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2009年2月19日 (木)

江口寿史氏の「私漫画」が登場

 小説では「私小説」が、存在しているが、まんがの世界でも「私漫画」が出そうだ。日本文学の特殊性は、根本に実生活との関連を求める風土に根ざしているのかもしれない。

【マンガ50年】ギャグは爆発する(2)より
奇人ぞろいのプロ野球球団パイレーツ。熱血野球を目指し入団したルーキー富士一平は、チームメートの陰謀でギャグの魔の手に引きずり込まれていく――。
 1977年、当時21歳の江口寿史(52)は集英社の「週刊少年ジャンプ」で初連載「すすめ!!パイレーツ」をスタートさせた。「山上たつひこさんがビッグバンをおこし、ギャグマンガの最盛期だった。ギャグマンガ家の存在自体が格好良かった」。江口自身もまたギャグの魔の手に魅せられたルーキーだった。
 「好きなものをカタログ的に全部ぶちこんだ」世界は、スポコンマンガ、ヤクザ映画、SFなどめまぐるしく脱線する。少女マンガのようなおしゃれな絵、ポップな感性は、「週刊少年チャンピオン」で半年前、鴨川つばめが始めた「マカロニほうれん荘」(77~79年)の人気と双璧(そうへき)をなした。
 鴨川は1歳年下。「先にデビューされ焦ったし、世代的にギャグの感覚も近かった」と江口。前年に男性ファッション誌「ポパイ」が創刊された。豊かな時代に育った作家たちが、若者文化と併走する新たなギャグを切り開いた。
 「マカロニ」の初代担当編集者だった阿久津邦彦は、「鴨川さんは寂しがりやで優しい人だった。その生き方が『マカロニ』のギャグの根底にある」と語る。
 だが、純粋な鴨川はギャグを週刊連載する過酷さに耐えられなかった。インタビュー集「消えたマンガ家」によると、一時、対人恐怖症になり職を転々としたという。江口も「ストップ!!ひばりくん!」(81~83年)で、締め切りの苦しさを「白いワニが出る」という「狂ったふり」のギャグで表現した。江口はそのつらさを「毎週、テンションを上げ続けてヘトヘトになり、次々新しいものをという強迫観念で自家中毒みたいに疲弊していくようだった」と振り返る。
 復帰してもかつての人気を取り戻せなかった鴨川に対し、青年誌に舞台を移した江口は、絵に凝りすぎて何度も連載を中断するが、「原稿が落ちる」こと自体をファンがギャグととらえ、センスや画力とともに“伝説のカリスマ”になった。「でも、原稿を落とすことを自分で芸にしたつもりはない。ギャグにされて傷ついた」と打ち明ける。
 現在でも女の子を描かせたらピカイチの江口は、イラストや雑誌編集などにも手を出した。だが、あくまでギャグマンガ家であることにこだわる。「昔、赤塚不二夫さんや山上さんのギャグに出会い、救われたから」
 現在、連載は月1本。春からは、デビュー当時の自分の「まんが道」を青年誌に連載する予定だ。「今までの作品はすべて人を楽しませるため描いてきた。今度は初めて自分のために描くつもり」(敬称略)(佐藤憲一)(09年2月18日 読売新聞)

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コメント

きわめて有名なところでは、藤子不二夫Aによる「まんが道」があり、永島慎二の「漫画家残酷物語」も伝説的なマンガと言えましょう。吾妻ひでおの「失踪日記」なども、彼自身の体験に基づくマンガです。
また、江口寿史と親交の篤いよしもとよしとものデビュー作「日刊 吉本良明」というマンガは、私小説四コマとも言われました。
最近でも、福満しげゆきや青野春秋といったマンガ家の作品などは、私小説を連想させます。
あるいは、女性で山田花子というひとがいましたが、彼女の作品も、私小説的な要素が濃くあったと思います。念のためですが、山田花子といっても吉本の芸人とは別人であり、自殺によって亡くなっています。
女性では、やまだ紫という方のマンガも、すべてではなにせよ、多くの作品が、私マンガといってもよいかもしれません。

投稿: Lydwine. | 2009年2月21日 (土) 03時44分

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