「生きること そして詩」 佐藤裕
すべてにものごとの成り行きに、もっとらしい理由をつけて我々は生きる。しかし、その心は現実から遊離する。学生の入学と進学とすらルールが変わる。卒業して社会人になって、複雑怪奇な決まりの現実とのギャップであろう。何がもっともらしいのか、何が理想で何が夢想か。佐藤裕の詩人精神は毒を含み、腐食した現実を鵜呑みにさせられて自家中毒を起こすのである。内出血から外出血にーー詩人は、現実は絶えざる継続に抵抗しつづけるであろう。
西脇順三郎は、「詩学」のなかで、このようなことを記している。
――ポエジイはイロニイである。ポエジイは諧謔性である。ポエジイは絶対的否定である。ポエジイは寂滅性である。ポエジイは憂愁性である――と説く。
<マラルメはそうしたポエジイの内容の全体を宗教的にみて、ポエジイは存在の神秘を表現することであると言っている。マラルメはそうした神秘的な寂滅の世界を表現しようとした。>
<ポエジイは想像することである。想像するということはどういうことであるか。ベイコンの説では自然が結んだものを離し、離しているものを結ぶことである>と説く。――
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