« 詩の紹介 「あらゆる黄色」 関 中子 | トップページ | 「西日本文学展望」西日本新聞5月28日朝刊・長野秀樹氏 »

2009年5月30日 (土)

「生きること そして詩」 佐藤裕

 すべてにものごとの成り行きに、もっとらしい理由をつけて我々は生きる。しかし、その心は現実から遊離する。学生の入学と進学とすらルールが変わる。卒業して社会人になって、複雑怪奇な決まりの現実とのギャップであろう。何がもっともらしいのか、何が理想で何が夢想か。佐藤裕の詩人精神は毒を含み、腐食した現実を鵜呑みにさせられて自家中毒を起こすのである。内出血から外出血にーー詩人は、現実は絶えざる継続に抵抗しつづけるであろう。
 西脇順三郎は、「詩学」のなかで、このようなことを記している。
――ポエジイはイロニイである。ポエジイは諧謔性である。ポエジイは絶対的否定である。ポエジイは寂滅性である。ポエジイは憂愁性である――と説く。
<マラルメはそうしたポエジイの内容の全体を宗教的にみて、ポエジイは存在の神秘を表現することであると言っている。マラルメはそうした神秘的な寂滅の世界を表現しようとした。>
 <ポエジイは想像することである。想像するということはどういうことであるか。ベイコンの説では自然が結んだものを離し、離しているものを結ぶことである>と説く。――

|

« 詩の紹介 「あらゆる黄色」 関 中子 | トップページ | 「西日本文学展望」西日本新聞5月28日朝刊・長野秀樹氏 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 詩の紹介 「あらゆる黄色」 関 中子 | トップページ | 「西日本文学展望」西日本新聞5月28日朝刊・長野秀樹氏 »