同人誌「文芸中部」81号(東海市)(1)
【「羽化」藤澤美子】
子どもの頃の記憶で、お手伝いさんと思っていた人が、後になって産みの母だとわかり、ママと呼んで母親だと思っていた人は産みの母の友人だとわかる。産みの母は、夫の裏切りを知り、自殺をはかるが、助けられる。しかし、意識障害がのこり、廃人のようになって自死する。子どもの視点でメルヘンタッチの語り方。そうした内情をすこしずつ展開させる。その説明には一部で、大人の視点が入る。そのつなぎ目を微妙に調整して描き、メルヘン調を貫いた描き方をしている。マイルドタッチの文章の全編に死の影がつきまとう。
その手法は、後半の宗教的色彩を帯びさせることで、合理的であるようにも読める。宗教的な側面も文体のなかに融合させており、話の境界を曖昧模糊としている。だから良いと思う人もいれば、だから良くないと思う人もいるであろう。自分は、文体の良さから、面白く読ませてもらい、どちらでもいいような気がした。作風としてのこれからの方向性を示す書き方。作者自身、まだそれをどうするか、決めていないようである。出だしの12行はやや弱い。もっとメリハリをつけて、アクセントが欲しい。
【「家のかたち」堀井清】
老いた男が、自分の息子夫妻を追い出して、他人の夫婦を自宅に住まわせる。他人との家族生活を描き、なかなか現代的なテーマの物語。主人公の本間當一の時間の中を漂うような行動ぶりが、うまく表現されて面白い。雰囲気のある文体を維持しながら、変奏曲のようにあの手、この手をつかって老境の人間の心理を描く。この作者ならではの味わいを出している。読売新聞に黒井千次が老境エッセイを連載している。それと比較しても創作的な工夫がある分、本作品のほうが、頭ひとつ分があるかもしれない。堀井氏は、「音楽を聴く」というエッセイも連載している。デジタルはメロディ音を出すかも知れないが、音楽を聴かすのに適しているかどうか、疑問に思う方なので、これも共感を持って興味深く読まさせてもらっています。
【「辛夷の家」朝岡明美】
「枝いっぱいに白い鳥が止まっているのかと思った」。この出だしが最高にいい。日本のグローイング・アップ、成長物語。年上の上品な女性と男子学生の淡き交流。女性の美しく書けていること。その途中もいいし、終わりもいい。出だしから読み手をノックアウトする。ほんのりと萌える気分が素晴らしい。きっちり几帳面な書き方ですっきりまとまっている。
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