【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上)-3-
(09年6月16日 読売新聞の記事を3分載)
――市場原理主義、グローバリズムと共に情報化も進んだ。インターネットで検索して情報を得るのは、与えられる情報に操られかねない面もある。
M 確かに世界は1984年とは全然違う。ワードプロセッサーはあったが、家にパソコンはないからわからないことがあれば図書館へ調べに行った。携帯電話もないから、公衆電話に並び、33回転のレコードが回っていた。それが今はブログで誰もが無責任に意見を出し、匿名の悪意がたちまちネット上で結集する。知識や意見は簡単にペーストされ使い回される。スピードとわかりやすさが何より大事になる。
今年2月、僕がエルサレム賞を受賞した際も、インターネットで反発が盛り上がったようだ。でもそれは僕が受賞するか拒否するかという白か黒かの二元論でしかなく、現地に行って何ができるかと一歩つっこんだところで議論されることはほとんどなかった。
作家の役割
――受賞スピーチ「壁と卵」で「個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるため」小説を書くと発言された。
M 作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている。「物語」は残る。それがよい物語であり、しかるべき心の中に落ち着けば。例えば「壁と卵」の話をいくら感動的と言われても、そういう生(なま)のメッセージはいずれ消費され力は低下するだろう。しかし物語というのは丸ごと人の心に入る。即効性はないが時間に耐え、時と共に育つ可能性さえある。インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない。
テーゼやメッセージが、表現しづらい魂の部分をわかりやすく言語化してすぐに心に入り込むものならば、小説家は表現しづらいものの外周を言葉でしっかり固めて作品を作り、丸ごとを読む人に引き渡す。そんな違いがあるだろう。読んでいるうちに読者が、作品の中に小説家が言葉でくるみ込んでいる真実を発見してくれれば、こんなにうれしいことはない。大事なのは売れる数じゃない。届き方だと思う。(09年6月16日 読売新聞)
| 固定リンク
コメント