超個性派キャストが顔をそろえる。(シネマトゥデイ)

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【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上)-2-

(09年6月16日 読売新聞の記事を3分載)
時間に耐え、育つ「物語」
――『1Q84』では学生運動から派生した集団が、政治的グループと自給自足団体に分裂し、後者がカルト教団へ変貌(へんぼう)する。背景には現代史の実際の出来事も浮かぶ。
 M 僕らの世代が1960年代後半以降、どのような道をたどってきたかを考えていくべきだという気持ちはあった。僕らの世代は結局、マルキシズムという対抗価値が生命力を失った地点から新たな物語を起こしていかなくてはならなかった。何がマルキシズムに代わる座標軸として有効か。模索する中でカルト宗教やニューエイジ的なものへの関心も高まった。「リトル・ピープル」はそのひとつの結果でもある。
読者への最大の謎
 ――山梨の森の中で教団リーダーの娘が見た「リトル・ピープル」とは? 読者に手渡される最大の謎だが。
 M 神話的なアイコン(象徴)として昔からあるけれど、言語化できない。非リアルな存在としてとらえることも可能かもしれない。神話というのは歴史、あるいは人々の集合的な記憶に組み込まれていて、ある状況で突然、力を発揮し始める。例えば鳥インフルエンザのような、特殊な状況下で起動する、目に見えないファクターでもある。あるいはそれは単純に我々自身の中の何かかもしれない。
 原理主義の問題にもかかわる。世界中がカオス化する中で、シンプルな原理主義は確実に力を増している。こんな複雑な状況にあって、自分の頭で物を考えるのはエネルギーが要るから、たいていの人は出来合いの即席言語を借りて自分で考えた気になり、単純化されたぶん、どうしても原理主義に結びつきやすくなる。スナック菓子同様、すぐエネルギーになるが体に良いとはいえない。自力で精神性を高める作業が難しい時代だ。(09年6月16日 読売新聞の記事を3分載)

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2009年6月17日 (水)

道尾秀介著「向日葵の咲かない夏」(新潮社)50万部突破

新潮社が2005年11月に単行本、08年7月に文庫版を初版3万部で発売。6月11日に19刷目となる1万5000部を重版し、50万部に達した。発売当初は目立った動きがなかったが、「このミス」2009年度版で道尾氏が作家別投票1位となったのを機に部数を伸ばしてきた。同社によると、9割以上は最近5カ月での売行き。道尾氏にとってデビュー2作目の本。


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【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上)-1-

(09年6月16日 読売新聞の記事を3分載)
月の裏に残されたような恐怖
本棚に並ぶ村上春樹氏の『1Q84』(東京・千代田区の丸善・丸の内本店で)=鷹見安浩撮影 村上春樹氏(60)が作家生活30年を経て発表した長編『1Q84』(新潮社)は、現実から少しだけねじれた世界で進む物語だ。どのように発想され、どんなテーマが込められたのだろう。(尾崎真理子)
 村上(以下M) G・オーウェルの未来小説『1984』を土台に、近い過去を小説にしたいと以前から思っていた。もう一つ、オウム真理教事件がある。僕は地下鉄サリン事件の被害者60人以上から話を聞いて『アンダーグラウンド』にまとめ、続いてオウムの信者8人に聞いた話を『約束された場所で』に書いた。その後もできる限り東京地裁、東京高裁へ裁判の傍聴に通った。
 事件への憤りは消えないが、地下鉄サリン事件で一番多い8人を殺し逃亡した、林泰男死刑囚のことをもっと多く知りたいと思った。彼はふとした成り行きでオウムに入って、洗脳を受け殺人を犯した。日本の量刑、遺族の怒りや悲しみを考えれば死刑は妥当なのだろうと思うが、基本的に僕は死刑制度に反対だし、判決が出た時は重苦しい気持ちだった。ごく普通の、犯罪者性人格でもない人間がいろんな流れのままに重い罪を犯し、気がついたときにはいつ命が奪われるかわからない死刑囚になっていた――そんな月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。それがこの物語の出発点になった。
現代のシステム
――完成した作品は、人間の気高さ、怖さを深く考えさせる。善悪とは、人を裁くとはどういうことか。裁判員制度が始まり、皆が再考中の時期でもある。
 M オウム事件は現代社会における「倫理」とは何かという、大きな問題をわれわれに突きつけた。オウムにかかわることは、両サイドの視点から現代の状況を洗い直すことでもあった。絶対に正しい意見、行動はこれだと、社会的倫理を一面的にとらえるのが非常に困難な時代だ。
 罪を犯す人と犯さない人とを隔てる壁は我々が考えているより薄い。仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある。体制の中に反体制があり、反体制の中に体制がある。そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった。ほぼすべての登場人物に名前を付け、一人ずつできるだけ丁寧に造形した。その誰が我々自身であってもおかしくないように。
新しいリアリズム
 ――作中の全員が傷を負い、陰を持つ。だがそれぞれ魅力的だ。月が二つ浮かび、超現実的な「リトル・ピープル」や「空気さなぎ」が現れても、映画やゲームでCG映像を見慣れた世代に違和感はなさそうだ。
 M 自分のいる世界が、本当の現実世界なのかどうか確信が持てなくなるのは、現代の典型的な心象ではないか。9・11のテロで、ツインタワーが作られた映像のように消滅した。あれだけあっけない崩壊を何度も映像で見せられているうちに、ふとした何かの流れで、あの建物がない奇妙な世界に自分は入り込んだのだと感じる人がいてもおかしくはない。G・ブッシュが再選されず、イラク戦争も起こらない、そんな別の世界がここではないどこかで続いているのかもしれないと。
 日本人は1995年にたてつづけに起きた阪神大震災とオウム事件で、「自分はなぜ、ここにいるんだろう?」という現実からの乖離(かいり)感を、世界よりひとあし早く体験した気もする。僕の小説は、『ノルウェイの森』を除いて、いわゆるリアリズムの小説ではないが、それゆえ新しいリアリズムとして、世界中で受け入れられ始めているのを感じる。9・11以降はとくに。
 同時に僕は、バルザックのような世俗そのものを書いた小説が好きで、この時代の世相全体を立体的に描く僕なりの「総合小説」を書きたかった。純文学というジャンルを超えて、様々なアプローチをとり、たくさん引き出しを確保して、今ある時代の空気の中に、人間の生命を埋め込めればと思った。(09年6月16日 読売新聞の記事を3分載)

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2009年6月16日 (火)

村上春樹さん語る… 新作「1Q84」オウム裁判が出発点

 7年ぶりに新作長編「1Q84」を発表、話題を呼んでいる作家の村上春樹氏(60)が今月上旬、読売新聞の取材に東京都内で応じ、「オウム裁判の傍聴に10年以上通い、死刑囚になった元信者の心境を想像し続けた。
 それが作品の出発点になった」などの思いを明かした。今回の小説を刊行後、村上氏がインタビューに答えたのは初めて。
 オウム事件について村上氏は、「現代社会における『倫理』とは何かという、大きな問題をわれわれに突きつけた」とし、この事件にかかわることは、犯罪の被害者と加害者という「両サイドの視点から現代の状況を洗い直すことでもあった」と語った。また、「僕らの世代が1960年代後半以降、どのような道をたどってきたか。同時代の精神史を書き残す意図もあった」と述べた。
 こうした社会的な問題意識を背景とする本作は、長い年月、互いに思い続ける30歳の男女を軸にした大胆なストーリー展開で読者を引きつけ、1巻が62万部、2巻が54万部の計116万部(15日現在)。版元の新潮社によると、購買者は30代以下が過半数を占める。
 村上氏は、「大事なのは売れる数でなく、届き方だ」と強調し、「作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている」「インターネットで『意見』があふれ返っている時代だからこそ、『物語』は余計に力を持たなくてはならない」などと持論を述べた。1・2巻で描かれるのは「1Q84」年の半年分。続編を期待する声が早くも上がるが、「この後どうするかということは、ゆっくり考えていきたい」と答えた。
 「ノルウェイの森」などの小説が英語や中国語、ロシア語など40言語以上に翻訳されている村上氏は「今後、欧米と東アジア間の差は縮まり、文化的なやりとりは一層盛んになる」として、「僕が日本から発信できるメッセージは必ずあると思う」と力強く語った。(09年6月16日 読売新聞)

 《メモ》特にTVメディアは、いまだに霊がどうのうこうのという霊媒師や占い師の番組を垂れ流しにしてる。タバコには肺がんの予告がついていて、投資には元本保証しないこを明記する時代。ドラマには、このドラマは事実と関係のないフィクションです。としておきながら、霊の番組には「この番組には、事実を証明する証拠はありません」というクレジットがない。 オーム事件を防ぐ手段はなかったのか。教祖が空中浮揚ができると言った時に、誰かが家の2階から空中浮揚を、させていたら、あんな大勢の被害者は出なかったのではなかろうかと思う。こうした事件の素因はまだある。村上氏が放送人に理解できるように書いてくれていればもっと良かったのに。可能ならば、霊の番組に出会うとオームのテロを思い出し気持ちが悪くなって、見られないようになって欲しいものだ。

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2009年6月14日 (日)

講談社が月刊誌「G2」創刊へ ネットで全文公開も

 講談社は17日、昨年末に休刊した「月刊現代」の後継誌として、ノンフィクション雑誌「G2(ジー・ツー)」を9月から創刊すると明らかにした。インターネットや単行本出版と連動した新たなメディアを目指すという。
 同社によると、G2は原稿用紙50~100枚分の長尺ノンフィクションを中心に掲載。創刊号では柳美里氏の本格ノンフィクションのほか、沢木耕太郎、上杉隆、高山文彦の各氏らの新作を発表する。年度内は9、12、3月に刊行予定で、その後も数カ月おきの定期刊行を目指す。
 またインターネットのサイトで掲載記事を全文公開するほか、サイト独自の記事も公開、新人作家育成の場とする考えだ。発表された記事は、ノンフィクションの単行本として掲載することもにらむ 藤田康雄編集長は「ネットで記事全文を掲載するのは賭けだが、これによって紙媒体への関心が喚起される流れを期待している。新たな書き手、新たな読者を開拓する雑誌になれればいい」と話している。(産経ニュース09.6.17)

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2009年6月13日 (土)

【Q1】「群像」を読んだことがありますか?

・「群像」を知らない…30% ・知っているが、読んだことはない…50%
・過去に読んだことがある…14% ・たまに読む…4%
・よく読む…2%
【Q2】「群像」のイメージは?
 純文学、硬い、新人、真面目、小難しい、正統派、若い、村上春樹、大人向け、登竜門、W村上を輩出、文学青年、村上龍
【Q3】「群像」に掲載された作品で、印象に残っている作品は? (BEST3)
『風の歌を聴け』      (村上春樹)
『限りなく透明に近いブルー』(村上龍)
『宿屋めぐり』       (町田康)
(講談社『BOOK倶楽部メール』09年6月1日号)

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2009年6月11日 (木)

著者メッセージ:『戦国奇譚 首』 伊東潤さん

 この作品は、戦国時代の関東を舞台に、当時の武士たちにとり、己の存在価値の証明でもある「首」をモチーフとした六つの短編から成っています。
 各編に描かれるのは、欲の頚木から逃れられない人間の悲喜劇です。現代と同様、戦国時代も、欲にからんだ人間模様が毎日のように繰り返されてきました。しかも、戦場では何でもありでした。どのような手を使っても、首さえ挙げれば、功名を手にできたのです。
 それは、命を賭けているかいないかの違いだけで、現代と何ら変わりありません。毎日のニュースを見れば、汚職、詐欺、贈収賄など、欲に駆られて心に魔が差し、深い穴に落ち込んでしまった人間がゴロゴロいるはずです。この作品は、戦国時代を描きながら、現代との合わせ鏡となっているのです。短編小説には必須の衝撃的結末と、欲の頚木から逃れられない人間の悲哀(文学的カタルシス)を、ぜひご堪能下さい。(伊東潤)講談社『BOOK倶楽部メール』09年6月1日号 

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村上春樹「1Q84」書評=作家・小野正嗣

存在内部の空白を埋める愛
 手にとればもう読むのをやめられない。あなたは現実世界の「いまとここ」を忘れ、待ちに待った村上春樹の新たな物語世界に没入している。「春樹的」と形容するほかない魅力的な比喩(ひゆ)の数々。用いられる個々の表現の的確さとその響き、言葉と言葉、文と文のつながりを含め、どんな細部もゆるがせにしない、徹底的に考え抜かれ彫琢(ちょうたく)された音楽的な文章。頁(ページ)を繰りながら魂の扉がとんとんと叩(たた)かれているのを感じるはずだ。扉を開く。すると心の内側なのか外側なのかわからないそこには、あなたのものであり、かつ誰のものでもある光景が開かれている。このきわめて親密でありながらどこか遠い普遍的な風景に出会うこと、あるいはそれを思い出すこと。村上春樹を読むとはそういうことだ。
 本作は各巻が24章から成り、奇数章では、指先に特殊な才能を持つ、青豆という風変わりな名の女性の物語が、偶数章では、天吾という小説家志望の予備校数学教師の物語が描かれる。青豆は首都高速道路の非常階段を降りることで、彼女が生きていた1984年の現実とは微妙に異なる「1Q84年」の世界に入り込んでしまう。一方、天吾も「ふかえり」という17歳の謎の少女の小説『空気さなぎ』を書き直したために奇妙な事態に巻き込まれ、彼のそれなりに充足した日常からは均衡が失われていく。
 青豆も天吾も不幸な幼年期を送っている。この小説に登場する多くの者は暴力の犠牲者であり、心と体を無惨に破壊されている。DV、児童虐待、宗教的狂信と名称は様々でも、暴力を生み暴力が生む「闇」は、いつの時代でも存在する以上、青豆と天吾の生きる1Q84年は、紛れもなく私たちの世界なのだと言える。
 物理的なものであれ象徴的なものであれ、暴力は人間の存在の内部に「空白」をうがつ。この空白をネガティブな力で埋め尽くし、底無しの虚無に変えようとうごめく巨大な闇に対して、小説に何ができるのか。村上春樹はそのことを問い続けてきた。答えは各自が各様に見つけるほかない。だがヒントはある。
 天吾は十歳のとき、ある女の子に手を握られる。そのとき彼女の存在の一部を、生命の温もりを確かに受け取り、それがずっと彼の意識の中心を満たしてきた。青豆もまた十歳のとき、一人の男の子に出会い、彼を一生愛し続けるのだと決意する。その愛が存在の中心にあればこそ、親友の自死など苛酷(かこく)な経験を耐え、生き続けることができたのだった。強く、深く、人を思い続けること。そのとき世界は空に浮かぶ月とは違って孤独ではなくなる。これは途方もない愛の物語である。
 ◇むらかみ・はるき=1949年、京都府生まれ。『ノルウェイの森』が大ベストセラーに。著書に『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『アフターダーク』『東京奇譚集』など。
評・小野正嗣=おの・まさつぐ 1970年、大分県生まれ。作家、明治学院大学専任講師。『にぎやかな湾に背負われた船』で三島賞。(2009年6月8日 読売新聞)

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2009年6月10日 (水)

詩の紹介   「道」 関 中子

 (紹介者・江 素瑛)
この詩集は、自分で装画と挿画入れた感性豊かな詩画集である。
 掴む。掴まれる。捕る。捕らえる。人間性に様々な牢屋から抜けることはないところがある。牢屋のなかでも牢屋のそとでも牢屋である。ここも牢獄舎。このひと言で、花、枝、人、雲の漂う空間が絵画の世界と交流するように表現されている。孤独も正しく牢屋である。それを掴む、それに掴まれる。人間は深いところからも、浅いとこらからも、孤独が付きまとう。そこから抜けることがあり得ないとでも言うように。
             ☆
道        関 中子 

夏の朝 蜘蛛の巣をとりのぞきながら歩いた道も今はすっかり吹き抜けになって/ 空ばかり青く 溶けるようにはかない厚さの雲/欅の枝 何本かにその雲が囲まれ/ ここも牢獄舎である
 
紅い花も木に捕らわれ/ たどり着くこともないという言い伝いの/ 空は とても青いのねとさしさわりのないささやき話にする/ 話しすぎると重たくなって地におちるよといわれても地におちても/ 話し続けたいから話がとめられない

どくだみの木はまだ若いから身をよじって/ 葉もなく白い花もない季節 二つに割れた幹を放すまい/ 放すまいと緊張と情熱で空にかすがいを打ち込む/ あそこもここも/ いつまで続くのか/ 栗の木の残がいがとなりにある 

道よ/ 欅の木が /椿の木が /どくだみの木が /栗の木が /孤独になっていく/ ユリノキの角を曲がるときは決断をする/ 孤独とは過去のことだと

    詩集 夢現より 東京都文京区 株式会社ニットー出版企画
(詩人回廊「関 中子の庭」サイト)

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村上春樹「1Q84」書評=福岡伸一青山学院大教授

遺伝子支配に対抗する均衡
 冒頭から読者は強い流れに引き込まれる。その強度はこれまでのどんな作品よりも大きい。やがて読者は当惑に直面する。「リトル・ピープル」をめぐって。夜ごと、山羊(やぎ)の口から出てきて「空気さなぎ」を作る不可思議なこびとたち。実体があるのかないのかわからず、善悪もわからない。ただそれは「着実に我々の足元を掘り崩していく」存在として登場する。
 リトル・ピープルは本書最大の謎である。それは1Q84年の世界において、目に見えないながら私たちの内部にひそむものとして描かれる。その点がオーウェルの『1984年』における、外的な支配者「ビッグ・ブラザー」とは違う。彼らは「山羊だろうが、鯨だろうが、えんどう豆だろうが。それが通路でさえあれば」姿を現し、私たちを徹底的に利用する。利用価値がなくなればたやすく乗り捨てていく。そういうものとして描かれる。
 現在、私たちは私たちの運命を収奪し、一義的に因果づける内的な存在を知り、それを信奉している。それはえんどう豆の研究から見いだされたところの遺伝子(的なもの)である。もちろん遺伝子は物質以外のなにものでもない。しかしひとたび、それが小さいながらも擬人化されて捉(とら)えられると、利己的な意思と意図を帯び、世界と私たちを支配するために動き出す。
 遺伝子の究極的な目的は永続的な自己複製である。「母(マザ)」からクローンとしての「娘(ドウタ)」を作り出すこと。そのメタファーが「空気さなぎ」ではないだろうか。
 しかし青豆は問う。「もし我々が単なる遺伝子の乗り物(キャリア)に過ぎないとしたら、我々のうちの少なからざるものが、どうして奇妙なかたちをとった人生を歩まなくてはならないのだろう」と。
 遺伝子が利己的な支配者に見えるのは、私たちがその物語を信じ、身を委ねたいからである。そこに私たちがたやすく切り崩されてしまう契機が潜んでいる。それはかつて外側に存在していたビッグ・ブラザーを内側に求めることに等しい。リトル・ピープルに象徴されるこのような不可避的で、それでいて誘惑的な決定論に対抗するには、一つ一つの人生を自分の物語として自分で語り直すしかない。重要なのはその均衡であり、均衡は動的なものとして、可能性の在処(ありか)を示す。そう本書は宣言している。
 私たちは時に合理性を無視し、利他的に行動しうる。その動因として私たちは自らの内部の核に、自らの複製ではない「さなぎ」をはぐくむことができる。本書の結末をそういう風に私は読んだ。
 ◇むらかみ・はるき=1949年、京都府生まれ。『ノルウェイの森』が大ベストセラーに。著書に『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『アフターダーク』『東京奇譚集』など。
評・福岡伸一=ふくおか・しんいち 1959年、東京都生まれ。分子生物学者、青山学院大教授。著書に『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』。(2009年6月8日 読売新聞)

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2009年6月 9日 (火)

利他的行動の謎に焦点=真木悠介『自我の起原』(岩波書店)

• 副題は「愛とエゴイズムの動物社会学」。動物行動学の分野でローレンツやドーキンスが提唱した理論を社会学者の真木悠介(見田宗介)が独自の視点で読み解く。「自我の起源」は原初的生物の基層に遡(さかのぼ)り、「自我」の成立過程に迫る一冊だ。
 生物は遺伝子という名の利己的な存在が生き残るために利用する「乗り物」に過ぎないと主張するドーキンスの「利己的な遺伝子」理論を紹介しつつ、本書はドーキンスとは対照的に、生物が時に「利他的」に行動する謎に焦点を合わせる。生物の進化の過程で脈々と受け継がれてきた生物の利他的行動の数々。その中から「エゴイズムの先」の「共生」を探ろうとする姿勢が新鮮だ。
 広く知られた文献を独自の視点で切り取る手つきは鮮やか。ある作家が氏の作品を「思考ではなく祈りであり、文学的幻想であって社会理論ではない」と酷評したことがあるが、書評子には祈りこそが魅力だ。「利己的な遺伝子」があふれる現代の希望の書。(淳)岩波現代文庫。1000円(税別)。(09年6月4日 読売新聞)

Wikipediaによると、道徳情操論(原題:The Theory of Moral Sentiments)は、1759年に出版されたアダム・スミスの著作)では、主に、近代市民社会におけるバラバラの個人が、「共感」をある種の秩序としてまとまっていることを述べている。 具体的には、人間存在とは、利己的だが、他人に同感する。また、道徳的適切さを指摘しており、第三者である「公平な観察者」が同感でき、当事者は「内なる人」として内面化する。そして、常識(良心)とは、第三者の目で見るということで、「自己規制」しつつ相互行為するものである。そしてこの元で、内なる道徳を持つフェアプレイの世界である社会が形成されるとされる。

そうは言っても、人間がどれだけ自己中心主義かを認識しないと、社会構成の適正な方法を考えることが出来ない。利己主義を研究し追及することで、希望のある方策が打てる。足利事件の冤罪も検察と裁判官の利己主義から生まれたものであり、弱者を救済すると、甘いといって母子家庭の予算を削る意識も、他人が得すると面白くないという嫉妬心、その金を自分のために使いたいという利己主義によるものである。

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2009年6月 8日 (月)

115時間の講演CDで吉本隆明さんが世界一に

 詩人で評論家の吉本隆明さん(84)の講演50回、計6943分(約115時間)を録音したCD集『吉本隆明 五十度の講演』(東京糸井重里事務所)が「世界一長いオーディオブック」としてギネス世界記録に認定された。
 『五十度の講演』はCD115枚に、「幻想としての国家」(昭和42年)から「中原中也・立原道造-自然と恋愛」(平成8年)まで約30年にわたる吉本さんの講演を収録。昨年8月、5万円で限定3000セットが発売され、現在までに半数が売れたという。吉本さんは「おしゃべりが苦手だ苦手だと言ってたわりに、よくもまあ、これだけやりましたね」とコメントした。(産経ニュース09.6.7)

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2009年6月 7日 (日)

詩の紹介   「千年紀」   佐藤 裕

 映画「ターミネーター4」が公開されるらしいが、この詩はそのオマージュとして読むことも出来る。そのように読まれることは、作者は想定をしていないのは明らかだがーー、作風のなかに、世界の成立要因を、H2Oを含んだ人間と人工物との構成として表現する。ハードな物質と粘液的な内臓循環器官と交差させる表現で、血の匂いを漂わせている。都市社会のただ中で日常を生きる意識のなかの、無意識な世界感へのイメージであるらしい。作品「千年紀」は、時代を長く取ったことで、人間の現代から未来へのあるイメージの定着に成功している。
(詩人回廊・佐藤 裕の庭「千年紀」のサイト)

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村上春樹さん「1Q84」大当たり極秘戦略

(毎日新聞 09年6月6日)村上春樹さんの最新長編小説「1Q84(いちきゅうはちよん)」(新潮社)が爆発的に売れている。5月29日の発売からわずか1週間で第1巻51万部、第2巻45万部の計96万部(6月4日現在)まで増刷。にもかかわらず、第1巻が品切れとなった書店も続出している。出版不況が叫ばれる中、いったいなぜ? その理由を探った。【棚部秀行、高橋咲子】
 東京都千代田区の三省堂書店・神保町本店。売り場には第2巻だけが平積みになっていた。西東京市の団体役員、星川安之さん(51)は既に第1巻を購入。「村上作品は家族や食事、好きな映画のように生きていく楽しみの一つ。生きているって面白いと思わせてくれる。久しぶりの長編だが、根底にあるものは変わっていない」と第2巻を手に取った。
 「話題になっているから来てみた」という茨城県つくば市の大学教員、緒方章宏さん(68)は「先週は両巻ともあったのに」と、第2巻を購入し第1巻を予約した。両巻とも税込み1890円だ。
 発売前から書店の期待も高かった。同店では、事前に過去の村上作品をまとめた冊子を配布。担当者は「日本を代表する作家の5年ぶりの長編小説。お祭り状態にしたいと盛り上げました」と歓迎する。
 異例ともいえる現象について、出版ニュース社の清田義昭代表は、発売前から市場が村上さんの新著を渇望する「ハングリーマーケット」を形成していたことを指摘した。「出せば必ず売れる作家だが、今回はタイトルだけを公表、内容を一切紹介しなかった販売戦略が大きかった。(ネット書店大手の)アマゾンが先月20日時点で、国内長編小説としては史上最高の予約部数1万部を記録したことや、発売直前に新潮社が増刷を開始したことが報じられ、話題のキャッチボールが起こった。発売後も品薄感が広がり、読者はどんどん読んでみたくなった」と分析。また今年2月、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式での講演が話題になったことも、新作への期待が高まった要因の一つとした。
 版元の新潮社によると、社内でも限られた社員数人しか原稿に目を通さないという徹底ぶり。海外のエージェントの協力も得、ブックフェアでも内容を明かさなかった。同様の例では、郷ひろみさんが、二谷友里恵さんとの離婚の真相を語った「ダディ」(幻冬舎)はミリオンセラーになった。
 だが、担当者は「戦略ではない」と強く否定する。同社から7年前に出版した「海辺のカフカ」では、原稿入手から発売までに約1年の期間を取り、事前PRに時間を掛けた。このため内容が少しずつ漏れ、読者から「予備知識なしに読みたかった」という苦情が寄せられた。そこで、村上さんと話し合って「実験的に」(担当者)今回の手法をとったという。
 ファンの間では続編の期待もささやかれる。同社は「この2冊で完結しています。次があるかはわかりません」と回答する。「従来の村上ファン以外も読みたくなる。本を読む層を開拓することにもつながるのではないか」と清田代表が話す「1Q84」、出版業界の救世主となるのだろうか。

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2009年6月 6日 (土)

同人誌時評「図書新聞」(09年6月6日)有村有弘氏

<時代・歴史小説>武野晩来「半兵衛」(青稲第82号)、西田英樹「雪の日の使者」(九州文学第527号)、穂積耕「水の均衡-瀬田河浚え自普請一件」(法螺第60号)、松尾靖子「蝮の末裔」(檣檣第28号)
<現代小説>射場鐵太郎「悪夢」(AMAZON第434号)
<エッセイ>芹沢亮輔「小説の機能」、山崎行雄「追悼・青山光二」(新人第48号)、菊池道人「居場所の文学『方丈記』」(新人第48号)、「CABIN」は小沼丹と富士正晴特集
<短歌>崎井貫(韻第9号)、相良俊(同)、山脇陽子(綱手第249号)
<俳句>木田千代(天塚第188号)、浅野まこと(耕第253号)
<追悼>「ぶりぜ」第6号が詩人武田隆子、「AMAZON」第434号が掘巖、「天塚」第188号が有田恭子、「喜見城」第711号が大野芳子、「樹林」第529号が井上俊夫、「短歌21世紀」が内海俊夫と田村八重、「短説」第279号が相生葉留実、「北斗」第555号が千葉龍、「焔」第81号が松尾直美、「未来」686号が上野久雄。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2009年6月 5日 (金)

村上春樹さん「1Q84」品切れ続出…増刷も追いつかず

(6月4日 読売新聞)爆発的なヒットを続ける村上春樹さんの新作小説『1Q84(イチ・キュウ・ハチ・ヨン)』(新潮社、2巻、各税別1800円)の第1巻が、品切れとなる書店が続出している。
 同書は2002年刊行の『海辺のカフカ』以来の大長編。オンライン書店のアマゾン・ジャパンで、2巻計2万部が予約期間中に売り切れるなど、発売前から人気が沸騰。発売元の新潮社は、初版で1巻を20万部、2巻を18万部印刷していたが、発売前の5月22日に各5万部を増刷した。東京都内の大型書店の店頭には27日に並び、最初の週末となった30日には、「3人に1人は『1Q84』を買っているような感じだった」(紀伊国屋書店新宿本店)という。
 同社は4日現在、1巻を7刷51万部、2巻を同45万部まで増刷したが、市場に出ているのは2刷分まで。印刷が人気に追いつかず、書店で品薄になっている。
 同書は1984年のもう一つの世界を舞台にした小説だが、新潮社は村上さんと話し合い、発売まで書名と価格以外の情報を伏せた。また、事前に目を通す社員も限定し、情報管理を徹底した。出版ニュース社の清田義昭代表取締役は「ハングリー・マーケットの典型。タイトルの意味も、内容も分からず、読者の飢餓感が高まった」と分析している。
 一方、小説に登場するジョージ・セル指揮、ヤナーチェク作曲の「シンフォニエッタ」を収録するCDについて、発売元のソニー・ミュージックジャパンインターナショナルは数千枚の追加生産を行った。

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文芸同人誌評「週刊 読書人」(09年5月22日付)白川正芳氏

「山口文芸」連載、久木綾子さん『見残しの塔 周防国五重塔縁起』(新宿書房)を「ラジオ深夜便」から紹介
服部賢二「宮沢賢治童話群」(「コスモス文学」359号)、前田新「姥ケ沼」(「農民文学」284号)、和田伸一郎編「ハンセン病入所からの返信」(「クレーン」30号)、安芸宏子「『仮面の告白』の園子、『純白の夜』の郁子、『鏡子の家』の藤子を見る」(「半獣神」86号)
第七期「九州文学」5号より椎窓猛の連載「気まぐれ九州文学館」、高尾稔氏の訃報
花沢朝子「香花」(「全作家」73号)、「カプリチオ」29号の「特集 小谷剛」、山下啓子「薄日」(「まくた」263号)、天谷千香子「雲のベッド」(「季刊午前」40号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2009年6月 4日 (木)

同人誌「奏」2009 夏

今回の「奏」18号には、「資料・小川国夫―未完の長編小説「浸蝕」第三章冒頭原型」というのが掲載されており、貴重な資料になりそうだ。小部分だが、19世紀的な作風の味わいがある。そのほか編集者・勝呂奏「小川国夫『速い馬の流れ』『あじさしの洲』論―『故意の言い落とし』と『照応』」がある。そこには小川国夫の飛躍的なところのある簡潔文の特性が語られている。「掌果集」と称する上質な寸編小説的な作品もある。
【掌果集「花びら」小森新】
 女性の独白体で、愛する男への情念を語る。愛と官能を結び付ける状況が密度濃く語られ、ほとんど完璧な仕上がり。言葉の働きが堪能できる。読後に寸編小説に自分が求めているのはこういうものかも知れないと思わされた。
【同「野茨」小森新】
 妻を失った独り暮らしの老人の日常と生活、回顧の想念を描く。生活の匂い、生きることの臭いというものを痛切に感じさせる描き方が、よく計算され効果的。死の床にたどり着くまでの時間の漂流が的確に表現されている。
【同「月下の門」小森新】
 俳句の結社を率いる先生は、死の病に倒れ入院している。「僕」が尊敬しているその先生を見舞う。その間に交わされる会話や行為によって、先生の句にたいする信念、死生観が表現されている。自然に書いたような巧みさとセンスが抜群の効果を生んでいる。
 三作とも、じつに味わい深い。どうしたらこのようなセンスがもてるのか、不思議におもうほど完成度の高さがある。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方

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2009年6月 3日 (水)

二見書房「読めそうで読めない~」 09年上半期ベストセラー

トーハン、日販が発表の09年上半期ベストセラーは、いずれも総合1位は出口宗和著『読めそうで読めない間違いやすい漢字』(二見書房)となった。二見書房によると、同書は調査期間中(2008年12月~2009年5月)に96万~97万部を発行。麻生太郎首相の“誤読”やTVクイズ番組などが追い風となりブームに。
 また、5月29日に発売されたばかりの村上春樹著『1Q84』(新潮社)が、日販の「総合」16位、「単行本フィクション」5位、トーハンの「単行本・文芸」6位にランクイン。


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5月の新聞の「文芸時評」から

 5月の新聞の「文芸時評」では、日本文学における国際化への進化を指摘する論評があった。
 東京新聞で沼野充義氏は、シリン・ネザマフィや楊逸の文芸誌での活躍に、『「単一民族」神話がいまだに根強い日本列島に天使が舞い降りて来た。多言語という名の天使が。今月の文芸誌を読んでいて、そんな幸せな感覚にとらわれた』と書いている。
 毎日新聞では、川村湊氏がネザマフィの「白い紙」において、『「私」という主語、一人称がほとんど使われていない。これは、日本語の文章の特質(主語がなくても文として成立する)をよく理解した作者の意図的な技法といえるだろう』と指摘。
 これらは、「詩人回廊」の『キャラクターズ』に係る評論において、のべているように、西欧中心の文学世界では、日本文学は「ガラパゴス島」的な辺境的な位置の芸術にすぎないが、日本の文学界においては、翻訳文化の発達によって、世界文学の坩堝が存在するということを裏付ける現象ともいえるのではないか。
 じつはこの視点を得たのは、自分は外国がまったく使えないことによる。大学では、英語が必修で、選択第二外国語でフランス語、専門の経済学では、用語としてのドイツ語、英語の単語をかじるだけで済ましてしまったのである。それらは単位獲得のためのにわか知識で、卒業すればすべて忘れてしまった。
 にもかかわらず、世界各国の豊富な翻訳本の存在によって、日本語によって世界の文学の動向が読み取れるのである。これは自分の推定であるが、そういう国は世界に他にないであろうと思う。世界の文学の状況を知りたければ、まず日本語を知ればそれが可能である。
 ただし、それには一つの条件がある。同じ作品について、名訳から迷訳、下手訳までいろいろな翻訳者のものを読むことである。自分は外国の作家では、D・H・ロレンス(代表作「チャタレイ夫人の恋人」)と、ジョセフ・コンラッド(有名なのでは映画「地獄の黙示録」の原作「闇の奥」だが、代表作といえば「ロード・ジム」か「密偵」)のファンである。
 ロレンスの訳では福田恒存、伊藤整か。コンラッドの訳なら中野好夫などが名訳のうちであろうか。
 しかし、それだけでは、あまりにも消化しすぎてあって、原作の実感を得ることは難しいのである。何といっても、原文を直訳的に訳す下手な翻訳者のものを読むと、首をひねるような奇妙な表現に出会う。その時に、なぜそのような表現になるのかを、しみじみ考えると、なんとなく原作者が使った表現の味わいが推測できるのである。
 時には、誤訳や迷訳にケチをつける書きものに出会うが、自分はそうした翻訳の存在価値を一番認めるものである。
 ただし、ミステリーなどの娯楽物は名訳者のものがよい。田中小実昌や佐倉潤吾などは絶品で、訳者の名で本を選ぶことが多かった。

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2009年6月 2日 (火)

文芸時評5月(毎日新聞5月27日)川村湊氏(文芸評論家)

タイトル=「日本語文学」「期待できる世界文学の構想」「外国人作家の最近の活躍で」
《対象作品》シリン・ネザマフィ「白い紙」(文学界)/同・留学生文学賞受賞作「サラム」(「世界」2007年10、11月号)/楊逸「すき・やき」(新潮)/永岡杜人「言語についての小説」。

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文芸時評5月(東京新聞5月25日)沼野充義氏(東大教授)

タイトル=ネザマフィ「白い紙」日本語で書く母国の情景
《対象作品》文学界新人賞受賞作・シリン・ネザマフィ「白い紙」(文学界)/楊逸「すき・やき」(新潮)/本谷有希子「あの子の考えることは変」(群像)/すばる文学賞受賞第一作・海埜裕文「左へ」(すばる)/群像新人文学賞評論部門受賞作・永岡杜人「言語についての小説」。

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2009年6月 1日 (月)

村上春樹新作『1Q84』、累計発行部数68万部に

新潮社は5月29日、村上春樹『1Q84』1、2巻の増刷(4刷・各5万部)を決め、累計発行部数が68万部になったと発表した。同書は『海辺のカフカ』以来の長編小説で、事前に内容を明かさなかったこともあり、5月29日の全国発売を前にテレビ・新聞などで話題に。初版部数1巻20万部、2巻同18万部で発売予定だったが、書店からの注文や予約が殺到し、5月22日には2刷・各5万部を増刷。また、27日午後から店頭に並んだ都内や関西地区の書店での売行きをみて、28日に3刷・各5万部の増刷を決定していた。


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