【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上)-1-
(09年6月16日 読売新聞の記事を3分載)
月の裏に残されたような恐怖
本棚に並ぶ村上春樹氏の『1Q84』(東京・千代田区の丸善・丸の内本店で)=鷹見安浩撮影 村上春樹氏(60)が作家生活30年を経て発表した長編『1Q84』(新潮社)は、現実から少しだけねじれた世界で進む物語だ。どのように発想され、どんなテーマが込められたのだろう。(尾崎真理子)
村上(以下M) G・オーウェルの未来小説『1984』を土台に、近い過去を小説にしたいと以前から思っていた。もう一つ、オウム真理教事件がある。僕は地下鉄サリン事件の被害者60人以上から話を聞いて『アンダーグラウンド』にまとめ、続いてオウムの信者8人に聞いた話を『約束された場所で』に書いた。その後もできる限り東京地裁、東京高裁へ裁判の傍聴に通った。
事件への憤りは消えないが、地下鉄サリン事件で一番多い8人を殺し逃亡した、林泰男死刑囚のことをもっと多く知りたいと思った。彼はふとした成り行きでオウムに入って、洗脳を受け殺人を犯した。日本の量刑、遺族の怒りや悲しみを考えれば死刑は妥当なのだろうと思うが、基本的に僕は死刑制度に反対だし、判決が出た時は重苦しい気持ちだった。ごく普通の、犯罪者性人格でもない人間がいろんな流れのままに重い罪を犯し、気がついたときにはいつ命が奪われるかわからない死刑囚になっていた――そんな月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。それがこの物語の出発点になった。
現代のシステム
――完成した作品は、人間の気高さ、怖さを深く考えさせる。善悪とは、人を裁くとはどういうことか。裁判員制度が始まり、皆が再考中の時期でもある。
M オウム事件は現代社会における「倫理」とは何かという、大きな問題をわれわれに突きつけた。オウムにかかわることは、両サイドの視点から現代の状況を洗い直すことでもあった。絶対に正しい意見、行動はこれだと、社会的倫理を一面的にとらえるのが非常に困難な時代だ。
罪を犯す人と犯さない人とを隔てる壁は我々が考えているより薄い。仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある。体制の中に反体制があり、反体制の中に体制がある。そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった。ほぼすべての登場人物に名前を付け、一人ずつできるだけ丁寧に造形した。その誰が我々自身であってもおかしくないように。
新しいリアリズム
――作中の全員が傷を負い、陰を持つ。だがそれぞれ魅力的だ。月が二つ浮かび、超現実的な「リトル・ピープル」や「空気さなぎ」が現れても、映画やゲームでCG映像を見慣れた世代に違和感はなさそうだ。
M 自分のいる世界が、本当の現実世界なのかどうか確信が持てなくなるのは、現代の典型的な心象ではないか。9・11のテロで、ツインタワーが作られた映像のように消滅した。あれだけあっけない崩壊を何度も映像で見せられているうちに、ふとした何かの流れで、あの建物がない奇妙な世界に自分は入り込んだのだと感じる人がいてもおかしくはない。G・ブッシュが再選されず、イラク戦争も起こらない、そんな別の世界がここではないどこかで続いているのかもしれないと。
日本人は1995年にたてつづけに起きた阪神大震災とオウム事件で、「自分はなぜ、ここにいるんだろう?」という現実からの乖離(かいり)感を、世界よりひとあし早く体験した気もする。僕の小説は、『ノルウェイの森』を除いて、いわゆるリアリズムの小説ではないが、それゆえ新しいリアリズムとして、世界中で受け入れられ始めているのを感じる。9・11以降はとくに。
同時に僕は、バルザックのような世俗そのものを書いた小説が好きで、この時代の世相全体を立体的に描く僕なりの「総合小説」を書きたかった。純文学というジャンルを超えて、様々なアプローチをとり、たくさん引き出しを確保して、今ある時代の空気の中に、人間の生命を埋め込めればと思った。(09年6月16日 読売新聞の記事を3分載)
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