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2009年4月30日 (木)

文芸時評<文学4月>(読売新聞・文化部 山内則史記者)

(09年4月28日)「IT社会の空虚と孤独」、「誰とでもつながる」幻想
携帯電話、メール、インターネットに覆われたこの社会の変化は、小説にも表れている。作中に携帯が出てくるのは当たり前、メールの文面が挿入されたりもする。こうした環境の激変を、人間の側はどう受け止めているか。
青山七恵氏(26)「ニカウさんの近況」(文学界)は、そこに着眼した。先日川端賞最年少受賞を決めた作家による、絶妙の短編だ。会社に勤める25歳の女性・雅実に「二飼浩太郎」から再転職を知らせる近況メールが届く。「ニカイ」か「ニカウ」か読みが分からないばかりか、全く心当たりのない人物なのに、親しげな内容が妙にひっかかる。また、きれいな便箋(びんせん)を趣味で集めている雅実は、ウェブの雑貨屋で欲しいデザインのものを見つけるが、ネットで物を買ったことがなく、何者とも知れない先方に個人情報を伝えることに抵抗がある。
 〈知られることも知ることも、怖い〉と警戒する彼女は、ニカウさんのメールにある過剰な明るさと裏腹の、虚(うつ)ろさも感じている。その気分は彼女の社内での人間関係にも反映する。現代社会では周囲の人間だけでなく、ネット上に無数の知らない人たちとの回路が開かれている。だが回路は時に一方的で、すれ違うことも多い。だれとでもつながれるという思い込みが、孤独の深みに裏返りかねないことを、雅実は直感している。
 笙野頼子氏(53)「人の道 御三神」(文芸春、夏号)は、ネット内神社〈人の道御神宮〉のトップページからその内容を開いて読んでいく感覚の小説である。〈ヤマト政府の神から神社を奪われ、追い出され〉た3人の神々は、ヤマトの支配により、歴史から消された存在。このサイトを運営する〈金毘羅(こんぴら)〉が、御三神の書かれざる起源や縁起を、支配する側の横暴と欺瞞(ぎまん)に毒づき、辛辣(しんらつ)でユーモラスな軽口をたたきながら語る。御三神は怪しげなブログを巡行したりもするが、クリックすれば別の場所に飛んでいけるネット空間の軽さが、この小説にはある。
 携帯電話で遠隔操作し、手を汚さずに他人のカネを奪う「振り込め詐欺」の時代に、一瞬の身体的接触で懐中物をかすめ取る古典的犯罪をあえて描いたのは中村文則氏(31)「掏摸(スリ)」(文芸夏号)。そのレトロ感は、胸苦しい焦燥、何かに追われ、追いつめられる個の内面をストイックに書いてきた作家の手法とよくなじんでいる。掏摸の仲間と共にある組織の犯行に手を貸した〈僕〉は、仲間が消息不明となり、今は一人。その組織の男に、三つの仕事をクリアしなければ命はないと告げられる。ゲーム的ではあるが、掏摸の描写には、冷や汗と脂汗がにじむ緊迫感がある。幼少時の傷を抱え、不条理の中であがく主人公の孤独が、その行為に重ねて痛切に表現されていた。
 諏訪哲史氏(39)の3作目は「ロンバルディア遠景」(群像)。美貌(びぼう)の少年が同人誌に詩を投稿してきた。編輯(へんしゅう)者の〈私〉が、イタリアへ旅立ち、消えたこの少年の肖像と異国の出来事を、残された手紙などから再構成する形で、この小説は書かれている。ランボーとヴェルレーヌ、三島由紀夫『豊饒(へんしゅう)の海』の、転生する若者と見守る老人の関係を髣髴(ほうふつ)させ、作家自身、読者がそれらに重ねて読むことを誘っている。先行作品を踏まえつつ、書くという行為への批評的視線、言葉への懐疑を忘れない作家の本領が発揮されていた。
 藤谷治氏(45)「日本私昔話より じいさんと神託」(新潮)は、作家自身を思わせる〈私〉の自転車通勤の日常風景に異物として〈じいさん〉が出現、そこから日常が裂けていく感覚が印象深かった。鎌倉での現在と、そこに流れ込む故郷・新潟の記憶。双方を漂い、重層的な時間を立ち上がらせた藤沢周氏(50)「キルリアン」(新潮)の手腕も光っていた。

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